2008-04-30

放置していては是認されてしまうのではないでしょうか

ガソリン税の関連で怒りをぶちまける方々が多いことが報道されています。

怒りは今ですが,その下地は戦後なりから始まっているのではないでしょうか。

与党が変わる確率が低い状態で60年近くも一つ相当の政党が予算執行に携わったいるのです。

考えてみても下さい。

銀行などでも横領などの不正がある場合の主な原因の一つに,担当者が長年同じ仕事に携わっていることが上げれるのは今や常識に近いことになっているのではないでしょうか。

そのようなことと同じことが起きてきたと仮説を立てるのはあまりにも短絡しすぎでしょうか。

国の予算の執行の場合には,さらにそれを囲む仕事を請ける組織がからみ,また予算の組立ての案を提案する官僚の人事には当然与党のいろが絡むのと考えるとしてもあまり外れていないのではないでしょうか。

このようなことがテレビのコメンテーターの方々があまり語らないのは何故なのでしょうか。

一つ一つの事象に理由をつけて語るのはあまり重要ではないのではないでしょうか。

根本的な構造的な問題があるのではないでしょうか。

今まさにこと辺りのことを考えなくてはならないと思えてならないのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-24

弁護する人権について

裁判の報道の中で,弁護士の発言もよく報道されていますが。

何か違和感はないでようか。

まりにも被害者の人権がおろそかにされてはいないでしょうか。

弁護士の発言といえば,大部分が被害者を弁護する方々です。

被害者であったとしても人権はあると認識はしてはいますが,被害者の人権はどこにいったのでしょうか。

特に殺人事件ではそのように感じざるを得ないのです。

あまりのも奪われた命が軽んじられていると感じざるをえません。

何の脈絡もなく,命が奪われる事件が毎日のように報道されている今日,一度考える時期がきているのではないでしょうか。

弁護のありかたも含めて報道機関で取り上げて欲しいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-23

10億円の横領の責任はどこに

確かに10億円を横領した人物が責任があると思うのですが,すんなりそれだけではすまされない感じを抱かざるを得ないのですが。

横領した人物は担当者であり,その担当者を日頃一緒にいたであろう管理者が配置されていたはずだからです。

その管理していました方々は,どのような管理をされていたのでしょうか。

横領の事実があった場合,その事実を報道するだけでなく,そのようなことが起きるような管理はどのようにされていたのかを報道していただきたいものです。

管理者をしていた方々なら,すぐにでもそのように感じられるのではないでしょうか。

あまりにもズサンと言わざるを得ません。

10億円を一度に横領されたのではあれば,そのような感じは抱かないかもしれません。

しかし,数年にわたって行われた結果だと聞けば,管理されている方々は何を管理監督されていたのかと思わざるを得ません。

行為した担当者の責任は当然大きなものではありますが,管理監督されていた管理者は相当の責任があると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-22

行政の担当者ばかりが責められていますが

何か問題が起きると官僚や,行政の担当者が責められる構図になっているように見受けられますが,このような認識は妥当と考えてもよろしいのでしょうか。

お金にからむ問題には行政の担当者だけでなく,往々にして政治家の秘書などがからんで来ているのではないでしょうか。

金額の規模が大きな予算の近傍では,特にそのような問題があるように思うのですが。

バックマージンの問題を肌で感じておられる新聞記者や,会社で管理職を経験された方々は数多くいらっしゃるのではないでしょうか。

どうしてそのようなことが,何故,錚々たる会社の管理者を経験されてきたコメンテーターから発せられず,行政の担当者が悪いようなコメントがなされるのでしょうか。

ご存知ないと判断すべきなのでしょうか。

本当にそうであれば,実態を知らないコメンテータということにはならいでしょうか。

行政の担当者も責められてしかるべき方々とは思いますが,そこばかり責めていますと,問題の本質を見失うことが起きるのではないでしょうか。

官僚,地方自治体の担当者ばかり責めるのではなく問題の構造を見据えることが必要な時期に来てると思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-21

「一言かけ」運動の提案

毎日ひどい事件が報道されています。

電車の中で携帯電話をかけている人に注意をした方が暴行を受けたとか,電車の中で若者が足を投げ出して座って迷惑をかけているかとか,日々注意を受けていれば止められることができたのではないでしょうか。

