2008-12-20

官僚,大臣はどのように考えているのでしょうか

国債の利払い費は,予算上では「国債費」というかたちで計上され,支出全体に占める割合は23.5%になっているようです。

すごい割合です。

つまり予算は税などの収入の76.5%だけが使える金額なのです。

このような事態を招いたのは,長年とどまってきた与党と,与党を支えてきた官僚です。

このような収支であることを知りながら,政治的な判断をしてこなっかたのでしょう。

その前に,官僚は予算を立てるプロなのですから,そのことはよく知っているはずです。

それなのに道路や,空港や,外郭団体で無駄を省くことを意識すること無いと思わざるを得ないお金の使い方をしているのは何故なのでしょうか。

前述したような利払いの状態を意識すれば,無駄をしない予算の立て方をするのが常識ではないのでしょうか。

もしも官僚がそのような行為をしているとするなら,大臣なりの与党の方が政治的に対応して,抑制すべきではないでしょうか。

しかし現状はそのようなことが行われてこなかったことがありありとしたものでしょう。

つまり,与党と官僚とが同じ視点でお金が使われてきたとの仮説を立てざるを得ません。

いかにも官僚だけが悪者にされていますが,与党が政治的な判断をしてこなかったことの方が問題ではないでしょうか。

ここで改めて考えることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。

23.5%もの年度予算が利払いに使われるようになってしまった責任はどこにあり,だれがその責任を取らなくてはいけないかを。

2008-12-12

抑制の図れる報道の仕方はないものでしょうか

毎日殺人などが報道されています。

手段の検証のような報道があり,何か助長しているような体をなしているように思えてなりません。

以前にも書きましたが,マスコミは大きな影響力を持つ環境の一つです。

多くの研究がそのような影響力の強さを証明していると思います。

そのようなことは多くのマスコミ関係者などはご存知のはずです。

しかし,あいもかわらず抑制するような報道の形式はされていないと感じます。

皆さんはいかがでしょうか。

食品偽装も,官僚の汚職も,飲酒運転も,・・・。

抑制を意図した報道と言うと,専門家から報道は中立でなくてはならないといったお叱りを受けるであろうと予測します。

確かにその通りでしょう。

ですから余計にマスコミ論なりを専門にした学者に登場願いたいのです。

批評する立場ではなく,どのように報道したら,もともとの報道のスタンスを維持しながら抑制効果を発揮することができるかを示していただきたいのです。

今こそ,それが必要と思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-12-09

何を考えているんだと首を傾げるだけです

新聞記者や弁護士など社会の仕組みのいろいろな面を知っているであろう方々が与党の代議士になって,その代議士が所属する与党の駄目なことを弁護すること。

与党の枠組みの問題を表面的な事柄で説明して構造的な問題を棚上げにしていること。

与党と官僚の関係をいろいろな場面で見て,知っていること。

与党と関連団体との関係の枠組みを知っていること。

並べ立てればきりがありません。

一番ではないにしても与党が長年コントロールしてきた現社会の構造的な仕組みを一番知っている方々が守っているのです。

何故なんでしょうか。

このような社会情勢になっています今。

是非多くの方々に考えていただきたい事柄です。

2008-12-03

昔どこかで聞いた自己否定が必要では

また道路族の出現かと,あきれています。

この経済状況の中で道路関係の業界なりをもりたてても,経済はよい方向に向かないのではないでしょうか。

何故このようなことがしばしば起きるのでしょう。

疲弊しているところは道路関連だけではありません。

しかもこの業界を押し上げても経済全体が押しあがって行くということはないのではないでしょうか。

地方の活性化という方もいらっしゃるでしょう。

しかし,今優先的にすることなのでしょうか。

道路予算が絞られた結果,地方の経済が落ち込んでいるとの見解であれば,そのような経済基盤を造って来たのは,どこのどなた達なのでしょうか。

このようなことを繰り返しても駄目になってきたものは復活することはないと思うのですが。

今まさに政治判断がいると思うのですが。

このような政治状況や,業界の有様を造りあげてきたのは,長い間与党であり続けてきた政治にあると思うのです。

この連鎖を一度クリアにしない限り,ありべき姿に戻すことはできないと思うのですが。

与党の若手の方々は自分達の先輩がそのような有様を造ってきたことを,まじまじと見つめることだと思います。

自分達の主張を守ることではなく,昔どこかで聞いた「自己否定」が必要なのではないでしょうか。

2008-12-02

与党が変わること

どの政党が与党になっても変わらないのではと思われている方が多いのではないでしょうか。

そのような予感は働きます。

なぜなら野党にまわっている方々も同一人種の方々が多いからです。

そうは言っても何もなければ,ただただ現在までの事柄が続くだけでしょう。

現在問題になっている事柄はうやむやになっていくだけはないでしょうか。

だからではありませんが,一度攻守を変えてみるのもありではないでしょうか。

勿論現在のような人材では,またもや同じ結果が発生することが予測されますが,一度賭けてみるのもあるのではないでしょうか。

選びようの無い状況において,どちらが優れた政策なり,処置ができるかを選択条件にするのではなく,ただただ変えるだけを目論むのです。

何かが起きるのはないでしょうか。

今まで安直に行われてきたことに意義付けがされるでしょう。

このことだけでも見直しのようなことが行われることが期待できるのです。

何もしないより,一歩なり前進ができるように思えるのですが。

いかがでしょうか。

2008-11-28

二世はそうなのではないでしょうか

言動が毎日のように問題にされています。

二世はよほどの「気付き」のセンスを持っていないと,そのようなことになるのではないでしょうか。

よく考えてみて下さい。

社長の息子なりの方が会社にいると,一目置かれるはずです。

一目といっても決して,すばらしい方というわけではありません。

その方の前ではやたらのことはいえない,その方に忠告できないという場面が想定されるからです。

漢字の読み間違いの指摘などもってのほかです。

後の仕返しが恐ろしいことを知っているからです。

言われた方の二世の方は決して「仕返し」をするとは意識していないでしょう。

しかし,記憶にはのこるはずです。と言うのは,あまりそのように忠告される場面を経験していないからです。

そしてその記憶は人事などに反映されると思います。

そのようなことがあるから,どんどん周りの方々は気付いたことを言わなくなるのです。

結果は一目瞭然です。

二世の方は,自分の言動が相手なりを傷つけたり,差別的な発言をしたり,漢字が読めなかったたとしても,だれもそれに対して正すようなことをしてくれないのです。

だからよほどの気付きができる方で無い限り,現在のようなことが起きるのです。

現在の代議士にそのような兆しがあるのは当然ではないでしょうか。

このような感じは素人でも持つのですから,プロのコメンテーターはこれ以上のコメントをお願いしたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2008-11-25

国民の育成にどのようなことが行われているのでしょう

政治家が漢字が読めないとか,いろいろなことが報道されています。

また,そのような政治家は国民が選んでいるとも言われます。

一方,この経済状況に対処するため,1円でも安いスーパーなどに沢山の方々が行ってるのを目の当たりにしています。

このように頭を使っている方々が,漢字もろくに読めず,他人の書いたものをただ読んでいるような代議士を選んでいる。そして政治を変えたければ選挙で変えることが重要とテレビのコメンテーターは言っています。

確かにその枠組みであることが重々承知です。

しかし,考えて見てください。

そのように発言しているマスコミは国民を育てるようなことをしてきているのでしょうか。

提供される情報は,表面をつくろうようなものばかりであり,社会の力学のようなことはないのではないでしょうか。

会社勤めを長年行い,管理者を経験ですれば知れることさえ,提供できていないように思うのですが。

そのような情報だけを提供しておいて,変えるためには選挙に行くことだと言われても
,政党とは言わないまでも,また同じ代議士を選んでしまうのではないでしょうか。

わが国これから進めべき道を提示でき,それをどの程度期間でどこまで到達させるためには,今何をすべきを提示できる人を選ぶような方々にするための情報を是非マスコミ近傍方々に望みたいと思いますが。

いかがなものでしょうか。

2008-11-19

年度途中の赤字国債を出す前に

赤字国債を出す前にすることがあるのではないでしょうか。

国家公務員が税金でまかなっている独立法人などに天下った場合,報酬を下げるべきではないでしょうか。

税金が枯渇化しているからということからではありませんが,赤字国債を出す前に,これを契機にそのような対応がまず最初にやらなくてはならないのではないでしょうか。

そのためには法律の改正が必要ということが言われるでしょう。

しかし政治的に判断することができるのではないでしょうか。

100年に一度のことと言われている経済状況なのですから。

これを契機に本来行われてこなくてはならなかったことを実行ですべきではないでしょうか。

このような判断こと政治が主導して行うことではないでしょうか。

是非このあたりのことも実行していただきたいものです。

この件は国家公務員だけでなく,地方公務員のケースも同じです。

公務員の独立法人など税金を投入している組織に天下った場合には報酬を現役時代以下にすべきです。

例えば,
天下り1回目は70%に
2回目は50%
にと天下りする毎に下げるべきです。

天下りはけいしらんではなく,このような措置も検討すべきです。

人材の活用にはこのような対応も考えるべきと考えますが,いかがでしょうか。

会社ではそのようなことが実施されているところが多いと思うのですが。

2008-11-12

上に立つ人は言ってはいけないことがあるのでは

ビジネスの世界では上司と部下の関係で言ってはいけないことを教育するセミナーなどは行われており,重要なスキルだと教えられて来ているのではないでしょうか。

またEQなどといって知能指数ではない指数で人間関係を見直すことなどもベストセラーになっているくらいです。

このような時代に,この1週間に長なる人物があらぬ発言をしています。

一人は国かかわることであり,もう一人も国内の地域にかかわる事柄です。

頭で考えていることと,どのように発言するかはその人の価値観そのものでしょうが,現在のビジネスの世界ではその立場,立場で同じ事柄であっても上に立つ立場であれば,どのような言葉で情報を発信するかを考えなくてはならないことだと言うことが常識になっているのではないでしょうか。

このようなことを考えますと,二つの事柄は全くあきれる発言と言わざるを得ないのではないでしょうか。

このような方々が,上に立たせて平然としている方々も同じ部類の方々なのでしょう。

この二つのことだけでなく,この1年間の間でも,多数あると感じるのは私一人でしょうか。

上に立つ方々は自覚していただきたいものです。

そのような配慮ができない方は,ステージから降りていただきたいと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-11-10

どのようにすればこのようなことがなくなるか

また会計監査院の報告で,税金の無駄使いが問題になっていますが。

今回は1200億円もの無駄使い,しかも予算消化のための支出・プール化と,そのプルー化されたお金の無駄使いに相当する電子レンジ,自転車,ゲーム機などへの出費の問題です。

予算を使い切りたいことから来る弊害です。

その行動に結びつける動機は,使いきっていないと実績が少なくなり,来年の予算獲得に影響があるからです。

予算が消化できないと,予算配分の時に,あのグループは予算獲得時にかなり水ましていると考えられ,来年以降に減額査定が行われます。

これは予算配分を行う担当になったと仮定して考えると合点が行くと思います。

そうは言っても無駄使いは許せません。

では,予算を効率的に使い,予算いっぱいではなく,余せても来年度の以降の予算獲得に影響を与えない方法はないものでしょうか。

あまりよい方法を思いつかないのですが,次のような方法で影響を少なくすることが可能ではないでしょうか。

余した予算を次年度に繰越し,次年度予算の原資にすることで解決できないでしょうか。

この繰越は原則2年として,それ以降は認めないような方法です。

これでも予算を使い切るような対処は防ぎきれないですが。

学者の方に名案を提案いただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-11-06

米国型価値観から欧州型への転換を

高層の建物が幅をきかせています。

日本,中国,シンガポール,ドバイなどなど。

何か勘違いしていないでしょうか。

高層の建物があると,先進国のような錯覚はないでしょうか。

技術的には高層にするにはそれなりの新しい技術が必要であり,先進的なような感じを受けているのでしょう。

しかし,よく考えて見てください。

高層の建物があることが先進国のように感じるわれわれがいるとしたら,それは米国の価値観ではないでしょうか。

第二次世界大戦後,米国の価値観がどっと押し寄せてきた国は,どこでもそのような価値観なりが幅をきかせていると仮説を立てることはできないでしょうか。

高層の建物は建設にも多額のお金がかかりますが,それに伴って維持にも相当の金がかかるのです。

多分,高層の高さとその金額の間には最適値があるのだと思います。

闇雲に高いものでないところにその最適値はあるのでしょう。

ということもあるしても,低成長,少子化,低人口化時代を迎えるこれからは,高層の建物があると先進国のような価値観を拭い去ることが必要ではないでしょうか。

勿論,このよう価値観は高層の建物だけはありませんが。

2008-10-28

世界をリードできる方が望まれているのでは

混迷する現在,真の指導者が望まれていると思います。

今までのやり方を続けるのではなしに,この時点で最適な進むべき道を定めて,新しい枠組みで取り組める方です。

例えば,偽装をしても考えられないくらいの責任でよい仕組みではないルールが創れる枠組みの考え方を持った方です。

世界への貢献をわが国はどこに定めるのかを決められる方です。

わが国を世界の国々の中で,どこに位置づけるかを決められる方です。

位置づけた場所を実現・維持できる方法を指導できる方です。

国内ではどのような国にして行くかを言葉で表現でき,その方向性を見定めることができる方です。

その方向性に沿って国の予算の枠組みを提案できる方です。

このような方が出てくることが今,まさに必要な時期に来ていると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-10-16

見直しの方向性について

国の進むべき方向を考える場合,その枠組みを策定することが重要でしょう。

無駄使いの是正には,節約するという見直しではなく,予算配分を抜本的に変えるような見直しが必要でしょう。

確かにこのような見直しは多くの軋轢が生じるでしょうが,以前にも書きましたが,木の箱を作成して来ました会社がダンボールの箱を作成する会社に駆逐されてきたことは時代の流れであり,それを受け入れてきたことを考えますと,理解いただけるものなのではないでしょうか。

また不正の是正には,管理する側の全取り替えが必要でしょう。

つまり変えること,変わる事が不正を防ぐ大きな鍵になると思うのです。

これも確かに,この方法で抜本的に是正できるのかとの疑問があると思います。

これに対しては,この方法しかないだろうと考えるからです。

罰しても,それを重くしても,制度をいじくりまわしても是正されたない現状を考えますと,この方法しかないのではないでしょうか。

それも頻度高く変えることだと思うのです。

方向性に関しては,大きな枠組みの構築が必要だと思います。

どのような基本的な考えを元に進むか,そして他の国々とどのように協調していくのか,人間教育をどのようなコンセプトのもとに行っていくか,予算配分をどのようにするかなど多くの事柄を一度に考えることがを重要だと思います。

この辺りのことを今後考えて行きたいと思います。

2008-10-10

道徳教育と言わないで他の視点で

道徳教育との発言をする方々も再度道徳なり倫理観なりを植えつけることが必要なのではないでしょうか。

そのくらい社会的に地位の高い方々に,不正なりをしている方が多いように思えてなりませんが,いかがでしょうか。

その辺でもあるのでしょうが,マスコミが報道しているからかも知れませんが。

不正をしている方から道徳教育なんて言われたくないと感じるのは私一人でしょうか。

社会的に地位の高い方々は,清貧とはいいませんが,それなりの道徳観なり,倫理観が備わっていることが必要なのではないでしょうか。

それは常に見られている存在であるからです。

自分も道徳観に疑問を投げかかられているのであれば,その道徳観を是正する必要があると思います。

どっちを最初にということではありません。同時でいいと思います。

あえて言わしてもらえば,道徳ではなく,人間としてあるべき姿を追いかけるべきではと最近思うようになってきました。

例えば,
・人の命を奪うこと
・不正を働くこと
・決めたことは守ること
などなどです。

このように,価値観の異なるどこに国(民族)であっても普遍的なことを守ることを教えていくことが必要ではないでしょうか。

このような普遍的と思われている事柄を集約して,その辺りを教え合って行くことが現在,さらに将来に向けて必要なことだと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-10-06

