2015-10-15

東京都のロゴに一言

東京都知事に一言。

「なんてことだ!」と言うことにつきます。

何であんな単純なロゴに他人または他のロゴなどに似たものを選んだのか、と言うことだ。。

「一般的だから問題ない」じゃないのではないのか。

反対になんで創造的でないものを選ぶ必要があったのか、と言うことです。

あんな単純なロゴを選ぶのであれば、デザインする人がオリジナルに創ったものを選ぶべきではなかったのか、と言うことです。

そうではないでしょうか。

知事は先日の言い訳は的を外れていると思うのです。

どうも先日のオリンピックのエンベルムの問題をちゃんと咀嚼されていないのではないでしょうか。

それしか考えられません。

いかがでしょう。

2015-09-29

太田市図書館のロゴの問題に一言

太田市の図書館のロゴが問題になっています。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1508/18/news107.html

このことに対して一言いいたいことがあります。

それは、このロゴの問題は東京オリンピックのエンベレムとは異なるパクリだということです。

こちらはコンセプトのパクリです。

「黒丸」と「縦線」との組み合わせによるデザインのコンセプト自身のパクリです。

一方、オリンピックのエンベレムの方はデザインそのもののパクリです。

コンセプトだからよい、デザインだからよくない、という問題ではありません。

この辺りの事をデザイナーなり、デザインを専門にされている専門家からコメントがないことが問題を長引かせていると思います。

パクリには、そのものを対象にしたものも、コンセプトを対象にしたものがあるのです。

ともにパクリで許されるべきでないと思います。

どうして専門家の皆さんは口を閉ざしているのでしょう。

まったく理解できません。

いかがでしょう。

他人の作品でなく、自分の作品がパクられたなら、訴訟も考えるでしょうに、と思うのですが。

デザイン界がパクリの幾つかのパターンを持っていなようでしたらび美術の教育を担っている専門学校や大学などがデザインのリテラシーを明確に伝授していないからではないでしょうか。

専門家のコメントを期待いたします。

http://www.asahi.com/articles/ASH915GVPH91UHNB012.html

2015-09-14

デモだけでなく必ず選挙に行って下さい

デモに行くことだけに満足することなく、選挙に行くようにして下さい。

今回の法案は参議院で可決される可能性が高い状況です。

絶対! 挫折のような状態にならないで下さい。

このような状況になったのは、与党が過半数になっていることにあります。

この原因は投票率の低さにあります。

前回、第47回衆院選挙の投票率は戦後最低の52.66%、第23回の参議院の投票率52・61%でした。

二人に一人が投票に行っていないのです。

特に若い方々が投票していないようです!!

デモに参加したのであれば、絶対投票に行くべきです。

そう言っては申し訳ありませんが、デモで反対の個人の意思表示ができたとしても、廃案にするようなことは絶対できません。

デモで燃え尽きないで下さい。できないことを意識して下さい。

意思表示は投票行動で示すことです!!

投票できる立候補者がいないとよく聞きます。

今の政治は選挙に勝ち取った議員の数で左右されるのです。

この数で現在のような状況が生まれていることを、冷静に理解して下さい。

数でしか解決しません。

だれもいないから投票に行かないでは駄目なのです。

そんなこと言っていないで、政党を選んで投票すべきです。

これしか阻止できる方法はありません。

数を増やすことを意識した投票行動をすることです!!

挫折することなく、現在を継続できる行動をとるべきだ思うのは私一人でしょうか。

2015-09-05

「他の審査委員は知らなった」 問題はそこではない

原案を2度修正したとのことを「他の審査委員は知らなった」との報道があります。

問題はそこではないと思うのですが。

確かに、修正の事実を知らせてなかったことは問題でしょう。

その前に原案と異なるものが公表されたのですから、修正されたことを知らされていない審査員は、即公表された時、そのことを問題にしなくてはいけなかったはずでしょう!

そうではありませんか!

いかがでしょう。

その時点のことをとやかく言う前に、問題にしなくてはならないことがあるのではないでしょうか!

それは、原案の段階で2年前のポスターに酷似していることをです。

そうではありませんか!

