テレビのコメンテーターなどは連日の解散時期を予測する報道に対して、政策論の花話が置き去りになっているとのコメントを発していることが多いですが、どこにその原因があるのでしょうか。
マスコミだと思うのです。
マスコミ側も「報道は起きていることをありのままに知らしめること」のようなことを言われるでしょう。
確かに姿勢はそうかもしれません。
しかに、それ以外に批評の姿勢もあるはずです。
あるべき姿を見つめる視点からの評論です。
解散時期の話ばかりで、政治の話をしてくれているように思っておられるのであれば、勘違いではないでしょうか。
状況の一部としての解散時期の話題はあると思います。
それがあたかも現在の政治状況全部のような報道は、報道する側が問われなくてはならないことのように思うのですが、いかがでしょうか。
解散時期だけを問題にしている与党がいるのであれば、それを問い詰めるような姿勢がマスコミに必要だと思うのですが。
政策論まで行かないまでも、長期にわった与党の政治姿勢がどのようであったのかということを見つめるような報道が必要ではないでしょうか。
現在もちあがってきている問題の多くは、与党がずっと続けて来ていることに起因していると思います。
構造的な問題なのです。
政策論では解決できない問題だと思うのです。
まさに変わることしかないのです。
つまり監視する主体の変更しか、この構造的な問題を解きほぐすことができないと思うのですが、いかがでしょうか。