2016-09-22

2011年3月に起きた「東北地方太平洋沖地震」の復興に土が使われたのではないしょうか

豊洲の市場の設計の内容が2011年3月の高上式建築から、6月までの3カ月間に盛り土を1/3に減らせる地下空間式の建物になった背景に次のようなことがあったとの仮説は成り立たないでしょうか?

TVでどなたもお話になっていませんが。

つまり、同じ年の2011年3月に起きた「東北地方太平洋沖地震」の復興に大変な量の土が必要となるとの話があったのではないでしょうか。

つまり豊洲に大量の盛り土用の土が必要としても、東北の復興に必要で、豊洲で必要な量を確保することが困難で、しかもその値段も高騰している、との話を耳にいれた方がいたのでは、という仮説です。

確保ができず、さらに確保できたとしても金額が予算を相当上回るとのことから、どなたかが空間案にしたのでは、ということです。

復興が第一優先で、都の盛り土はその次になって、空間案が浮上したことはないでしょうか?

この辺りのことが、どなたからも話に出てこないのは不自然だと思うのですが。

いかがでしょう。

是非、このことを取り上げていただきたいと思うのは私一人でしょうか?