2012-08-12

元の与党の大臣は何をやっていたのでしょう

全て仮説ですが。

現在の「たけしま」の有様を見ていると、その時代の与党の大臣や官僚は何をやっていたのだろうと思うのは私一人でしょうか。

しっかりしたコンクリートの建屋がある姿が報道されていますが、昨日・今日建設されたものでないことは明々白々です。

あたかも現在の与党が対応が甘かったからと発言されている元の与党の方々がいらっしゃいます。

自己否定が無い時代なのからでしょうか。

ここで仮説ですが。

本来責任をとることが必要な『大臣』が何も指示をしてこなかったからではとは、考えられないでしょうか。

元の与党の大臣は指示もしない環境で官僚がやれることだけを行ってきたように思えるのです。

やれることと言っても官僚は、大臣から指示なければ、自分の責任範囲で行動するしかないはずです。

国と国の間の問題の責任は大臣が責任をとることが担保されない限り、相手国からの反撃が予想される対応はできないに決まっていると考えられるのではないでしょうか。

つまり、元の与党の大臣は自分でやって来たように発言されていますが、現実は官僚にまかせっきりだったのではないでしょうか。

まかっせきりとは、官僚がとれる責任範囲のことしかできて来なかったのではないでしょうか。

コンクリートの建屋が造られは次の通りのようです。

1981年 ヘリポート建設
1997年 埠頭建設

この年代の政権は何をしてきたのだろうと考えるのはおかしなことでしょうか。












2012-08-05

参加に加えて国際大会を観ることが必要では

よく調理人を育てるためには、他人の作る良い料理を食べる経験を積ませることも必要のようですが、今回の柔道の結果を見ていると何か外国選手の戦い方なりをよく観ていないのでは感じてしまいます。

一方、国際大会に参加しているから観ているのではと思ってはいますが、意外と観ていないのではないでしょうか。

観察する機会としてです。

今回の大会をTVで観ている限り、その機会は無いように推察されます。

どの位の力で柔道着をつかまれるのかとか、引き付けはどの程度などかは、対戦しなければわからないでしょう。

しかし、戦い方などの戦略は対戦の中だけでなく、観戦でも感じられるはずです。

是非、これからの選手の育成には、問題意識を持たせ、国際大会を観戦させる機会を用意することをしていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

また、指導者は「引き締めて」とか「力を出し切って」などといった抽象的で具体的な戦術に展開できない曖昧な言葉ではだめだと感じていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-07-30

深く考えることが必要では

現在の与党から離別して新しい政党を立ち上げた方々は何ヶ月間も「消費税を反対する」ということを言われ続け、反対するとしてどうしようと考えているのか、とか来年度予算の計画をどうされたいのか、財源をどこから持ってこられるのか、などと言った言ってきたことをブレークダウンしているように報道がされていません。

言い始めて(消費税反対を)時間が経過すれば、具体策なり、将来の考え方なりに展開されるだろうと考えるのが常識的だと思うような趣旨で以前に書いてきました。

またこの例と同じように、テレビの報道も時間が経過しても同じ映像と最初の報道と同程度の解説を流すことが行われていると書きました。

この風潮は物事を深く考えない姿勢そのものと感じますが。

いかがでしょう。

この風潮を原発事故や、震災の復興に展開しないで欲しいと思います。

原発事故のことであれば、日本は今後どうしていくべきかだけでなく、どうして安全性が欠けた状態で原発が建設・運用され続けてきたのかとの視点からこの60年の与党の政策を検証・評価すとか。

また震災復興のことであれば、例えば原発設置をしていただいた自治体などに分配されたお金がどのように使われ、安全や防御にどの程度つぎ込まれてきたのか。

など多岐にわたった深い考察を展開することが今後のわが国の進むべき方向に重要なことだと思うのです。

時間が経過しても事柄が深まらないことは是非避けるべきと考えるのですが。

いかがでしょうか。


2012-07-23

『いじめ』と言う表現をやめたらどうでしょう

昔は『どろうぼう』と言っていた行為の一つが『万引き』という表現になって、何か軽い罪のような感じはないでしょうか。

一方、「どろぼう」と言われると一寸びくっとするのではないでしょうか。

このように万引きと言う表現と同じようなことが「いじめ」と言う表現にもあると考えられないでしょうか。

犯罪でないような響きがです。

いろいろな報道に接していますと、「いじめ」の内容は、まさに犯罪と言うほかないような事柄です。

セクハラが犯罪であるように、行為している方がいくら遊びだと主張したところで、受けている方が「いじめられている」と感じれば『いじめ』があると考えるべきで、犯罪だと思うのです。

