2015-01-29

連鎖を止める方法を皆が出すことが必要では

観ていて、国連などはどうもあてになりませんね。

国連ってどういったミッションを果たしているのでしょう。

そうであれば、我々人ひとりができることを考えなくてはならないのではないでしょうか。

連鎖が止められる方法を!!

ベトナムに行った際、言われたことを思い出しています。

こう言われました。

「戦争は被害者だけでなく加害者も同じだ」
「勝っても何にもならない」
だった。

国の戦いでは、しばしば敗戦国は犠牲者云々と言うが、勝った方にも犠牲者がいる。

それを忘れてはならないのでは、ないでしょうか。

肉親は、どちらも同じように悲しんでいる。

同じだ!!

是非、国連などを頼らない、連鎖を防ぐ方法を見つけませんか!







2015-01-28

シニアの脳の活性化には遊びと運動だけか

シニア向けの脳の活性化には簡単な算数とか、ひらがなのゲームとか、さらに体操などの運動が、と世間では言われています。

どうして、このようなことばかりが取り上げられているのでしょう。

シニアには豊富な経験と、見聞きしてきたことがあります。

これを活用した脳の活性化はどうして考えられていないのでしょう。

蓄積されてきた知識なりを活用して活性化することを考えたらいかがでしょう。

今までの脳の活性化方法はシニアをばバカにしていると思うのですが。

いかがでしょう。

穿った見方をすれば、脳を使った活性化をさせないようにしているとは言えないでしょうか。

運動と遊びをやたら推奨するのはもう勘弁してほしいとシニアから言うべきではないでしょうか。

現在の世界なり、宗教なり、見主主義なり、戦争なり、原発のことなり、多くのことを、今までの知識を使って自分なりに考えるのも、脳の活性化につながると思うのです。

シニアの方々!
是非そー言いませんか。

2015-01-26

討論のありかたについて

「討論」というと、意見を闘わせることを意味しますが、このような時代を卒業したら、というのが今日の話です。

このところのいろいろな事件を見聞きしているうちに感じたことがあるのです。

それはあまりにも意見のぶつかり合いが多いということです。

内容ばかりか、姿勢も戦っているのです。

討論というと、意見を出し合って行くことを前提にしているようです。

それでいいのでしょうか?
そうではないのではないでしょうか。

話し合い、言い合いなりをする意義を次のようなところに置いたらいかがでしょう。

新しいい意見を創り上げることするのです。

つまり意見を出し合うところは、自分は現在このように考えているとの表明する場とするのです。

そして、出された意見を、自分の意見とどこが違うのか、自分の意見に何が足りないのかを気づくようにするのです。

気づくまで質問なりをすることも重要だと思います。

そうなったら、ある時点から自分の意見を変えてみるのです。

その時の姿勢は、新しい自分の意見を創っていくことにするのです。

つまり多くの意見を戦わせて、その結果、だれも考えていなかった、思いもよらない意見を導き出すのです!!

価値観のぶつかり合いではなく、新しい価値観を創って行くのです。

いかがでしょうか?

国と国、民族と民族、宗教と宗教などの世界にもそのような場を作れれば何か変われるのではと思っています。