2008-09-30

経験から仮説を

会社勤めを長年やり,管理者として経験をされた方々に活躍してほしいものです。

そうは言っても経験をもとに,何が現在のような状態にしているのか,仮設を立てられる方々にです。

管理者として経験したうちに何かいけないことに感じらることが一つや二つあったのではないでしょうか。

そのことから現在の行政や与党の近傍の不作為や,不正行為の原因の仮説が立つのではないでしょうか。

確かにこのようなことがあるのがこの世なのだとの意見をお持ちの方々もいらっしゃることと思います。

しかし,まさにこの世が問われているのです。

今までの澱を払拭する新しい制度設計が行われるべきに時期に来ていると思います。

是非,多くの経験から仮説を導き,現在の課題を見通していただきたいのです。

かなり抜本的な取り組みが必要と感じられるのではないでしょうか。

低成長時代を迎えている現在,多くの経験者からの新しく,無駄のない行政なりの取り組み方を提案いただきたと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-29

財務省の役人は選抜試験のトップだとは思いますが

財務省(旧大蔵省)に配属になる方々は,確かに上級公務員試験の成績の上位の方々と聞いています。

残念でたまりません。

トップの大学の法学部からの人材が今回のような認識でいることが。

確かに教育の現場には問題があると思います。

しかし,そのことを言及する前に自らいる場所なりに問題があることに目をつぶっているのではないでしょうか。

澱むことによる弊害についてご存知ないのでしょうか。

大蔵省にいたことがあれば代議士からの圧力,財界からの圧力,付けた予算の何%かがどなたかにバックされていること,ODAは国内の会社が受注していることなど,など多くのことをご存知のはずです。

知らないはずはありません。

そのことはいけないことではなく,他のことがいけないことと言及するのはお門違いではないでしょうか。

教育行政もその一環です。

多くのいけないことが実行されていることをよくご存知のはずです。

そのことはどのようなことから発生してくるのか,頭脳明晰な方々に解き明かしていただきたいものと考えますが,いかがでしょうか。

またこのような実態はどのような組織においても起きることなのでしょうから,学者の方々にも早期に解決策を提起していただきたいと思いますが。

いかがでしょうか。

2008-09-26

仮説が立てる経験が必要では

与党の代議士の引退と3代目の後継者が決まろうとしているような報道があります。

後継者は引退する代議士が選挙に立った年齢と同じ年齢との報道です。

確かに若い方々が政治に関心を示してくれることは大変喜ばしいことでしょう。

しかしです。

若い方々は残念ながら現在の社会に働いている力学について覗き見ることを経験できていません。

そのことが何か物足りない政治家を生み出すことにならないでしょうか。

70年代の行動を反省してみますと,変えなくてはと思っていたのにもかかわらず,社会がいろいろな手で動いていたことを知らなかったのはないか。

あの頃の言葉で言えば,「社会はそんなもんじゃない。出てみればわかるよ」とあきらめろ言わんばかりの批判が投げかけられたと思います。

また,あのころのマスコミの報道や評論家は今と同様,社会の裏の行為なりの力学を言及しながら批判するようなことは無かったように思うのです。

つまり,あのころは自分でも発見できず,マスコミも報道せず,社会学などの著書にも現実の社会に働いている力学は記述されていなかったと思います。現在も同様ですが。

しかし,現在は異なっているのではないでしょうか。

それは自分で経験してきて,何が働いてこの社会が動いているかをつぶさに見て,場合によっては自分も同じような行動をとってきたことから,今何が問題で何を解決しなくてはならないかを,実感しているのではないでしょうか。

では若い方々はと言えば,70年代に分からなかったのと同じ状態で政治の世界に入ることになります。

ここには,現在問題になっていることから構造的な課題を掘り起こすことができることは期待できないと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-24