胸に手をあてて考えて下さい。

このことは決して模倣したということでは無くです。

商標にあるようなのでと言う前に、若手というか、中堅の審査員は「似ているのでは」位の見識を発揮すべきだったのではないでしょうか。

商標だけを検索するなどと言った、たわけたことを言っている前に、自分たちの見識だけで発見できたはずです。

何かを専門にしている方々は、その分野のことには当然アンテナが高く、何でもとは言わないまでも結構最近のことは知っているのが当たり前です。

2年前の重鎮とおぼしき方の展覧会であればそこに使われていたパターンには見覚えがあるのが当たり前でしょう!!

どうではないでしょうか!

そう思えば、思うほど、問題は「他の審査委員は知らなった」 ではないと思うのは私一人でしょうか。

若手、中堅の今回のエンベルムの審査員の方々の発信を期待いたします!!

本当のところを! です。

よろしくお願いいたします。

2015-09-04

ゴールを見ていない -指摘すべきでは!

昨夜のゲームもゴールがあまりにも少なかった感じを抱きました。

キックする時にほとんどゴールを見ていないで、感で蹴っているように観えます。

どうしてこの辺りを指摘しないのでしょう!

ヨーロッパの試合を観ていても、足元を見て蹴っているシーンはあまりありません。

超一流の選手のなかにはゴールに顔を向けることなく、しっかり点を奪っていることもあります。

しかし私が観ている限り、ゴールを観てからキックしていることがほとんどです。

昨日の試合のように蹴ってからゴールを見ても遅いです。

私の観ている限り、日本チームはずっとそうです。

どうして監督なり、コーチはこの辺りを指摘して是正しないのでしょう。

こう思うのは私一人でしょうか。

サッカーに熟知されている方々からの発信を期待します!!

2015-09-03

彼はそういうデザイナーなのでしょう

毎日、「デザインまた「酷似」」ということが出ています。

彼はそういうデザイナーなのだと思った方がよさそうに思います。

完全に同じものでなければオリジナルだと、お考えなのではないでしょうか。

確かに特許で、既知の技術なる手法を組み合わせて、既知ではない新しい効果なりが出る発明は、新しい発明とされることがあります。

新しい効果が必要は必要ですが。

デザインもそのように考えておられるのではないでしょうか。

そう考えた場合、デザイン分野でのオリジナリティーをどのようにお考えになっておられるのか、一度訊かれることが必要と思うのですが。

いかがでしょう。

この辺りが少し違うのではないでしょうか。

もしもデザインの世界のオリジナリティーの考え方が、完全コピーでなければ、オリジナリティーがあると考えるとしたら、あり得ないことだと思うのです。

更に自分で新たに考えたものと同じようなもの(類似、酷似)が既に存在した場合の考え方ですが。

オリジナリティーはあったにしろ、似ていて二番煎じになってしまった場合に、彼の世界ではどう考えるかです。

知財的に考えると、二番煎じ的なものは独創性はないものと扱われます。

つまりオリジナリティー性はないもののように扱われるのです。

この辺りが彼の、いや今回の審査会のメンバーの考え方に、乖離があるのではないでしょうか。

審査員はとても立派な足跡を持っておられる方々であり、デザイン界の長老達や中堅の精鋭達です。

彼らが、彼が真似はしていないとの発言に同意していることは、この辺りが知財の常識と異なるのではないでしょうか。

もしもこのような考え方であれば、この世界は公知になっている作品と似ていても、関係ないと考えているとしか思えません。

この辺りが問題だと思うのですが。

いかがでしょう。

問題にすべきだと思うのですが。

一方、彼は多摩美大の教授でもありますから、講義の中で、デザインにおけるオリジナリティーをそのように、つまり彼が実践しているようなことのように教えているのではと思ってしまいます。

講義を受けておられる、おられた方々はどのように聴かれておられるのか、発信していただきたいと思うのですが。

2015-09-02

第一には審査委員会の責任があるのでは

当事者はパクっていないと主張されています。

といっても、最初の案は2年前のポスターに良く似ています。

二番煎じになっていると思います。

つまり本人が全く模倣をしていなからと言って、オリジナリティーがあるとは言い切れないのではないでしょうか。

つまり、こうです。

誰も思いついていないパターン(デザインした物)を作成し、公表されたものにオリジナリティーがあると思うのがアート(デザインも含めて)の世界の常識ではないでしょうか。

そう考えると、今回のエンベルムの公表以前に似たものがあり本人が気付いたらその時点で、以前に公表されたデザイナーに対するマナーとして自分から辞退するくらいの姿勢があってしかるべきではないでしょうか。