政治の近傍の力学は教えられていないのでしょうか

宮崎県の知事が与党の政党で出馬するのかとりざたされています。

知事は早稲田の政経学部で政治を学んだことになっています。

イデオロギーは別として,知事は力学を構造面からご存知ないのではないでしょうか。

仮説ですが。

知事は自分の経験の中で,そのような事柄を知る術はなっかたでしょう。

また今までの言動を拝聴していますと,政経学部においても,その力学を学んだように感じられません。

理由は,与党を公約などや,政治的発言などから判断しているように見受けられるからです。

大学では何を教えているのでしょうか。

錚々たる教授陣を抱えていることになっている大学の政経学部であると思われているのにです。

例えば,ODAのマネーのフローをどのように教えているのでしょうか。

病院の建設にかかる予算のマネーフローを。

この辺りにことは,会社で管理者を経験してきている方々なら,大なり小なり,そのマネーフローを薄々知っているはずです。

そしてそのようなことが実行され,黙認されているのは何故について一寸考えれば思い当たるふしがあると思います。

しかし,経験のない方はご存知ないと思います。

そのような事柄を教えてくれるテキストもないと思われるからです。

世の中の不正を動物的に忌み嫌っていた大学生の頃,いろいろな本を読みあさりましたが,その辺りを学問的なりに書かれたテキストを手にすることはできませんでした。

最近でもその辺りにことを書いたレビュー誌なりも,無いのではないでしょうか。

かの有名な政経学部でもそうなのでしょうか。

確かに,今マスコミに追いかけられている知事はそこで学んだはずです。

2008-10-03

今まさに行政の不正を正す対処法が必要では

収賄,贈賄,使い込み,ねこばば,不作為など等,数多くの不正が行政の近傍で行われていることが報道されています。

このような事柄は最近起きていることではなく,明治時代,いや江戸時代,中国であれば2000年前から行われて来て,あいもかわらず行われてきていることがらでしょう。

ところで何故,俗に言う,昔から行政の近傍などで行われてきた事柄を無くすためのプロセスなどが考えられてこなかったのでしょうか。

あるとしたら知りたいものです。

確かに,刑罰があったこと知っています。

しかし,刑罰ではなくなってこないことは明々白々です。

何か他の手がうたれなくてはならないはずです。

ビジネスの世界では,それなりの学者はいろいろな場面での対処法を研究し,実践して成果を投げかけて来ています。

論文や本として出版されてきているのはご承知のとおりです。

このように考えますと,何故,行政の不正に対する対処法が研究・提案されてこないのでしょう。

古くて新しい課題の解決法が,今まさに必要な時期に来ていると思うのですが。

いががでしょうか。

2008-09-30

経験から仮説を

会社勤めを長年やり,管理者として経験をされた方々に活躍してほしいものです。

そうは言っても経験をもとに,何が現在のような状態にしているのか,仮設を立てられる方々にです。

管理者として経験したうちに何かいけないことに感じらることが一つや二つあったのではないでしょうか。

そのことから現在の行政や与党の近傍の不作為や,不正行為の原因の仮説が立つのではないでしょうか。

確かにこのようなことがあるのがこの世なのだとの意見をお持ちの方々もいらっしゃることと思います。

しかし,まさにこの世が問われているのです。

今までの澱を払拭する新しい制度設計が行われるべきに時期に来ていると思います。

是非,多くの経験から仮説を導き,現在の課題を見通していただきたいのです。

かなり抜本的な取り組みが必要と感じられるのではないでしょうか。

低成長時代を迎えている現在,多くの経験者からの新しく,無駄のない行政なりの取り組み方を提案いただきたと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-29

財務省の役人は選抜試験のトップだとは思いますが

財務省(旧大蔵省)に配属になる方々は,確かに上級公務員試験の成績の上位の方々と聞いています。

残念でたまりません。

トップの大学の法学部からの人材が今回のような認識でいることが。

確かに教育の現場には問題があると思います。

しかし,そのことを言及する前に自らいる場所なりに問題があることに目をつぶっているのではないでしょうか。

澱むことによる弊害についてご存知ないのでしょうか。

大蔵省にいたことがあれば代議士からの圧力,財界からの圧力,付けた予算の何%かがどなたかにバックされていること,ODAは国内の会社が受注していることなど,など多くのことをご存知のはずです。

知らないはずはありません。

そのことはいけないことではなく,他のことがいけないことと言及するのはお門違いではないでしょうか。

教育行政もその一環です。

多くのいけないことが実行されていることをよくご存知のはずです。

そのことはどのようなことから発生してくるのか,頭脳明晰な方々に解き明かしていただきたいものと考えますが,いかがでしょうか。

またこのような実態はどのような組織においても起きることなのでしょうから,学者の方々にも早期に解決策を提起していただきたいと思いますが。

いかがでしょうか。

2008-09-26

仮説が立てる経験が必要では

与党の代議士の引退と3代目の後継者が決まろうとしているような報道があります。

後継者は引退する代議士が選挙に立った年齢と同じ年齢との報道です。

確かに若い方々が政治に関心を示してくれることは大変喜ばしいことでしょう。

しかしです。

若い方々は残念ながら現在の社会に働いている力学について覗き見ることを経験できていません。

そのことが何か物足りない政治家を生み出すことにならないでしょうか。

70年代の行動を反省してみますと,変えなくてはと思っていたのにもかかわらず,社会がいろいろな手で動いていたことを知らなかったのはないか。

あの頃の言葉で言えば,「社会はそんなもんじゃない。出てみればわかるよ」とあきらめろ言わんばかりの批判が投げかけられたと思います。

また,あのころのマスコミの報道や評論家は今と同様,社会の裏の行為なりの力学を言及しながら批判するようなことは無かったように思うのです。

つまり,あのころは自分でも発見できず,マスコミも報道せず,社会学などの著書にも現実の社会に働いている力学は記述されていなかったと思います。現在も同様ですが。

しかし,現在は異なっているのではないでしょうか。

それは自分で経験してきて,何が働いてこの社会が動いているかをつぶさに見て,場合によっては自分も同じような行動をとってきたことから,今何が問題で何を解決しなくてはならないかを,実感しているのではないでしょうか。

では若い方々はと言えば,70年代に分からなかったのと同じ状態で政治の世界に入ることになります。

ここには,現在問題になっていることから構造的な課題を掘り起こすことができることは期待できないと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-24

経験がないからでしょうか

報道される時事の内容があまりにも表面的で,だれでも知っていることばかりではないでしょうか。

昨日のBSの番組で月刊「現代」の編集者と田中秀征氏との対談の中で,田中氏の発言についていけてないような会話が沢山ありました。

記者には田中氏のような経験がないから実感がなかったのではないでしょうか。

これと同じようなことが,現在の行政の問題の根源を探るような記事を書く場合に起きているように感じるのです。

それはこのようなことです。

問題の所在を例えば与党と行政の構造的な問題のところでもとめず,政策の不備とか,担当者の不作為のようなところばかり目が行っていることです。

この原因の一つに,記者が会社の中で管理者としての経験がないことから来ていると考えるのはいかがでしょうか。

管理者を経験すると,人を評価したり,また評価されたり,さらに会社の経営課題を自分の課題として捉えてみることや,経営担当者からの日頃の発言を聞いたり,世間からの見たらどのように感じるのだろうと考えされることに接したりすることが,このような力学が働き,このレベルで判断されているのだろうとの,自分の視座ができあがって行くと思うのです。

そして,この視座から,同じような力学なりが,与党と行政(官僚)の間にもあるのではないか等という視点がうまれてくるのではないでしょうか。

現在のような新聞,テレビの記者からの情報内容は実態を反映していない,表層の情報ばかりだと思うのです。

管理者を経験した記者からの記事を期待したいと思いますが。

いかがでしょうか。

2008-09-19

与党以外でやればいいということではありませんが

今回の事故米の処理についてもはじめ,国民側からの視座から見ていないのは何故なのかをマスコミの方々が報道してほしいものです。

問われるトップは多くの方が法学部出身者です。

法律のことをよく知っている法学部出身者が法的におかしなことをしているところのトップなのです。

知っているから抜け道も知っているといっては済まされないことではないでしょうか。

行政の専門家でもあって欲しい方がです。

何かこの社会の有様を映し出しているように思えるのです。

どこからこのような体になってきているのだろうと感じるのは私一人でしょうか。

仮説として,このような体は明治からこのかたとか,第二次世界大戦の後とかが想定できるのではないでしょうか。

つまり,その当時はあまりマスコミが報道していなかったので,われわれは知る機会を持てなかったのかもしれません。

今回のような事はこの数年で起きているとは考えられません。

勿論外国の米を陽に扱ってのことは最近などかもしれませんが,これと構造的に同じような事は前からずっとあったのだろうと考えるのは,そう誤った想像ではないのではないでしょうか。

この辺りもマスコミの方々の活躍を期待したいものです。

是非今回の事件を通して,構造的な問題点を明らかにする報道をしていただきたいと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-09-17

変えることは困難では

与党の皆さんが「変える」と言っているのを聞くと何かむなしさを感じます。

理由はこうです。

官僚と政治家が権力的・人脈的に密着して来たことが一因と考えられることは,政治家一人が叫んでみても変えられないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

政治評論家の田原氏がブログで「与党はシンクタンクとして官僚を使ってきた」と書かれておりましたが,まさにそのことです。

シンクタンクというと公正な施策を考える組織のように聞こえますが,与党が長年変わらなかったことによって,与党よりの考え方の官僚が処遇され,その結果,国民の目線ではない施策が講じられてきたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

今回の事故米の件も,その結果としか考えられません。

官僚の方々をそのようにさせてきたのも,与党の方々の圧力と考えるのが妥当ではないでしょうか。

いろいろなところで与党の方々は口を挟み,作成された施策をゆがんだものにして来たのだろうと想像してしまいます。

会社に勤め,管理者を経験された方々はうすうす感じていただけるのではないでしょうか。

このような事柄は組織であれば必ずあることだと思うのです。

だからしょうが無いのではなく,会社であればトップが号令をかけ,そのようにならないようにします。

結果はなかなかで出ないにしても。姿勢は。

しかし,与党と官僚の間にはそのようなことは見受けられません。報道を聞いている限りは。

一方,このようなことは与党になるとどなたでもそうなると想像されます。

しかし変わること,そのことこそが,このようなことを幾らかでも無くす方法ではないでしょうか。

先日のNHKのインタビューで野党の党首が言っていましたが,「変えてだめなら変えればいい」のだと思います。

継続させず,常に変わることが現在必須に思うのですが,いかがでしょうか。

2008-09-12

戦後が続いているのでは

農林省の対応が今回も問われています。
社会保険庁も問われています。

問われ方を見ていますと,戦後の復興にむけたあわただしい行政の姿を彷彿させます。

何がなんでも企業(商店)を復興させなくては。

そのためには何でもできるようにしなくてはという感覚だったのでしょう。

現在の行政のやっていることや,やりかたを見ていますと,そのドサクサを感じるのは私一人ではないでしょう。

それを許して(最近は黙認でしょうが)きたのは,行政であり,その管理をしてきた内閣であり,与党ではないでしょうか。

当時はそのような感じではなかったにしても,現在から眺めれば,あまりにもズサンであるように思えます。

外務省の問題などもあわせ考えますと,戦後だけではなく明治時代からこのかた,行政のあるようは根本が変わって来ていないのでしょう。

そのように捉える方が,理解が進むように感じるのですが,いかがでしょうか。

これらのズサンさや,企業にあまいことや,俗に偉い人々の厚遇などは,明治からまた戦後からずっと続いてきた現象でしょう。

そのころは一部の人々だけが知りえたことで,多くの国民は知らせてきていないのです。

この流れは構造的な問題と捉え,解決の糸口を探しだし,早急に解決することが必要な時期がきていると思うのですが。

その方法の一つとしては,行政の管理する組織および管理する法律を一定の年間隔で変えて行くことではないでしょうか。

永久与党・法律変更論なる考え方があるように思えるのですが。

2008-09-10

日常的なことを出発点にした教育が必要では

現在の有権者の言動を聞いていますと,自分で考えて応えているのだろうかとか,本質を掴んでいるのだろうかと感じてなりません。

構造的な問題はあまり把握されていないのではないかと思えてなりません。

昨日NHKのインタビューに応えた小沢氏が「変えてみて,だめならまた変えればいい」ようなことを言っておられました。

また石破氏からは「与党のだめなところは官僚が作ったものを実行しているところ」のような発言がありました。

この両人の発言はまさに現在の問題を言い当てていると思うのですが。

いかがでしょうか。

また昨日,今日に報道されている米の偽装などは10年来行われてきたとあります。

このことは当事者の責任もさることながら,その状態を許容してきた構造を問わなくてはならない問題ではないでしょうか。

どこに視点を置いた行政だったのかということです。

事柄をあやふやな形で許容してきた構造的な問題です。

教育を考えてみますと,このような問題がどのような構造の中から発生してくるのかを説明できるような学問が教育の場で行われていないことは,誰でもが実感できるのではないでしょうか。

このような問題は組織ができれば必ず発生する問題であることを考えますと,このような問題を根源から断つのにはどのような方法があるのかを考える契機になる教科が教育の現場に必要ではないでしょうか。

学者になるためのような観念的なことがらから出発した学問ではなくして,日々の生活する場である社会を出発点にした教科です。

このように日常に関係する教科こそが実務家向けの学問であり,このような視点での教育がいままさに必要な時期に来ていると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-08

当事者は擁護するばかり

与党,野党を問わず自分の党の擁護ばかりを展開しているように感じてなりません。

与党の場合には当然のことながら問題が指摘されても行為の正当性ばかりが主張されています。

野党も同じような対応をしています。

それも若手という方々もです。

確かに自分が所属する政党の正当性をすることはしょうがないことなのでしょう。

しかし,そうとばかり言ってはおれないのが現状ではないでしょうか。

いままさに抜本的な見直しが必要な時期に来ているのではと思うからです。

わが国の制度の再構築が必要ではと思うのです。

刑法,予算の立て方,予算配分の考え方,代議士の地位,保険制度,食の安全など
上げればきりがありません。

大きな枠組みでの議論が必要なのではないでしょうか。

何か大きな枠組みからの解決策のような取り組みをして行くべき時期だと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-07

守るのでなくどのような施策をうつのか言ってほしいですね

若手と呼ばれている方々がテレビで言っていることを聞いていますと,自分の党を守る言葉ばかりと感じるのは私一人でしょうか。

確かに他の党の方々も同じような言動をとっていますが。

今,報道で問題になっている事柄の主な要因の一つは,官僚とのなあなあの関係から出てきていると思うのですが。

構造的な問題ですから他の党が与党になり,一定の期間続けばやはり同じ問題が浮上することは十分予測されます。

だからといって解決しなくていいわけがありません。

どうしたら解決の糸口になるかを考え,発言して欲しいのです。

その辺りを守る言動ではなく,新しい取り組み方を探して欲しいのです。

例えば,官僚との関係に一定の距離をつくり,官僚にあるべき姿を描いた施策を策定できる環境を提供できることだと思います。

現在の関係では,与党に擦り寄った施策ばかりが目に付きます。

与党が変わればまた,その与党にあった施策ばかりが策定されるように思えてなりません。

距離を置く方法として,誤った対応をした場合には,責任をとらせることが必要ではないでしょうか。

あまえを利用して自分達に擦り寄った施策を作成させるような関係を断つことだと思うのです。

若手の方,是非守る姿勢ではなく,与党の変換を望まないなら,どうしたら現在の問題を解決できるのか知恵を出して欲しいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-09-05

不思議ではないでしょうか

裏の裏まで知っているであろう新聞やテレビの記者が,いろいろな問題を構造的に起こしていると思われる与党の代議士になるのはどうしてなのでしょうか。

直接代議士になった人ばかりではなく,秘書を経験してからなった方も多く見受けられます。

いろいろな問題に遭遇しているのではないでしょうか。

また問題の所在もそれなりに感じておられるのはないでしょうか。

しかし,同じ狢の党の代議士になろうとするのはどうしてなのか一寸首をかしげてしまいます。

いかがでしょうか。

現在多くの問題が報道されていますが,主な原因は長年続いたことから来る澱みと思うのです。

それを断ち切るためには,個人の意識だけでなく,制度など意識とは異なったところでの改革なりが必要ではないでしょうか。

マスコミの記者の方々はどのように分析されているのでしょうか。

特に代議士になられた方々にお聞きしたいと日々感じるのですが,いかがでしょうか。

2008-09-03

刑期の妥当性をどのように考えますか

(自分の)子供を餓死させて,刑期が6年との判決があったとの報道がありました。

このような刑期はどこから来ているのでしょう。

あまり刑期のことを問題にしない報道がされたことから考えますと,妥当な刑期と受け取るべきなのでしょうか。

法律なり,刑法なりを専門にされている方々から,その妥当性をヒアリングしてみたい気がしてなりません。

人の死を意識的に招いた結果に,このように短い刑期しか言い渡せないことに関して。

どこか変と感じないのでしょうか。
専門家って何なのでしょうか。

どこか麻痺しているのではないでしょうか。

法律を作る専門家の方々はどのように感じているのでしょうか。

法律を審議している方々はどのように感じているのでしょうか。

これらの方々が問題にしないなら,誰が問題にできると言うのでしょうか。

もう一度考えて見てください。

たったの6年なのです。

刑法なりのルールから出てくる数字なのでしょう。

どこか変ではないでしょうか。

2008-09-02

変わることがよいことでは

昨晩首相が退陣しましたが,首相がかわることではありません。

与党が変わることがいろいろな問題を解決する糸口になるのではないかということです。

官僚とのなあなあ関係や,予算配分への干渉など与党が変わらないことは,地方自治体などで長年担当者が変わらないことによる汚職問題噴出などと同じ構図になっていると思うのです。

この担当者が長年同じところに居続ける問題に対しては,多くの方が担当者を適当な期間で変えることだと思うのではないでしょうか。

マスコミも同じような論調で報道していると思います。

与党と官僚の間でも同じ構造になっていると思うのですが。

官僚の人事権を与党が握っていることから来る構造的な事象と思うのです。

というのはどうしても与党よりの政策を策定する人物が優遇される構図が出来上がるからです。

会社に勤められ,管理職になられた経験のある方であればその辺りのことはご理解いただけるのではないでしょうか。

この世界の方々が,飲酒運転と同じように,同じ問題を繰り返し起こすようであれば,制度面からの規制が必要でしょう。

そうは言っても与党と官僚の間はそのようには行きませんから,与党が適切な期間で変わるようにすることだと思うのです。

変わらなければ澱むからです。

変わったからといって課題が解決すると楽観視してるのではありません。

変わることで関係が断たれると思うからです。

10年周期で変わるようなことができれば,表面だった問題に対しては解決の糸口になるのではないかと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-08-30