前にも書きましたが,日々誰にでも注意されることなくきたことが,ある日突然誰かに注意されるとキレルようなことが起きているのではないでしょうか。

放置されてきたことが,ある日取り上げれれれば,いままで許されてきたことが,何で駄目なんだということになるのではないでしょうか。

急に言われれば『頭にくる』ということも,まんざら理解できないということではないと思うのです。

そこで提案ですが,何か注意が必要な場面に遭遇したら,一言声をかける運動はいかがでしょか。

声をかけたら報復されることがないように,マスコミにも支援しただいて行うのです。

日頃注意を促されれば行わなくなることが数多くあると思うのです。

東京都千代田区の歩行時の禁煙運動などの成果もそのような取り組みに近いものだと思います。

いかがでしょうか。

2008-04-14

真実の解明を待ちたいという表現がされた報道がありますが

「真実の解明を待ちたい」と締めくくられる報道がされますが,このような表現は誤解を招くのではないでしょうか。

「真実が裁かれる」と聞くと,一般的には事件なりの真の理由なり,原因なりが明らかになるように聞こえないでしょうか。

しかし裁判で,事件を発生させた真の理由なりが明らかになることには実感がないのではないでしょうか。

黙秘あり,自分に不利なことは言わなくてもよい権利がある現行の裁判制度では真実が裁かれることになることからは遠いのではないでしょうか。

つまり報道される時に使われている「真実の解明」との表現は改められるべきではないでしょうか。

裁判員制度とのからみでも必要なことだと思うのですが。

いかがでしょうか。

2008-04-11

お金の使い方のプロを議員にしないといけないのでは

日々特別予算の使われ方が報道されています。

徴収の件で,ガソリン税がクローズアップしていますが,税の使われ方も重要な問題です。

ところで,議員の方々の発言を聞いていますと,あまりにもお金の使い方に対してプロではないように思われてなりません。

例えば,用途しかり,額の大きさしかり,この辺りを見極めることができる目利きのスキルをもった議員の出現が待たれるのではないでしょうか。

今の議員を見ますと与党,野党ともに官僚,労働組合役員,弁護士,医師など,収入にあたる売上を上げることに知恵を出し,収入に見当たった使い方のスキルを持っていない方々ばかりではないでしょうか。

このような人材のもとでは適切な予算の計画や執行が行われることは期待できないのではと考えるのは短絡しすぎでしょうか。

会社なりで予算計画と執行を管理職として経験された方々が入ればいくらか変わると思うのですが。

いかがでしょうか。

今のままの人材集団では,低成長時代に合った予算計画・執行に対して大きな期待ができないのではないでしょうか。

今までの人材でない方々の出現を期待したいところです。

2008-04-10

道路財源の一般財源化は適切ではないのでは

ガソリンの暫定税を一般財源化するとの報道がありますが,このことが適切なのでしょうか。

大前研一氏もブログで指摘しておられますが,一般財源化をしたらまた無駄をすると考えられます,いかがでしょうか。

一般財源化はいかにも適切のように聞こえますが,いままで相当額2兆円余りの金額が国庫に入ることになります。

つまり無駄使いをする温床を作ることになると思うのです。

道路をいままで通り造る必要があるのかといった,根本的な話題になっています今日では一度暫定税を廃止して今後必要な財源を新たに国民に説明をすることが必要だと思います。

国民はそれほど物分りの悪い方々ではないと思います。

必要な財源は認めるような行動をとるはずです。

財源ありきで,どのように使おうとしてきたのが従来の予算執行の有様だと思います。

管理職になられて行動されてきたサラリーマン経験者ならすぐにでも思い当たると思います。

TVのコメンテーターの方々がほとんどそうそうたるサラリーマン経験を積んでおられます。

是非その辺りのことをTVの中で言っていただきたいと思いますが,いかがでしょうか

2008-04-02

責任があるのはないでしょうか

数多くの地方自治体の財政が逼迫しているとの報道があります。

どこに責任があるのかよく考える必要があるのではないでしょうか。

まず地方自治体の長,およびその議会の議員に責任があるのではないでしょうか。

予算案が出れば審議したはずですから。

また予算案を作成した行政担当者にも責任があるのではないでしょうか。

地方自治体の財政の逼迫さは,だれよりも知っていたはずですし,専門家のはずです。

専門家が誤った判断をしたのですから,責任は重大と思うのですが,いかがでようか。

どこかで伺ったのですが,行政の担当者は責任を取れない,取らなくて良いと法律にあるとの記憶があります。

この辺りは法律の専門家に伺いたいと思いますが,責任はあると思うのです。

個人で責任が取れないのなら,行政組織全体で責任を取ることが必要と思うのですが。

さらに付け加えれば,住民にもその程度の長,議員を選出した責任もあるように思えますが。

2008-04-01

支出だけの専門家は政治家にふさわしいのでしょうか

現在の政治家の多くの方の出身母体は官僚ではないでしょうか。

そのような方々は優秀な方だとは実感してはおりますが,だからといって国のお金を適切に使うことのできる人材と考えてよろしいものでしょうか。

よく考えますとそのような皆さんはお金を配分することには長けているとは思いますが,収入に当るお金を稼ぎ出したことがありません。

椅子に座って政策を立案して実行すれば多額のお金を集めることができる仕組みの中で生きてきた人材でしょう。

このような仕組みで長年培ってきた経験からでも,収入に見合って有効なところにどのようお金を使っていくべきかのスキルを沢山経験・蓄積できているとは考えられないのではないでしょうか。

このような方々が政治家になることは(政治評論家のどなたかがブログで書かれているのを読んだ記憶があるのですが)一種の天下りであり,無駄使いをしている各省庁の外郭団体の幹部と同じような感覚を持った人材と考えるのは行きすぎでしょうか。

何か今回のガソリン税の使われ方を見ていますと,そのように感じるのですが,いかがでしょうか。