プロとして名声のある方ならそうされるべきだった、と思うのは私一人でしょうか。

そうできなのなら(現実、そうできなかった訳ですが)、審査委員会がそういう態度で臨むべきだったのではないでしょうか。

それもこの時点ではなしに、審査を行っている時にですが。

似たものがあるか分からないとの見解もあるように見受けましたが、今回のような似たものは長年プロのデザイナーで飯を食べてきた、見識がある方々が審査員に選ばれているわけですから、今回指摘されている作品は当然ご覧になっていてしかるべきだと思うのです。

見ていないとしたら、審査員として選ばれてはいけない方々が審査していたと思わざるを得ません。

プロであればつねにアンテナを張っていて、発表・利用されている作品を見ようとするのが嵯峨だと思うのです。

何を言っているのかといえば、本人が模倣をしていないと主張されていて、似たものがあった場合には先行者に敬意を払い、審査委員会なりが選考外にすべきだったと思うのです。

水掛け論になりやすい、模倣をしたか、しないかをとり上げる前に、そのような決断をすべきだったと考えます。

このような判断ができない、最低この10年程度の多くの作品を見ておらず、素人が探し出せるような似たものを知らぬ存じぬと言うような審査員はデザイナー界から永久追放すべきではないでしょうか。

今回の賞金(?)の100万円はデザイナーに支払われないとありましたが、既に支払われているであろう審査員の報酬も返還していただくようなことも言及すべきと思うのですが。

いかがでしょうか。


2015-08-31

審査委員への報酬も問題にしないと

2020年東京五輪公式エンブレムのデザイン問題は相も変わらず続いておりますが。

審査委員への報酬のことも問題にしないといけないのではないでしょうか。

審査委員も多額の報酬をもらっているはずです。

さすが金額は公表されていないようですが。

審議委員などになれば数十万以上は数百万円の報酬が支払われていると思います。

是非この辺りの金額はよく知っておられる方の発信を期待します。

何かにつけて支払われているのです。

審査に問題があれば、そこで支払われた報酬も返還させるようなことが必要だと思うのですが。

いかがでしょう。

いつも賞などを貰った方だけが責められていますが、選考された方々にも責任の一端はあると思うのです。

審査をされるような方々はそれなりの見識をお持ちでおられるから選ばれているはずです。

日頃ご覧になっているパターンは頭に入っているはずですし、知らなかったとは言えないような方々です。

素人の方々ではないのです。

是非今回の問題をデザインされた方だけを対象にするのだけでなく、審査された委員の方々も同じように対象にするべきと思うのですが。

いかがでしょう。

その時、税金から支払われた多額(もちろん何億円ではないにしろ)審査委員の報酬の返還も考えるようなことが必要と思うのは私一人でしょうか。

2015-08-15

2020年東京五輪公式エンブレムをデザインしたアートディレクターに一言

今回のバックのデザインへのかかわり方に対して貴方は監修ということになっています。

監修は「著述・編集などを監督すること」であり、監督とは「取り締まったり、指図をしたりすること」、「グループやチームをまとめ、指揮・指導する役の人」です。

会見の内容を読みますと、何か第三者的です。

監修される立場での他の作品に対する見識がなさすぎます。

監修を、ただハンコを押すことを役割とお考えなのでしょうか。

作品の原案を作製される以上の見識が求められる役割だと思うのですが。

このような方が審査員をされているとの履歴を見ますと、オリジナリティーをなんと思われているのかと考えてしまいます。

自分の作品を他の方から今回と同じようにされたら、どのように発言されるのだろうと思ってしまいます。

監修の立場だからこのレベルの責任範囲だとお考えなら、是非自分がされる立場ならどう思うのか考えることが必要だと思うのですが。

いかがでしょう。


2015-08-13

高村氏の発言に対して一言

『安全保障関連法案を審議する参議院の特別委員会で、先に、外国軍隊への後方支援での武器や弾薬の輸送について、民主党の議員が、法案上、核兵器の運搬は可能になるのかと質問したのに対し、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、排除されないという認識を示し、「非核三原則があるので、想定していないし、ありえない」と強調しました。
これに関連して、自民党の高村副総裁は松江市で講演し、「非核三原則を持った日本が、核弾頭をアメリカのために運ぶことがありえないのは日本人の常識であり、無意味な議論をして不安をかきたてるのはやめてもらいたい」と述べ、民主党を批判しました。』
との記事が報道されました。
 
