2008-05-26

電子化には毎年永久に1年10%の保守費用がかかります

電子政府というキーワードで,確定申告や特許の電子申請ができるようになってきています。

電子申請できるようにするためには,コピュータシステムを開発することが必要です。

開発すると聞けば,開発した後には費用がかからないように聞こえるのではないでしょうか。

例えば,3億円の開発費がかかったシステムでは,システムの運用が開始された次の年から開発にかかった費用の10%程度の費用がシステムの保守に必要となることはご存知でしょうか。

道路を建設すると,当然補修費用がかるのと同じようなことです。

道路の補修費用とは違って,コンピュータシステムは必ず開発費用の10%程度の費用が毎年かかるのです。

それもシステムを使う限り,永久にその費用がかるのです。

システムの開発費費用がある年に1000億円かけたとしたら,運用を始めた次の年から100億円の保守費用がかかるのです。

今道路のことだけがクローズアップされていますが,無駄使い相当のことは電子政府にもありえるのです。

闇雲にどのようなことも電子化すればいいと考えることは考え物なのです。

永久に使おうと開発したシステムの場合には,電子化するとそれこそ永久に10%相当の費用がかかるのです。

電子申請もただ便利になるから電子化しようとの判断は,道路と同じように無駄使いにつながることがありうるのです。

是非このあたりのことも知っていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-05-23

給与原資を稼ぎ出すような取り組みが必要ではないでしょうか

大阪府で公務員給与の減額が行われることに反論されている方々がいることが報道されています。

今まさにこの点に関して考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。

北海道の都市の破綻問題も同じ構造にように思えるのですが。

それは何かと言えば,公務員は黒字・赤字にかかわらず給与は確保されていると法律を根拠に考えているのではないでしょうか。

しかし,原資は限られており,給与に回すことができない予算規模の中では,いたし方ないことと考えるの酷なことなのでしょうか。

給与原資を確保するためには,無駄な出費を抑える知恵が必要と思うのですが。

つまり予算計画の時に原資を超え,返せるあても曖昧に案を作成してきたのは,まさに行政のプロでなくてはならない公務員の方々であるはずです。

この場面では,昨年度からの予算規模を踏襲するような取り組みをしていたら,人件費にも影響があると感じることが必要なのではないでしょうか。

低成長時代では原資が少なくなるとの今後の予測を踏まえれば,さらにそのことを感じ取ることがプロの感覚としてひつようなのではないでしょうか。

つまり,給与の原資を確保するためには予算計画を立てる際に,どこが必要で,どこを我慢するべきかを行政のプロの眼でめききして行くことが求められていることを,この際,感じることが必要ではないでしょうか。

是非感じていただきたいものと考えますが,いかがでしょうか。

2008-05-22

予算の立て方には新しい枠組みが必要ではないでしょうか

道路予算が特別会計から一般会計にして問題を解決するような動きがありますが,本当にそのようなことで物事が解決するのでしょうか。

予算を立てることを自分で行ってみればわかると思いますが。

つまり予算の立て方としては,次のように行うのではないでしょうか。

(1)先ず実績を元に収入の額を予測して金額を想定する
(2)実績を元に必要な金額を項目毎(例えば食費,家賃代,光熱費など)に上げる
(3)実績から不要なものを削除する
(4)新たに必要となるものの金額を上げる
(5)必要となる金額の総計を求める
(6)予測した収入と,必要となる金額の差額を求める
(7)収入が多ければ例えば,預金する
(8)収入が少なければ必要とした項目とそれらの金額を減額する
(9)減額しても不足する場合には預金から補填する
のようにするのではないでしょうか。

このような枠組みで国に予算も行われていると考えていいのではないでしょうか。

このような仕組みで国の予算計画を行うと
(6)は概算予算と予算折衝に相当するところになると思われます。
(7)は無いと思います。
(8)シーリングというもので何%かの減額をすることが要請されます。
(9)は国債の発行になると思います。

