意見がかみあわず、一向に合意がとれないケースが多くなったのでしょう。
確かに、異なる意見を尊重すること重要だと思います。
しかし、異なる意見をただ、ただ言い続ける議論って何なのでしょう。
議論をする意味は、いろいろな意見を踏まえて、だれも気付かなかったような意見を創り上げることではないでしょうか。
そうでなければ、いろいろな意見を持ち寄ることの意味はないのではないでしょうか。
そういえば、テレビでの意見集約も、国会の討論の結果も、出席者の意見を投げ合うばかりで、一向に新しい見解なり、新しい見方なりを創り上げようとしない政治討論会のやり方を、ただ踏襲しているように見えるのです。
マスコミ報道方法が一般国民に浸透してきたからなのでしょうか。
話はことなりますが、最近のテレビの報道の中で一般国民が政治の事柄を問われて発言する場合に、マスコミが報道しているコメンテーターなりが発言している言葉をリフレインしているような傾向が強くなっていると感じるのは、私一人でしょうか。
このことはマスコミなりの報道内容は多くの国民に大きな影響を与えているのだと推定されます。
このことから、マスコミや国会などで、意見発信や意見をぶつけ合う場合、異なる意見を求めるだけでなく、新しい意見を発見して、新たに意見を創り上げるような討議の方法を是非推進していただきたいと思うのですが。
いかがでしょう。