酷暑の夏が過ぎようとしていますが、
この夏に軽井沢方面に行ってきて感じたことがあります。
暑い、暑いと都会をはじめ、地方都市の多くの方々が悲鳴をあげていましたが、軽井沢の町にヒントを感じました。
今年の夏は軽井沢も暑いと住民の方々は言っておりましたが、商店街は他の町と同じように暑いのですが、そこを避けると涼しさを感じることができたのです。
商店街の道路はアスハルトとコンクリートでできていて、街路樹などはほとんどありません。
一方、商店街の隣からはじまる、涼しさを実感できるエリアは、道路はアスハルト
のようでしたが、その道路の左右に植えられている木々の枝と葉が覆っているのです。
さらにその道路から一寸小道に入ると、開発者が植えたのではないかと想像される、おびただしい数の常緑樹と、土の庭が広がります。
このことが涼しさを実現している理由と思いました。
また、朝、嬬恋村から軽井沢に向かった際、霧が出ていたのですが、町に向かうと晴れてきました。
しかし、町を見ると、道路の近傍は霧はないのですが、常緑樹が植えられているところには、霧があるのです。
つまり、気温が高くなっているところには霧がなく、土と常緑樹があるところには霧があったのです。
まさに涼しさが何によってもたらされているのか目で実感できました。
このようなことを感じた後、群馬のある市内を歩いてみました。
酷暑でした。
メイン道路の左右にケヤキの大木があり日陰を作っているところもほんの一部ありましたが、ほとんどの市内の街には小さな街路樹が点々とあるだけで、ほとんど日陰を作れるような木ではありませんでした。
あまりの落差を感じてしまいました。
このことからすぐにとやかくは言えませんが、戦後の街の開発になにか疑問を感じてしまいました。
あまりにも暑さに対する対策もなく、ただただアスハルトの道と、コンクリートの建物を造ってきたことが分ります。
地方分権などと言われていますが、このような街を造ってこられた地方行政に本当に将来の街なりが設計できるのでしょうか。
地方分権の前に、なにか根本的に是正しなくてはならないことがあるのではないのか感じた夏でした。