『いじめ』という表現では犯罪のような響きが少ないと感じるのは私一人でしょうか。

そこで提案ですが。

『暴力』または『暴力行為』という表現で「いじめ」を表現するのはいかがでしょう。

いくらか犯罪であることが表わすことができるのではないでしょうか。






2012-07-22

オスプレイの危険率の予測はできるのでは

流れ星や衛星の地上への落下率などが発表できるように、オスプレイの危険率は求められるのではないでしょうか。

コンピュータは部品個々の障害率からシステムの障害率を求めているはずです。

航空工学の専門家であれば、同じような手法をご存知ではないでしょうか。

素人的に単純に考えれば、双発のプロペラ式飛行機とヘリコプターの各障害率の和に、1以下の数字の合体障害指数なりを掛ければ求められるのではと考えてしまいます。

つまり、双発のプロペラ式の飛行を離陸・着陸時にヘリコプター式に変える方式ですから。

危険な場面を考えると次のようになるのではないでしょうか。

まず、離陸時ですが。

ヘリコプター式からにプロペラ式飛行機変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

着陸時では

・プロペラ式飛行機からヘリコプター式に変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

このような危険があるというのは素人が考えても考え付くことではないでしょうか。

さらに2つのプロペラをヘリコプター式から双発式飛行機に変える時(離陸時)および着陸時、双方のプロペラが同期して(同時に)変更されることが必要です。

このように素人が考えても危険場面がすぐに考えられてしまいます。

どうして専門家はそのように単純に指摘しないのでしょう。

さらに防衛の航空部門を専門の官僚の方々や、大学の専門家の方々はどのように考えておられるのでしょうか。

是非、情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-07-16

選挙行動に結びつけられるか

原発に対するデモが継続して開催されています。

水を差すわけではないですが、わが国ではデモで変わったことはないように思います。

安保条約、反戦運動、・・・など戦後の大きなデモで何か変わったことがあったでしょうか。

デモだけで変えることは困難では、というのが実感です。

デモをデモとして拡大して行くとともに、どのようにして選挙行動に結び付けられるようにして行くかが必要ではないでしょうか。

デモへの参加を通じて自己変革していくことも必要でしょう。

原発の件では、この事故が引き起こした放射能放出問題によって、今まで原発容認であった方々に中に、そうでなくなった方々が数多く生まれてきましたように、今回のデモを通して、選挙という形での政治行動に結びつけて行くことが必要だと感じられることではないでしょうか。

かつてフランスデモに参加された方々がどのように選挙行動に反映されてきたのか分かりませんが、デモは活発だったとしても、ただそれだけで変えることは難しいと感じられるのです。

お分かりになっているとは思いますが。




2012-07-14

教育委員会の人材はビジネスパーソンでないのでは

大津での教育委員会の対応を見ていますと、あまりの対応で一寸ビジネスパーソンの集団でないのではとの仮説を抱いてしまっています。

ビジネスパーソンであったら、発言する際、その次の次くらいの発言を想定して発言すると思うのです。

その時だけを考えて発言しているように感じます。

また、昨日の報道では、黙祷もせず、黙祷を求められると座ったままでやろうとしたり、全くビジネスパーソンのリテラシーをお持ちでないと感じます。

教育現場を歩いたご経験の多い方々が教育委員会のメンバーになられているとの話を信じますと、確かに一般的なビジネスパーソンとは異なる特殊な世界のご経験だけを持たれていることと推察いたします。

ビジネスの世界でご経験のあるかたは、企画を行ったり、幹部説明を行ったり、不都合があればお客さまに誤ったり、・・・などなど、多岐にわたった経験を積まれている方々が多いと思います。

経験してきたら、だれでもがビジネスパーソンとしてのリテラシーを保有しているとは思っていませんが、昨今の教育委員会の対応をみていますと、そのように感じてなりません。

いかがでしょう。

いじめの問題をはじめ、教育の現場での問題解決には、多くの経験を積まれたビジネスパーソンのスキルなりリテラシーなりが必要になってきているのではと思うのですが。

2012-07-03

民主党から多くの方々が離別されましたが

50人近い議員の方々が離別されましたが、一寸そのことでお話したくなりました。

確かに主張されている筋論の、公約の多くを実行して来なかったにもかかわらず、増税の決議をしてるのは本末転倒で、やるべき事をやってその後に、とは多くの方々が感じていることだと思います。

