2011-11-24

いまこそ東アジア経済圏の構築の話題が・・・

TPPが大きな話題になっています。

一方、東アジアで経済圏を創る動きもあります。

このような状況で何故わが国は東アジアの国々に声をかけるような動きができないのでしょう。

現在の与党の前の前の首相は東アジア経済圏の話題を持っていた人物です。

TPPも去ることながら、その東アジア経済圏を構築することに熱を入れないのでしょう。

釈然としないと感じるのは私一人でしょうか。

現在の世界の状況は欧州でもなく、米国でもありません。

まさに足元の東アジアこそこれから数十年の主役でしょう。

そこにわが国は位置しているのです。

でありながらこの有様、どうしたことなのでしょう。

確かに今までは欧米の一員のような、アジア・オセアニアの一員として、国際舞台に立ってきたと思います。

アジアの国としてよりも、欧米の国々の一員としての立位置にいたのでしょう。

このような感覚でいたので、アジアの国々からリーダーとして認められてこなかったのではないでしょうか。

残念でたまりません。

元の首相も自分で提言した「アジア経済圏」の構築のことを思い出し、行動(ネゴも含めて)していただきたいと考えますが。

いかがでしょう。

2011-11-18

現在の裁判で知らぬ存ぜずと言い続けると

容疑者がよく「知りませんでした」とか「記憶にありません」とか、言い続けることがあります。

多く場合、真犯人ではないと推定されます。

しかしながら全部、真犯人なのかは一寸疑問符が付きます。

理由はこうです。

現行の裁判では自白は証拠になりません。

また反対に証拠がなければ、罪を実証できません。

この二つのことは、「知らない」、「記憶にない」と言い続け、その間、証拠が見つからなければ罪に成らないことがあり得ます。

つまり、実際、罪にあたることがなされた場合であっても、「知らない」と言い続けると、罪に問われないことになります。

俗に「嘘を言い続ければ罪にならない」と言われるのはこのことだと思います。

確かに「知らない」とは自白を待たなくては真意は当人以外知る術もありません。

この場合は「嘘を言っている」とは言い切れませんから、「嘘を・・・・」との表現は正しくないと感じます。

しかし、やっているのに、裁判後には罪にならないとは、あたかも、やっていないようなことになるのは一寸おかしく感じます。

裁判の場では、やったか、やらなかったかが証明されるのではなく、やったとしても証拠が無かったことが証明されることになると感じるのです。

皆さんはいかがでしょうか。

最近の政治関連の事件などは、特にこのようなことが言及されていないなと感じています。

いかがでしょう。

2011-11-13

TPPで農業がクローズアップされていますが

米国が云々とのことでTPPを反対されている一面があると捉えています。

農業が壊滅との議論もあります。

その中で食料自給率が少なくなるとの主張もあります。

確かにそのような捉え方もあると思います。

しかしながら今まで農業分野で疑問になることが幾つかあります。

先ず、米の国でありながら小麦を原料にしたパン食を小学校の給食にしたきたかたです。

国民が米を食べなくなったとの話は最近ではないはずです。

このことに農業分野の方々がこの辺りに対してどのような行動なり、主張なりをされてきたのかと感じています。

最近は小麦の高騰を理由に小麦を原料にしているパンなどにも米粉を導入するため製粉などの技術にも力を入れて、余り気味の米の消費を促す行動がとられて来てはいます。

冷静に考えれば、このようなことを昭和40年代には行われてこなくてはいけなかったのではないでしょうか。

米が消費されていないと言いながらあまり表立った主張が米関係者から出てこなかったのは何故だったのだろうと思い始めています。

そこには何かの(どこかの)力学が働いていたのではと勘ぐってしまいます。

また野菜で言えば、重油を利用して野菜を作っていたり、種を輸入したりもしているのではありませんか。

確かに収入確保という面からは仕方ない選択なのでしょう。

しかしながら、それによって味が悪くなっているのではないでしょうか。

そう言うと、消費者に求められる味のものを栽培・供給してきたと反論されると思いますが。

味と言えば、米の味もこの20年辺りで、また相当変わってきたことを感じます。

以前の米らしい味がしません。

いかがでしょう。

農業を真剣に考えていただけるなら、ただTPP問題だけでなく、総合的に是正していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-11-05

転勤が多いから社宅が必要とのことですが

公務員宿舎の問題で、どなたかが「公務員は転勤が多いので必要」と発言されたとの報道がありました。

確かに国家公務員の方々は転勤が多いい方々もいらっしゃることと思います。

公務員の宿舎に関する法律なりができた昭和24年当時は転勤族の始まりは国家公務員だったのでしょう。

しかし、昭和30年以降は徐々に企業でも転勤族が多くなり、社宅を提供するところが多くなったのだと思います。

最近の企業では社宅を用意して転勤させるようなことはやめてきていることは皆さんご存知のことと思います。

つまり、社宅の提供と転勤とは直結しない時代に入っているのが現在のわが国の状況なのです。

昭和24年辺りのこととは社会の構造は激変してきており、転勤が多いのは企業の方であり、国家公務員の一部にそれに準じる方々がいるというのが正しい認識ではないでしょうか。

転勤が多いから社宅を用意しなくてはとの認識は時代錯誤です。

転勤が多いから公務員宿舎が必要という論理は破綻しています。

是非この辺りのことを言っていることに代議士を選んでいるのは我々有権者であるとこともっと意識しませんか!

戦後に作られて現在まで存続している法律なりを徹底的に調べて、改定して行くことが必要と思いのですが。

いかがでしょう。