やめさせることよりも,そのような人はならないことでは

またもや代議士の事務所問題が報道されています。

このようなことが発覚すると,ほとんどの場合マスコミはやめさせることに終始した対応をします。

見ている方は,あきれるやら,いさぎ悪さなりを感じるのではないでしょうか。

やめさせることなのでしょうか。

そうではなく,そのような資質の方はならないことではないでしょうか。

つまり,自分を律することができない方はならないことしかないのではないでしょうか。

飲酒運転が悲惨な事件があれだけ起きても,飲酒運転がなくならいことに似ているのではないでしょうか。

いくら刑罰を重いものにしても,やる人はなくならないことがいい例です。

事務所問題だけではありませんが,この問題一つを取り上げても,問題が起きないようにするような対処ではなくならないのではないでしょうか。

やはり,そのようなことに手を染めない律することができる方がなることだと思いのですが。

いかがでしょうか。

2008-08-26

この結果の起因はダイナミックレンジの大きさでは

どうして日本人はオリンピックにありえないような力が出すようなことがないのでしょう。

このような疑問に,何となく,日本の風土である農耕民族の習性にそのルーツがあると言うような解説が多くあると思います。

そのような解説にいつも行ってしまっていいのでしょうか。

一因には,行動のダイナミックレンジ(動的大小差範囲)は狭いことがあるのではないでしょうか。

欧米人はダイナミックレンジが広く,思い切り大きなパワーと言った時の大きさが,日本人が思い切り大きいと言う時の大きさに比べて,その差が大きなものになっているように思えるのです。

例えば,モダンジャズ酒場で彼らが奇声をあげて聞いている場に遭遇した時,あまりにもの大きさに驚かされたことがありました。

比較になりません。

といっても,同じ場で静かな時には本当に静かに聞き入っているのです。

その差にも驚きました。

このようにダイナミックレンジの大きさが,ここぞと言う時に出てくる結果が,今回のオリンピックの活躍の差と考えるのはあまりにも短絡しすぎでしょうか。

しかし,どこかに起因していると思えてなりません。

2008-08-18

設計するという考え方を育てることが必要では

商品なりに接した際に,これをこうすればもっと使いやすいのに,と思われる人がどの程度いるでしょうか。

全くないということは無いにしろ,多くの方は与えられた機能なりを受け入れているのではないでしょうか。

自ら設計する人に置き換えて考える人は少ないのではないでしょうか。

それは設計する経験がないことから来る習性ではないでしょうか。

設計する経験を持った方なら,設計者は自ら設計した製品を使ってないのではとか,経験が少ない人が設計しているのではと,感じることがあるのではないでしょうか。

つまり設計するという考えがなければ,そのような感覚は生まれないように感じるのですが,いかがでしょうか。

現在の教育には「設計する」というような感覚を育てることが無いのではないでしょうか。

保険制度なり,予算配分の仕方なりを批判するする場合に,制度を設計するような視点なりが発揮されていないのではないでしょうか。

今まさに必要なことは,与えられた枠組みをただ無批判に受け入れることではなく,自ら設計するといったアプローチを実践できることではないでしょうか。

今からでも遅くはないでしょう。

早期に「設計する」との概念を醸成できる教育をすべきと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-08-16

北京の柔道競技の結果から考える

なんと男子柔道の獲得メダルは2個との報道。
驚くばかりの結果です。

内容も完敗でした。

まさにわが国の現状を反映しているように思えてなりません。

ドメスティック競技の一つではないでしょうか。

つまり,ルールは国際で,わが国の行っているスポーツは国内の技で勝負しているように感じるのです。

今回の結果だけではありませんが,この所をよく考えないといけないのではないでしょうか。

ルールが国際的なものであれば,勝負に勝つためにはそのルールに合った戦略が必要なはずです。

しかし,そのような対応が行われていないのではないでしょうか。

男子の結果はそのことを如実に表しているように思えてなりません。

指導者もそのことに気付いていないのではないでしょうか。

もしも報道されているように「一本勝ち」を柔道と考えているのなら,ルールを変えることが先決です。

ルールを今のままで,点数を重ねての柔道は・・・・と言っても始まらないはずです。

一本勝ちでなければ勝負がつかないルールを打ち立てるべきです。

指導者はその役割を果たす必要があります。

例えば,レスリングのように,上半身と立ち技だけのスタイルと,下半身も入れた立ち技だけのスタイルやフリーのスタイルなどをルールに設ける方法です。

そして,国内では一本勝ちで勝負がつくルールとフリーのルールだけで競技を行い,国際的は他のルールも許容して行くのです。

このような抜本的な対処が必要な時期に来ているのではないでしょうか。

JUDOUが国際的な競技であれが,柔道を国内的な競技にして伝統を残すべきです。

柔道は相撲のような形態で残すのです。

しかし,JUDOUを行う場合には複数のルールからなるスタイルをわが国から提案して柔道本来の面白さも残せるようにして行くべきと考えますが。

いかがでしょうか。

2008-08-13

役割と責任を明確にした枠組みの再構築を

汚職,税金の無駄使い,偽装など問題が噴出している昨今,政策や法律などを策定している官僚,大臣などの責任に相当することに言及する機会が増えてきています。

いまこそ,担当責任者とその長の役割と責任を明確にした枠組みを構築し直す時期ではないでしょうか。

この部分を曖昧にしたまま物事を判断していても,間違わない判断は期待できないのではないでしょうか。

報酬の問題もからんでくると思います。

偉い地位にあるから報酬が高くあるのではなく,責任が重く,責任をとるリスクがあるから高いと考える,考え方があります。

しかし,今問題になっていることに関しては,多くの場合,係っている担当責任者とその長の役割と責任が不明確になっていることから,曖昧な対処で事がすまされているのではないでしょうか。

どこまでを誰が判断・決定して,責任はどこまでの範囲かを明確にした決定機構を持たない限り,いつまでも問題を先延ばししているような状況を招くのではないかと思うのですが。

最近の社会保険庁の問題などを見ていますと,長の責任があまりにも問われなすぎではないでしょうか。

いままで役割と責任が不明確なまま来たのではあれば,この時点でそれらを明確にした枠組みの構築が必須と思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-08-11

言い続けることが必要では

最近は「恥ずかしいことだよ」とか「悪いことをするとお巡りさんに怒られるよ」てなことは聞かなくなったし,口に出すことがなくなったのではないでしょうか。

そう思うと,自分でも子供に対して言わなかったなと実感するのです。

確かに自分の親世代は言っていました。

一寸したことに必ずと言っていいほど言われたものでした。

自分の親だけでなく,近所の親世代の人たちは子供に言っていました。

聞いて育ったわれわれ世代はどうかと言えば,言ってこなかったのではないでしょうか。

自分の場合で考えると,なにか白々しくて「恥ずかしいことだよ」とか「悪いことをすると・・・」とは言えなかったように思います。

言われて来たときも,何か白々しかったようにも記憶があります。

しかし,このような言葉を聞かなくなった世代は,今後言わないでしょうし,吉本隆明ではありませんが,共同幻想のような共通した幻想を持ち合わせない世代が生まれてきたのではないでしょうか。

このことが,いろいろな事柄を抑制する幻想を造り上げることがなくなってることの一因と考えるのは短絡しすぎでしょうか。

さらに言えば,これらの言葉はかなり頻度高く言われていた記憶があります。

何か気付くことがあれば,親世代の人々は,その都度すぐに口にしていたのです。

現在のような状況を考えますと,何か目にしたら即その場で口にできるような社会を取り戻すことが必要な時期に来ているのではないでしょうか。

現代,これからの時代にあった言い方を新たに造り上げながらかもしれませんが。

2008-08-08

大臣の役割は何なのでしょうか

国家公務員の問題ばかりが報道されていますが,それを助長してきたのは政治ではないでしょうか。

政治と言ってしまうと誰の責任なのか分からなくなってしまうのですが。

政治家なり,大臣なりでしょうか。

国家公務員,特に高位の官僚の人事は政治がからみ,その長は大臣なりであったはずです。

また口を挟むところとしては,与党の代議士でしょう。

つまり,政治が牛耳っていると考えるのが妥当でしょう。

いかにも官僚だけが槍玉にあがっていますが,本当にそこだけが問題なのでしょうか。

どちらかと言えば,政治の方に問題があったのではないでしょうか。

いろいろな問題を放置したり,利益を優先して判断したり,政治に問題があったツケが今顕在化して来ているのではないでしょうか。

このように考えると,大臣の役割とは何なのかと考えさせられてしまいます。

何かはっきりしていないのではないでしょうか。

実務は官僚が検討し,実践しているわけですから,大臣は何をする人なのでしょうか。

いままさに,この役割を明確にして,その役割に応えられる人材を発掘することだと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-08-04

何故高層ビルでなければならなかったのでしょうか

米国の都市部では高層ビルがありますが,地方では意外と平屋があるのには驚かされたことがあります。

あのように広い国でありながら,何故高層ビルが立ち並んでいるのでしょう。なにか首を傾けてしまうのですが。

広いから平屋でとは短絡的かもしれませんが,どうしても理解ができないのです。

最近では,モンゴルの首都や,アジア,中東の国々でも高層ビルが建てられています。

なにか勘違いされては,いないでしょうか。

確かに平屋よりも高層ビルは建築技術的言えば高度の技術だとは推察します。

だからと言って,平面が広く,人口の密集もそれほどでないところに高層ビルはないのではないでしょうか。

高層ビルがあると何か先進国になるような錯覚は醸成されていないでしょうか。

最近の話題で言えば,高層ビルはエコとでも言うのでしょうか。

そうとも思えません。

ここで高層ビルが地球規模で,本当に必要なのか考える時期に来ているのではないでしょうか。

最近,どちらかと言えば,歩けて生活ができ,平屋の建物で造られた都市の出現を期待しています。

いかがでしょうか。

2008-07-21

裁判でない枠組みが必要ではないでしょうか

若年者による殺人事件,教育界の偽装,食の偽装などの真実を求める場として裁判ではない場が必要ではないでしょうか。

裁判は真実を暴くことのできる場ではないと思います。

犯罪の客観的な証拠を元に,モデル化された犯罪の要件に照らし合わせて,刑を決定する場だと思うのです。

ここでは真の原因を追求して,是正するところまで行う枠組みはありません。

今必要としているのは刑を科すことだけでなく,是正できるようにするための原因を見つけだすことだと思うのです。

刑を科すだけでは抑止することはできません。

抑止するようにするためには,どのような理由なり,条件なりで事件が起こされたのかを,当事者の心理状態まで入り込んだ原因究明が必要ではないでしょうか。

自白が証拠にならない現行の裁判の枠組み中では,当事者に入り込んだ形での原因は明らかに成るはずがありません。

裁判では駄目であるのなら,他の枠組みで,現代の不正を根本から正すための枠組みが必要と思うのですが,いかがでようか。

2008-07-14

コスト観念の教育が必要では

コストは作ったときだけでなく,その後も結構かかるものです。

例えば社会保険庁のお金で施設を造った時の金額が浪費と言われていますが,それだけなのでしょうか。

一度施設を造ると,照明や冷暖房のための電気代や,床などの掃除代や,設備の維持やサービスをする人件費,設備の修繕費など,建設後にかかる費用もあり,ばかにならない金額なのです。

このように何か作れば必ず,作るときおよび作った後に必ずコストがかかるのです。

このこと,つまり作った後にもコストが発生して,しかもばかにならない程の金額になることの知識があることも重要なことなのです。

つまり,無駄はそこまであるのです。

報道されている金額は,ここでいう作ったときの金額なのです。

ですから,金額が報道されたら,それはどこまで入れて計算された金額なのかが判断できる知識が必要なのです。

さらに言えば,作られたものがコストに見合った価値を持ったものであるかも,判断できることが必要となるのです。

ところでこのようなことが教えられて来ているのでしょうか。

今まさに学者指向の教育ではなく,自ら判断できる知恵を育てる教育が必要ではないでしょうか。

2008-07-11

芸能人の報道も影響しているのでは

また芸能人の不倫報道が大きく報道されています。

世の中の道徳観なり,倫理観を危うくしている一因の一つにあげられないでしょうか。

もっとも同時に報道されている大分県の教育分野の汚職なども大なり小なり危うくしているとは思いますが。

偽装問題も,高級官僚の厚遇なども一因でしょう。

何故かと言えば,昭和30年代はあまりこのような問題に踏み込んだ報道が無かったとの記憶があるからです。

知らされていなかったのです。

勿論知らされていなかったことは問題ですが,内部まで覗き見るようなことは不可能だったのです。一般庶民は。

ここで一気に暴かれてきたのです。

食の偽装の時の発言ではありませんが,「以前から行われてきたこと」「どこでもやっている」とかの発言がその証拠です。

これらを見せつけられてきた庶民感覚には「えー!偉い人もやってるじゃん」という感覚ではないでしょうか。偉い人ではありませんが。

俗に道徳的でないことも,倫理的でないこともやっており,しかも,しかられることもなく笑いながら受け入れられているのです。

以前(昭和30年代)であれば,ありえない光景です。恥ずかしいという感覚があったと思うのです。

恥ずかしがることもなく,辞めさせられることもなく,芸能分野も,官僚分野でも,いけシャーシャーと居ることができる姿を見せられ続けているのです。

いつのまにかそれらは,恥ずかしいことではないように刷り込められてしまっていると考える仮説は立てられないものでしょうか。

今一度,芸能人の報道のあり方と,対処の仕方を見直していただきたいと思うのは私一人でしょうか。

2008-07-08

裁判の判決になんとなく疑問が

強盗殺人で無期が求刑された事件で,強盗と認められる証拠が不十分なことから,殺人事件と看做して18年の刑期が言い渡されたとの報道がありました。

裁判は証拠にもとづくものであり,証拠がなければ罪を犯したとして裁くことはできないことは分かっているつもりです。

しかし,強盗であろうが,なかろうが人,一人の命を奪っているのです。

何か違いがあるのでしょうか。

つまり,殺人と強盗殺人で差があるということに疑義を感じざると得ないのです。

確かに現在の刑法は,予め定められた刑期が明らかにされていなければならない罪刑法定主義を採っているわけですから,殺人と強盗殺人は類似の要件の犯罪ではありますが,異なる犯罪なのでしょう。

しかし,ともに人の命を奪った犯罪です。

人の命は尊大で,大切と言われ,そのとおりだと思えば思うほど,判決ってなんなんだろうと思うのは私だけでしょうか。

今の裁判制度は以前にも書きましたが,犯罪のモデルに当てはめて,その刑期を言い渡すものと考えますと,モデルがへなちょこりんということにはならないでしょうか。

命を奪ったたらそれなりの刑期が言い渡されるべきではないでしょうか。

18年などというのは言語道断です。

人の命を奪ったのなら,それに同等の刑期にすべきと考えますが,いかがでしょうか。

被害者の権利よりも,加害者の権利が厚く守られているような刑法は,見直されることが必要ではないでしょうか。

2008-07-03

高層のビルディングは米国のコピーでは

高層のビルをわが国でも競って建設しています。

中国でも。ドバイでも。

しかし,欧州の国々で高層のビルは特定の地域にはあるとは思いますが,中心地に数多く存在しないのではないでしょうか。

最近のBSハイビジョンの番組をご覧になっていらっしゃる方がならば,お気づきではないでしょうか。

江戸から明治の時代には欧州の真似をしてきたわが国の建築は,戦後米国をお手本にしていることからなのでしょう。

明治の時代には,下級武士出身の建築家が日本の建築方式を体系化することなく,建築物に欧州の技術を導入して修復してきたのは,唐招提寺の例でも明らかです。

戦後は,それに加えて米国の真似をしているように感じるのですが。

真似をしているのはしょうがないとして,日本の建築様式が体系化されておらず,さらに発展されていないことに疑義を感じるこのごろです。

前橋市に行くと地上127mの群馬県庁がぽつんと立っています。

何でこの地域に高層ビルを立てることが必要だったのだろうと,本当に首を傾けてしまいます。

まさか横浜市の新しい市庁舎も高層ビルを考えているのではとも心配してしまいます。

高層ではない日本の建築の優位さをもっと主張した建築なり,地域開発なりを推し進めて行くことが必要な時期に来ているのではないでしょうか。

2008-07-02

恥ずかしい気持ちの回復が必要では

ベネディクトの「菊と刀」で日本の恥の文化が紹介されたのは1948年ですから,今から62年前です。

その後も昭和40年代ころまで,「そんなことをしたらみっともない」という感覚があったと思うのですが,いかがでしょうか。

何か発覚した際にこのような感覚に襲われることから,抑止されてきたことがあると思うのです。

マンション設計,食などの偽装や,公務員の不正や怠慢などが見破られた際の対応を見ていますと,このような感覚はどこに行ってしまったのかと思ってしまいます。

「恥の文化」なんてと読んだ当時は思いました。

しかし,現時点で考えて見ると,何かとても大事な感覚ではなっかたかと思いはじめています。

復活させることが必要ではとも思うのです。

「みっともないから,やめなさい」なんて,なんて消極的の表現かと感じていたようにも記憶があるのですが。

今まさに,この感覚を持つようにすれば抑止できることも数多くあるように感じるのは私だけでしょうか。

このような感覚をそぎ落としてきた原因は何だったのかとも自問してしまいます。

今,どうすれば回復できるかの知恵はでませんが,是非考えて行きたい課題です。

考えてみませんか。

2008-07-01

落書きなどに対しては一寸一言が有効では

一寸言うとキレテ何が起きるか分からない昨今,一寸言う行為も現実離れしているかもしれませんが。

昔だったら「お巡りさんにしかられるよ」と親などから言われたのではないでしょうか。

昭和30年代辺りを子供として過ごした方なら記憶があるのではないでしょうか。

いつ頃から言われなくなったかは定かではありませんが,そのように言われたものです。

言われるタイミングは,思い出すと,その都度,その都度です。

頻度も高く,だれでも言っていたように思います。

自分の親だけでなく,言っていたと記憶があります。

そんなことでも子供にとっては抑止力になっていたと思います。

そのようなことから昨今の状況をみますと,あまりにも見過ごされているように思えてなりません。

今回の落書きのことや,粗大ごみや,産廃の放置などの報道を見ますと,日頃のその場での一言があったのかと思えてなりません。

放置され続けてきたのではと。

2008-06-30

食の偽装の罪の与え方を考えたらいかがでしょう

食の偽装についての報道が毎日行われていますが,少し考えることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。

