2012-09-16

同じことが起きるのでは

与党、野党の党首選が多く報道されています。

現在の与党は選挙民を大きく裏切ってきたように感じます。

その原因はどこにあったのでしょう。

政治評論かも記者あがりのコメンテーターも語っていただけないところがあり、そこに原因があるのではと思い始めましたので、そこを仮説にして書いてみたいと思います。

仮説は次のとおりです。

1.現在の与党の1代目の首相は、自分が話せば誰かがそれの実現方法を考え、実現するための行動を起こしてくれると考えていたのでは

2.2代目の首相は、細かなことを話せば自分の考えが及んだことが実行されると考えていたのでは

つまり、話せば、官僚なりが自分の考えどおり行動してくれるとの考え方です。

確かに、いろいろな組織で上司の話すことを部下はその実現に智恵を出し、了解をとって行動していると思います。

しかし、現在の政府の有様からはそのような行為があると推察することができません。

結果的に言えば、伝わっていないのと同じような感じです。

ここでさらに原因の仮説です。

1.まさか、このような現在の与党の首相や大臣の行為は、54年間も続いた前の与党の行動を真似ているのではないのか

2.前の与党の時はざっくりとした話なのに、現在の与党の首相は細かすぎるくらい話をしているのではないか

つまり、54年間与党の行為を見てきた方々に、権力を握った際にはあのようにすることが刷り込まれてきたのではということであり、前の与党の方々はざっくりとした指示のもと、官僚の力を頼りに利権誘導型政治を行ってきたのではとの仮説です。

そのような仮説を裏付ける事柄は前の与党時代の多くの大臣の選任にあったと思うのです。

その時は、どうしてあの方があの大臣をできるのとの疑問だけを抱きました。

今考えますと、そのように考えるべきだったのではなく、大臣が考える方ではなく、官僚が考える方だったのはのはないかということです。

このように考えると現在の与党の有様はかなり理解できます。

しかし、このように理解できたとして、どうして現在の与党ではうまく行かないかです。

ここからは会社経験が長い方なら仮説が立てられるのではないでしょうか。

つまり、「与党が選挙によって変わることがない」という暗黙の了解事項です。

これが働いていたのではないでしょうか。

これがあると、ある時大臣なりに示した(話した)ことを、選挙後に問われることがなく、おもいきって行為できてきたのではないでしょうか。

自分の上司相当の方々が変わっても党が変わらないということです。

それは自分の信条を受け入れてもらえる上司が居続けることであり、ある種の安心感があるのだと思うのです。

与党が変わることで受け入れられる信条が異なることがあれば、官僚なりの方々は自己の信条を出すことは禁忌でしょう。

切られることが予測されるからです。

話は進みすぎますが、このように考えると、新に政権が発足しても現在のような有様はつづくのではと考えるのですが。

いかがでしょう。








2012-09-03

121はあやうい数では

衆議院の定数を240名にするとの公約のグループが出てきました。

確かに議員数は多く、経費もばかにならない数字になっています。

昨今のような不景気な時代に、なかなか決まらない議会に業を煮やして経費削減を定員削減に反映したように感じます。

定員を半減すれば、確かに経費も半減するところが多くあると思います。

ですから定性的にはそうだと思います。

しかしながら定量的はどうでしょう。

121名の賛成で国家の多くのことが決まってしまう議会を想定した場合、一寸首をかしげてしまうことはないでしょうか。

国家の決め事を121を多数として決着するのは、あまりにも少ないのではということです。

一人で決める独裁国家は危ないとして、121だから民主的と捉えていいものなのかとの懸念を抱いてしまうのです。

いかがでしょうか。

昨今の選挙制度では半数以上を一党が独占する確立が高いとすると、121だからと言って独裁でないと言えるかです。

どうもこの辺りの議論なくして議員の半数化が、あたかもあるべき姿のような様相を呈してるのはいかがなものでしょう。

多くの方々の発信を期待いたします。