2010-05-31

まさかの読み

他の方も同じようなことを言っておられますが。

まさか首相は沖縄の方々が基地を容認しない世論を作っているのではないのでしょうね。

首相の博士論文の考え方で言えば、勝つためにはそこに至るまでの条件を造り上げることが必要ということになると思います。

助教授時代に大学でそのような講義をしていたと思うのです。

そのような条件を仮説に立てて考えますと、次のようなことが考えられます。

まず沖縄の方々に、個々の方々の支持政党にかかわらず、
・基地を新に造らせない。
・既存の基地を他国に移設させる。
の世論を作る。

その上で、米国と沖縄県内での基地移設を行うことを約束する。

その後、日米安保条約を検討する。

このようなシナリオです。

これはあまりにも飛んだ捉え方過ぎるでしょうか。

今後どのようなことに進んでいくか、是非見守って行きたいものです。

2010-05-24

独立行政法人に現在の有様にしたのは

事業仕分けでお金の使い方や理事の報酬などが問われ、あきれるような状態があかされていますが。

このような有様になった原因はどこにあるのでしょう。

当事者である高級官僚にも問題があると思いますが。

当事者は問題があることに気が付いていてもなかなか自己否定できない存在であると認めますと、他のことにその原因を求めることになります。

大きな要因はいままでの政党でしょう。

政治、つまり、今まで与党であった政党の大臣なりが放置したことにあるでしょう。

放置でなければ容認であり、場合によっては貢献度に応じた処遇の提供でしょうか。

いままでの代議士の多くは高級官僚あがりです。

ですから自分等を支援するような施策を企画し、実行してきた元の仲間である官僚に殊遇を提供する構図だと思うのです。

ゼネコンが代議士にお金を還流する構図と全く同じです。

このような構図は江戸から明治の時代になった時から継続していると推定されます。

俗に『偉い人』にはべらぼうな処遇が与えれる構図がまかり通っていたのです。

これがわが国の構図として残存しているのだと思うのです。

このように考えると、今のような有様は簡単に理解できると思うのですが。

いかがでしょう。

現在は正に、このような継続を断絶するチャンスだと思うのです。

是非多くの方々、会社で管理者を経験されてきた方々は、今自分の行って来たことを公に公表するのではなく、自分の周りに構図として喋ってもらいたいと思うのですが。

皆さんが経験されてきたことは、だれも知らないと思います。

是非、身近な方々にお話下さい。

例えば、管理者になると自動的に元の与党の党員にならされ、年間1万円程度の党費を給与から天引きされることや、政治家の秘書に国が発注した案件の受注額の5~10%が求められることなどを。

2010-05-22

道州制は危ういのでは

今回の宮崎のコウテイ病の初期対処の報道を視聴していますと、道州制の危うさを感じてしまいます。

今回の発病への対応は、国のマニュアルではないでしょう。

経験してきているのですから、地域のマニュアルを優先するのが妥当ではないでしょうか。

自分達で対応してきたことをベースにしたマニュアルがあったそうですから、それを優先するのが地域に密着した、地域に合った対応ではないでしょうか。

もしも地方の方々が国を優先するような行動をとられるようであれば、道州制を早期に導入することは、妥当でないのではないでしょうか。

道州制を訴える首長を持っている県ですから、まさに今、実践することが重要でしょう。

確かに補償などの金銭面の対応は国レベルの問題だと思います。

しかし、病気への対処はまさに、その地方地方で地方に合致した方法で行うことではないでしょうか。

道州制は、まさに地方が主体になって考え、行動することが必須なのではないでしょうか。

道州制なりを推進している首長の県でも、このような状況を見せられますと、早期導入の前に、プレ導入期間が必要と感じるのは、私一人でしょうか。

2010-05-13

何に憤慨しているのか分らなくなっています

このところ多くの問題に憤慨している自分がいるのですが、何に憤慨しているのは分らなくなっています。

列挙しようと思ってもできない自分がいるのです。

確かに
・不正に(お金、報酬)
・リーダシップに
・報道のあり方に
・コメンテーターの方々の発言内容に
・政治家の発言内容に
・発言方法に
・政府の組織のあり方に
等々あります。