話は昭和30年代辺りにもどりますが,確かに隣の魚屋さんで生のサンマが売れないと,即,開きにして干して販売していたのを子供ながらに見た記憶があります。

ものを大事にしなくてはならない時代で,しかも必ずしも拝金主義ではない時代でした。

お客さんの見えるところで行っていましたから,許されていたのかも知れません。

現代的に言えば,行為が公開されており,納得ずくで購入したことになるのでしょう。

しかし,昨今では隠れた場での,利益が高くなるようにする偽装が大部分です。

やっている方から言えば,昔からやっていると言われているのではないでしょうか。

反対に,やられている方から言わしてもらえば,昔からやっているから悪いと言っているのではなく,現代になっても昔のやり方をぬくぬくと踏襲して,しかも欺いているから怒っているのです。

戦後に販売者自身が作ってきたルールを,変えることもなく,続けていることに,ダメ出ししているのです。

一方,刑罰も明治時代以降,戦後以降かもしれませんが,変えられて来ていないのではないでしょうか。

戦後であれば店が存続するような保護が必要だったのでしょう。

しかし,この現代,偽装をするような会社に対して,そのような保護は必ずしも必要では無い時代になって来ているのではないでしょうか。

そこで提案ですが。

日々報道されている偽装に対する刑罰としては,資本金の10倍または売上の10倍の罰金をかけるのはいかがでしょうか。

欧州などで,地下鉄でキセルが発覚した場合,乗車券の30倍などの罰金が課せられるのと似たような罰則の方法です。

何か新しい刑罰の枠組みも考えることが必要な時期に来ているのではと考えるのですが。

2008-06-26

予算配分をトップダウンで行うことが必要ではないでしょうか

国や地方自治体では予算の原資がないような報道がされています。

与党の方々は特に主張しているのではないでしょうか。

増税ばかりが聞こえてきています。

しかし,そうなのでしょうか。

確かに各ところで確保している予算規模をそのままにして,さらに何かをしようとすれば使えるお金は当然足りなくなるでしょう。

このような議論は現在のような状況においては不毛ではないでしょうか。

低成長時代,高齢化,人口減少など経済状態のあまりよくない状況において,原資をどのように配分しなおして活性化して行くかを考えるのが,今まさに求められていると思うのですが,いかがでしょうか。

それには今までの枠組みを足元から見直す必要があると思います。

つまり,現在までの実績を基本に予算規模を求めるやり方から,例えば,国としてこの5年なり7年なりを見据えて,トップダウンで予算の配分を考えていくやり方なりが必要ではないでしょうか。

どこかの社会主義の国々を描いてるのではありません。

今までの澱を取り除いた状態を作り上げていくためには,新たな予算配分の仕方を考え出すことが必要と考えるからです。

しがらみの予算規模を前提にすれば,原資が不足することことばかりが浮き彫りになるのだと思います。

ここで,実績を踏まえない予算配分をするような抜本的な取り組みが必要な時期だと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-06-23

経済観念が欠如してきていることに一因があるのでは

世界中でわが国が高級カバンのお客様になっていることがしばしば報道されています。

確かにデザイン,絵柄などはセンスもよく洗練されたカバンだとは思います。

しかし,その素材をみると価格に見合ったものか,首を傾けるのは私一人でしょうか。

また,最近プラスチックボトルのリサイクルがあまりうまく行っていない報道もあります。

リサイクルするためにはそれなりの処理が必要で,リサイクル材料にするには費用がかかりすぎ,炭酸ガスの抑止にも効果が期待できないとのことから焼却されているように報道されています。

このようなことは,プロセスとそれにかかるコストを考えれば,はじめる前から分かることではないでしょうか。

さらに,犯罪もその後の自分の人生に多大な影響があることを一寸でも考えることがあればと思うです。

これら全てが経済観念の欠如によるものと考えるのはあまりにも単純過ぎるかも知れませんが,経済観念を持ちわせれば何か異なった結果なり,行動なりが期待できるようになるではと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-06-19

年の若い代議士の出現を望むことが多いようですが

若い代議士が代議士に立候補することが多くなってきていますが,課題もあるのではないでしょうか。

確かに新風なり,バイタリティーを送り込むことには貢献していると思います。

しかし,1期から2期,3期と続くうちに就職先確保のための立候補になることはないでしょうか。

ビジネスパーソンとして確立したスキルも無ければ,再就職先としての代議士が設定させることがあるのではないでしょうか。

自分が一度代議士になり,その後他の職場に就職しようとしても,大した実績も積まないうちはお声もかからないのではないでしょうか。

一度就職して,若いうちにコンサルとして独立した場合を想定すれば,かなり実感がつかめるのはないでしょうか。

そこで提案ですが,代議士の連続当選回数を制限するのはいかがでしょうか。

最近地方自治体の長の連続当選回数を3期程度にする動きがありますように,例えば代議士もそのような限度を設けるのです。

制限をしようとのこころは,馴れ合い体質からの脱却が主な目的かもしれませんが,代議士にも当てはめたらいかがなものでしょうか。

就職先として代議士になることには,次にあげるような問題があると思うからです。

(1)一度就職したら継続しようと考えるようになる
(2)収入確保のために続ける必要が生じる
(3)代議士の任期中にできるだけ収入を確保しようとなる
(4)他の就職先にいけなくなると思えば,在任中に収入確保したくなる
(5)立候補のための資金を確保しようとする

勿論若い代議士だけではないと思います。

中年での代議士でも同様なことは想定されます。

しかし,若ければさらにそのような問題に直面するはずです。

ただ若い人材を求めるだけでなく,この辺りも考えながら,制度自身も考えていくことが必要な時期がきていると思うのですが,いかがでしょうか。

2008-06-18

今政府に近い官僚の行動は長年つとめてきた与党にも責任があるのではないでしょうか

官僚ばかりがやりだまにあがっていますが,彼らだけが言及されるのはどうなのでしょうか。

数多く報道されています,あのような行為を見てみぬふりをしてきた与党なりに不正行為を言及して来なかったことに対する不作為の責任があるのではないでしょうか。

どちらかと言えば,与党の意向を汲み取った行為をする内に,あのような行為がまかり通ってきたのではと考えるのは考えすぎでしょうか。

反対に,表面に出ないところでの与党の代議士の行為を目の当たりにしてきた官僚は,ここまでは許される(分かっていても言及されない)と動物的に感じて来たのはないでしょうか。

また与党の代議士はもとをただせば官僚だったのはないでしょうか。

このような場面では,同じ行為をしている官僚に注意することができずに来たのではないかとの仮説は偏ったものでしょうか。

内部を知っているわけではないので,推測の域を脱しないわけですが,構造的にこのように問題が存在するとの仮説は立てられるように思うのです。

以前ににも書きましたが,澱が双方に溜まっているように思えてなりません。

人事権が与党に近いところにあることを考慮しますと構造的にそのようになることも致し方ないことなのかもしれませんが。

いかがでしょうか。

2008-06-16

官僚出身の代議士への立候補をご遠慮願ったらと思うのですが

本日の鈴木貴博氏の記事に次のようなことが書かれていました。

「世の中のどんな事象にも、もっともらしい説明を付けることが可能だという事実である。(中略) 
損失の責任がどんなに自分にあったとしても、その責任を顔も知らない別の部署の人間に負わせるロジックを作り上げるなど、能力者にとってはお手のものだ。
だから彼らの言う「私に責任はありませんよ」という話には、大体において嘘があると思ったほうがいい。」

社会保険庁問題などを統括している大臣のまわりでも,このようなことが起きてはいないでしょうか。

最近感じていることに,鈴木貴博氏が指摘している「もっともらしい説明を付けることが可能」ということです。

いろいろな事柄に対して,政党に所属している代議士の話を聞いていると,もっともらしい論理が展開されます。

それも全く反対のことか,政策を支援するような説明です。

説明はその根本まで入り込んでの説明はあまり耳にしません。

取ってつけたような説明が多いのではないでしょうか。

そのような説明をしている代議士の履歴をみますと,多くの方が官僚出身です。

そのような環境のなかで自分で考えるよりも,どのような説明も展開できる周りの意見の説明を聞いて喋れば,自分と同じ論理でありますから楽なはずです。

だからとは言いませんが,いつのまにかとってつけたような論理で説明するような状況が造られてはいないでしょうか。

官僚出身の代議士は官僚と同じ論理を展開できる人材であり,場合によっては官僚そのものであることのあるように思えるのですが。

いかがでしょうか。

2008-06-12

居酒屋タクシーの件で追加したいことがあります

参議院議員の藤末健三氏の
「居酒屋タクシーの裏側」との記事に
「私の経験ですと役所の残業の原因は大きく三つあります。」として
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080610/153060/

・法案の作成
・予算案の作成
・国会質問待機
があがっています。

外部から見ていまして,確かに残業の原因はそうだと同感します。

国会質問待機は役所だけでなく,企業でも国会で関連質問があると待機しています。

このことが居酒屋タクシーの真の問題なのでしょうか。

マスコミの方々も真の理由を取材して欲しいと思います。

今回の件の一因であるかは分かりませんが,以前のことで,このようなことがありました。

企業から官僚の方に渡されたタクシー券が,利用者が降りる時に記載が求められている利用金額の欄に金額を記入することなく,運転手さんに渡されたことが多発したことがありました。

結果はどのようになるかはすぐにでもお分かりになると思います。

後日タクシー利用券を発行した企業に請求書がきます。

その請求書には,当然年月日,時間,利用料金が記載されています。

利用料金はタクシー会社(今回のように個人タクシーであれば運転手さんでしょうが)の方で記入しているのです。

記入された利用料金と運転手さんが個人会社としての報告書なりの金額の突合が行われているのかどうかはよく知りませんが,当然のことながら利用料金が記入されて請求されるのです。

そしてこの金額がべらぼうになっているケースがあり,会社通達で官僚の方にタクシー券を渡す時には,どこから乗って,どこで降りたかを記入してもらうようにとあった記憶があります。

当然利用料金もタクシー会社ではなく,利用された方に書いていただくように口添えするようにとの通達でした。

今回はこのようなことは無かったのかなというのが率直な感想です。

この辺りも取材していただきたいものと思うのですが,いかがでしょうか。

2008-06-11

派遣法の見直しが必要では

派遣社員という表現はまやかしではないでしょうか。

労働者を斡旋する会社が潤っている現状は問題ではないでしょうか。

ある意味,働いている方々の労働対価の一部を合法的にピンはねしていると考えられるからです。

流動的な労働環境を造るという文言には,なるほどと考えられるふしはありますが,流動的な労働環境の整備の最初にやらなくはならないことは,このような法律を整備することではないのではないでしょうか。

何からやったらいいのかは今すぐに思いつきませんが,少し早すぎるように感じますが,いかがでしょうか。

そのことより,インターネット難民などということなど現在問題になっていることが多くの場面で起きている現状を考えますと,早急な廃止も含めた派遣法の見直しが必要ではないでしょうか。

雇用の不安定さ,賃金の低下など,社会不安の一因になっていると思うのです。

場合によっては今回の悲惨な事件の発端もそのあたりにあるかもしれないのではないでしょうか。

何はともあれ,派遣を専門にしている会社が合法化されているところから考えることが,これからの社会を形成して行く上で必須と考えますが,いかがでしょうか。

2008-06-10

詳細に語ることは再発を防ぐためにしなくてはならないのでは

悲惨な映像が繰り返し流されています。

さらに詳細な情報が加えられています。

中には手口に相当することもです。

以前にも触れましたが,あれだけテレビの影響が大きいと言われ,また手口を参考にしている者がいると自ら報道しておきながら,この報道の気遣いのなさは何なのでしょうか。

詳細に語る内容が異なるのではないでしょうか。

ビジネスの世界で何か起きれば,再発を防止するための知恵を絞る努力を,企業であれば考え,実践しているはずです。

ビジネス分野のコンサルタントはそのように指導なり,コーチングなりをしていると思います。

このように行っている分野があり,またそのように指導なりをしている専門家がいるのに,この有様は想定できないのですが。

いかがでしょうか。

このような悲惨なことが起きることを幾らかでも防ぐための報道方法は考えられないものでしょうか。

この辺りの研究をされている学者の方々の発言を期待するものです。

2008-06-09

今急がなくてはならないのは研究では

悲惨な事件が昨日もおきました。

人を殺めることが日常化しつつあります。

死刑や終身刑などの議論はありますが,あまりにも何故そのようなことが起きてしまうのかを追求する研究の話が出ていないことが気がかりです。

裁判も原因究明にはあまりにも場違いです。

犯罪の専門家のコメントを聞いていても,あまり専門的な視点を感じられないのは私だけでしょうか。

まさに現在最も優先的に研究予算を配分しなくてはならない分野はこの分野ではないでしょうか。

お金を使うべきと言っているのではありません。

このような悲惨な事件を起こす人が出現する環境を研究するのです。

個々の人の性格に原因を求めるのではなく,そのような人をどのような環境が出現させるのかの原因を探る研究です。

「犯罪なんとか学」という枠組みではなく,組織的な枠組みによる研究です。

専門のシンクタンクのような組織を一時的につくり,組織的に研究するのがあるように思えるのです。

まずどのような研究者が必要で,研究者をどのように育成するかとか,犯罪の原因をどの情報に求めるのかとか,その情報をどのようにして収集するかなどから始めることが必要かもしれませんが。

はやく手を打つべき課題だと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-06-06

今の教育は学者を育てる教育ではないでしょうか

読み書き,ソロバンから義務教育が導入された明治時代,教育の方向は真に考えられた結果だったのでしょうか。

今われわれが受けてきている教育,特に小学校,中学校の義務教育の方向性はどこか異なっている方向に行ってはいないでしょうか。

全ての人が学者にでもなるような内容になってはいないでしょうか。

日頃に必要なものの考え方が入っていないのではないでしょうか。

例えば,コストという考え方であり,維持管理という考え方などです。

何かをするには必ず費用がかかり,その費用とその効果を計って,費用が効果よりも大きなものになっているなら,本当にそのことを行うべきかを考える契機にすべきなのです。

また建物なりを建造すれば,その後建物を撤去するまでの間,修理費,電気代,清掃代などの維持費用が必ずかかるのです。

それも10億円の建物を立てれば,建築費用の10から20%程度の維持費用が毎年必ずかかるのです。

昨今,いろいろなところで建屋の存続が問われる場面が増えてきていますが,何かその辺りのことが見落とされているように感じるのですが,いかがでしょうか。

その主な要因には,教育の内容にこのような事柄が触れられていないからではないでしょうか。

これらは一例ですが,このようなことが沢山あるように思えるのです。

今まさにいろいろな場面に遭遇した時に,現在の教育内容を見直すことも必要ではないでしょうか。

2008-06-05

明治維新に切られた価値観 - 絵画編

若冲の絵をご覧になったでしょうか。

現代に通じるフォルムや技法を感じないでしょうか。

明治以前のわが国にも美術に相当する文化が存在していたのです。

しかし,それは明治維新とともに切り捨てられてきたのではないでしょうか。

欧州からの美術の導入により,油絵の具による技術が大きくクローズアップされることになり,わが国に芽生えてきた個性のある絵画が見直されることなく,駄目のレッテルを貼られたように感じます。

明治からこのかた日本画と称される絵画には独自性や個性を感じるフォルムや技法の片鱗すら感じられない作品ばかりのように感じるのは私だけでしょうか。

能が現代に通じる抽象化された動きなどの表現を持ち合わせているのと同じように,明治維新以前の絵画にはピカソやマチスに肩を並べることの可能なものがあると感じるのです。

