官僚の行為が問われてる時代だと思います。
国民のための行為ではなく、何か他の人々のために行ってような感じを抱きますが、いかがでしょう。
今まで気付かずにきたことがあります。
法律は明治時代から継続しているものがあります。
明治時代に創設された官僚の多くが江戸幕府の官僚だったことです。
「米欧回覧実記」でもその辺りのことを知ることができます。
江戸幕府からの官僚は、殿様のために何事も行ってきた経験を豊富に持ってきた、反対に言えば民衆のための経験は微々たるものではと仮説を立てるのが妥当ではないでしょうか。
このように考えると個々の官僚の行為を問うよりも、現在まで継続されている法律の中に、そのような傾向があるのではと検討することが必要ではないでしょうか。
この辺りのことを問うている歴史学者がいらっしゃるようでしたら是非情報発信していただきたいと思うのですが。
いかがでしょう。
法律にのとって行為しているから云々の発言をよく聞きますが、このような認識が曲者ではないでしょうか。
法律自身が国民のためになるように、なっていなければ官僚の行為は国民のための行為になっていないと考えるのが妥当ではないでしょうか。
明治時代の官僚制度の発足を考えると何か現在の有様が理解できるのではないでしょうか。