しかし、個々のことは上げられたとしても、その根本を問われても答えることのできない自分がいるのです。

何か言いたいとの憤慨感情があるのは、あるのですが、その理由を問われれば、どのように答えたらよいのか迷ってしまいそうな状況です。

昔なら理由もなしに「ナンセンス!」と叫んでいたかもしれません。

しかし、当時よりもいろいろなところの情報公開に接して、あのころの憤慨内容と異なっていると自分で感じるのです。

もっと真に迫った憤慨のように感じるのです。

しかし、何に憤慨しているのか整理できない自分もいます。

この辺りも探りながら問題提起ができたらと考えています。

2010-05-10

サプライズを期待するのは私一人でしょうか

本日付の新聞広告に、普天間基地の問題への新しい展開への可能性のあることを示唆するような題字がありました。

5月末のサプライズはあるのでしょうか。

田原氏もブログで首相が安閑としていることに驚いてるようなことを書かれていましたが、何かあるのかと信じてしまいそうです。

今日の昼12時からTBSの番組に週刊誌で首相のブレーンの一人と書かれていた方が出演して、週刊誌で書かれている「九州ローテーション方式」をお話になっておられました。

一方、ここにきてマスコミの論調が変わってきたいることも感じておりますが。

いかがでしょう。

何も解決策を提示することなく、ただ批判をしてきた姿勢から、代替案らしきものを話題にいれるようになってきたのではと感じるのです。

ここにも何かあるのではと勘ぐってしまいます。

首相のプロフィールからみて、現在のような有様は明らかに違和感があると感じます。

いかがでしょう。

是非5月末のサプライズを期待したくなる状況になりつつあるのですが。

皆様いかがでしょうか。

2010-05-07

私にやらせて下さいと何故だれも言わないのか

ビジネスパーソンとして変ではないでしょうか。

何か解決すべき問題があるとき、「私にやらせて下さい」と言うのがビジネスの世界では常識ではないでしょうか。

どうして政治の世界ではそのような方が出てこないのでしょうか。

同じ与党の中でとやかく言っている場合ではなく、気付いた方が自分から行動して解決していくことが必要ではないのでしょうか。

勿論お一人で今回の基地の問題など解決することは困難でしょう。

しかし、そうだからこそ一人の方から声を上げて欲しいと感じるのです。

そうすれば協力者として、どなたかが出てくると思うのです。

何故このようなことが起きないのでしょう。

また、マスコミも、コメンテーターの方の中にもそのような発言をされる方がいらっしゃらないのは何故なのでしょう。

言い続けることではなく、山口教授ではありませんが、「はいずりまわって」解決する方の出現を待っているのです。

是非、発言するだけでなく、自ら交渉を行う姿勢をとっていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

外務官僚に頼るのではなく、政治主導を発揮していただきたいのです。

2010-05-06

真のアドバイザーがいらっしゃらないのでは

発言の内容、仕方を相談できる真のアドバイザーがいらっしゃらないのではないでしょうか。

あまりにも首相は地位が高く、学歴も相当な方で、生活レベルも相当一般人とは異なり、云々とアドバイスしにくいポジションの方でしょう。

ですからやたらの人ではアドバイスできないと思うのです。

反対に首相の方からも、やたらの人に自分の考えを言い、アドバイスを求めるこも困難でしょう。

そのように考えると、自分だけで考えて発言しなくてはならない状況なのでしょう。

自分で考えて言ったのだとしたら、あまりにも稚拙ではないでしょうか。

腹を割った話ができる関係の人を持っていないかもしれません。

親友もいないのではないでしょうか。

親友であれば何でも直球で話ができるはずです。

そのような関係の方をもっていないとしたら、あのような発言もあるのかも知れません。

このように考えると、奥さんの存在が大きなものになって来るでしょう。

あの方はどのように言われているのでしょう。

知りたくなってしまいます。

いががでしょう。

2010-05-05

あれが理由とは?

