2011-04-20

原発などに対する工学部の学者の完成度の捉え方

安全、安心の支えを専門家、特に大学の工学部の学者の方々が担っていることが多いと思います。

確かに原理に対する専門性は、そのような境遇の学者の方々信頼できると思います。

しかしながらそうばかりは言えない面もあると思います。

例えば今回の原発事故に何故日本の大学などで開発されてきたロボットが活躍できないかです。

一部の報道ではロボットの核となるコピュータ周りのICチップが放射線に影響する民生のものを使用しており、動作に不安があるとのことが書かれていました。

さらに原発事故などの場面で使えるようにするためには放射線の影響のないICチップが必要とありました。

確かにそうだと思います。

しかしそれだけではないと思います。

何かと言えば次のようなことです。

大学や国立の研究所で研究・開発されている方々は原理の実現性に関心があるのです。

ロボットで言えば、壁を登れるとか、瓦礫のなかでも走行できるとか、迷路であっても自分で判断して道が探せるとかです。

この場合にロボットでは以上のことを処理するプログラム(ソフトウェア)の開発が、コンピュータなどのハードを開発することに加えて、必要となります。

このソフトウェアの開発内容が曲者なのです。

大学などの学者の方々は、そのソフトウェアの開発で自分の成果として学会などで発表できることに関心があるのです。

学者であれば当然のことだとは思います。

しかしこのことなどが開発するソフトウェアの内容を規定してしまうのです。

つまり俗にいう『正常系』のソフトウェアの開発に重点が置かれ、『異常系』の開発が充分でないということがあるのです。

理由は、開発には時間、費用などのコストが正常系の開発よりも数倍かかるからです。

ソフトウェアでは正常系に比較して3倍から5倍のコストがかかると言われます。

ですから大学の要員、予算では原理の確認に必須な正常系に重点が置かれるのです。

そしてこのことから原発などのところで活躍できなくなるのです。

このことはロボットだけでなく、原発の研究でも同じようなことが言えるのかもしれません。

一寸考えてみてください。