そうではありますが、少し違う考えも浮かんできました。

この数ヶ月間、時間と共に深堀化などを行うことなく、ただただ反復ばかりのテレビニュースのように同じ文言での主張を続けていることに疑念を持ち始めました。


多くの方々も、具体策が話されていない、どこにお金があるのか、・・・、など指摘しています。


確かにそのようなことも感じます。


しかし、最近感じているのはそのようなことではないのです。

次のような仮説です。

まさか50人のリーダーは具体策は持たずに、官僚に指示を出せば考えてもらえると考えているのでは言うことです。

そのリーダーは今までの長年与党であった党の幹事長も経験してきており、メインの派閥のドンの側近だったので、首相や大臣のやり方を観て来たはずです。

かれらはアイディアがあったはずもなく、ただ官僚に指示やハッパをかけてきた方々だったのではないでしょうか。

つまり、詳細化や具体化を図る方々は政治家ではなく、取り巻きの官僚だったのではとの仮説です。

このように考えると、時間が過ぎても、話されている内容は深くなることなく、同じ文言が話されることになります。

同胞はどなたも紋切り型の答弁ばかりであることも、そのように考えられる理由です。

いままで、ずっと続けられてきた代議士や、首相、大臣の手法のように思えてならないのです。

このような仮説ではないと主張される方がいると思います。

是非、どうして抽象的で、筋論の同じ文言だけが発信されているのか、どなたか解説していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。




2012-06-05

原発の再稼動をする前に

原発を再稼動する動きが活発化しています。

確かに中小企業の方々に電力を安定的に供給することが必要のようです。

再稼動の要求ではなく、電力の安定供給問題なのです。

安定的な電力供給に原発の稼動が必要であれば、しかるべき手続を踏んでから行うべきと考えますが。

その手続は安全性に加えて、原発の今後の扱い方を明確化することと考えます。

例えば、原発のないわが国を造るのであれば、10年かけて全ての原発を廃炉にすると共に、使用済み核燃料の撤去と安全な保管を行うのです。

このような展望を示しながら、もしもどうしても原発の再開が必要であれば再開するのです。

そうは言っても活断層の真上にあるようなところの原発は再稼動することは適切ではないでしょう。

ですから、そのようなところから原発の仕事に携わっておられる方々の再就職先の確保進めて行くことも同時に開始することが必要でしょう。

場合によっては、この再就職先の確保が一番困難なことかもしれません。

しかし、廃炉にするということは原発が無くなることもさることながら、雇用がなくなることになるのです。

つまり、電力供給の転換と同時に、雇用先の転換も必要となるのです。

このような多面的な事柄を考えながら最も安全な原発である脱原発を進めることが必須と考えるのですが。

いかがでしょう。

2012-05-28

テレビが売れないわけ

量販店の記事を読んでいる、と最近はテレビが売れなくなり、不振とのことが出てきます。

それは確かに、地デジへの変換の時期に買われ、それ以降は需要がなくなってきたからでしょう。

そればかりでしょうか。

最近のテレビ番組に対して、周りにいるシニアクラスの方々に意見を伺うと、つまらない番組ばかりで観る物がないと、と返ってきます。

わが国の人口比がシニアクラスに傾き始めてきている現状を考えると、シニアクラスの方々が観るようなものがないとのテレビに対する意見が出ること自身、一寸腑に落ちないと考えるのは私一人でしょうか。

シニアが増えることはずっと以前から分ってきたことであり、テレビ番組を企画されている方々も承知のことだと思うのです。

それなのに観る物がないと言わせてしまう昨今の有様は考えられません。

このような現状では2台目、3台目のテレビの需要はないように思うのです。

従来のアナログテレビの時代は、各家庭には各部屋部屋に大きさの異なるテレビが鎮座していたと思うのです。

このようなことは現在のような番組では起きないと思うのです。

つまりテレビが売れないと原因の一つにシニアに的を合わせた番組がないからだと思うのです。

テレビの周辺で多くのマーケットリサーチの研究者なりがいると思われることを考えると、どうしてこんなふうになっているのか理解に苦しみます。

いかがでしょう。

テレビが売れないと嘆く前に、番組の現状をよく考えるべきと考えるのですが。

いかがでしょう。

2012-05-15

最近思うこと - 記者とは見識のある方?