しかし,これらの系譜はどこに行ってしまったのでしょうか。

この辺りも,明治維新の立役者に絵画の素養が備わっていなかったからと判断するのは早急でしょうか。

明治維新を素直に考察することによって,現代の問題を解決する糸口を探したいものです。

いかがでしょうか。

2008-06-03

明治維新に切られた価値観 - 建築編

唐招提寺の修復の報道があったと思います。

明治時代の修復に,日本の建築には無かったトラスが導入されていることが解体のなかで分かったそうです。

今回の修復でもそのトラスが除去されることなく,活用される判断がされたようです。

近代技術で修復することは他の分野でも行われており,とやかく言うことではないとは思います。

しかし,修復の報道のなかで,それを行った大学の専門家は欧州に留学した士族のようです。

その専門家は留学先の教授から幾度となく「日本の建築について知っているのか」と言われた時に何度も「知らない」と答えたとのことです。

どこまで本当かは確かめようがありませんが,そうだったのではないだろうかと推察されます。

明治維新に活躍された人材はほとんで士族で,しかも下級士族です。

下級といっても差別しているわけではありません。

地位についていない士族が明治維新の中心となった人材だったと思います。

それを考えますと,今で言う教養はあまり期待できなかったのではないでしょうか。
日本の建築様式や建築技術など。

ここで仮説ですが,明治維新で建築の世界でも江戸後期まで築き上げてきた建築様式が見直されることなく,捨て去れて来たと考えるのは考えすぎでしょうか。

戦後に高層建築がすばらしいことのように感じるわれわれを作り上げてきたのも,その辺りに通じることのような思えてならいのですが,いかがでしょうか。

もう一度われわれの住まいの建築様式を見直すことが必要な時期に来ていると思うのですが。

2008-05-26

電子化には毎年永久に1年10%の保守費用がかかります

電子政府というキーワードで,確定申告や特許の電子申請ができるようになってきています。

電子申請できるようにするためには,コピュータシステムを開発することが必要です。

開発すると聞けば,開発した後には費用がかからないように聞こえるのではないでしょうか。

例えば,3億円の開発費がかかったシステムでは,システムの運用が開始された次の年から開発にかかった費用の10%程度の費用がシステムの保守に必要となることはご存知でしょうか。

道路を建設すると,当然補修費用がかるのと同じようなことです。

道路の補修費用とは違って,コンピュータシステムは必ず開発費用の10%程度の費用が毎年かかるのです。

それもシステムを使う限り,永久にその費用がかるのです。

システムの開発費費用がある年に1000億円かけたとしたら,運用を始めた次の年から100億円の保守費用がかかるのです。

今道路のことだけがクローズアップされていますが,無駄使い相当のことは電子政府にもありえるのです。

闇雲にどのようなことも電子化すればいいと考えることは考え物なのです。

永久に使おうと開発したシステムの場合には,電子化するとそれこそ永久に10%相当の費用がかかるのです。

電子申請もただ便利になるから電子化しようとの判断は,道路と同じように無駄使いにつながることがありうるのです。

是非このあたりのことも知っていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-05-23

給与原資を稼ぎ出すような取り組みが必要ではないでしょうか

大阪府で公務員給与の減額が行われることに反論されている方々がいることが報道されています。

今まさにこの点に関して考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。

北海道の都市の破綻問題も同じ構造にように思えるのですが。

それは何かと言えば,公務員は黒字・赤字にかかわらず給与は確保されていると法律を根拠に考えているのではないでしょうか。

しかし,原資は限られており,給与に回すことができない予算規模の中では,いたし方ないことと考えるの酷なことなのでしょうか。

給与原資を確保するためには,無駄な出費を抑える知恵が必要と思うのですが。

つまり予算計画の時に原資を超え,返せるあても曖昧に案を作成してきたのは,まさに行政のプロでなくてはならない公務員の方々であるはずです。

この場面では,昨年度からの予算規模を踏襲するような取り組みをしていたら,人件費にも影響があると感じることが必要なのではないでしょうか。

低成長時代では原資が少なくなるとの今後の予測を踏まえれば,さらにそのことを感じ取ることがプロの感覚としてひつようなのではないでしょうか。

つまり,給与の原資を確保するためには予算計画を立てる際に,どこが必要で,どこを我慢するべきかを行政のプロの眼でめききして行くことが求められていることを,この際,感じることが必要ではないでしょうか。

是非感じていただきたいものと考えますが,いかがでしょうか。

2008-05-22

予算の立て方には新しい枠組みが必要ではないでしょうか

道路予算が特別会計から一般会計にして問題を解決するような動きがありますが,本当にそのようなことで物事が解決するのでしょうか。

予算を立てることを自分で行ってみればわかると思いますが。

つまり予算の立て方としては,次のように行うのではないでしょうか。

(1)先ず実績を元に収入の額を予測して金額を想定する
(2)実績を元に必要な金額を項目毎(例えば食費,家賃代,光熱費など)に上げる
(3)実績から不要なものを削除する
(4)新たに必要となるものの金額を上げる
(5)必要となる金額の総計を求める
(6)予測した収入と,必要となる金額の差額を求める
(7)収入が多ければ例えば,預金する
(8)収入が少なければ必要とした項目とそれらの金額を減額する
(9)減額しても不足する場合には預金から補填する
のようにするのではないでしょうか。

このような枠組みで国に予算も行われていると考えていいのではないでしょうか。

このような仕組みで国の予算計画を行うと
(6)は概算予算と予算折衝に相当するところになると思われます。
(7)は無いと思います。
(8)シーリングというもので何%かの減額をすることが要請されます。
(9)は国債の発行になると思います。

ここで(6)が問題です。

確かに一般会計になれば財務省の査定が入り,特別会計のように収入があるから予算をそれに合うように立てることは無くなるとは考えられます。

しかし,そうは行かないのではないでしょうか。

そもそも上記手順で予算を各省庁が単独で算出した額を基本にして予算配分したら,額を少なくすることなどしないのです。

それは予算が少なくなれば,次年度以降の予算計画に影響するからです。

ですからできるだけ多くなるように最悪でも昨年度と同額になるように頑張るはずです。

つまり従来のやり方ではどうにもならなくなっているのです。

これだけ経営関係のコンサルがいるのですから,どのような手法で国の予算を立てたら,収縮して行くと考えられているわが国の実情にあったものにできるか知恵を拝借しなくてはならない時期に来ているのではないでしょうか。

経営コンサルの方々にお知恵を出していただきたいと思うのですが,いかがでしょうか。
(9)

2008-05-18

発展途上国で模造されても正しく製造されるようにすることが必要な時代になってきたのでは

本日のTBSの『がっちりマンデー』で,シールの今後の動向で「食品に食しても大丈夫なシールで内容を表示することが・・・」というようなコメントがありましたが。

確かにこのようなことは起きるでしょう。
既に似たようなものに,海苔に宣伝を表示するようなことは商品化されています。

食品にシールを貼るようなことも遠からず商品化されるかもしれません。

しかし,このようなものが商品化されると,すぐにでもグローバル化する現状では,発展途上国での商品も輸出する場合に真似されることが予測されるでしょう。

経済的な発展途上国の衛生観念は経済同様発展途上というような認識が必要なのではないでしょうか。

決して発展途上国を見下しているのはありません。
わが国の昭和30年代から現在まで思い出しても思い当たることだと思います。

経済的に発展して来ているわが国では今でも食の偽装が当たり前のように継続されていますが。

食に対する技術は,今後は真似されても大丈夫なようなものに限るような行為が必要な時代が来ているのではないでしょうか。

このような視点はあまり言われてはいませんが,真に考えることが必要と思うのですが。

例えば,例に上げました食品シールの場合で真似されたことを考えますと,食べられるシール素材にインクジェットプリンターで印刷すりょうなことも予測されるのではないでしょうか。

真似されることを前提に考えながらの製品化を進めていただきたいものです。

2008-05-15

自分を見直す契機にすることが必要では

地震災害が報道されていますが,外国の対応の報道を見ながら自分達のことを考える契機にすることが必要なのではないでしょうか。

地震だけではありません。

官僚の汚職も,食材の偽装も,支援された食料が一部の人々に優先的に配布されていることなども。

アジアに国々で起きている問題には,何か自分達には同じような問題をかかえていないような錯覚を抱いてはいないでしょうか。

自分達のところでは清廉潔白で他の国々が問題であるような。

しかし,よく見ると同じような問題が起きてはいなでしょうか。

以前に「想像力」が必要と言われた時代があったと思いますが,今まさに報道された外国の有様を見て批判するような態度ではなく,自分の周りの問題を想像することが必要なのではないでしょうか。

報道されていることを自分達の課題としてみることで,見かたとして重要な相対的な視点が醸成されると思うのですが。

報道されていることを,ただただ外国のこととして批判して済ますのではのではなく,想像力たくましく自分達の足元を見る契機にすることが必要ではないかと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-05-13

理屈では解決しないのではないでしょうか

TVなどのコメンテーターの方々は,何かあると理由と論理で組み立てられた理屈で理解して,どうすればよいのか展開するケースが多いのではないでしょうか。

本当にそれが適切なアプローチなのでしょうか。

軍事政権が人の派遣支援の意思を示した外国に否定の返答したことや,独裁政権の国への支援食料が軍部に流れていることなどのコメントはやはり理屈が展開されています。

確かに論理で組み立てられた理由なりは説得力はあるような様相を呈してはいますが,真の説得力には欠けているのではないでしょうか。

わが国の道路財源の扱いに関しても,理屈ではないところで展開されていると考えてもいいような状況ではないでしょうか。

整然とした論理では理解のできないことが,事実われわれの近くでも起きていると考える時期が来ているのではないでしょうか。

日頃のいろいろなショッキングな事件の原因を探るところでも同じようなことが起きているように思えるのです。

いかがでしょうか。

現在の時代は,今までの理屈で説得するような仕組みでは物事が解決する時代ではないようになってきているのではないでしょうか。

実際,多くの方々がすばらしいことをお話になります。

しかし,解決の糸口に繋がっていなっていないのではないでしょうか。

今まさに,理屈ではないような説得の方法を発明することが必要な時期にき来ていると思うのですが。

学者の方々,およびコメンテーターの方々のお知恵を拝借したいものです。

2008-05-08

もったいないの矛先は違うのではないでしょうか

「もったいない」から使い回ししたとの話ですが,もったいないのはそこではないのではないでしょうか。

もったいないのはお金を支払ったお客様の方ではないでしょうか。

もったいないと感じるならば,お客様に折り詰めにされて持ち帰ってもらうとかがあったと思うのです。

もったいないへの対処に知恵がでていないと思えてならないのですが。

いかがでしょうか。

もったいないと言えば,それこそ料理の値段が数万円などというのも,もったいないのではないでしょうか。

たかが一食の料理にそのような金額をかけるなんて。

料理だけでなく,提供されている場所などの空間と,場所を占有する時間もコストに入ってそのような金額になるのでしょうが。

しかし,べらぼうだと思うのです。

またお客がそのような条件でも来るのだからというご意見もあるでしょう。

とは言っても,もったいないと言うのであれば,お店側の論理ではなく,お客様側の論理が展開されてもいいのではと思う次第です。

蛇足ですが,社長会見で同席されていた弁護士の方々の見識が問われる時代に来ているのではないでしょうか。

2008-05-07

一言言うことを怠った30数年だったように思えます

戦後を生きてきましたが,自分の子供時代に言われてきたような,軽い注意を子供に言ってこなかったのではないかと反省し始めました。

子供の時に,いつも親から言われたことは「いけないことをしたら,おまわりさんにしかられるよ」という言葉でした。

今から考えると内容的に何だろうと一寸疑問を感じざるを得ない言葉ではありますが,何か影響を与えていたと実感しています。

このような言葉を自分の子供達に日頃かけていたのだろうかと,つくづく感じるこの頃です。

何故このような言葉をかけなくなったのだろうと考えると,『あまり口うるさく言ってはいけないのではないだろうか』とか,『自由にさせてやりたい』とか,『うるさく思われたくない』とか,沢山の自分にいい聞かせ,納得させる理由をもって,言わなくなっていることを正統化してこなかったいうこと先ず思い浮かびます。

このような親の世代が今の社会を築き上げてはいないでしょうか。

その時言わなくてはならなかったのに,放置してきたのではないかというこです。

うるさいと思われたくないような意識がそのようにしてきたのではと感じます。

しかし,言わなくてはいけない時は,何かが起きているまさにその時だと思えるのです。

放置することなく,言わなくてはならない時にしっかりとしたメッセージを発信したいものです。

いかがでしょうか。

2008-05-01

原資がない状態であれば限られた枠で行うのが常識ではないでしょうか

暫定予算の復活の理由に今年度の予算執行ができないことが上げられています。

確かに今年度予算は既に計画されており,執行できないことにより困る方々もいるでしょう。

しかし,このように困る方々の存在は今に始まったことではないのではないでしょうか。

包装の箱を木で作成・販売してきた企業はダンボールの箱を作成・販売する会社に代替されましたように,そのようなことは日常茶飯事のことのように思えるのです。

今まさに可処分の税を元に,それを枠にした予算の配分が求めれる時期が到来しているのではないでしょうか。

プロのスキルを持った行政担当者が必要になっているのです。

企業であればすぐにでもそのように指摘すると思います。

何故そのようなことが指摘されないのでしょうか。

官僚こそ,そのような人材でなければならないのはないでしょうか。

しかし,そのようなスキルより,与党のシンクタンク要員(田原総一郎氏の記事にもそのような記述がありましたが)としての考え方を執行する要員になっていると考えのは短絡しすぎでしょうか。

この辺りのことを真剣に議論していただけるような評論家なりの出現を期待したいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-30

放置していては是認されてしまうのではないでしょうか

ガソリン税の関連で怒りをぶちまける方々が多いことが報道されています。

怒りは今ですが,その下地は戦後なりから始まっているのではないでしょうか。

与党が変わる確率が低い状態で60年近くも一つ相当の政党が予算執行に携わったいるのです。

考えてみても下さい。

銀行などでも横領などの不正がある場合の主な原因の一つに,担当者が長年同じ仕事に携わっていることが上げれるのは今や常識に近いことになっているのではないでしょうか。

そのようなことと同じことが起きてきたと仮説を立てるのはあまりにも短絡しすぎでしょうか。

国の予算の執行の場合には,さらにそれを囲む仕事を請ける組織がからみ,また予算の組立ての案を提案する官僚の人事には当然与党のいろが絡むのと考えるとしてもあまり外れていないのではないでしょうか。

このようなことがテレビのコメンテーターの方々があまり語らないのは何故なのでしょうか。

一つ一つの事象に理由をつけて語るのはあまり重要ではないのではないでしょうか。

根本的な構造的な問題があるのではないでしょうか。

今まさにこと辺りのことを考えなくてはならないと思えてならないのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-24

弁護する人権について

裁判の報道の中で,弁護士の発言もよく報道されていますが。

何か違和感はないでようか。

まりにも被害者の人権がおろそかにされてはいないでしょうか。

弁護士の発言といえば,大部分が被害者を弁護する方々です。

被害者であったとしても人権はあると認識はしてはいますが,被害者の人権はどこにいったのでしょうか。

特に殺人事件ではそのように感じざるを得ないのです。

あまりのも奪われた命が軽んじられていると感じざるをえません。

何の脈絡もなく,命が奪われる事件が毎日のように報道されている今日,一度考える時期がきているのではないでしょうか。

弁護のありかたも含めて報道機関で取り上げて欲しいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-23

10億円の横領の責任はどこに

確かに10億円を横領した人物が責任があると思うのですが,すんなりそれだけではすまされない感じを抱かざるを得ないのですが。

横領した人物は担当者であり,その担当者を日頃一緒にいたであろう管理者が配置されていたはずだからです。

その管理していました方々は,どのような管理をされていたのでしょうか。

横領の事実があった場合,その事実を報道するだけでなく,そのようなことが起きるような管理はどのようにされていたのかを報道していただきたいものです。

管理者をしていた方々なら,すぐにでもそのように感じられるのではないでしょうか。

あまりにもズサンと言わざるを得ません。

10億円を一度に横領されたのではあれば,そのような感じは抱かないかもしれません。

しかし,数年にわたって行われた結果だと聞けば,管理されている方々は何を管理監督されていたのかと思わざるを得ません。

行為した担当者の責任は当然大きなものではありますが,管理監督されていた管理者は相当の責任があると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-22

行政の担当者ばかりが責められていますが

何か問題が起きると官僚や,行政の担当者が責められる構図になっているように見受けられますが,このような認識は妥当と考えてもよろしいのでしょうか。

お金にからむ問題には行政の担当者だけでなく,往々にして政治家の秘書などがからんで来ているのではないでしょうか。

金額の規模が大きな予算の近傍では,特にそのような問題があるように思うのですが。

バックマージンの問題を肌で感じておられる新聞記者や,会社で管理職を経験された方々は数多くいらっしゃるのではないでしょうか。

どうしてそのようなことが,何故,錚々たる会社の管理者を経験されてきたコメンテーターから発せられず,行政の担当者が悪いようなコメントがなされるのでしょうか。

ご存知ないと判断すべきなのでしょうか。

本当にそうであれば,実態を知らないコメンテータということにはならいでしょうか。

行政の担当者も責められてしかるべき方々とは思いますが,そこばかり責めていますと,問題の本質を見失うことが起きるのではないでしょうか。

官僚,地方自治体の担当者ばかり責めるのではなく問題の構造を見据えることが必要な時期に来てると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-21

「一言かけ」運動の提案

毎日ひどい事件が報道されています。

電車の中で携帯電話をかけている人に注意をした方が暴行を受けたとか,電車の中で若者が足を投げ出して座って迷惑をかけているかとか,日々注意を受けていれば止められることができたのではないでしょうか。