経験がないからでしょうか

報道される時事の内容があまりにも表面的で,だれでも知っていることばかりではないでしょうか。

昨日のBSの番組で月刊「現代」の編集者と田中秀征氏との対談の中で,田中氏の発言についていけてないような会話が沢山ありました。

記者には田中氏のような経験がないから実感がなかったのではないでしょうか。

これと同じようなことが,現在の行政の問題の根源を探るような記事を書く場合に起きているように感じるのです。

それはこのようなことです。

問題の所在を例えば与党と行政の構造的な問題のところでもとめず,政策の不備とか,担当者の不作為のようなところばかり目が行っていることです。

この原因の一つに,記者が会社の中で管理者としての経験がないことから来ていると考えるのはいかがでしょうか。

管理者を経験すると,人を評価したり,また評価されたり,さらに会社の経営課題を自分の課題として捉えてみることや,経営担当者からの日頃の発言を聞いたり,世間からの見たらどのように感じるのだろうと考えされることに接したりすることが,このような力学が働き,このレベルで判断されているのだろうとの,自分の視座ができあがって行くと思うのです。

そして,この視座から,同じような力学なりが,与党と行政(官僚)の間にもあるのではないか等という視点がうまれてくるのではないでしょうか。

現在のような新聞,テレビの記者からの情報内容は実態を反映していない,表層の情報ばかりだと思うのです。

管理者を経験した記者からの記事を期待したいと思いますが。

いかがでしょうか。

2008-09-19

与党以外でやればいいということではありませんが

今回の事故米の処理についてもはじめ,国民側からの視座から見ていないのは何故なのかをマスコミの方々が報道してほしいものです。

問われるトップは多くの方が法学部出身者です。

法律のことをよく知っている法学部出身者が法的におかしなことをしているところのトップなのです。

知っているから抜け道も知っているといっては済まされないことではないでしょうか。

行政の専門家でもあって欲しい方がです。

何かこの社会の有様を映し出しているように思えるのです。

どこからこのような体になってきているのだろうと感じるのは私一人でしょうか。

仮説として,このような体は明治からこのかたとか,第二次世界大戦の後とかが想定できるのではないでしょうか。

つまり,その当時はあまりマスコミが報道していなかったので,われわれは知る機会を持てなかったのかもしれません。

今回のような事はこの数年で起きているとは考えられません。

勿論外国の米を陽に扱ってのことは最近などかもしれませんが,これと構造的に同じような事は前からずっとあったのだろうと考えるのは,そう誤った想像ではないのではないでしょうか。

この辺りもマスコミの方々の活躍を期待したいものです。

是非今回の事件を通して,構造的な問題点を明らかにする報道をしていただきたいと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-09-17

変えることは困難では

与党の皆さんが「変える」と言っているのを聞くと何かむなしさを感じます。

理由はこうです。

官僚と政治家が権力的・人脈的に密着して来たことが一因と考えられることは,政治家一人が叫んでみても変えられないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

政治評論家の田原氏がブログで「与党はシンクタンクとして官僚を使ってきた」と書かれておりましたが,まさにそのことです。

シンクタンクというと公正な施策を考える組織のように聞こえますが,与党が長年変わらなかったことによって,与党よりの考え方の官僚が処遇され,その結果,国民の目線ではない施策が講じられてきたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

