2012-07-30

深く考えることが必要では

現在の与党から離別して新しい政党を立ち上げた方々は何ヶ月間も「消費税を反対する」ということを言われ続け、反対するとしてどうしようと考えているのか、とか来年度予算の計画をどうされたいのか、財源をどこから持ってこられるのか、などと言った言ってきたことをブレークダウンしているように報道がされていません。

言い始めて(消費税反対を)時間が経過すれば、具体策なり、将来の考え方なりに展開されるだろうと考えるのが常識的だと思うような趣旨で以前に書いてきました。

またこの例と同じように、テレビの報道も時間が経過しても同じ映像と最初の報道と同程度の解説を流すことが行われていると書きました。

この風潮は物事を深く考えない姿勢そのものと感じますが。

いかがでしょう。

この風潮を原発事故や、震災の復興に展開しないで欲しいと思います。

原発事故のことであれば、日本は今後どうしていくべきかだけでなく、どうして安全性が欠けた状態で原発が建設・運用され続けてきたのかとの視点からこの60年の与党の政策を検証・評価すとか。

また震災復興のことであれば、例えば原発設置をしていただいた自治体などに分配されたお金がどのように使われ、安全や防御にどの程度つぎ込まれてきたのか。

など多岐にわたった深い考察を展開することが今後のわが国の進むべき方向に重要なことだと思うのです。

時間が経過しても事柄が深まらないことは是非避けるべきと考えるのですが。

いかがでしょうか。


2012-07-23

『いじめ』と言う表現をやめたらどうでしょう

昔は『どろうぼう』と言っていた行為の一つが『万引き』という表現になって、何か軽い罪のような感じはないでしょうか。

一方、「どろぼう」と言われると一寸びくっとするのではないでしょうか。

このように万引きと言う表現と同じようなことが「いじめ」と言う表現にもあると考えられないでしょうか。

犯罪でないような響きがです。

いろいろな報道に接していますと、「いじめ」の内容は、まさに犯罪と言うほかないような事柄です。

セクハラが犯罪であるように、行為している方がいくら遊びだと主張したところで、受けている方が「いじめられている」と感じれば『いじめ』があると考えるべきで、犯罪だと思うのです。

