2014-04-16

笹井氏は論文の謝辞で書かれる程度の貢献では

本日の笹井氏の会見を聞かせていただき感じたことがあります。

会見の内容から笹井氏は今回の論文の謝辞に掲載される程度の貢献ではないかと感じた次第です。

確かに何か行ったようですが、2か月間の論文の修正アドバイザーであり、直属の上司でないのであれば、研究者の常識としては「謝辞に書いてくれればいいよ」と言って済ませるレベルではないでしょうか。

しかし、論文の内容から世紀の発見だと見定めたのではないでしょうか。

そlこでまさか、謝辞では自分は絡めないと思ったとのではと考えるのは、下種の勘繰りでしょうか。

アイディア、実験は他の人で、単に総括する管理者として論文の書き方をアドバイスする立場でしかなかったとしたら、著者として名前を連ねるのはどうかな、などと考えてしまいます。

査読のある論文では、著者は伏せて査読者に渡されます。

形式上かも知れませんが、査読者には著者は分からない仕組みをとっているのです。

つまり形式的には、世界で有名な笹井氏が著者に入っていることは知られないのです。

勿論、引用論文にそれなりの人の名前があれば査読者には大体推測ができるのも事実です。

しかし今回の会見で、2か月前から絡んでいるとなると、引用文献に笹井氏の名前があるものが数多く掲載されているとは思えません。

ということはネーチャーの査読委員にプレッシャーがかかることはなかったと考えるのが妥当でしょう。

謝辞では済まされないことがあったのではないかと考えるのは、一寸週刊誌的でしょうか。

何はともあれ、早く検証されてSTAP細胞の存在をネーチャーでない査読のある学会の論文誌に投稿することだと思います。

今度の論文はどこが役割分担したところか明確に分かる程度の妥当な人数(例えば5名程度)の著者であって欲しいと思いますが。

いかがでしょうか。

2014-04-03

理研の会見に一言

理研の4月1日の会見は何だったのだろうと感じています。

理由はこうです。

会見での見解は論文の手続きに対しての見解だったからです。

確かに、写真の一部を見やすることとか、違う研究結果の写真を使用していることは何故だったのだろうと思います。

しかしそうは言っても、この見解はSTAP細胞の存在に対して捏造していると言っている訳でないのです。

でもそうでしょうか。

捏造かどうかは手続きがどうかではないと思うのです。

いかがでしょうか。

捏造かどうかは、STAP細胞のあるのかがまず問われることだと思うのです。

捏造という言葉を使うのならそうではないでしょうか。

論文としてのあり方として、あってはならないことがされているのなら捏造と言うのではなく、新発見を発表するには書き方、写真の扱い方に問題がある論文だとすべきなのです。

査読がある学会だったら、査読委員からそのようなコメントが付けられて戻されると思います。

論文の扱いと、STAP細胞が発見されたのかの問題は区別して考えられるべきと思います。

いかがでしょう。

何はともあれ理研としては、論文の体裁に対する見解もさることながら、STAP細胞の存在自体に対する見解を早期に出すべきだと思うのですが。