今回の事故米の件も,その結果としか考えられません。

官僚の方々をそのようにさせてきたのも,与党の方々の圧力と考えるのが妥当ではないでしょうか。

いろいろなところで与党の方々は口を挟み,作成された施策をゆがんだものにして来たのだろうと想像してしまいます。

会社に勤め,管理者を経験された方々はうすうす感じていただけるのではないでしょうか。

このような事柄は組織であれば必ずあることだと思うのです。

だからしょうが無いのではなく,会社であればトップが号令をかけ,そのようにならないようにします。

結果はなかなかで出ないにしても。姿勢は。

しかし,与党と官僚の間にはそのようなことは見受けられません。報道を聞いている限りは。

一方,このようなことは与党になるとどなたでもそうなると想像されます。

しかし変わること,そのことこそが,このようなことを幾らかでも無くす方法ではないでしょうか。

先日のNHKのインタビューで野党の党首が言っていましたが,「変えてだめなら変えればいい」のだと思います。

継続させず,常に変わることが現在必須に思うのですが,いかがでしょうか。

2008-09-12

戦後が続いているのでは

農林省の対応が今回も問われています。
社会保険庁も問われています。

問われ方を見ていますと,戦後の復興にむけたあわただしい行政の姿を彷彿させます。

何がなんでも企業(商店)を復興させなくては。

そのためには何でもできるようにしなくてはという感覚だったのでしょう。

現在の行政のやっていることや,やりかたを見ていますと,そのドサクサを感じるのは私一人ではないでしょう。

それを許して(最近は黙認でしょうが)きたのは,行政であり,その管理をしてきた内閣であり,与党ではないでしょうか。

当時はそのような感じではなかったにしても,現在から眺めれば,あまりにもズサンであるように思えます。

外務省の問題などもあわせ考えますと,戦後だけではなく明治時代からこのかた,行政のあるようは根本が変わって来ていないのでしょう。

そのように捉える方が,理解が進むように感じるのですが,いかがでしょうか。

これらのズサンさや,企業にあまいことや,俗に偉い人々の厚遇などは,明治からまた戦後からずっと続いてきた現象でしょう。

そのころは一部の人々だけが知りえたことで,多くの国民は知らせてきていないのです。

この流れは構造的な問題と捉え,解決の糸口を探しだし,早急に解決することが必要な時期がきていると思うのですが。

その方法の一つとしては,行政の管理する組織および管理する法律を一定の年間隔で変えて行くことではないでしょうか。

永久与党・法律変更論なる考え方があるように思えるのですが。

2008-09-10

日常的なことを出発点にした教育が必要では

現在の有権者の言動を聞いていますと,自分で考えて応えているのだろうかとか,本質を掴んでいるのだろうかと感じてなりません。

構造的な問題はあまり把握されていないのではないかと思えてなりません。

昨日NHKのインタビューに応えた小沢氏が「変えてみて,だめならまた変えればいい」ようなことを言っておられました。

また石破氏からは「与党のだめなところは官僚が作ったものを実行しているところ」のような発言がありました。

この両人の発言はまさに現在の問題を言い当てていると思うのですが。

いかがでしょうか。

また昨日,今日に報道されている米の偽装などは10年来行われてきたとあります。

このことは当事者の責任もさることながら,その状態を許容してきた構造を問わなくてはならない問題ではないでしょうか。

どこに視点を置いた行政だったのかということです。

事柄をあやふやな形で許容してきた構造的な問題です。

教育を考えてみますと,このような問題がどのような構造の中から発生してくるのかを説明できるような学問が教育の場で行われていないことは,誰でもが実感できるのではないでしょうか。

このような問題は組織ができれば必ず発生する問題であることを考えますと,このような問題を根源から断つのにはどのような方法があるのかを考える契機になる教科が教育の現場に必要ではないでしょうか。

学者になるためのような観念的なことがらから出発した学問ではなくして,日々の生活する場である社会を出発点にした教科です。

このように日常に関係する教科こそが実務家向けの学問であり,このような視点での教育がいままさに必要な時期に来ていると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-08

当事者は擁護するばかり

与党,野党を問わず自分の党の擁護ばかりを展開しているように感じてなりません。

与党の場合には当然のことながら問題が指摘されても行為の正当性ばかりが主張されています。

野党も同じような対応をしています。

それも若手という方々もです。

確かに自分が所属する政党の正当性をすることはしょうがないことなのでしょう。

しかし,そうとばかり言ってはおれないのが現状ではないでしょうか。

いままさに抜本的な見直しが必要な時期に来ているのではと思うからです。

わが国の制度の再構築が必要ではと思うのです。

刑法,予算の立て方,予算配分の考え方,代議士の地位,保険制度,食の安全など
上げればきりがありません。

大きな枠組みでの議論が必要なのではないでしょうか。

何か大きな枠組みからの解決策のような取り組みをして行くべき時期だと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-07

