市長解任の住民投票の結果が報道されていますが。
このケースや、名古屋市のケースでは市長の強引さが指摘されています。
確かに、一般的な民主的という言葉いわれていることから見てみますと、一寸手法にという感想を持たれる方々が多いのではないでしょうか。
この民主的というのが曲者ではないでしょうか。
国会議員の報酬、定数や区割りの件など、議会にかけ審議する所謂民主的という手続きではなかなか国民の意見を反映することが困難であることは見てのとおりです。
このようなことは当然地方自治体の議会周辺にもあり、現在報道されているようなことになっているのだと思います。
まさにこの民主的という手法に疑問が投げかけられているのだと思うのですが。
いかがでしょうか。
当事者の利害にからむことを、まさにその当事者が民主的な手法を使って否定するなどと言うことはできないことを物語っているのだと思うのですが。
当事者が当事者の意思で否定するなんて、昔のどこかの国のスローガンであった『自己否定』でも標榜しなくてはできないことなのでしょう。
このように当事者自身が当事者の処遇を変えるには、どのような手法が有効なのか考える時期に来ているのではないでしょうか。
ここでもその方法を考え、提案できればと思っています。