前にも書きましたが,日々誰にでも注意されることなくきたことが,ある日突然誰かに注意されるとキレルようなことが起きているのではないでしょうか。

放置されてきたことが,ある日取り上げれれれば,いままで許されてきたことが,何で駄目なんだということになるのではないでしょうか。

急に言われれば『頭にくる』ということも,まんざら理解できないということではないと思うのです。

そこで提案ですが,何か注意が必要な場面に遭遇したら,一言声をかける運動はいかがでしょか。

声をかけたら報復されることがないように,マスコミにも支援しただいて行うのです。

日頃注意を促されれば行わなくなることが数多くあると思うのです。

東京都千代田区の歩行時の禁煙運動などの成果もそのような取り組みに近いものだと思います。

いかがでしょうか。

2008-04-14

真実の解明を待ちたいという表現がされた報道がありますが

「真実の解明を待ちたい」と締めくくられる報道がされますが,このような表現は誤解を招くのではないでしょうか。

「真実が裁かれる」と聞くと,一般的には事件なりの真の理由なり,原因なりが明らかになるように聞こえないでしょうか。

しかし裁判で,事件を発生させた真の理由なりが明らかになることには実感がないのではないでしょうか。

黙秘あり,自分に不利なことは言わなくてもよい権利がある現行の裁判制度では真実が裁かれることになることからは遠いのではないでしょうか。

つまり報道される時に使われている「真実の解明」との表現は改められるべきではないでしょうか。

裁判員制度とのからみでも必要なことだと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-11

お金の使い方のプロを議員にしないといけないのでは

日々特別予算の使われ方が報道されています。

徴収の件で,ガソリン税がクローズアップしていますが,税の使われ方も重要な問題です。

ところで,議員の方々の発言を聞いていますと,あまりにもお金の使い方に対してプロではないように思われてなりません。

例えば,用途しかり,額の大きさしかり,この辺りを見極めることができる目利きのスキルをもった議員の出現が待たれるのではないでしょうか。

今の議員を見ますと与党,野党ともに官僚,労働組合役員,弁護士,医師など,収入にあたる売上を上げることに知恵を出し,収入に見当たった使い方のスキルを持っていない方々ばかりではないでしょうか。

このような人材のもとでは適切な予算の計画や執行が行われることは期待できないのではと考えるのは短絡しすぎでしょうか。

会社なりで予算計画と執行を管理職として経験された方々が入ればいくらか変わると思うのですが。

いかがでしょうか。

今のままの人材集団では,低成長時代に合った予算計画・執行に対して大きな期待ができないのではないでしょうか。

今までの人材でない方々の出現を期待したいところです。

2008-04-10

道路財源の一般財源化は適切ではないのでは

ガソリンの暫定税を一般財源化するとの報道がありますが,このことが適切なのでしょうか。

大前研一氏もブログで指摘しておられますが,一般財源化をしたらまた無駄をすると考えられます,いかがでしょうか。

一般財源化はいかにも適切のように聞こえますが,いままで相当額2兆円余りの金額が国庫に入ることになります。

つまり無駄使いをする温床を作ることになると思うのです。

道路をいままで通り造る必要があるのかといった,根本的な話題になっています今日では一度暫定税を廃止して今後必要な財源を新たに国民に説明をすることが必要だと思います。

国民はそれほど物分りの悪い方々ではないと思います。

必要な財源は認めるような行動をとるはずです。

財源ありきで,どのように使おうとしてきたのが従来の予算執行の有様だと思います。

管理職になられて行動されてきたサラリーマン経験者ならすぐにでも思い当たると思います。

TVのコメンテーターの方々がほとんどそうそうたるサラリーマン経験を積んでおられます。

是非その辺りのことをTVの中で言っていただきたいと思いますが,いかがでしょうか

2008-04-02

責任があるのはないでしょうか

数多くの地方自治体の財政が逼迫しているとの報道があります。

どこに責任があるのかよく考える必要があるのではないでしょうか。

まず地方自治体の長,およびその議会の議員に責任があるのではないでしょうか。

予算案が出れば審議したはずですから。

また予算案を作成した行政担当者にも責任があるのではないでしょうか。

地方自治体の財政の逼迫さは,だれよりも知っていたはずですし,専門家のはずです。

専門家が誤った判断をしたのですから,責任は重大と思うのですが,いかがでようか。

どこかで伺ったのですが,行政の担当者は責任を取れない,取らなくて良いと法律にあるとの記憶があります。

この辺りは法律の専門家に伺いたいと思いますが,責任はあると思うのです。

個人で責任が取れないのなら,行政組織全体で責任を取ることが必要と思うのですが。

さらに付け加えれば,住民にもその程度の長,議員を選出した責任もあるように思えますが。

2008-04-01

支出だけの専門家は政治家にふさわしいのでしょうか

現在の政治家の多くの方の出身母体は官僚ではないでしょうか。

そのような方々は優秀な方だとは実感してはおりますが,だからといって国のお金を適切に使うことのできる人材と考えてよろしいものでしょうか。

よく考えますとそのような皆さんはお金を配分することには長けているとは思いますが,収入に当るお金を稼ぎ出したことがありません。

椅子に座って政策を立案して実行すれば多額のお金を集めることができる仕組みの中で生きてきた人材でしょう。

このような仕組みで長年培ってきた経験からでも,収入に見合って有効なところにどのようお金を使っていくべきかのスキルを沢山経験・蓄積できているとは考えられないのではないでしょうか。

このような方々が政治家になることは(政治評論家のどなたかがブログで書かれているのを読んだ記憶があるのですが)一種の天下りであり,無駄使いをしている各省庁の外郭団体の幹部と同じような感覚を持った人材と考えるのは行きすぎでしょうか。

何か今回のガソリン税の使われ方を見ていますと,そのように感じるのですが,いかがでしょうか。

2008-03-31

なぜ支出を絞ることを言っていただけないのでしょうか

テレビのコメンテーターの方々はなぜ国の支出を絞ることを声高に言っていただけないのでしょうか。

2兆円は大きいという国や地方自治体の長の方々の言い分に対してですが。

確かに2兆円は大きな金額でしょう。絶対額では。

しかし175兆円の2兆円であったり,80兆円の2兆円だったりで考えれば,1.1%,2.5%なのです。

相対的には何とかなる金額だと思うのですが。

政治家は絶対額しか言いませんが,会社経営で考えれば相対的な金額でも検討するはずです。

絶対額の大きさに惑わされることなく,たかが1%程度の調整なのだと考えるべきではないでしょうか。

勿論この調整によって既得権が影響する業界もあるとは思いますが,国全体を考えれば我慢していただくことも必要なことがあるのではないでしょうか。

コメンテーターの方々のご意見を伺いたいと思いますが。

2008-03-28

2兆円の穴埋め方法ですが

ガソリンの暫定税の2兆円強がなくなってこまるとの報道がされていますが。

確かに予算案を作成している担当からは4月に入るこの時点での変更はしんどいと思います。

どれを削ればよいのか困るでしょうし,その場合,一律に削ることはあまりにも無策でしょう。

そこでですが,
国の外郭団体,地方自治体の外郭団体の予算をその分だけ削減する案はいかがでしょう。

この4月からはいままで留保してきたお金で活動いただき,予算を減額してどの程度影響があったかを査定して,次年度以降の予算の見直しをする契機にするのです。

この位の荒療法でもやらない限り,真の見直しなりはできないのではないでしょうか。

ガソリンの暫定税がなくなるとこまるから残せではなく,無駄をなくして財源を確保する方向に今まさに転換すべきと考えますが,いかがでしょうか。

2008-03-27

道路だけではない特別会計

道路関係,社会保険庁関係など特別会計の予算の使い方が日々報道されています。

あたかもそれだけが無駄使いされているように言われていますが,そうなのでしょうか。

国における特別会計には28もあるようです。

ちなみに平成19年度の国の特別会計の規模は約175兆円のようです。

多額であることがお分かりになると思います。

では何が問題かですが,普通の国家予算は財務省が査定をするのに対して,特別予算は財務省の査定が入らないようです。

つまりお金の使い方は管理している組織が決めているような仕組みのようなのです。

詳細はマスコミの方々からの報道情報を待ちたいと思いますが,この辺りのことがいろいろな問題を起こしているのではないかと思うのです。

いかがでしょうか。

勿論,行政の担当者が恣意的に物事を決めてはいないでしょうが,行政の執行が法律に支えれていることを考えますと,法律の文言を確認することが必要かもしれませんが。

2008-03-26

ガソリン税は間違いなく徴収されているのでしょうか

毎日ガソリンの暫定税25円の話が報道されています。

2兆円の財源がなくなるとの話もあり,地方自治体の長の方々が暫定税の廃止に反対しています。

ところで,この税は正しく納税されているのでしょうか。

この税金はガソリンを出荷する時点で課税されると報道されてます。

ということは,ガソリン製造・卸の会社が一手に,その金額を扱っていることになります。

そのような会社は1社ではないにしてもそう多くはないのではないでしょうか。

先日偽装を告発された製紙会社の例でも10社程度です。

そのような数の会社がガソリン税を代行徴収しているとしますと1社当たりの金額も膨大のはずです。

このような多額の金額が会社にある期間保有されていることはあまり報道されていませんが,どうなってるのかと思わざると得ません。

どう思いになりますか。

正しく徴収されているのかマスコミの方々の報道を期待するところです。

またこのように多額の税金が特定の会社に税金を納税するまでの期間保有されていることに問題が発生していることはないのでしょうか。

この辺りも報道していただきたいものです。

いかがでしょうか。

2008-03-25

なぜ相撲ばかりが品格を問われなくはならいのでしょう

品格はいろいろなところで問われべきことでしょうに,なぜ日々の報道のように相撲ばかりが取り上げられているのでしょうか。

審議委員の方々の品格が疑わしいのではないでしょうか。

問われなくはならないのは次の方々ではないのででしょうか。

・政治家
・地方自治体の長
・地方自治体の議員
・本庁の幹部
・省庁の外郭団体としての財団法人の幹部
・食品,製紙などの会社の取締役
など,など

相撲取りを品格で責めるのは筋違いではないのでしょうか。

他の分野の方々の品格を問うことをしてから相撲界のことに言及しても,順序としておかしくないのではないでしょうか。

品格のなさから不正を働いている方々こそ,今問われなくてはならない方々ではないかと思うのですが。

いかがでしょう。

2008-03-24

真実を明らかにする場を設けることが必要ではないでしょうか

昨日も不可解な殺傷事件が報道されました。

このような事件が起きるとすぐに裁判のことが思い浮かぶのはないでしょか。

その時は「裁判で真実を明らかにしてもらいたい」,そうすればこのような悲惨な事件は起きなくなるのではと思うのではないでしょうか。

そうなのでしょうか。

裁判はそのような期待に応えられる機能を持っているでしょうか。

裁判は
・不利なことを言わなくてすむ『黙秘権』がある
・証拠がなければ真実として立証できない
・原因を追究する場ではない
(原因を追究するような手続きは存在しないと思える)
・罪を犯したかどうかを判断する場である

以上のように裁判の場を捉えると,裁判をとおして事件が起きないようにすることは不可能と思わざるを得ません。

つまり事件が起きないようにするためには裁判制度の中か,外かに,原因を明らかにする仕組みが必要な時期に来ている思うのですが,いかがでしょうか。

その仕組みとしては次のような仕組みが考えられます。

刑務所の中に専門要員グループを配置して原因を究明するのです。

そしてその原因を,教育なり,地域社会の構造なりに反映するのです。

このような仕組みを作ることによって,いくらかでも不可解な事件を未然に防ぐことのできる社会にすることができると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-03-19

裁判は真実があばかれるところではないのでは

殺意がないと殺人罪にならないような裁きが行われています。

「殺意がある」とか「ない」とはどこから分かるのでしょうか。

訴えられるたりすると訴えられた人には「黙秘権」なりが権利として認められています。

自分の都合の悪いことは言わなくていいような権利です。

そこに持ってきて,証拠がないと罰することができないときています。

このような条件で「殺意」なりを考えますと,どのようにして訴えられた人の心の底を証拠として明らかにできるのでしょう。

理解の苦しむところです。

一方,過失があったか,なかったも重要なことだと思います。

殺意があったかが最初ではなく,過失かあったかを始めに判断することが必要ではないでしょうか。

こころの中のことで外からなかなか計り知れず,証拠の提出が困難なことを基に判断することは無理があるように思うのですが,いかがでしょうか。

2008-03-17

また道路財源が他の用途に使われたと報道されていますが

また道路財源が他の用途に使われたと次のような報道がありますが。

『国土交通省の出先機関である地方整備局で、ガソリン税などの道路特定財源を原資とする道路整備特別会計(道路特会)から、道路部局関係職員のタクシーチケット代金として、2002年度から5年間で総額23億7800万円が支出されていたことが16日、明らかになった。(読売新聞)』

このことの原因をあたかも使用した方々がいけないことをしたように読めたりしますが,そうでしょうか。

公務員は法律にしたがって業務を遂行することを憲法などで求められています。

ですから公務員に「何故このような用途に使うのか」という問いかけに「道路に関連する仕事の遂行上タクシーを使用したので・・・」と答えるのです。

このことはおかしなことではないというのが言いたいことなのでしょう。
法律に準じて行っているからと。

つまり,法律が用途を明確に列挙することなく,または使用してはならないこと例示することなく作成されているからなのでしょう。

1960年代に改定された著作権法では例示がたくさん書かれてますが,このように書かれた法律を作れば,公務員はあらぬ使い方をしなくなるはずです。

では,だれが法律を作っているのでしょう。

それは国会であり,与党の息のかかった官僚がその原案を日々作成していると考えば,なるほどとお分かりいただけるのではないでしょうか。

うがった見かたをすれば,与党に都合のよい法律になっているとも考えられるのはないでしょうか。

この状況が戦前から続いているのです。

いや明治以降,法律が制定された時代からずっと続いていると考えるのが妥当だと思います。

法律は一度決定しましたら,なくなることがないからです。

公務員の行為を追いかけることと同時に,制定されてきた法律のあまく記述されているところを調べて報道していただくことが必要な時期にきているのではないでしょうか。

いかがでしょう。

2008-03-14

無駄を省けばそれなりの金額が見えるのでは

道路財源の使われ方で,あらぬところに浪費されているとの報道があります。

旅行に使われたとかありますが,そのようなことは沢山あると思うのです。

単位は100万円以上で,1億円程度の予算が無駄に使われていることが想定されます。

例えば,
100万円    100件 = 1億円
1000万円   100件 =10億円
1億円       20件 =20億円
てな具合に規模と件数を仮定しますとすぐに数十億円でてきます。

またこの例を見ていただけばお分かりいただけますように規模の小さな無駄を省くよりも金額的には数千万以上の浪費案件を発見する方が大きな金額を発掘できることがお分かりいただけると思います。

とはいっても小さな案件も無駄の件数の多さや,意識改革のために発見することは重要と考えますが。

このように規模の大きなものにメスを入れることができればすぐにでも1000億円単位の無駄を省き,重要な他の案件に回すことができると思うのですが。

予算の中身を把握できる方々は理解いただけるのではないでしょうか。

今まさに代議士や官僚以外で,そのような情報にふれることができ,無駄を見破る眼を持った人材の育成や発掘が必要と思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-03-13

責任がとれないと犯罪にならないことに対して

責任がとれない状態で犯罪を犯しても罰せられないことが報道されていますが,このことは妥当なのでしょうか。

確かに責任がとれないような状態では自分の行動の判断ができず,犯罪に当っても裁かれないということは理解できないことではないとは思うのですが。

ことが重大な人の命を奪う行為にまでこのことが及ぶということが,本当に妥当なのかということです。

人の命を奪うことはいけないと教えられてきたことに対して,あまりにも簡単な理由で裁かれないなんてという感覚です。

刑法ではことの重大さに応じて,刑の重さが決まっていることを考えると,人の命を奪うここと,窃盗を働くことなどが,同列に責任がとれない状態での行為であれば裁かれないなんてありえないのではないでしょうか。

人の命を奪う行為に対しては,せめて年数を課して更生させることが必要ではないでしょうか。

刑法199条にその旨を但し書きで書いておくのがあるのではないでしょうか。

2008-03-11

刑事裁判での被害者にも弁護士が必要では

刑事事件の裁判で加害者である被告側に弁護士がつきます。

裁判では職業人である検察官が訴える側ですから,加害者が素人であれば自分の代理人として弁護士をつけることは分からないことではありません。

しかし被害者側には弁護士はつかず,被害者を代理して主張をする役割は検察官が行うことになります。

これって対称になっていないのではないでしょうか。

検察官は弁護士ではなく,国を代表する方です。

したがって被害者を代表する代理人ではありません。

そこで提案ですが,被害者にも弁護士をつけるようにしたらどうでしょうか。

勿論,検察官も今の立場で訴訟を起こし,被害者,加害者にも弁護士がつくようにするのです。

民事裁判で訴える側と,訴えられる側に弁護士がつく制度に似た方式ですが,検察官も国を代表して今までとおり訴訟を遂行する方式です。

このようにすれば,手続きばかりで裁く現在の裁判から,いくらかでも真実にせまるような裁判が行われるようになるのではないでしょうか。

真実がわかるような裁判にすることができれば,その事実から是正しなくてはならないことが分かるという期待ができるようになると思うからです。

現在の裁判では真実は闇の中で,裁かれているように思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-03-10