守るのでなくどのような施策をうつのか言ってほしいですね

若手と呼ばれている方々がテレビで言っていることを聞いていますと,自分の党を守る言葉ばかりと感じるのは私一人でしょうか。

確かに他の党の方々も同じような言動をとっていますが。

今,報道で問題になっている事柄の主な要因の一つは,官僚とのなあなあの関係から出てきていると思うのですが。

構造的な問題ですから他の党が与党になり,一定の期間続けばやはり同じ問題が浮上することは十分予測されます。

だからといって解決しなくていいわけがありません。

どうしたら解決の糸口になるかを考え,発言して欲しいのです。

その辺りを守る言動ではなく,新しい取り組み方を探して欲しいのです。

例えば,官僚との関係に一定の距離をつくり,官僚にあるべき姿を描いた施策を策定できる環境を提供できることだと思います。

現在の関係では,与党に擦り寄った施策ばかりが目に付きます。

与党が変わればまた,その与党にあった施策ばかりが策定されるように思えてなりません。

距離を置く方法として,誤った対応をした場合には,責任をとらせることが必要ではないでしょうか。

あまえを利用して自分達に擦り寄った施策を作成させるような関係を断つことだと思うのです。

若手の方,是非守る姿勢ではなく,与党の変換を望まないなら,どうしたら現在の問題を解決できるのか知恵を出して欲しいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-05

不思議ではないでしょうか

裏の裏まで知っているであろう新聞やテレビの記者が,いろいろな問題を構造的に起こしていると思われる与党の代議士になるのはどうしてなのでしょうか。

直接代議士になった人ばかりではなく,秘書を経験してからなった方も多く見受けられます。

いろいろな問題に遭遇しているのではないでしょうか。

また問題の所在もそれなりに感じておられるのはないでしょうか。

しかし,同じ狢の党の代議士になろうとするのはどうしてなのか一寸首をかしげてしまいます。

いかがでしょうか。

現在多くの問題が報道されていますが,主な原因は長年続いたことから来る澱みと思うのです。

それを断ち切るためには,個人の意識だけでなく,制度など意識とは異なったところでの改革なりが必要ではないでしょうか。

マスコミの記者の方々はどのように分析されているのでしょうか。

特に代議士になられた方々にお聞きしたいと日々感じるのですが,いかがでしょうか。

2008-09-03

刑期の妥当性をどのように考えますか

(自分の)子供を餓死させて,刑期が6年との判決があったとの報道がありました。

このような刑期はどこから来ているのでしょう。

あまり刑期のことを問題にしない報道がされたことから考えますと,妥当な刑期と受け取るべきなのでしょうか。

法律なり,刑法なりを専門にされている方々から,その妥当性をヒアリングしてみたい気がしてなりません。

人の死を意識的に招いた結果に,このように短い刑期しか言い渡せないことに関して。

どこか変と感じないのでしょうか。
専門家って何なのでしょうか。

どこか麻痺しているのではないでしょうか。

法律を作る専門家の方々はどのように感じているのでしょうか。

法律を審議している方々はどのように感じているのでしょうか。

これらの方々が問題にしないなら,誰が問題にできると言うのでしょうか。

もう一度考えて見てください。

たったの6年なのです。

刑法なりのルールから出てくる数字なのでしょう。

どこか変ではないでしょうか。

2008-09-02

変わることがよいことでは

昨晩首相が退陣しましたが,首相がかわることではありません。

与党が変わることがいろいろな問題を解決する糸口になるのではないかということです。

官僚とのなあなあ関係や,予算配分への干渉など与党が変わらないことは,地方自治体などで長年担当者が変わらないことによる汚職問題噴出などと同じ構図になっていると思うのです。

この担当者が長年同じところに居続ける問題に対しては,多くの方が担当者を適当な期間で変えることだと思うのではないでしょうか。

マスコミも同じような論調で報道していると思います。

与党と官僚の間でも同じ構造になっていると思うのですが。

官僚の人事権を与党が握っていることから来る構造的な事象と思うのです。

というのはどうしても与党よりの政策を策定する人物が優遇される構図が出来上がるからです。

会社に勤められ,管理職になられた経験のある方であればその辺りのことはご理解いただけるのではないでしょうか。

この世界の方々が,飲酒運転と同じように,同じ問題を繰り返し起こすようであれば,制度面からの規制が必要でしょう。

そうは言っても与党と官僚の間はそのようには行きませんから,与党が適切な期間で変わるようにすることだと思うのです。

変わらなければ澱むからです。

変わったからといって課題が解決すると楽観視してるのではありません。

変わることで関係が断たれると思うからです。

10年周期で変わるようなことができれば,表面だった問題に対しては解決の糸口になるのではないかと思うのですが。

いかがでしょうか。