『いじめ』という表現では犯罪のような響きが少ないと感じるのは私一人でしょうか。

そこで提案ですが。

『暴力』または『暴力行為』という表現で「いじめ」を表現するのはいかがでしょう。

いくらか犯罪であることが表わすことができるのではないでしょうか。






2012-07-22

オスプレイの危険率の予測はできるのでは

流れ星や衛星の地上への落下率などが発表できるように、オスプレイの危険率は求められるのではないでしょうか。

コンピュータは部品個々の障害率からシステムの障害率を求めているはずです。

航空工学の専門家であれば、同じような手法をご存知ではないでしょうか。

素人的に単純に考えれば、双発のプロペラ式飛行機とヘリコプターの各障害率の和に、1以下の数字の合体障害指数なりを掛ければ求められるのではと考えてしまいます。

つまり、双発のプロペラ式の飛行を離陸・着陸時にヘリコプター式に変える方式ですから。

危険な場面を考えると次のようになるのではないでしょうか。

まず、離陸時ですが。

ヘリコプター式からにプロペラ式飛行機変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

着陸時では

・プロペラ式飛行機からヘリコプター式に変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

このような危険があるというのは素人が考えても考え付くことではないでしょうか。

さらに2つのプロペラをヘリコプター式から双発式飛行機に変える時(離陸時)および着陸時、双方のプロペラが同期して(同時に)変更されることが必要です。

このように素人が考えても危険場面がすぐに考えられてしまいます。

どうして専門家はそのように単純に指摘しないのでしょう。

さらに防衛の航空部門を専門の官僚の方々や、大学の専門家の方々はどのように考えておられるのでしょうか。

是非、情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-07-16

選挙行動に結びつけられるか

原発に対するデモが継続して開催されています。

水を差すわけではないですが、わが国ではデモで変わったことはないように思います。

安保条約、反戦運動、・・・など戦後の大きなデモで何か変わったことがあったでしょうか。

デモだけで変えることは困難では、というのが実感です。

デモをデモとして拡大して行くとともに、どのようにして選挙行動に結び付けられるようにして行くかが必要ではないでしょうか。

デモへの参加を通じて自己変革していくことも必要でしょう。

原発の件では、この事故が引き起こした放射能放出問題によって、今まで原発容認であった方々に中に、そうでなくなった方々が数多く生まれてきましたように、今回のデモを通して、選挙という形での政治行動に結びつけて行くことが必要だと感じられることではないでしょうか。

かつてフランスデモに参加された方々がどのように選挙行動に反映されてきたのか分かりませんが、デモは活発だったとしても、ただそれだけで変えることは難しいと感じられるのです。

お分かりになっているとは思いますが。




2012-07-14

教育委員会の人材はビジネスパーソンでないのでは

大津での教育委員会の対応を見ていますと、あまりの対応で一寸ビジネスパーソンの集団でないのではとの仮説を抱いてしまっています。

ビジネスパーソンであったら、発言する際、その次の次くらいの発言を想定して発言すると思うのです。

その時だけを考えて発言しているように感じます。

また、昨日の報道では、黙祷もせず、黙祷を求められると座ったままでやろうとしたり、全くビジネスパーソンのリテラシーをお持ちでないと感じます。

教育現場を歩いたご経験の多い方々が教育委員会のメンバーになられているとの話を信じますと、確かに一般的なビジネスパーソンとは異なる特殊な世界のご経験だけを持たれていることと推察いたします。

ビジネスの世界でご経験のあるかたは、企画を行ったり、幹部説明を行ったり、不都合があればお客さまに誤ったり、・・・などなど、多岐にわたった経験を積まれている方々が多いと思います。

経験してきたら、だれでもがビジネスパーソンとしてのリテラシーを保有しているとは思っていませんが、昨今の教育委員会の対応をみていますと、そのように感じてなりません。

いかがでしょう。

いじめの問題をはじめ、教育の現場での問題解決には、多くの経験を積まれたビジネスパーソンのスキルなりリテラシーなりが必要になってきているのではと思うのですが。

2012-07-03

民主党から多くの方々が離別されましたが

50人近い議員の方々が離別されましたが、一寸そのことでお話したくなりました。

確かに主張されている筋論の、公約の多くを実行して来なかったにもかかわらず、増税の決議をしてるのは本末転倒で、やるべき事をやってその後に、とは多くの方々が感じていることだと思います。

そうではありますが、少し違う考えも浮かんできました。

この数ヶ月間、時間と共に深堀化などを行うことなく、ただただ反復ばかりのテレビニュースのように同じ文言での主張を続けていることに疑念を持ち始めました。


多くの方々も、具体策が話されていない、どこにお金があるのか、・・・、など指摘しています。


確かにそのようなことも感じます。


しかし、最近感じているのはそのようなことではないのです。

次のような仮説です。

まさか50人のリーダーは具体策は持たずに、官僚に指示を出せば考えてもらえると考えているのでは言うことです。

そのリーダーは今までの長年与党であった党の幹事長も経験してきており、メインの派閥のドンの側近だったので、首相や大臣のやり方を観て来たはずです。

かれらはアイディアがあったはずもなく、ただ官僚に指示やハッパをかけてきた方々だったのではないでしょうか。

つまり、詳細化や具体化を図る方々は政治家ではなく、取り巻きの官僚だったのではとの仮説です。

このように考えると、時間が過ぎても、話されている内容は深くなることなく、同じ文言が話されることになります。

同胞はどなたも紋切り型の答弁ばかりであることも、そのように考えられる理由です。

いままで、ずっと続けられてきた代議士や、首相、大臣の手法のように思えてならないのです。

このような仮説ではないと主張される方がいると思います。

是非、どうして抽象的で、筋論の同じ文言だけが発信されているのか、どなたか解説していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。