裁判って真実を明らかにすることなのでしょうか

一度結審した訴訟が再び裁判にかけられるのか報道がつづけられています。

このことは裁判の手続きのことではないでしょうか。

一般人には「裁判は真実が明らかにされて裁かれるところ」と思われているのではないでしょうか。

刑事裁判であれば,真実は何で,そのことを刑法に照らし合わせて,罰なりが裁判官から言い渡されると信じられていると思います。

このことはそうなのでしょうか。

そのような疑問がないでしょうか。

その疑問の箇所は「真実が暴かれるところ」の部分です。

いろいろな事件の報道の中で,弁護士って何なのと首を傾けてしまうことはなかったでしょうか。

真実を明らかすることをしているのかということです。

そのような感じを受けない発言があった記憶はないでしょうか。

裁判官は判定する役割だとすれば真実を明らかすることの証拠を提供できる役割は検察官と被告の訴訟代理人である弁護士が果たしていると考えざると得ません。

そのように考えますと,真実が明かされることよりも,裁判制度の中での手続きの正当性や,手続きの範囲での真実らしきありさまから罪が言い渡されているように思えてなりませんが,いかがでしょうか。

2008-03-07

予算の執行の仕組みについて

道路予算が道路建設に関係のないマッサージ機に使われていたり,要りそうもない道路を建設する無駄使いが報道されています。

予算を組んで使うルールではそのようなことが起きるのではないでしょうか。

つまりお金があるから使うのです。

マスコミに登場するサラリーマンを経験されたコメンテーターの方ならどなたでもお分かりになっているはずです。

予算は,配分できるお金から理由を付けて多額のお金を獲得してくる人が優秀な人と言われるのです。

そして今年度の実績をもとにして予算配分される来年度予算の獲得に向けて,予算を年度いっぱいで使い切ることが必要となります。

無駄か,無駄でないかは予算獲得に決まり,予算を使うときは節約をする程度しか知恵が出せないはずです。

国や地方自治体の予算は原則年度で使い切ることになっていますから,配分されたお金を次の年に残しておくことはできないのです。

残せばお金を配分した省庁なりに吸い上げられます。

吸い上げてもそれが年度内に使われなければ,省庁の来年度の予算獲得に影響がありますから本音は使い切って欲しいと思っているはずです。

また予算を使い切らなければ,代議士なりがそれをかぎつけて使うように圧力をかけるはずです。

その圧力に抵抗すれば,自分の昇進なりに影響がありますから,圧力をかけらる方の担当者は予算を使わないなどと言う判断をしないのが普通です。

さような具合で予算配分やお金の使われ方がされているわけですから無駄がなくせるはずは無いと思ったほうが適切だと思います。

もしも無駄を無くすなら,荒療法かもしれませんが,予算配分できるお金をゼロにすることだと思うのですが。

いかがでしょうか。

少なくする程度では無駄は無くなるとは思えないのですが。

2008-03-06

難しいとは思いますが

食品偽装,高級官僚の高給,外務省のワイン購入,刑罰の軽さなど日頃マスコミで報道されていますが,何か変だと思わないでしょうか。

変と言うよりも,何故こんななのか疑問を抱くことはないでしょうか。

これには法律がからんでいるからではないでしょうか。

法律は,期限付きのもの以外は一度決められたら,よほどのことがない限りなくなることはありません。

勿論改訂はしばしば行われています。

しかし,骨子や枠組みは変わらないと思います。

ここに元凶があるように思うのですが。

ほとんど場合,法律(または条例などの法律に準じた手段)で支えられているのです。

ですからたとえ個人や法人を責めたりしても,法律が認めていることはやっていいことなのです。

つまり,個人なりを責める前に,法律を変えるか,廃止することが必要なのです。

とはいってもそう簡単ではありません。

法律は国会で決められるからです。

しかし,現在のように多くの問題が起きています状況では,この辺りのことがもっと真剣に考えられていいように思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-03-05

地位の高さと報酬の高さを別にしたらいかがでしょう

多くのところで地位の高い方々は,報酬が高くなっていると思います。

この仕組みを考え直したらいかがでしょうか。

わが国のサラリーマン社会では,地位が高くなり高額の報酬を得ている年齢は50歳以上でしょう。

年齢で報酬を上げていく仕組みを変更して,しかるべき年齢に達して,社会的に認めれる地位になったら報酬を下げるような枠組みを採ったらいかがでしょう。

地位と報酬を反比例の形にするのです。

年金が支給されるような年齢に近くになって報酬が高い必要はないのではないでしょうか。

年金支給額と,その支給年齢に近くなった時の報酬の落差は大変大きなもののはずです。

支給される年金額がリーズナブルかはあるでしょうが,その年齢になればあまりお金がかからない生活ができるという共通認識もあるように思えるのです。

つまり徐々に年金額相当になって行く枠組みも考える余地があるように思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-03-04

天下ったら給与を下げることが必要ではないでしょうか

天下りを快しとしないような風潮になっていますが。

天下ることがいけないということではないのではないでしょうか。

天下る年齢になった時点で,報酬がべらぼうに上がって,退職金もそれに比例して多額になることに怒っているのだと思います。

それも天下った会社なりが自分で稼いでいればそれなりに理解できるのですが,大多数が税金でまかなわれているからです。

だから天下りを快しとしないとはあまりにも短絡しているように思います。

天下ったら,報酬を天下る前の80%にして年々5%下げていくような運用をしたらいかがでしょうか。

大体,地位があがると報酬が増えるようになっていますが,税金でまかなっている法人では,地位によって報酬が増えるような制度から,それと反対に地位に反比例して報酬が低くなる制度にして行くのも手ではないでしょうか。

あまりそのように言及されていませんが,考えてみてはいかがでしょうか。

このようにすれば,多くの人々は理解を示すのではないでしょうか。

また天下ろうとする方々も進んで天下ることはなくなるでしょう。

このような考え方はいかがでしょうか。

2008-03-03

救急医療について問題になっていますが

救急車での患者さんの病院での受入が多くの病院で拒否されていることが報道されていますが,どこに問題があるのか正確に報道されていないのではないでしょうか。

多くの人々が軽症にもかかわらず救急車を利用されているデータを見せられますと,そのことによって受入ができなくなっていることもあるとは思いますが,それだけでは説明ができないのではないでしょうか。

救急医の毎日の勤務状況は惨憺たるありさまだと思います。

寝る暇もなく,日々連続して勤務されている場合が多いのも事実です。

このことが主な原因とは言えませんが,救急医の勤務条件が悪く,救急医になるインセンティブが低くなっていることがあるように思うのです。

救急医療の現場の勤務条件を改善しなければ救急医のなり手は少なくなるように思います。

改善には給与だけでなく,夜勤があったら次の日に休みを与えられるような余裕が必要と考えます。

そのためには医療報酬を上げることはなく,国なりの予算でその手当てを出せるような施策が必要だと思います。

道路だけが優遇されていては駄目ではないでしょうか。

予算がバランスよく配分されてはじめて達成できると思うのです。

救急医療の問題の国の課題として解決することが必要な時期に来ていると考えますが,いかがでしょうか。

2008-02-25

政権をとっている政党の責任

漁船にイージス艦がぶつかった事件が日々報道されていますが,何か政権をとっている政党の議員の方々があたかも防衛省の行政官に問題があるように他人事のしているように感じないでしょうか。

イージス艦の処理方法や,防衛省内の処理に問題があり,その原因と責任は確かに現場の担当者なりにあるとは思います。

しかし,どこの世界でも管理する立場の組織なり,人なりにもその責任はあると思うのです。

防衛省の管理をしているのは与党であり,戦後一部の期間を除いて一定の政党が担ってきました。

このことが何か組織に澱をためていると言う仮説はできないでしょうか。

例えば,政府与党と官僚の間のなあなあ人事や,管理・判断能力の乏しい議員への与党寄りの答弁集の用意など,一流とはいえない管理がされて来たと考えられないでしょうか。

この最近のことではなく,ずっと続いてきました一党支配の弊害のようなことが,いろいろなところに出てきていると思うのは,うがった考えでしょうか。

2008-02-21

投票行動に反映できないものでしょうか

『お買い得デー』などの広告が入ったスーパーなどの食品売り場に行くと,広告のない日と比較して,あっと驚く数の主婦などに占領されていることに圧倒されます。

多くの人々が価格に非常に敏感になっていることが分かります。

日々の生活の中で,社会を価格から感じていると思うのです。

どうしてこうなっているのかを知る機会も,日々TV番組を見ていることから得ていると想像できます。

このように捉えますと,なぜ日々感じていることが投票行動に反映しないのか本当に疑問です。

そこで今回の25円のガソリンの減額をスローガンを考えますと,すごい戦略ではないのかと考え始めました。

いろいろな方が税の仕組みからの税をとることの理由のなさや,なくなると困ることなどが話されています。

しかし,このようなことに対して,皆へきへきして来ているのではないでしょうか。

理由はどのようにも作ることができ,立場によって異なる理由が言えるものであることが。

そのように考えれば考えるほど,小沢氏の戦略はすごいのではと考え始めたのです。

政党内でもそのように感じる人は少ないように見受けます。多くの代議士なりが理由をやたらめったら語ろうとしています。

しかし,選挙にたけた人材にはその辺りのことを感じ取ることができるのかも知れないと思いはじめました。

いかがでしょうか。

2008-02-20

聞き出さなくてはならないのは理由ではないはず

理由を聞き出して,それが適切でなかったら予算を切ろうとするとしてもうまくいかないでしょうに。

理由を聞き出せば,専門家はなくてはならない理由を直ぐに考える能力を持っているのです。

特に行政にいる方々はそのようなことを毎日経験しているはずです。

この辺りのことを踏まえて聞きまわることが必要と思うのですが。

つまり,聞き出さなくてならないのは,判断するための材料なのです。

何故必要かは,聞き出す側に備わってはいなくてはならないことだと思います。

当然聞き出す前から結論を持つことではありません。

事情がこうならこうしよう,そうでないならああしようと言った判断するルールを頭に描きながら聞き出すことだと思うのですが。

予算配分を判断される長の方々は専門家の理由に惑わされることなく判断していただきたいのものです。

いかがでしょうか。

2008-02-19

理由を聞けばそれなりの答えはあるものだと思うのですが

知事が予算なりの理由を担当者に聞いている場面がしばしば報道されていますが,担当者になって考えたことがあるのでしょうか。

担当者は聞かれれば回答するのが義務です。回答できなければ自分が居ることが否定されることになります。

ひっしで答えるのがあたりまえです。

つまり答えのないことはなく,どっちかと言えば理由はちゃんとしたものがあるのが普通です。

行政での経験はありませんが,サラリーマン時代に上司に理由を聞かれてそれなりの回答をしてきました経験から想像ができます。

理由があり,それがしっかりしているからといって,意味のある予算かはわからないと思うのですが。

理由の裏には,止められない理由があり,次年度予算を減額されるのを防ぐために言っていることもあるのです。

質問に対して何か意味のある回答をすることに行政の担当者は長けているのです。

理由を考えること,それが仕事の大半を占めていると思います。

ですから理由を問う方法では予算なりの存在根拠にはなりえないのです。

あーいえば,こー言うといったことは日常茶飯事に行われている行事なのです。

ですから予算などの合理性を見るには,判断する側の技能が必要だと思うのですが,いかがでしょうか。

この技能をどのようにして知事が獲得して来ているのかが重要なことだと思うのですが。

2008-02-18

審議会のあり方について

国や地方自治体では有識者による審議会の報告が数多く報道されていますが,内容はさることながら,その審議のやり方をご存知でしょうか。

審議に市民委員としてまして参加しました経験からお話したいと思います。

それは,あまりにもひどいと言うしかない進め方でした。

その委員会は予め何を審議するのか明確なものでした。

審議が始められると,全ての資料は事務局が作成・用意したものでした。

委員会の座長は大学の先生ででした。また約10名の委員の内3人は大学の先生,
弁護士もおられました。

彼らは10回程度の委員会に自分の意見を持ち寄る,つまり意見を文書で持ち寄るということは一度もありませんでした。

ひたすら事務局から出てきました資料に意見を散漫的に言う程度でした。

つまり,有識者の審議会と言っても有識者からは新しい意見などは持ち寄られないことを見てしまったのです。

あまりにもひどいとしか言うことができません。

技術の国際会議に出た経験からは想像ができませんでした。

そのような会議では当然意見は文書で持ち寄って審議するのが常識です。

有識者に出席したいただいて審議をするのであれば,そのような方法を採ることが当然だと思うのですが。

いかがでしょうか。

事務局がシャカリキになって作成する資料なんてナンセンスだとおもうのですが。

今までに思いもよらない意見が求められるから有識者が必要なのだとしたら,選ばれた有識者はそれに応えることが必要ではないでしょうか。

意見を文書なりで持ち寄れないような有識者は審議委員にならないようにする必要があるように思います。

事務局はコントロールができなくなり,困ることも多々あるようも思える面はあるのですが。

2008-02-15

赤字の責任はどこにあるのでしょうか

府債残高5兆450億円と報告されています大阪府ですが,責任はどこにあるのでしょうか。

すぐに行政が責められますが,それでいいのでしょうか。

府の職員を責めても問題解決にはならないと思うのですが。公務員は法律にのっとって職務を果たすことが求められており,会社の従業員とは異なるのです。

このことから法律がいい加減だと,その職務の遂行もいい加減になると言えると思います。。

では法律は誰が作っているのでしょうか。

法律は代議士によって国会や地方議会で作成されるのです。

それでは代議士や議員は誰がなるかと言えば,当然のことながら国民から選挙で選ばれるのです。

つまり,責められる一因に選んだわれわれも上げられれます。

しかし,そうは言っても代議士はその道のプロでなくてはならない方々ですから,やはりそれ相当の責任はその方々にあると思います。

府知事もその辺りのことも考えながら府の職員と話をすべきと考えますが。

いかがでしょうか。

職員も議員の言うなりでではなく,施策を考えて欲しいと思いますが。

2008-02-14

何故まもろうとするのでしょうか

道路の建設に対しての与党の国会での答弁を聞いていますと,どうしてそんなに守らなくてはならないだろうと思うのは私だけでしょうか。

こじつけの論理を展開しているように思えてならいのですが。

しかし選挙になれば,やはり与党が勝っているもの事実です。

このような答弁を聞いた多くの人が疑問に感じていることが,どうして選挙に反映しないのか不思議です。

日頃感じていることと,判断行動は必ずしも同じはないということなのでしょうか。

このようなことは食の偽装で政府の無策に怒っている人々が数多くいるでしょうに,判断が変わるようには感じられません。

人の判断は論理ではないということなのでしょうか。

この辺りのことも分からなくなってきました。

いかがでしょうか。

2008-02-13

自治体での道路計画と実行の時期について

暫定税の廃止の話題の中で,道路の建設ができなくなるというのがあります。

できなるなくなるというのは,どのようなことなのでしょうか。

それには幾つかのことがあると思います。

お金がなくなるから
 (1)今後道路建設の計画ができなくなる
 (2)現在計画中のものの着手ができなくなる
 (3)着手しだしたものを中止しなくてはならなくなる
 (4)建設途中のものを中止しなくてはならなくなる
 (5)ほぼ建設完了のものが完了できなくなる
などが考えられます。

このように五つのケースを考えますと,その対処方法は異なると考える方が普通ではないでしょうか。

例えば,
(5)は金額にもよりますが,完了するのが妥当でしょう。
(4)は中止できるものか判断が必要でしょう。
(3)は敷地の買収など道路建設に必要なものに既にお金をかけているでしょうから,中止が得策か判断が必要となるでしょう
(2)は敷地の買収などに既にお金をかけているでしょうが,中止も考えられるでしょう
(1)は計画段階ですから中止もありでしょう

このように考えますと,今後お金の見込みができなくて道路ができなくなると言っているのは(3),(2),(1)のことのように思えます。

(3)は暫定税からのお金があてにできないからと言って直ぐに中止とはできないものもあるでしょう。
(2)も直ぐに中止できないものがあると思われます。

そうしますと,直ぐに中止できる可能性があるのは(1)でしょう。

まさにこのことが今後道路建設ができなくなると言われていることなのでしょう。

このように考えますと,暫定税を廃止するには,廃止と何か他の施策を一緒に行うことが必要と思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-02-12

反対している知事さんへ

ガソリンの暫定税の廃止について大多数の知事が反対されています。

何故なのでしょうか。

確かに長年計画を立て,着工準備段階のものや,着工開始するものや,着工済のものなどの道路があるはずです。

その建設をあてにしている会社も多いはずです。企画段階から協力している会社も多いでしょう。

このようなことになっている地方自治体の長としては,収入としてあてにしている税が廃止されては計画が実行できなくなり県民からの期待に応えられなくなるということなのでしょう。

利害にからむ長としてはそのような考え方もあるのでしょう。

しかし,このような考え方に面と向かって議論を仕掛けているのが,この税の廃止のように思えてなりません。

いかがでしょうか。

2008-02-11

自治体の建物は高すぎでは

岩国市の市庁舎81億円,群馬県庁の総工費444億円などと報道されています。
ちなみに建物の高さは29mと127mです。

庁舎の建築にお金を掛けすぎではないでしょうか。

自治体の収入が少なくなっている現状で,その維持費も膨大なはずです。

普通,建屋の10%程度の1年の維持費になると思いますが,5%としても4億円なり,22億円となります。

建築時の費用もさることながら,維持費は年々かかりますから膨大な出費となるのです。

この辺りのことが報道されていませんが,この費用も無駄につながるものだと思います。

建屋の高さも維持費がかかる要因の一つです。

高くなれば,広さも大きなものになりますから,昼でも照明やエアコンが必要であり,掃除の費用もばかにならないはずです。

つまり建築費用の節約が話題になりますが,それだけでな立てた後の費用も含めて事実を知って判断することが必要だと思いますが,いかがでしょうか。

横浜市も市庁舎を作ろうとしています。

是非,計画に当っては建築費用だけでなく,維持費も入れて開示され,判断できることを期待したいと思います。

2008-02-09

無党派層とは何なのか

選挙になるとマスコミは既成の政党を恒常的に支持していない選挙民を無党派と呼んでいます。

この無党派のことが選挙を介してではなく,社会保険庁問題や暫定税制問題などの答弁を聞いて感じることがあります。

党派に属すというのは,主義主張と言った考え方にのとって行われることだと今まで思っていました。

しかし,既存の党に属したり,支持したりする方々の発言を聞いていますと,その辺りのことが希薄のように感じます。

党派に属している方々は,ただただ自分の党派の主張を弁護するに終始しているように思えるのです。

それも理由にならないような論理の展開です。
その論理の裏にあるいのは利害なのかなと思ってしまいます。

例えば,道路であれば工事予算の確保です。

このように考えてくると,党派とは利害がはっきりしている方々の集団であり,無党派とは利害をあまり意識されていない方々というように区別することができるように思います。