基地を移せない理由があれですか、という感じです。

ご自分で考えた理由なのでしょうか。

そうだとすれば、残念でなりません。

東大を出て、スタンフォード大で博士を取得した方の考えた理由としては、あまりにも配慮が足りないのではないでしょうか。

あのような理由を会社の幹部説明で、自分の企画した提案を通そうとしたら、「おまえ!、何を言っているのか」と喝を入れられ、提案は却下されると思うのですが。

皆さんいかがでしょう。

あのような内容で理由だと思う方だとしたら、ビジネスパーソンとして、実務家として失格の烙印を押されてしまうのではないでしょうか。

そういえば今度の与党の方々は会社務めをしていない方々が多いと思いますが、まさか皆さんがビジネスパーソンとして疑問符を付けられてしまいそうな方々ではないでしょうね。

そのように感じてしまいまうのは、私一人でしょうか。

これからの政治家は、ビジネスパーソンであり、実務家であること必須ではと考えてしまいます。

いかがでしょうか。

2010-05-03

「辞任すべき」にいろいろな理由があると思うのですが

「辞任すべき」との言葉ばかりが強調されていますが。

この言葉には幾つもの理由があると思うのですが。

・責任があるから
・管理監督すべき立場なのだから
・証拠云々ではなく、圧力はかけているに違いないから
・与党の人気に悪い影響があるから
・選挙に影響するから
・襟を正す姿勢をみせべきだから
等々

このような理由は必ずしも同じ事を意味していません。

つまり、「辞任すべき」として一つにすべき事ではないはずです。

しかし、マスコミでは全てを一つに収束しているように感じられます。

世論をそのように仕向けているのではと感じざるを得ない状況です。

一方辞任させればうやむやになってしまい、解決にならないと考えられる方々もいらっしゃるでしょう。

このように考えますと、今は「辞任させよ」との方向ばかりでなく、事の内容を明確にして政治の世界から同じような構図を一掃できるような方向に進めるべきと思うのですが。

いかがなものでしょう。

2010-05-02

誰かが言ったことのリフレインでは

テレビの報道で、一般の方に政治などのコメントが求められると、どこかで聞いたような表現がされていることをお感じにならないでしょうか。

たとえば、「ぶれている」とか、「辞任すべき」だとか、「米国との関係が・・・」とかです。

このような表現には、あまり素人の意見として表現されたようには感じません。

私であれば、「なぜ毎回表現を変えるのでしょうか」とか、「辞任すべき人はお一人なのでしょうか。元の与党、現与党の中に同じようなことを行ってきた多くの方々がいらっしゃるのではないでしょうか」とかのコメントになります。

つまり、マスコミに取り上げられる素人の方々の意見は、テレビの多くのコメンテーターなり、アナウンサーなりが使っている言葉を、あたかも自分の意見のように感じて発言しているのではと感じるのは、私一人でしょうか。

マクルーハンではありませんが、テレビから発信される言葉は人々に大きな影響を与えることが分かるのではないでしょうか。

このことを裏返せば、マスコミの報道なり、コメンテーターがあまりにも紋切り型の報道なり、コメントなりを行っていることも分かると思います。

このように考えると、コメンテータの方々には是非どこかで耳にした言葉で発言されるのはなく、自分なりの表現で的を射た、またはご自分のご経験からの発言をお願いしたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-05-01

あまりにも寂しいことです

江戸後期から明治維新のころのわが国の実情を知ろうとすると、外国人が執筆した日記や報告書や見聞録などを読まなければならない。

理由は二つある。

先ず、江戸時代かた明治維新辺りの、わが国の人々が執筆したものはなかなか手に入らないこと、表現された日本語文章を現代のわれわれが読破するのは困難。

一方、外国人の執筆されたものは翻訳があり、翻訳されたものは当然口語で読むことができるのです。

このような現状はどのように考えたらよろしいでしょう。

このごろの政治の世界や、政府を構成する官僚の世界のことが公表されていないがために、現在のような予算の立て方や、ありえない特権の行使などが昨日始まったように問題視されているのではないでしょうか。

江戸から明治に、そしてそれから今まで変えることなくつづけられていることが数多く存在するのはないでしょうか。

歴史学者、法律学者、政治学者など多くの学者の方々に是非江戸から明治にかけて行われてきた事柄と分析の提示をお願いしたいのです。

さらに現在につながってきていることも言及していただきたいのです。

あまりにも有資(紙として記載されているものがある)の歴史がわれわれて知らされていません。

是非、有資の現代史を書き上げていただきたいのです。

外国人の書き上げた書物でしか、そのころの有様を知れない現状はあまりにも寂しいのではないでしょうか。

いかがでしょう。