この発言の、「非核三原則を持った日本が、核弾頭をアメリカのために運ぶことがありえないのは日本人の常識であり」
の部分に見過ごすことができないことがあります。
 
アメリカから我が国に核弾頭を運んで欲しいなどと言われるかです。
 
まずないでしょう。
 
有ったとしても両国の政府は知らないことにしましょうとすると思います。ビジネスの世界でもあり得ることですから政治の世界では無いとする方が現実的ではないと思います。
 
そのように考えるのは私一人でしょうか。
 
核弾頭を運んで欲しいと米国が思た場合、誰にも分からないようにした形(第三者に分からないようにするのが世界の常識であり、核弾頭ですと明示することなどあり得ません。
 
いかがでしょう。
 
それが常識です!!
そうでありませんか!
 
現在の与党はあまりにもひどい論理を展開していると思うのですが。
 
そうは言っても選挙になれば集票する訳ですから、選挙人もその論理に加担していることになります。
 
おかしいと思われている方々は、あきらめることなく選挙の時にはそのことを考慮して投票しましませんか。
 
 

2015-07-17

昨日の安藤氏の発言に一言

新国立競技場のことですが。

昨日の安藤氏が「コンペは建設コストまで考慮して選んでない」との趣旨の発言をされていましたが。

えっ! て感じです。

安藤氏は意匠設計をされている建築家ではなく、工学的なアプローチをされているアーキテクトではのではなかったでしょうか。

工学の建築分野であれば、コンペは建築コスト、維持費、メンテコストなどコストを意識した判断をするのが当たり前ではないでしょうか?

いかがでしょう。

しかし今回のコンペはコストを考えずに選考されたとなれば、「意匠だけで?」と疑問がでます。

建築の専門家が審査委員となり、選考されたのでしょう?

それでいてコストは考えないとは、まったくあきれた選考と言えないでしょうか。

また建築家の専門性を疑いたくなります。

言い方はきついですが、コストを考慮しない工学系の建築家は建築の専門家として位置付けることをやめていただきたいです。

1000億レベルの話には出てきていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

いかがでしょう。

昨今の専門家への疑問符は原子力分野だけでなく、建築の分野までも、と言うことが今回のことで炙り出されました。

このようなことが続くと防衛論の専門家もか? と思ってしまいます。



2015-07-16

デモもありますが、次回以降の選挙に行き続ける行くことです!!

今回のこともデモでは阻止できません。

なにしろ選挙に必ず行き続けることです。

デモの様子この50数年観てきていますが、全く実効的効果はないと踏んでいます。

いかがでしょうか。

だからと言ってデモをする必要はないと言いたいのではありません。

デモに行くモチベーションがある方々は、是非選挙に行って現在思っていらっしゃることを投票用紙に書いていただきたいのです。

雨が降ったから、用事があるから、面倒だからと言わず行っていただきたいのです!

これしか我が国を変えることができないのです。

投票率を下げれば現在の与党の政治家を相対的に多数にするだけです!

この辺りのことを感じていただきたいのです。

デモに行くようなら、選挙には欠かさず行くことです。

以前にも書きかましたが、投票日以前にも投票できるのです。

自分の都合の付く日時に決められた投票所に行き、投票日と全く同じ条件で投票できます。

その際、その場で何も問われることはありません。

面倒だからと言わず、必ず期日前投票を利用して投票しましょう!!

期日前投票のことは個人あてに来る選挙の通知書(入場券)の裏に書いてあります。

詳しいことを知りたい方は自治体などのHPをご覧ください。




2015-06-28

自民党支持の若い方々へ

いろいろと議論が白熱していますが。

第二次世界大戦開始から終戦後の三十年程度までの歴史を紐解いて下さい。

特に東南アジアでの日本のやったことがらをです。

慰安婦問題とか、数十万人ではないとか言うことに眼を奪われるのではなしに、つまり定量的ではなく、定性的にです。

量の大小は、やったことの残虐さや、理不尽さとの関係は薄いと思うのです。

例えば、戦争に勝った負けたといっても共に戦死者がいて、その家族なりは悲しみにくれます。

どちらも同じです。どちらが悲しく、どちらが悲しくないなんてことはありません。

どうも昨日の沖縄のマスコミのことなども、現在までの背景をあまりご存じないからではないからではないでしょうか。

定量的に観ているからのように思えてなりません。

多いか少ないかを考える前に、定性的にありのままに観ることです。

政治家の皆さんに、この7、8十年の戦争だけでなく、生活の近辺も含めた歴史的事実を知っていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

2015-02-27

与党の政治家が受け取っているお金は?