テレビのコメンテーターに多くの新聞や放送の記者をご経験の方がいらっしゃいます。

最近、その方々の発言内容に疑問がわいてきました。

あまりのも素人に毛が生えたような内容の発言ばかりです。

確かに事件や政治を見てきたことに関しては素人でない発言です。

しかしながら、問題を突っ込んで考えたような発言はあまり感じられません。

みなさまはいかでしょう。

てなことで、最近はそれなりの題名の本を読んでいるのですが、全てではないにしても、分析がされ、示唆するものがあります。

コメンテーターの発言には示唆するような内容を感じられないのです。

あくまで仮説ですが。

記者の方々は突っ込んだ分析なりの経験が無いのでないでしょうか。

まただれも言っていない、オリジナルで示唆するようなことを発信することも経験が無いのではないでしょうか。

特に政治問題の分野の方々に感じます。

素人でないのですから、例えば、政治で本音が発信されないのは、あの場合ではかくかくしかじかの理由で発信されなかったとか、その場にいて考えなければ理解できなかったことを発信していただきたいのです。

このような発言は皆無だと感じています。

マスコミが記者の経験者をあたかも、そのようなことが可能な人材だと想定しているように思えてなりません。

これも仮説ですが、記者ご経験の方々は、熟考型の方々ではなく、その場で感じたことを分析もなしに伝える伝道者ではないのでしょうか。

マスコミとしてはありのままに伝道してくれているので目的は達成しているとは思います。

しかし、あまりにもことも問題をあぶりだすような分析がされていないと感じてなりません。

いかがでしょうか。

2012-05-04

長く続いた前の与党の時からでしょうに


一寸長くなりますが、山崎元氏の書かれた記事に
(http://diamond.jp/articles/-/16943?page=2)
『防衛大臣に限らないが、大臣に任命され、官庁に大臣として乗り込んでも、省益と切り離された立場で政策を考える独自のスタッフを持っているわけでもないし、幹部クラスの職員を入れ替えることができる独自の人材候補群を持っているわけでもない。
・・・
 ビジネスパーソン読者は、よくおわかりになると思うが、部下よりも情報に劣り、実質的に行使できる人事権を持っていないトップが大組織をマネジメントできるはずがない。自分に近い有能なブレーンを持たず、幹部職員の交代要員を独自に持たずに、形の上で権限だけ持っていても、たった2、3人の幹部で大組織を十分にコントロールすることなどできはしない。』
とありました。

確かにその通りと感じます。

しかし、このようなことは今度の与党に始まったことではなく、長く与党を張っていた前の与党、いや戦後からずっとこのかた、続いてきたことでしょう。

つまり、問題は現在ではなく、以前からの問題であったはずでしょう。

今になって問題であるように指摘しても駄目ではないでしょうか。

今までの与党がこのような構図を造り上げて来たとの仮説を立てる方が妥当ではなでしょうか。

つまり今に始まったのではなく、戦後(いや明治に遡るのかもしれませんが)ずっとこのようなことが行われてきたのでしょう。

このような仮説があっているとしたら、山崎氏の主張は、現在の政治状況を改めるためには思い切った政治体制事態の変革が必要との指摘になっているのではないでしょうか。

現在の与党の問題は、根本的な構造的な問題であり、与党を変えれば解決できる問題ではないのではないでしょうか。

現在の与党である間にあるべき姿を求めべきと考えるのですが。

いかがでようか。


2012-04-25

明治維新の日本を経験させるような開発途上国の支援では

明治維新は西洋文化の輸入によって近代化が図られたと言われていると思います。

一方、日本に江戸まであった絵画や、音楽や、刑法など、多くの文化が西洋文化に劣っているように考えられ、捨て去られて来たと思います。

この辺りことが鯖田豊之氏の『日本を見なおす その歴史と国民性』に書かれています。

西洋文化で日本で培ってきた文化を駆逐してしまったのです。

例えば絵画で言えば、伊藤若冲や尾形光琳などの構図や躍動的な表現などは現在の日本画(西洋画に対してこのようなうに言われてるのが問題ですが)には継承されていないと感じます。