ここで(6)が問題です。

確かに一般会計になれば財務省の査定が入り,特別会計のように収入があるから予算をそれに合うように立てることは無くなるとは考えられます。

しかし,そうは行かないのではないでしょうか。

そもそも上記手順で予算を各省庁が単独で算出した額を基本にして予算配分したら,額を少なくすることなどしないのです。

それは予算が少なくなれば,次年度以降の予算計画に影響するからです。

ですからできるだけ多くなるように最悪でも昨年度と同額になるように頑張るはずです。

つまり従来のやり方ではどうにもならなくなっているのです。

これだけ経営関係のコンサルがいるのですから,どのような手法で国の予算を立てたら,収縮して行くと考えられているわが国の実情にあったものにできるか知恵を拝借しなくてはならない時期に来ているのではないでしょうか。

経営コンサルの方々にお知恵を出していただきたいと思うのですが,いかがでしょうか。
(9)

2008-05-18

発展途上国で模造されても正しく製造されるようにすることが必要な時代になってきたのでは

本日のTBSの『がっちりマンデー』で,シールの今後の動向で「食品に食しても大丈夫なシールで内容を表示することが・・・」というようなコメントがありましたが。

確かにこのようなことは起きるでしょう。
既に似たようなものに,海苔に宣伝を表示するようなことは商品化されています。

食品にシールを貼るようなことも遠からず商品化されるかもしれません。

しかし,このようなものが商品化されると,すぐにでもグローバル化する現状では,発展途上国での商品も輸出する場合に真似されることが予測されるでしょう。

経済的な発展途上国の衛生観念は経済同様発展途上というような認識が必要なのではないでしょうか。

決して発展途上国を見下しているのはありません。
わが国の昭和30年代から現在まで思い出しても思い当たることだと思います。

経済的に発展して来ているわが国では今でも食の偽装が当たり前のように継続されていますが。

食に対する技術は,今後は真似されても大丈夫なようなものに限るような行為が必要な時代が来ているのではないでしょうか。

このような視点はあまり言われてはいませんが,真に考えることが必要と思うのですが。

例えば,例に上げました食品シールの場合で真似されたことを考えますと,食べられるシール素材にインクジェットプリンターで印刷すりょうなことも予測されるのではないでしょうか。

真似されることを前提に考えながらの製品化を進めていただきたいものです。

2008-05-15

自分を見直す契機にすることが必要では

地震災害が報道されていますが,外国の対応の報道を見ながら自分達のことを考える契機にすることが必要なのではないでしょうか。

地震だけではありません。

官僚の汚職も,食材の偽装も,支援された食料が一部の人々に優先的に配布されていることなども。

アジアに国々で起きている問題には,何か自分達には同じような問題をかかえていないような錯覚を抱いてはいないでしょうか。

自分達のところでは清廉潔白で他の国々が問題であるような。

しかし,よく見ると同じような問題が起きてはいなでしょうか。

以前に「想像力」が必要と言われた時代があったと思いますが,今まさに報道された外国の有様を見て批判するような態度ではなく,自分の周りの問題を想像することが必要なのではないでしょうか。

報道されていることを自分達の課題としてみることで,見かたとして重要な相対的な視点が醸成されると思うのですが。

報道されていることを,ただただ外国のこととして批判して済ますのではのではなく,想像力たくましく自分達の足元を見る契機にすることが必要ではないかと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-05-13