また毎日のように、国から交付金などでお金が渡っている組織なりから与党の政治家に渡っているとの報道のお金の件ですが。

いかにも個人や組織の財布から渡っていると考えがちですが。
待ってください。

そう考えるのは早すぎると思います。

疑義があると思います。

それはこのような仮説です。

・交付金なりが予算に計上される場合、さすが政治家本人ではないにしろ、その代議士の秘書が受け取り側に、受領したらその5〜20%をバックするようにネゴします。

・その場合、振込詐欺と同じような手口で、特定の口座の番号が渡されます。

・勿論、その口座の名称はどこだか分からないようなものです。

このような仕組みでお金が流れてはいないでしょうか?

思い当たる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

またマスコミの方もご存じなのではないでしょうか?

このようなことが報道される度に、表面的なことだけでなく、構造まで追求して欲しいと思うのは私一人でしょうか。

もしも仮説が当たっていれば、国庫に入った税金を掠めていることになるように思うのですが。

いかがでしょう。

2015-01-29

連鎖を止める方法を皆が出すことが必要では

観ていて、国連などはどうもあてになりませんね。

国連ってどういったミッションを果たしているのでしょう。

そうであれば、我々人ひとりができることを考えなくてはならないのではないでしょうか。

連鎖が止められる方法を!!

ベトナムに行った際、言われたことを思い出しています。

こう言われました。

「戦争は被害者だけでなく加害者も同じだ」
「勝っても何にもならない」
だった。

国の戦いでは、しばしば敗戦国は犠牲者云々と言うが、勝った方にも犠牲者がいる。

それを忘れてはならないのでは、ないでしょうか。

肉親は、どちらも同じように悲しんでいる。

同じだ!!

是非、国連などを頼らない、連鎖を防ぐ方法を見つけませんか!







2015-01-28

シニアの脳の活性化には遊びと運動だけか

シニア向けの脳の活性化には簡単な算数とか、ひらがなのゲームとか、さらに体操などの運動が、と世間では言われています。

どうして、このようなことばかりが取り上げられているのでしょう。

シニアには豊富な経験と、見聞きしてきたことがあります。

これを活用した脳の活性化はどうして考えられていないのでしょう。

蓄積されてきた知識なりを活用して活性化することを考えたらいかがでしょう。

今までの脳の活性化方法はシニアをばバカにしていると思うのですが。

いかがでしょう。

穿った見方をすれば、脳を使った活性化をさせないようにしているとは言えないでしょうか。

運動と遊びをやたら推奨するのはもう勘弁してほしいとシニアから言うべきではないでしょうか。

現在の世界なり、宗教なり、見主主義なり、戦争なり、原発のことなり、多くのことを、今までの知識を使って自分なりに考えるのも、脳の活性化につながると思うのです。

シニアの方々!
是非そー言いませんか。

2015-01-26

討論のありかたについて

「討論」というと、意見を闘わせることを意味しますが、このような時代を卒業したら、というのが今日の話です。

このところのいろいろな事件を見聞きしているうちに感じたことがあるのです。

それはあまりにも意見のぶつかり合いが多いということです。

内容ばかりか、姿勢も戦っているのです。

討論というと、意見を出し合って行くことを前提にしているようです。

それでいいのでしょうか?
そうではないのではないでしょうか。

話し合い、言い合いなりをする意義を次のようなところに置いたらいかがでしょう。

新しいい意見を創り上げることするのです。

つまり意見を出し合うところは、自分は現在このように考えているとの表明する場とするのです。

そして、出された意見を、自分の意見とどこが違うのか、自分の意見に何が足りないのかを気づくようにするのです。

気づくまで質問なりをすることも重要だと思います。

そうなったら、ある時点から自分の意見を変えてみるのです。

その時の姿勢は、新しい自分の意見を創っていくことにするのです。

つまり多くの意見を戦わせて、その結果、だれも考えていなかった、思いもよらない意見を導き出すのです!!

価値観のぶつかり合いではなく、新しい価値観を創って行くのです。

いかがでしょうか?

国と国、民族と民族、宗教と宗教などの世界にもそのような場を作れれば何か変われるのではと思っています。