また音楽は西洋型です。

つまり明治維新によるわが国の近代化は西洋化そのものの様相があるのです。

結果的に自分達の文化を否定して、崇めたてるように西洋文化一色にしてきたのが明治維新であったと言っても過言ではないのではないでしょうか。

いかがでしょう。

このようなことがあったわが国と同じようなことが、開発途上国で活躍されている方々の支援の仕方にあることはないでしょうか。

先日テレビで音楽の楽しさを開発途上国で広めておられる方の紹介がありました。

すばらしいことだと思います。

しかし、その活動の中で、その国が培ってきた音楽はどのように扱われているのだろうと少し心配になりました。

わが国の音楽は99%西洋音楽であり、楽器も西洋音楽用の音階を表現できるのものでしょう。

そして扱われる音楽は、どのような音符で表現された、どこの国の音楽のだろうかと考えてしまいました。

自分の国の文化を自ら捨て去り、ひたすら近代化をしてきた、まさにわが国の現状を踏まえると
是非、その国が培ってきた文化を継承する中で、支援できるような仕方を求めて行っていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。



2012-04-12

何故こうも、もたもたしているのでしょう

現在の与党の方々にいいたいです。

何故いつまでも、もたもたしているのでしょう。

大阪の方に思う存分言われるような姿は期待していません。

言われるまでに、できることからどんどんその方向性と姿勢を見せていただきたいのです。

皆さんはいかがでしょう。

法律を制定しなければできないことは、当然現在のように時間をかけて説得なり、審議なりを続けていっていただきたいと思っています。

しかし、法律制定を行わずにできることはスピード感をもって実施していただきたいのです。

沢山あるはずです。

この辺りのことを是非、テレビに出てこられるコメンテーターの方々に言っていただきたいのですが。

いかがでしょう。

表面ずらのコメントではなく、どうしてこうも、もたもたしているのか、その原因を追究していただきたいのですが。

2012-04-09

再び放射能汚染の可能性のあるガレキの処理についてですが

放射能汚染の可能性のあるガレキの処理について、原発の協力金相当のものを受領されている自治体の方々に言いたいのですが。

そのような協力金相当のものは、ただ単に建設に協力してもらっているから支払われているのではないのではないでしょうか。

このお金は今回の原発事故などのリスクに対する報奨金ではないのでしょうか。

つまり、これらを受けてとっている自治体は被害者という顔だけでなく、原発建設者への協力者の顔も持ってきていることを自覚することが必要ではないでしょうか。

言いたくはありませんが、住民の方々もその恩恵を受けているのです。

ただ単なる被害者ではないのではないでしょうか。

この面がマスコミなどからあまり言及されていませんが、どうでしょう。

このような主張は言い過ぎではないのかとの批判を受けるでしょう。

しかし、あえてこのことに言及しない限り、なぜ他の自治体に絆がないのかとの話ばかりがクローズアップされてしまうと思うのです。

このような主張の元にガレキ処理の問題が取り上げられるとしたら、問題の本質に
接近できないと思うのですが。

いかがでしょう。

是非、いままで受領されている金額や用途などを公開した上で、ガレキ処理の協力の話をしていただきたいと思うのですが。

2012-04-02

原発問題は地球環境問題の一環では

原発問題は何かはっきりしない状況が続いていますが、この問題は地球環境の問題の大きな一つになってきているのではないでしょうか。

チェノルブイリの原発事故時点で言わなかったのはと反省しています。

半減期の長い、つまり一度発生した放射能汚染は半永久的に存在し続けるのです。

半減期があるので無くなるものと思いがちですが、数百年の半減期を想定した場合、江戸時代いっぱい以上の年数、現在に放射線量の半分にならないのです。

これを半減すると言われる学者はおられますが、人間の寿命で考えれば6から8世代の子孫に影響するのです。

現世を考えれば半永久と言っても過言でないと思います。

つまり地球環境に影響する大きな問題なのです。

一方、森林伐採や、CO2などの地球環境問題を取り上げているNPOなどが多く存在しています。

そこで提案ですが。

エコや地球環境の問題に向き合っておられる方々に、是非原発問題も考えていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-24