理屈では解決しないのではないでしょうか

TVなどのコメンテーターの方々は,何かあると理由と論理で組み立てられた理屈で理解して,どうすればよいのか展開するケースが多いのではないでしょうか。

本当にそれが適切なアプローチなのでしょうか。

軍事政権が人の派遣支援の意思を示した外国に否定の返答したことや,独裁政権の国への支援食料が軍部に流れていることなどのコメントはやはり理屈が展開されています。

確かに論理で組み立てられた理由なりは説得力はあるような様相を呈してはいますが,真の説得力には欠けているのではないでしょうか。

わが国の道路財源の扱いに関しても,理屈ではないところで展開されていると考えてもいいような状況ではないでしょうか。

整然とした論理では理解のできないことが,事実われわれの近くでも起きていると考える時期が来ているのではないでしょうか。

日頃のいろいろなショッキングな事件の原因を探るところでも同じようなことが起きているように思えるのです。

いかがでしょうか。

現在の時代は,今までの理屈で説得するような仕組みでは物事が解決する時代ではないようになってきているのではないでしょうか。

実際,多くの方々がすばらしいことをお話になります。

しかし,解決の糸口に繋がっていなっていないのではないでしょうか。

今まさに,理屈ではないような説得の方法を発明することが必要な時期にき来ていると思うのですが。

学者の方々,およびコメンテーターの方々のお知恵を拝借したいものです。

2008-05-08

もったいないの矛先は違うのではないでしょうか

「もったいない」から使い回ししたとの話ですが,もったいないのはそこではないのではないでしょうか。

もったいないのはお金を支払ったお客様の方ではないでしょうか。

もったいないと感じるならば,お客様に折り詰めにされて持ち帰ってもらうとかがあったと思うのです。

もったいないへの対処に知恵がでていないと思えてならないのですが。

いかがでしょうか。

もったいないと言えば,それこそ料理の値段が数万円などというのも,もったいないのではないでしょうか。

たかが一食の料理にそのような金額をかけるなんて。

料理だけでなく,提供されている場所などの空間と,場所を占有する時間もコストに入ってそのような金額になるのでしょうが。

しかし,べらぼうだと思うのです。

またお客がそのような条件でも来るのだからというご意見もあるでしょう。

とは言っても,もったいないと言うのであれば,お店側の論理ではなく,お客様側の論理が展開されてもいいのではと思う次第です。

蛇足ですが,社長会見で同席されていた弁護士の方々の見識が問われる時代に来ているのではないでしょうか。

2008-05-07

一言言うことを怠った30数年だったように思えます

戦後を生きてきましたが,自分の子供時代に言われてきたような,軽い注意を子供に言ってこなかったのではないかと反省し始めました。

子供の時に,いつも親から言われたことは「いけないことをしたら,おまわりさんにしかられるよ」という言葉でした。

今から考えると内容的に何だろうと一寸疑問を感じざるを得ない言葉ではありますが,何か影響を与えていたと実感しています。

このような言葉を自分の子供達に日頃かけていたのだろうかと,つくづく感じるこの頃です。

何故このような言葉をかけなくなったのだろうと考えると,『あまり口うるさく言ってはいけないのではないだろうか』とか,『自由にさせてやりたい』とか,『うるさく思われたくない』とか,沢山の自分にいい聞かせ,納得させる理由をもって,言わなくなっていることを正統化してこなかったいうこと先ず思い浮かびます。

このような親の世代が今の社会を築き上げてはいないでしょうか。

その時言わなくてはならなかったのに,放置してきたのではないかというこです。

うるさいと思われたくないような意識がそのようにしてきたのではと感じます。

しかし,言わなくてはいけない時は,何かが起きているまさにその時だと思えるのです。

放置することなく,言わなくてはならない時にしっかりとしたメッセージを発信したいものです。

いかがでしょうか。

2008-05-01

原資がない状態であれば限られた枠で行うのが常識ではないでしょうか

暫定予算の復活の理由に今年度の予算執行ができないことが上げられています。

確かに今年度予算は既に計画されており,執行できないことにより困る方々もいるでしょう。

しかし,このように困る方々の存在は今に始まったことではないのではないでしょうか。

包装の箱を木で作成・販売してきた企業はダンボールの箱を作成・販売する会社に代替されましたように,そのようなことは日常茶飯事のことのように思えるのです。

今まさに可処分の税を元に,それを枠にした予算の配分が求めれる時期が到来しているのではないでしょうか。

プロのスキルを持った行政担当者が必要になっているのです。

企業であればすぐにでもそのように指摘すると思います。

何故そのようなことが指摘されないのでしょうか。

官僚こそ,そのような人材でなければならないのはないでしょうか。

しかし,そのようなスキルより,与党のシンクタンク要員(田原総一郎氏の記事にもそのような記述がありましたが)としての考え方を執行する要員になっていると考えのは短絡しすぎでしょうか。

この辺りのことを真剣に議論していただけるような評論家なりの出現を期待したいと思うのですが。

いかがでしょうか。