2013-02-24

このような認識で、この報酬?


烏賀陽弘道氏のJPpressの論文『班目氏が認めた事故対応の失敗元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第1回)』の冒頭で次のように書かれています。


「原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。しかし一方、制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないことまで混同して同氏のせいにして、非難するのは筋が違うと思った。」

この中の「制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないこと」に少し問題を感じました。

それは、原子力安全委員会委員長の任務と責任範囲が、烏賀陽氏の認識されている通りであるとすると、どうして原子力安全委員会委員長の報酬が以下のように支払われているのかということです。

原子力安全委員会委員長の月額報酬  100万6万円
原子力安全委員会常勤委員の月額報酬  93万6千円

よく見て下さい。月額ですよ。

この報酬で「任務ではない」なんてことがあってよいのだろうか、という疑問です。

報酬は任務と責任に対して支払われているのではないのでしょうか。

そうでない範囲での原子力安全委員会委員長の仕事の範囲であれば、ボランティアでよろしいのではないのでしょうか。

専門家であったとしても仕事の責任は範囲がそれなりであれば、ボランティアとしての報酬(実費のみ)であってもよいと思うのですが。

いかがでしょう。

このようにシニアクラスの専門家には、ボランティア的報酬(実費)で、ご活躍いただく時代に入って来ていると思うのですが。

以下に再度、国の要人の報酬額が掲載されているサイトをあげておきます。


この報酬を見ると、原子力安全委員会委員や委員長だけでなく多くの専門委員の方々にボランティアでご活躍を期待するのは私一人でしょうか。

特に公務員である国公立大学や研究所の所属、またはリタイヤーされた方々はそのような処遇でお仕事していただくのはいかがでしょう。

是非検討していただきたいと思うのですが。

責任範囲が前述の範囲であれば。












2013-02-14

農薬の使用量が日本はダントツ

農薬の使用量が日本はダントツの統計が出ています。

日本、韓国、オランダとつづき、韓国の2倍、オランダの4倍近い農薬が使われています。


また主要国の農薬使用量の推移でみても日本は最も多くの農薬を使っており、1990年年代からあまり減少していません。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0540.html

いろいろなところにこの統計量に対して比較できるような物でないとの評価があるようです。

しかしながら使用されている農薬は減少しているわけでなく、多くの量が使われていることは事実でしょう。

そう思うと最近は放射能のばかりに目が向いていますが、もう一度農薬のことも考えることが必要ではないでしょうか。

このことに対する警鐘を鳴らす統計量だと思うのです。

どうもこのような事柄は、のど元過ぎればという風潮に流されていると感じます。

適切ではないかも知れませんが、はやりのようなことも感じなくはありません。

話を元にもどして、このように農薬が大量に使われて来ている現状を踏まえ、どうしてこのようなことがずっと行われているのかを考えると、以前に書いた学校給食のパン食に対する取り組みを怠って行ってきた組織の責任もあるのではと感じ始めました。

その組織の収入源の多くを占めていると考えられるからです。

このような枠組みで農薬の減少を期待するとすればナンセンスでしょう。

真に不要なところへの農薬使用を少なくするのには、他の力学が必要なのではないでしょうか。

また農産物への放射能の影響ばかりでなく、農薬の減少も次世代への影響を考える場合、大きな課題と思うのですが。

いかがでしょう。



2013-02-01

ホスピスはなぜ仏教でなかったのか

1月28日の朝日新聞の夕刊に「僧侶が寄り添う終末期」との記事がありました。

20年も前から仏教版ホスピスがあるようです。

台湾も90年代から仏教者が参加しているとのことも記載されています。

そう言われてみると確かに、終末期というと特定の宗教家が寄り添う場面が眼に浮かびます。

僧侶といった方がとの報道にあまり接してこなかった記憶があります。

特にわが国では宗教としてではないにしても、多くの方々が何かにつけ仏教に接していると思います。

それなのに終末期ということになると他の宗教に頼ってきたのは何故だったのだろうと感じ始めました。

病院に僧侶がおられていると「葬式・死」を連想されるからでしょう。

頼ってきた他の宗教は死だけでなく、生まれてから死まで一生涯を対象にされており、葬式や死がストレートに連想されないことが受け入れられてきたように感じられます。

そうはいっても仏教版では始めは避けていた患者の方が受け入れ、併設されている仏道で手を合わせるようになり、こころが休まる方がいらっしゃると書かれています。

なるほど、日本人は仏教は葬式との結びつきが大きいので(葬式を行うようになったのは江戸時代からとどこかで読みましたが)、仏教版ホスピスの導入は抵抗があったのだと思います。

しかし、その導入には効果があることが実証されてきているのですから、これからは仏教版ホスピスが定着して欲しいと感じております。

いかがでしょう。

できればストレートに葬式を連想させないため、禅寺方式の仏堂や写経といった葬式に直結しない方法を考えていただけないかとも思い始めました。