地方都市のありかたについて

街に人が歩いていないとか、店舗のシャッターが閉まっているとか、・・・、いろいろなことが地方都市の問題として報道されています。

どこに問題があるのでしょう。

先ず「人が歩いていない」との原因は地方都市に人が居なくなったことがあるでしょう。

ではどうして居なくなってしまったのでしょう。

地方都市に雇用を作ってこなかったからだと思います。

つまり、多くの方々が雇用を求めて地方都市から出て行ったからでしょう。

また昼間、商店街に人が歩いていない原因は、昼間商店街に行ける可能性のある方々が家にいなくなったからでしょう。

その大きな原因の一つに専業主婦がいなくなったからだと思います。

さらに高齢者が多くなったことによって、多くのものを購買される方々が減少していることも原因だと思います。

そこで提案ですが。

雇用を作る施策としては、個人業の復活があるのではないでしょうか。

八百屋さん、魚屋さん、パン屋さん、・・、など個人でできる店を復活させるのです。

これだけを単独で行っても街は活性化しないと思います。

これに加えて、専業主婦(専業主夫でもよいと思いますが)を復活させることです。

家に居て時間に縛られることなく、昼間に買い物に出られる方々を増やすのです。

それには主婦(夫)手当てのようなものが支給されることが必要でしょ。

さらに子育てを終えた専業主婦(専業主夫)が再雇用してもらえる雇用環境を整えるのです。

例えば、会社の従業員の何%かが、専業主婦(専業主夫)から雇用された方々でなければならないとの法律を制定するのです。

例えばこのような施策なりが実行されなければ、地方都市の復活なり、活性化は難しいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-18

年金額を65歳の支給額に統一したらどうなのでしょう

年金支給額が問題になっています。

これからはさらに増えることが人口構成(老齢人口が増えることによって)を考えれば当然でしょう。

そこで提案ですが、現在支給年度によって支給額が異なる年金を一番最近の支給額に合わせるのはいかがでしょう。

つまり、高年齢の方々に我慢いただき、これからわが国を支えてくれる若年層の負担がいくらかでも少なくなる施策を実行するのです。

確かに多くの反対される方々が反対するでしょう。

しかしながら、そんなことは言っていられない状況でしょう。

65歳の支給額に合わせるというと支給額が下がるというご意見でしょう。

65歳の方々はそれで生活することになるのです。

是非、高年齢の方々がどのように考えておられるのか発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-15

無駄の排除は予算執行の段階も必要

無駄が予算立案の段階で審議されていますが、執行の段階での無駄を排除しないと真の無駄排除にならないのではないでしょうか。

立案時点での排除で無駄が省ける訳でないことはどなたでもお分かりになると思うのですが。

例えば、何か建物を企画・計画して造る予算が決まり、予算執行の段階になると例えば外部の委員が参加する審議会などが催され、方向付けなどが行われるとします。

この場面で無駄と思われる出費があります。

外部委員には報酬が支払れます。

経験では、審議会にでてくる学者はただ聞いて意見を言うだけで、予め資料などを作成することはあんりません。また例えば区長などの市民の代表はほとんど発言もせず出席しているだけです。

このような審議会委員にもしかるべき報酬が支払われているのです。

それも数回出ているだけで、10数万円以上の報酬です。

これは無駄だと思うのです。

はやりのボランティアでいいのではないでしょうか。

せめて旅費などの実費でいいのではないでしょうか。

このように無駄を省いた予算の中身は、このような無駄が数多く潜んでいるのです。

ここの無駄を省けば、さらに予算額の適正化が図れるのです。

このようなことはそこらじゅうにあると思います。

是非この辺りの無駄も一考する必要があると思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-11

地方の地域活性化に感じること

地方の商店街の活性化に多くの手が打たれてはいますが、根本的な視点が欠けているのではないのかと感じ始めています。

まずそのような街を見ると人が歩いていません。

人が歩いていない街を活性化するには、人が歩く街にすることが必須と考えます。

人が歩く街を用意するには人が家にいることが必要です。

そして家にいる人に購買意欲があることが必要です、

購買意欲がある人とはどのような人だろうと考えますと、人口に占める割合が多いシニアクラスの人ではないのではないでしょうか。

若い人々が家にいることではないでしょうか。

広間から街に歩け、購買意欲のある人々とは、主婦か、主夫ではないでしょうか。

勤めている方々は街を昼に歩くことは不可能だからです。

そうではないでしょうか。

つまり、街を活性化するには若い人々を家にいてもらうことが必須だと思うのです。

保育園、幼稚園を多く用意することではないと思うのです。

また子供手当てを支給することでもないように感じます。

子供手当てを支給して保育園なりを用意すれば益々家にいることができる人々はいなくなるように思うのです。

そうではなく、主婦(主夫)手当ての支給をすべきではないでしょうか。

それも思い切って月に8万円程度を支給するのです。

そして、例えば子供が義務教育を終えるまで家にいていただくのです。

さらに加えて、子供育てが一段落した主婦(主夫)が再び職に就くことが必ずできる環境も用意するのです。

ただ手当てを支給するするのではなく、この条件も付けた上にです。

このような社会構造の一部を変えて行くことなくして地方の街の活性化は不可能と思うのですが。

いかがでしょう。