2012-08-24

3.11以降考える 街路時の選定について

街路樹はどの程度考えてられて植えられているのでしょう。

街路樹への要求条件を考えてみたいと思います。

・夏日陰ができ、冬の日差しが入る効用があること
・街の美観を上げられること
・枝を切ったりする世話があまりかからないこと
・水不足が起きないこと
・秋の枯葉の量が多くないこと
などが挙げられるのはのではないでしょうか。

例えば、上のような条件を仮説にして現行の街路樹を考えますと。

冬には葉はなく日差しが入り、夏には葉が茂り日陰ができ、秋の落ち葉は少ないような木が求められることなります。

このような条件で現行の街路樹に選ばれている次のような木々はどうなのでしょう。

ミズキ、プラタナス、イチョウ、サクラ、ケヤキなど

何か当ってないような気がしてなりません。

つまり、街路樹を選ぶ際に、その目的が不明確になってるのではないでしょうか。

保守のし易さや価格などが優先されているのではなどと勘ぐってしまいます。

これだけエコが叫ばれているにですから、夏には電気にたよらず涼しい街にできる街路樹を植樹すべきと考えるのですが。

いかがでしょうか。

2012-08-21

中国で日本の米を増産しているようですが

本日のテレビで、日本と同じ品種の米が増産されているとの報道がありました。

わが国への輸出も考えているようで、報道では安い米が入ってくるとのコメントがありました。

確かに安い米が入ってくるようになると考えられ、現在の日本人の味覚であれば受け入れられると推測されます。

最近の米を食していますと、ご飯としての匂いと味が無いように感じてなりません。

いかがでしょう。

1980年代までは、結構味がする米を食することができた記憶があります。

つまり1980年代以降に生まれた方々は、うまいご飯を食べた経験が少ないとの仮説が成り立ちます。

一方、昭和20時代の以降の給食世代は、子どもの時の昼ごはん(学校給食)はパンでした。
(最近の給食はパンが主体でなく、お米のご飯が出ているそうですが。)

つまり、子ども時のにパンを食べさせられていたのです。

その世代の方々は意識されているでしょうか。

以前にも書きましたが、マヨネーズ分野に新規加入を目論んだメーカーが幼稚園にサンプルを配布したとの報道を聞いたことがあります。

つまり子どもに味を覚えてもらう作戦です。

このようにして開拓しているのです。

これと同じことがパン食にあったのです。

このようなことに今までの元の与党の方々や農協の幹部の方々が学校給食にパンを出してきたことを容認してきたのでは、との仮説が成り立つのではないかと思っております。

表現はよくありませんが、いまさら安い米の輸入を阻止などといったことは、あまりにもふざけているのではないでしょうか。

おいしいお米の味覚を育ててこなかったことを、あらためて意識すべきだと思うのですが。

いかがでしょう。

日本のお米の味を覚えてくれてたら、多くの人たちがその味と安心を求めて価格だけで勝負するようなお米を受け入れないと思うのは私一人でしょうか。










2012-08-12

元の与党の大臣は何をやっていたのでしょう

全て仮説ですが。

現在の「たけしま」の有様を見ていると、その時代の与党の大臣や官僚は何をやっていたのだろうと思うのは私一人でしょうか。

しっかりしたコンクリートの建屋がある姿が報道されていますが、昨日・今日建設されたものでないことは明々白々です。

あたかも現在の与党が対応が甘かったからと発言されている元の与党の方々がいらっしゃいます。

自己否定が無い時代なのからでしょうか。

ここで仮説ですが。

本来責任をとることが必要な『大臣』が何も指示をしてこなかったからではとは、考えられないでしょうか。

元の与党の大臣は指示もしない環境で官僚がやれることだけを行ってきたように思えるのです。

やれることと言っても官僚は、大臣から指示なければ、自分の責任範囲で行動するしかないはずです。

国と国の間の問題の責任は大臣が責任をとることが担保されない限り、相手国からの反撃が予想される対応はできないに決まっていると考えられるのではないでしょうか。

つまり、元の与党の大臣は自分でやって来たように発言されていますが、現実は官僚にまかせっきりだったのではないでしょうか。

まかっせきりとは、官僚がとれる責任範囲のことしかできて来なかったのではないでしょうか。

コンクリートの建屋が造られは次の通りのようです。

1981年 ヘリポート建設
1997年 埠頭建設

この年代の政権は何をしてきたのだろうと考えるのはおかしなことでしょうか。












2012-08-05

参加に加えて国際大会を観ることが必要では

よく調理人を育てるためには、他人の作る良い料理を食べる経験を積ませることも必要のようですが、今回の柔道の結果を見ていると何か外国選手の戦い方なりをよく観ていないのでは感じてしまいます。

一方、国際大会に参加しているから観ているのではと思ってはいますが、意外と観ていないのではないでしょうか。

観察する機会としてです。

今回の大会をTVで観ている限り、その機会は無いように推察されます。

どの位の力で柔道着をつかまれるのかとか、引き付けはどの程度などかは、対戦しなければわからないでしょう。

しかし、戦い方などの戦略は対戦の中だけでなく、観戦でも感じられるはずです。

是非、これからの選手の育成には、問題意識を持たせ、国際大会を観戦させる機会を用意することをしていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

また、指導者は「引き締めて」とか「力を出し切って」などといった抽象的で具体的な戦術に展開できない曖昧な言葉ではだめだと感じていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。