つまり,利害をあまり意識することなく判断する集団こそ,無党派層と考えることができると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-02-07

「食料の自給率の向上を」に対するコメント

輸入された食料の安全性の報道の中で,わが国の食料の自給率も問題になっています。

40%を割っている現状を打破する自給率向上策が必要だ,というのが話題だと思います。

どうすればという前に現状の農業が魅力ある職業なのかを考えることが必要ではないでしょうか。

絵の世界で言えば,絵を描く能力を持った人材が画家になるよりも,アニメーションやマンガ作家を目指すのは,そこに魅力ある仕事があるからだと思います。

これと同じように農業という分野を魅力あるようにしなくてはならないでしょう。

魅了あるものにと言っても多くの課題があると思いますが,ここでは仕事の仕組みを取り上げたいと思います。

それはサラリーマンスタイルの導入ができないかです。

定時出勤,週休,有給休暇がある仕事の仕組みです。

輪番の導入なり,代行なり,いろいろな仕組みを考えなくはならいとは思います。

しかし,この辺りのことに新しい仕組みが導入できるようになれば,農業を再度考えてくれる若者が出て来るように思えるのです。

今農業を行おうとする若者は現在の仕組みでも入って来るとはおもいますが,自給率を上げられるまでの人材をこの分野に来てもらうためには,斬新な枠組みの検討と,提供が必要と考えますが。

いかがでしょうか。

2008-02-06

表面が同じだからといって内容まで同じと考えるのは早いのではないでしょうか

中国の輸入食品が問題になっていますが,そのことは次のように考えるとあまり不思議なことではないのではないでしょうか。

輸出する食品は,国内の事情とは別に,輸出する国の事情に合わせると考えたらいかがでしょうか。

何年か前の日本と・・・,という考え方は国内の事情を言っており少しニュアンスがあると思います。

つまり,出来上がった製品は輸出する国の製品と同じような製品でなかったら,輸入した国では受け入れられないはずです。

同じような形態をとっているからこそ,輸入した国で作られた製品と同じレベルのものだと判断するからです。

それは見た目を言っています。
包装だけではなく,材料表示や中身の形態も含めてです。

しかし,問題はそこではなく,製品の内容(中身の)製造過程における衛生感覚の問題ではないでしょうか。

衛生面を製造工程の仕組みだけで解決することが困難なことは,品質の確保のための国際標準(ISO9001)に従って作成された方法で処理したとしても必ずしも品質を保つことができないのと同じことだと思います。

つまり衛生面の解決には,個々人の衛生感覚があるレベルまで到達することが必須のように思えるのです。

わが国の衛生面がよくなるまでの時間をご存知の方が,一寸思い浮かべればその辺りのことはご理解いただけるのではないでしょうか。

包装などの目で見えるところは輸入する国と同一のことが行われ,中身の衛生面は輸出する国の人々の衛生感覚に依存するということではないでしょうか。

それはせめられることではなく,このような事情から輸入する国の方がそのことを理解してしかるべき対処を行うことが必要だと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-02-05

報告したら即応答が必要ではないでしょうか

また報告に対して適切な対応ができなかった旨の報道が行われています。

食材の不具合であり,食材の偽装などです。

それに関してマスコミなどであまり取り上げられておりませんが,簡単にできることがあると思います。

以前に,知人から聞いた話があります。

それは,米国ではビジネスパーソンとしてメールを受け取ったら,即座に応答メールを出すと信頼されるという躾のことです。

「メールをお受けしました。」でも「検討に少々お時間を下さい。」程度の返信でいいから一次の応答を行うということでした。

そういえば,コンピュータの世界で「Open」「Close」という対にした処理があり,ある処理を行うに当って「Open」を行ってから処理を行い,処理が行った後に必ず{Close」を行うという規則があります。

このような処理を行うのは,日頃の行動の中に同じようなことがあるからかもと思ってしまいます。

わが国のビジネスの世界でこのように応答を返すことがどのくらい実践されているでしょうか。

日々のビジネス世界であまりにも行われていないというのが実感です。

社内の部門間で「お客さまからのクレーム」を報告した場合も,状況を報告して検討してもらう場合にも,応答が返されることは大変少なかったということを数多く経験してきました。

その結果は,処理が遅くなったり,忘れられたり,悪い結果になってしまったことが多かった記憶があります。

行政の怠慢を怒る前に,報告などの行為に対して,それに対する応答を即行うことを求めることが重要ではないでしょうか。

このことだけでもよい方向になることが数多くあると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-02-04

規制緩和時には法律の改定が必要では

規制緩和でいろいろなことろで問題が発生しているのではないでしょうか。

規制緩和はなんでも行政に頼らず,自制された市場の活性化に重要なことだと認識しています。

しかし,自制されず,ただただ野放し状態が発生しているように思えてなりません。

そこでですが,規制緩和には他のことが同時に行われることが必須なのではないでしょうか。

それは法律の改定です。

自ら律しなくてはならない,規制をとかれた市場でありながら,律することができないでのですから不正を行った者にはそれ相当の罰が与えられてしかるべきと考えます。

規制緩和は,刑法の改訂を伴って行うとべきと考えますが,
いかがでしょうか。

2008-02-01

現在に体質はどこに起因しているのか

一定額の予算での道路の建築,会社の偽装,特別予算の無駄使い,地方自治体の無駄遣いなど,問題が山積して来ています。

これらは,誰が悪いとか,政府や行政が悪いとか,マスコミ辺りを中心に報道されています。

そのような報道がされると,眼はどうしてもそこに注がれます。

本当にそこが原因なのでしょうか。

今こそ,よく考えるべき時代ではないでしょうか。

次のような仮説は立てられないものでしょうか。

・個々の人々や,組織が悪いと言う見解は,表層である。
・悪さを支えるのは個人や組織だけではなく,主には法律である
・法律は国会で決められており,多数与党の支持基盤に有利になりがちである
・同一資質の与党が60年も君臨すると『澱』がたまる
・上位の階級に生き残る官僚は与党の眼にかかる人材になりがちである

このようなことが現在問題になっている元凶になっていると考えるのは,偏っている見方でしょうか。

何かこの辺りに問題があるように思えてなりません。

いかがでしょうか。

2008-01-31

輸入物の受入には輸入業者が責任をもってほしい

輸入食品による被害がでていますが,輸入元の国を責める前に輸入業者の責任も俎上にのせるべきではないでしょうか。

輸入元の国がどのような程度の検査をしているとしても,輸入している業者が検査を怠るべきではないのではないでしょうか。

さらに契約して相手業者に製造を委託する場合には,製造工程のチェックも輸入業者が行うことを義務付けるべきではないでしょうか。

つまり相手が検査してくれているという前提で業者が輸入しているとしましたら,個人で輸入している場合と同じレベルになってしまいます。

業務で輸入する場合には,輸入業者が責任を果たせるような枠組みを用意すべきではないでしょうか。

いままではさておき,これからは食品を輸入する組織が責任を果たすことを厳密に求めていくべきではないでしょうか。

今まで通りの継続ではなく,真にあるべき姿を求めていくべき時期に来ていると考えますが。

いかがでしょうか。

2008-01-30

超勤問題を豊かな生活を取り戻すにはという話題に変換できないものでしょうか

超勤が話題になっていますが,超勤問題を豊かな生活を取り戻すにはという話題に変換できないものでしょうか。

一日一日の家族で一緒に過ごす時間を失うことによって,『豊かさ』も失っていることはないでしょうか。

超勤は仕事の都合,昇進へのチャンスなど,いろいろな要因からなる問題だとは思います。

超勤は個人の問題であることよりも,会社などの組織,社会の問題だと思います。

つまり,働きすぎのを問題を解決するには組織,社会の方からの働きかけが必須なのではないでしょうか。

つまり,働いている人々を管理する人々の意識と行動こそその解決策の糸口だと思うのですが。

いかがでしょうか。

『はやく帰ろう』運動なども有効かもしれません。

是非,上に立つ人々から『早く帰って家族と時間を過ごしなさい』というような発言を期待したいものです。

2008-01-29

ガソリンの暫定税の使い道について

道路の建設だけに使われることになっているガソリン関係の暫定税が地方の財政に影響すると複数の知事から発言されています。

何かしっくり行かないのは私だけでしょうか。

この税が道路の建設関係しか使うことができないということは,まずその交付金は地方の道路建設・補修などに使われることを言っているのでしょう。

また道路建設予算の原資があてにできなくなるのであれば,どうしても必要な道路を建設するには,一般予算からその予算を捻出することが必要になり,結果的に他の教育,福祉の予算が圧迫されるということを言っているのでしょう。

この論理の展開には,そうなんだろうなと頭では理解できるような気がします。

しかしよく考えてみますと一寸ひっかるところがあります。

そんなに道路を建設することが必要なのかと言うことです。

他のものに優先して財源を当てにするのですからそうなんでしょう。

このように考えていきますと,税の存続・廃止を考えるには,この辺りのことをじっくり考えてみることが重要ではと思えます

まさにこの時期に考える題材として,適切なものであるように思えてなりません。

いかがでしょうか。

2008-01-28

選挙権を行使してもらいたいものです

過去最低だった前回を8・46ポイント上回った48・95%の投票率で大阪府の知事が決定しました。

これだけ政治状況に変化の兆しがあるのにもかかわらず,何と低調なことでしょうか。

国レベルではなく,課題が山積している地域レベルの選挙ににもかかわらず。

地域の課題は,地域の方々の知恵と行動によってしか真の解決にならいのではないでしょうか。

真の情報は,地域の居る方々のみが感じ取れるものであり,他の地域からは上辺の
情報をマスコミを通じてしか知ることができないのです。

適切な情報を持ったものが行動を起こす時に初めて,知恵が反映され,解決の道のりを歩めるようなるのだと思えてなりません。

地域レベル選挙こそ,地域の方々自ら行動を起こして欲しいものです。

いかがでしょうか。

2008-01-25

トップには決断された経験が必須では

日々与党の長の批判がマスコミで報道されています。

決定権を握っている『長』のスキルには,決断の経験が豊富であることが必須ではないでしょうか。

豊富の中には当然失敗の経験もそれなりに多数踏んでいることが必要と思います。

そのように考えました時,現在政治を司っています『長』の方々にそのような経験なりスキルなりが備わっていると思われるでしょうか。

サラリーマン生活で『長』を経験された方々なら容易にご理解いただけるのではないでしょうか。

現在の政治家は以前でありましたら社長なりの経験を持った方々が多かったのに対して,官僚や弁護士,若くから代議士を生業にしてこられた方々などが多くなっていると思います。

その方々が大きなことでの決断の経験は比較的に少ないと想像できるのではないでしょうか。

現在のトップのありようには,決断の経験の少なさに起因していると考えるのは短絡しすぎでしょうか。

一方,スキルのある方々がその世界に入ろうとしなくなったこともあるのかもしれませんが。

2008-01-24

マスコミの報道について

毎日,親族などを殺める事件や飲酒運転などが同時に複数報道されています。

どこのTV局の報道も『ありのままに真実を伝える』との姿勢からか,的確なコメントも加えず報道されています。

真実の垂れ流し状態ではないでしょうか。

30数年ほど昔,マスコミ論の論陣だった方々がこの辺りのことを議論していたことを思い出します。

今その方々はどこにいったのでしょうか。

真実を報道するということと,どのように報道すれば抑止されるのかは異なる軸だとは思いますが,これだけ同じ内容の報道が同一局で早朝から3時間程度の間に10回以上繰り返し報道されているのを目の当たりにしている今日,何か新しい報道の試みがあってしかるべきではと思うのは私だけでしょうか。

『垂れ流し』が真実だとしたら,類似の事件の裁判結果を真実の情報として流すもの手ではないでしょうか。

全ての抑止に有効とは考えてはいません。
多分2,3割以下でしょう。
しかし,もしも効果が出ればと思えてなりません。

刑が軽いか,重いかも考える契機にもなるのではないでしょうか。

今こそ『マスコミ論』を専門にされる学者の方々からの新しい報道の仕方の提示を望みたいとおもいますが,いかがでしょうか。

2008-01-23

官僚の方々の能力を最大限に活用するには

与党に擦り寄る政策を策定する官僚の方々の見識力を最大限は反映できる環境を整える方法を考えたいと思います。

その方法は官僚組織を変更することではないように思えてなりません。

また米国のように長(大統領)が変われば,その官僚も変わってしまうようなこともわが国では受け入れられないでしょう。

最もすぐにでもできるのが,与党と野党がいつでも逆転できる政治環境を実現することのように思えてなりません。

その梃子になるのは有権者自身です。

まず行動しなくてはならないことは,官僚の方々の姿勢なりを言及することではなく,有権者自らを言及することではないでしょうか。

そしてその方法は,他者ではなく,自分を追い詰めることだけでできるからです。

いつでも逆転できる環境が整えれば,自分の保身のためではなく,また擦り寄る政策の策定ではない,国の政策としてあるべき姿を描いてくれる可能性があるからです。

サラリーマン生活を長く過ごして来ました経験から,長くとどまった上司に対しては,ついつい取り入るような姿勢を見せてしまうのが常ではないでしょうか。

そのようなことを踏まえますと,上司に取り入ることなくいつでも真に考えたアイディアを直言できる環境を整えることこそ,官僚の方々の能力を最大限注入された,グローバルで,先陣を切った政策の策定・実行が可能になると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-01-22

真の政策策定の可能性を求めて

今,ガソリンの暫定是率の話や,地方自治体での税収のありかたなどが注目を集めていますが,わが国に必要な施策はどのようなものか現在の政治に依存することなく策定して欲しいものです。

以前に中間層の官僚の方と話す機会がありましたが,その時は大局観のある意見をお持ちになっていると感じました。

しかしその大局観に裏打ちされた施策が政治の中で実行されているとは思えません。

それらはどこに行ってしまったのでしょうか。

このことに対して,次のような仮説は立てられないでしょうか。

施策提案を与党に行うトップに近づくにしたがって,与党よりの意見に集約され,大局観のある施策が希薄になって行ってしまうのではないでしょうか。

与党が長年変わらずにいるわけですから,トップ周辺には与党に近い意見を持っている人材が配置されてしまうのではないでしょうか。

大局観があり真に有効な施策が策定され,実行される可能性をもとめるなら,与党の価値観に左右されずに官僚の力量が発揮でき,あるべき姿をもとめた施策が策定できる環境を早期に整えることが必須と考えますが,いかがでしょか。

2008-01-21

ガソリンの暫定税率の廃止と地方財政について

ガソリンの暫定税率廃止の議論の中に,地方財政とのからみがでてきています。

この廃止が地方財政を圧迫するとの意見が多数出てきています。

道路予算がつけば,道路に関係する事業へマネーが動くのに,それが断ち切られるということなのでしょうか。

道路を整備するには,道路工事を請負う企業,ガードレールを販売設置する企業,信号機を納入する企業,セメント業界など多くの企業にマネーがまわるので,その辺りが考慮されているからなのでしょうか。

このようなことが行われなくなることを,地方財政の圧迫と言っているのなら,残念ですね。

地方の財政的な活性化がこのようなことで行われるとしたら,あまりにも寂しいことではないでしょうか。

地方を良くするには,地方の方からの知恵が必要でしょう。
しかもマネーが動く経済活動を創生しなくてはならのではないでしょうか。

今の動きはあまりにも知恵が働いてないと思えてなりません。

マスコミやコメンテーターの方々の知恵を拝借したいものです。

2008-01-19

切れることを防ぐには

最近『切れる』ことが問題になっていますが,コンテーターなどはその原因をあまり解説しようとしていないのではないでしょうか。

この件に仮説を持っています。

日頃の『注意』を皆が怠っているからではないでしょうか。

例えば,「電車の中で携帯電話の使用」のケースがあります。

携帯電話を電車の中で何回使用しても周りのだれからも注意をされていないとします。そしてある時に『注意』された場合,「なんで!」とならいでしょうか。

いままでだれからも『注意』されていなかったし,他の人も『注意』されていないのに,何で今自分が『注意』されなくてはいけないの。

ということになるのではないでしょうか。

このようなケースは携帯電話以外でもあるのではないでしょうか。

ちょっとしたことに対して,日頃頻度高く『注意』することが必要ではないかと考えています。その積み上げが『切れる』ことを防ぐ重要なことではと思えてなりません。

他のケースもそう思うのですが。いかがでしょうか。