2012-01-31

79,76,72歳が!

79歳、76歳、72歳の3人が集まって何かやられるようですが。

マスコミもそれなりに扱っています。

それって何なのでしょう。

お三人には責任があると思うのですが。

いかがでしょう。

あたかも今の与党が駄目なようなことを言っていますが。

どなたが現在のような国にしてきたのでしょう。

そのようにお感じにならないでしょうか。

今の国家公務員の現在のような有り様も、赤字国家にしてきたことも、人材派遣業の会社が人件費のピンはねもどきの行為が許される法律を作ってきたこも、・・・。

先に上げた方々は、前の与党の時に中核にいた方々です。

その皆さんは何か言う前に、「私どものが与党だったときには・・・・のようなことを許してきたことによって現在に至ったことが数多くあり、それはわれわれが与党であった時に・・・・のようなことを行ったからだと考えている。これを是正するためには・・・の法律を・・・のように変えることが必要である」のような発言があってしかるべきと考えるのですが、いかがでしょう。

どうもこのような発言もなく、あたかも現在の与党が駄目とのニュアンスの発言は、避けていただきたいと感じるのは私一人でしょうか。

どうもこの辺りのことがコメンテーターの方々からも発言されていないことに一寸呆れています。

どうかそのように感じられておられる方は是非発信いただきたいのですが。

上のお三人には与党だったときの判断に瑕疵があったと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-01-16

汚染されたコンクリートの話がありますが・・・

テレビを観ていましたら、当事者が「国の指導がなく、・・・・」とお話された映像がありました。

確かに国の指導なり、規制がなかったのだと思います。

『指導がなければやって言いということではないでしょうね』、などと考えてしまいました。

このことだけでなく、自分で考えることを置き去りにして、法律がないからとか、法律にはこのように書かれているので云々といった言葉を聞く機会が多いように感じます。

一方、法律を学ぶと「条文に無いから、大丈夫と判断するのではなく、法律の趣旨をまで踏まえて判断しなくてはならない」と言われます。

つまり書いて文言通りだけでなく、その法律の趣旨までも含めた条文を意識して判断することが必要ということのようです。

このことを踏まえて、昨今のいろいろなことを考えると、あまいにも表面的な国の指導や法解釈が行われていて、自分の頭で考えることを失っているように思えてなりません。

もしかするとそのように教育されてきたのかも知れません。

今回の原発事故が環境に大きく影響されているにもかかわらず、あいも変わらず原発の必要性を主張する方々が多くいるのは驚かされます。

本当に自分の頭で考えた結果なのでしょうか。

戦後を含めた教育が自分の頭で考えることを教えていないのではと、考えるとどうもシックリ行きません。

いかがでしょう。

2012-01-12

社宅が用意されていることは・・・

公務員の社宅問題があります。

社宅が必要か、必要でないかとの話しがありますが、それ以前に社宅が用意されているとは何が提供されているのかを明らかにしたいと思います。

社宅に住むに当っては、安いかどうかは別として、家賃は支払っているとの話があります。

当然そうでしょう。

しかし、そのような解釈は適切ではないのではないでしょうか。

支払っている額が高い、低いの問題ではないのです。

異なる話題として、公務員の報酬が高いのではとの話があります。

この話と家賃のはなしはつながっているのです。

話はこうです。

社宅費が一般の家賃より安い場合には、その差額分のお金が支払われていることになります。

つまり、報酬に上乗せされているのです。

報酬が高いといわれている上に、社宅の提供という形で相当額の報酬が支払われていることになるのです。

公務員の給与を低くする必要があるとの主張には、この部分、つまり社宅のことが含められて議論されなくてはならない問題だと思うのです。

いかがでしょう。

公務員の報酬減額と社宅の廃止は同時に解決すべき課題だと思うのですが。

2012-01-09

電力のことも増税論議と同じ論理が必要では

原発の今回の事故を踏まえて、リサイクルエネルギーが注目され、推進されていますが。

本当にこのように変わればよいのでしょうか。

増税議論では、増税の前にやるべきことがあるとマスコミを始め、多くの方が主張されています。

全くその通りだと感じています。

感じれば感じるほど、電力のことでは何故そのようなことが、エコを標榜されている方々から発信されないのだろうと思っています。

電力でも同じ論理を展開するとすれば、次のようになるのではないでしょうか。

原発以外の発電方法で電力需要を賄おう、とするのと同時に「発電された電力をめいっぱい利用しよう」と叫ぶ必要があるのではないでしょうか。

そしてそれを実現する設備なりを建設することです。

このような装置は今後も継続して利用できる有効な設備です。

何故かと言えば、発電方法が変わろうが、原発事故の時のように夜の発電電力は40%近く利用されずに消滅してしまっているからです。

この夜捨てられている電力を蓄電して、昼に使えるようにすれば大きなエコが実現されるからです。

いかがでしょう。

どうしてこのようなことが発信されないのでしょう。

まさか売らんかなの論理でエコが叫ばれてはいないのでしょうに。

是非エコを標榜されているグループの方々に、夜間の電力蓄電施設の建設を考えてみていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。