多くのテレビなどのコメンテーターが、新聞や雑誌やテレビの報道に携わった方々であるのではないでしょうか。
マスコミ経験の方々は社会や政治のことをよく知っているからでしょう。
確かにその場面に多く接しているわけですから、そうだと思います。
しかし、そのような思い込みは正しいのだろうかと感じ始めました。
地デジが始まって従来のテレビ受像機で番組が見えなくなり、朝起きてテレビを観ることがなくなってこのかた、最近のタブレットPCで情報を読んでいて感じているのです。
マスコミの報道情報はあまりにも浅すぎる論理で構成されているというのが、実感です。
皆さまはいかがでしょう。
第一に、マスコミは事実を報道しているだけであり、そのような実体験しかしていない方々がコメンテーターになられているのではとの仮説です。
第二に、幻想的な中立性を守らんがために、どちらかに寄ったような記述なりがないように自己抑制した経験の持ち主ではとの仮説です。
第三に、報道されている論理や展開が浅く、発生した現象なりから、どこ、どこ、との深いとことまで行き着くことを経験されていない方々ではとの仮説です
第四に、現場で培われた視点でのコメントが主で、新しい視点でのコメントや、正さなくてはならないところをあぶり出すことのないコメントが多いように感じるのです。
いかがでしょう。
例えば、「何々が問題であり、政府の責任は大きい。何々大臣はこのように言っているが、これでは可決できない。・・・」などとの発言があるのではないでしょうか。
現象面では確かにそうでしょう。
しかし、とことんつめると、そうではないのではと思うことがあるからです。
一例で言えば、そのような時に問題になっているのは法律がそうなっているからで、その法律を変えず、存続するかぎり、思った方向にいけないことがあるからです。
以前にも書きましたが、公務員宿舎の問題は昭和24年制定(勿論改定はされてきていますが)の法律にもとづいて、粛々と進められてきたのです。
つまり、何を言っても、この法律を抜本的に変えない限り、問題はいつまでも続くのです。
このようなに展開されてるコメンテーターは見当たらないことが問題であり、マスコミ出身のコメンテータの方々の発言の限界を感じ始めています。
いかがでしょう。