2011-07-14

燃料という言葉は原発には不適合な表現ではないでしょうか

日々原発の安全性を問う論調がマスコミに多いですが。

本当にこのことを問い続けることに意味があるのでしょうか。

たとえ現時点で安全性が確保されていると判断されても、今回のようなことが起きれば全く意味がないのではないでしょうか。

どなたかが「未解決の技術である原発・・・」と表現されていましたが、まさにこの表現こそが当っているのではと思いはじめました。

つまり、安全と宣言できたとしても、原発の燃料(実際は燃えているのではないのでこの表現は妥当でないと感じています。核分裂用材料と言えばその危険度が表現できるのではとも感じていますが。)は管理し続けなくては(水なりで)使用済みの燃料であっても発熱し続けること、汚染水にある放射性物質はなくなることはなく、数字年から数百年かけてその性能が半分になるという物質です。

つまり『燃料』という一般的な言葉からは想像しきれない物質なのです。

『燃料』という表現こそ、この核分裂材料を隠蔽する表現なのではないでしょうか。

一般的に燃料といえば、燃えつきれば灰になり、廃棄処理ができるように感じます。

また何かあれば水などをかけて消すことができるように感じます。

さらに事故がおきても水なりをかければ収束できるようにも感じます。

つまり、『燃料』という言葉に惑わされているのです。

今後、原発の話をする際には是非この『燃料』という言葉から変えていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。