昨日の衆議院選挙の結果を見て、原発反対のうねりはどこに反映されたのかとの疑問が浮かびました。
いかがでしょう。
あれだけ叫ばれた原発反対とあまりのいにもかけ離れた今度の与党の圧倒的な数の勝利に、ちょっと落胆に似た感想を抱きました。
あまりの距離に、どうなっているのとの感じです。
デモの力なさは、60年安保の、ベトナム戦争の、・・・、今度の原発の、と立証されたように思えてなりません。
デモが駄目と言うことではなく、選挙行動に結びついていないということを問題にしているのです。
デモの矛先はどこかを考えておられないではないでしょうか。
物事が深く考えられていないことに起因しているのかもしれません。
深く考えるとは、あることに関連することを多岐に手繰り寄せ考えることだと考えています。
つまり、原発反対であれば、先ずその原発を容認してきた政策を実行してきた政治を思い出すことが必要でしょう。
さらにその政策を後押ししてきた団体も認識しなくてはならいでしょう。
またそれをささえてきた専門家と称される学者も思い出すことが必要でしょう。
このように考えてどこを正さなければならないか考えることが必要と思うのです。
いかがでしょう。
今回の選挙は、あまりにもそのような深い考えの結果ではないのでは、と考えるのは私一人でしょうか。