大岡越前や金さんなどの裁きについて最近テレビの番組で紹介されていますが、現在の法の運用には違和感があるのですが。
例えば、殺人を犯して5年の刑とか、何か釈然のしない運用が行われてはいないでしょうか。
その一因には明治維新で西洋の刑法(刑事訴訟法)が輸入されたことにあるとの仮説はなりたたないでしょうか。
江戸時代は300年以上にわたって幕府自らが模索する中で構築してきた法があり、そのをもとに運用されてきたのです。
しかもそれなりの治安を持ちながら。
調べてみると、現在の視点で見ればそれは人権を無視したものも散見されます。
しかし、だからといって西洋の刑法が優れているわけではないと思うのです。
現在の裁きの有様を見ますと。
刑法などの法律だけでなく、他のことも同じような構造を持っていると思われます。
例えば、官僚の報酬などの処遇です。
下級武士出身の人材が多かったと言われる明治維新の重鎮達は、自らの処遇をお手盛りで決めていたとしか思われないのが、まさに現在地位の高い方々(高級官僚、代議士、銀行関係者など現在報酬が多い方々)の報酬の現状ではないでしょうか。
殿様をなくして自分達がその地位に就いたような錯覚をいだいたのしょう。
既得権を振りかざして自己否定を行わない地位の高い方々の有様は構造的にみて同じです。
現在起きている事柄をじっくり見るとき、明治維新もで遡って再考すること必要と思うのですが、いかがでしょうか。