2013-10-20

わが国の原爆開発の痕跡

本日20日、BS11の「ウィークリーニュースONZE」で福島第1原発に近い福島県石川町で戦時中、原爆開発されていたと報道されました。

終戦近い1944年に軍部によって原爆開発のためにウランの採掘が指示され、動員された住民によって作業が行われたとのこと。

このようなことは聞いたことがないなと思い、調べてみました。

理研が1941(昭和16)年に、陸軍航空技術研究所から原爆開発の可能性に関する研究の委託を受け、当時、原子核物理の第一人者だった理化学研究所の仁科芳雄主任研究員(1890~1951年)が報告書を作成し、1943年3月に陸軍に研究成果を報告書として提出されたようです。

「原子核分裂によるエネルギー利用の可能性は多分にあり」とあり、さらに「連鎖反応はいったん起これば極めて短時間に進み、莫大(ばくだい)なるエネルギーを放出する」として、原子力が爆弾に転用できる可能性を言及しているようです。

31キログラムの水に濃縮ウラン11キログラムを混ぜた場合、「普通の火薬1万トンのエネルギーに相当する」との計算も書いてあったとありました。

報告を受けた東条英機首相は「この戦争の死命を制することになるかもしれない。航空本部が中心となって促進を図れ」と命令し、1943年9月に原爆開発が極秘の研究となったようです。

このような話は一度も聞いたり、読んだりしたことがありませんでした。

いつも被害者としての発言ばかりでした。

しかし、番組の中で、当時の陸軍であれば開発されていたら使っていたように思うと、ウラン採掘を経験された方が話されました。

この辺りのことをご存知の歴史学者からの情報提供を是非お願いしたいと思うのですが。

いかがでしょう。

靖国に今回訪れた与党の方のお一人から、戦争でお亡くなりになった方々を追悼云々、の発言がありましたが、このことに対してどのような見解をお持ちか聞きたくなりました。

この辺りはいかがでしょう。


2013-10-11

ミシュランの日本での調査員の方の味覚はどうなっているのでしょう

鎌倉にある蕎麦屋で、10月11日の昼に10割そばなるものを食べました。

このようなことを書くのは不本意ではあるのですが、いたたまれなくなり、書くに及びました。

友人からよいそば店があるらしいとの話があり、そこに行ってそばを食べました。

まずそばだけ4本ほどを取って、香りをと思い何もつけずに食べてみました。

何の香り(そばの)もしません。

一緒に行った友人にも確認してみました。

友人も香りがしないとのこと。

そばがきも頼みましたが、それも香りがありません。

自分でもこの10年以上、見様見真似でそば打ちを経験してきました。

大したそば粉も手に入らず、香りがよくないなと思いながら自分で打ったそばを食べてきました。

香りがないと言っても、そばがきの出来たては結構そばの香りがあります。

さらに、そばそのものにもかすかではありますが、香りがします。

大したそば粉でなくても少しの香りがするとの経験から、鎌倉で今回食べたそばと、そばがきに全く香りがしなかったことにショックを受けています。

呆れて、帰宅後にこの店のHPを見ましたら、ミシュランの「一つ星」を2010年から連続して3年間取得しているとのこと。

えーって感じです。

何を判断されているのでしょう。
日本でのミシュランの調査員の方は。

また調査員の方の味覚はどうなっているのでしょう。

この店のそばつゆも美味しくありませんでした。

ミシュランの権威に関わる事柄だと感じています。

是非、ミシュランの調査員の方から発信していただきたのですが。

いかがでしょう。

2013-10-09

殺人事件の裁判に一言

 8日の裁判員裁判の死刑判決を破棄し無期懲役とした東京高裁判決について、何か腑に落ちないものを感じます。
東京高裁は「強固な殺意に基づいた冷酷非情な犯行」としつつ、
「被告が、被害者に金銭を要求した時点において、殺害の意思があったとは認められず、計画的な殺害行為とは言えない」とありました。

さらに「殺害された被害者は1人で、死刑を選択することがやむを得ないものとは言えない」として、
無期懲役の判決が下されたとありました。

「殺害の意思が云々のところ」と、「殺害された被害者は1人」のところがひっかりました。

どうすれば人の命が奪われるかは普通であれば分かるはずです。

そうして命を奪っているのです。

このことだけでも極刑に値すると思います。

ただし、情状酌量の余地があれば、それなりの減刑はありえるでしょうが。

さらに被害者が一人だから無期懲役という判断のところですが、確かに今回だけでなく出てはいますが、この部分も一般人から考えて、理解に苦しむところです。

人の命を奪えばそれなりの罰を受けるべきではないかと考えますが。

一人か、複数人かではないでしょう。

まず人数とは関係なく、命を奪ったら極刑と言うところから始めるべきではないでしょうか。

それから事実関係から酌量して行くのが良いのではと考えるのですが、いかがでしょう。

どうも現在の刑法ではそのような仕組みになっていないようです。

死刑廃止の議論の前に終身刑導入の議論を、また殺人に関しては極刑から情状酌量によって減刑していく手続きが必要ではないでしょうか。

専門家のコメントを頂きたいと思うのですが。

いかがでしょう。