2012-10-28

言われても変えないのはどうしてなのでしょう

首相や、大臣や、元の首相や、元の大臣などが、マスコミ、専門家をはじめ多くの方々からいろいろなことを言われても平然としていままで通り、言動、判断などを行い続けるのはどうしてなのでしょう。

自分の主張は正しく、ぶれていないからだと言われるかもしれません。

しかし、そのように理解できることばかりでしょうか。

時代の流れで価値観なりが変わってきたり、新しい時代を築いて行くためには、自分の考え方なりを見直し、場合によっては変えることが必要なことがあるはずです。

また意見を投げかけあう場合にも、相手の意見を聞き、理解した際には自分の意見を変えることもあるはずです。

勿論その場で変えることはないとしても、それなりの時間を経過した後、変えることがあるでしょう。

このように考えますと、あまりにも変えないことがあるように思えてなりません。

あれだけ叩かれて変えないのは立派だとの捉え方もあるとは思います。

それは叩かれる点と、その理屈がどう考えても理不尽であったり、論理的にもおかしな場合には、確かに考え方を変える必要はないと思います。

しかしながら、首相なり、大臣なりが考え方なり、行為なりを変えないことが目に付かないでしょうか。

2012-10-27

テレビ報道が深まらない理由

テレビの報道は事件発生後日にちがたっても一向に深まらないことを以前に書きました。

この理由を考え仮説をたててみました。

まず、報道の中立性を守るために、踏み込んだ解説なりをするのではなく、できるだけありのままのことだけを報道する。

そして原因などを探る解説をする際にも2、3の原因を専門家と称する方に語らせ、かたよった報道にならないようにしている。

その専門家の解説も一般人が考えたことを逸脱するようなことは避けられている。

などです。

このような仮説を立てると、あまりにも薄っぺらい内容になることが導き出せます。

このような報道がされていないでしょうか。

つまり、見えるところレベルのことばかりが毎日のように報道されるのです。

同じ映像や解説が繰り返し、繰り返し報道されるのです。

深まることは期待できないことになります。

しかし、現在のような混沌としたわが国現状を考えますと、このような報道は存在意義が無くなってきていると感じます。

皆さんはいかがでしょう。

原因は多くの要因に関係したところにあるのではないでしょうか。

素人が考えても関係する要因は7.8個あると思うのです。

深まる議論をする上にも、是非報道のあり方に専門家のご意見を発信していただきたいと思いますが。

いかがでしょう。

2012-10-22

5年で19兆円の復興予算の予算内容について

復興予算の予算内容について、おかしな使い先が毎日のように報道されています。

確かに報道内容を見てみますと、こんなところに復興予算がついているのと、いう予算があります。

あまりにもひど過ぎる予算項目を仕分けするのは重要なことだと思います。

しかしながら仕分けのような手法で適切な予算にできるでしょうか。

国家予算をたてたことはないにしろ、会社なりの予算獲得をした経験から言えば、国家の大臣レベルで見える予算内容で仕分けはできないのではと思われます。

テレビのコメンテーターはそのような発言はされていませんが、数10億円から1000億円レベルの予算内容を読むなどして判断するのは並大抵でないと思います。

つまり、その規模の予算説明は予算の執行内容まで言及されていないことがあると思うからです。

多分、その予算のなかの大きな項目の執行内容を核にして全体を説明したものが書かれていると思われるからです。

この文面を読まれて判断しても、また変な使い道のものが出てくると思います。

つまりこの手法では不具合は見つからないのです。

他の手法も必要と思います。

それは変な予算を企画した者への罰を与える手法を導入することです。

会社であれば、会社方針に合致しない予算をごまかして計上するような者には左遷などをして、そのようなことがないようにするのです。

このようなことまでしない限り、変な予算はなくならないと思います。

いかがでしょう。

100億円などといった一つの予算を執行する際には、1億円レベルの執行項目も紛れ込んでおり、これが曲者だからです。

予算獲得のご経験のある方ならすぐに理解されることだと思います。

ですから仕分けのような手法ではなくならないのです。

是非この辺りのことをコメンテーターの方々から情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-10-08

最近、まさかという仮説を立てています

それは明治維新に遡ってのことです。

仮説は、江戸時代から明治維新になる際に官僚の報酬が異常に高く設定されていたのではというものです。

さらに、そのような報酬制度が現在の官僚の給与に反映されてるのではということです。

理由は、江戸時代から明治維新のときのことを扱っている新書などや、伝記などの書籍を読んでいて感じたからです。

ある本では、一般的な下級武士の給与が現在の価値で200万円程度であったとき、明治維新の時代の海軍の給与が2000万円、つまり10倍であったと書かれています。

また、ある伝記では大名は廃藩置県後の知事に任命され、それなりの給与が支払われ、明治維新の官僚はそれを上回る給与を受けていたとあります。

庶民から考えれば、知事になった大名の給与をこえる金額であったわけですから多額であることが推察できます。

これにはさらに驚くべきことがあるのです。

明治維新の歴史に出てくるような名前の上位の官僚はほとんどが貧しい下級武士の出身なのです。

貧しいとう形容詞は本に書いてある表現で、あたらに加えたことではありません。

このようなことが実態と考えられます。

明治維新はきれいごとのように書かれた書物が多いと感じておりますが、実態は下級武士がお手盛りで大名の処遇以上の給与を得ていたと思うのです。

これを下敷きに考えますと、明治時代からこのかた、官僚の給与は庶民からは分らない程度の金額であったと推察されます。

今後それを支えてきた給与に関する法律を確認することが必要と感じていますが、いかがでしょう。

どなたかこの辺りのことを調べておられる方がいらっしゃったら是非情報発信いただきたいのですが。

いかがでしょうか。