2009-08-31

Kチルドレンの二の舞にならないようにするには

若手の新人の代議士が多く生まれましたが、前回の選挙のチルドレンと同じであって欲しくないというのが思うところです。

確かに新人の方には、自分のやりたいことがあると思います。
薬害の発生を防ぎ、被害者を救うとか。

そのことは当然実現に向けた行動をしていただきたいと思いますし、期待もしています。

一方、次のことも是非忘れずに行動していただきたいと思っているのですが。

『先生』にならずに、言い方はあまり良いとは思っていませんが、『素人』的発想なり、見方を発揮していただきたいのです。

代議士は、古く死語になってる言葉でしょうが、『公僕』だと思うのです。

代表者であって、俗に言う『偉い人』ではないと思うのです。

ですから次のような疑問を自分なりに抱いていただきたいのです。

(1)代議士は現在のように優遇されていていいのか
(2)現在の定員が適切な人数なのか
(3)二院制は必要なのか
(4)選挙にお金がかかるのはどこで、どうしたらかからないようにできるのか
(5)業界と癒着するのは何があるからなのか
(6)官僚を現在のようにのさばらせてきたのは政治がなにをしなかったからなのか
(7)いままでの大臣は職責として何を行ってきたのか

などなど、初めて代議士になった方々は、プロの代議士になってしまおうとするのではなく、素朴な視点をもった市民であったいただきたいのです。

そして是非、会社でいうところの管理者ではなく、自分で考え、話し合え、適切に処理できる実務家になっていただきたいのです。

官僚と対等の実務者になっていただきたいのです。

先生には是非ならないで下さい。

こちらからお願いしたします。

いかがでしょうか。

2009-08-28

与党が変わらないことはそういうことに

本日の田原総一郎氏のメールマガジンで
「・・・ここまで徹底してしまったのはなぜだろう。
 私は、その理由はわりと単純だろうと思っている。
 それは、国民の多くが「このへんで一度、政権交代をさせたほうがいいのではないか、こんなに長く、1955年から一回も野党が政権を握れないのは異常だ」と考えているからだろう。
 「そんな国は共産主義にしかない。このへんで政権交代させたほうがいいのではないか」という思いを持ち、・・・」
とありました。

なるほどそうかと思わざるを得ない論調です。

テレビでは聞けないもののように感じます。

確かに一党が長期政権についているのは以前にも書きましたが、澱がたまってきていると思います。

いずれの党でもそうなると思うのが妥当ではないでしょうか。

そう考えますとマニフェストがどうのこうのとの論調がテレビ、新聞、コメンテーターの方々から提示されてはいますが、その内容で選ぶという行動が、現在本当に求められているのかと疑問を感じざるを得ません。

変えなくては官僚との関係、政府と業界との関係などがオッサーライできないのではないでしょうか。

どの党がなったところで長年つづけば同じことが起きると思います。

世界の国々を見ていても、そうなると予測する方が妥当でしょう。

しかし、継続的に変わっていくことが淀みをつくらず、澱のたまらない政治世界が構築できるように感じます。

理屈ではありません。

いかがでしょうか。

2009-08-27

お金の使いすぎでは

大前研一氏のメールマガジンで次のように書かれている。
「日本経済は、ピークを迎えた1989年12月以降、衰退の一途をたどっている。その過程で、景気刺激という名のもとに国が無駄遣いをしたため、以前よりいっそう深刻な借金まみれの国家になってしまった。しかも“緊急”公共工事みたいなカテゴリーでこの間に300兆円以上のカネが無駄に使われている。バブル崩壊以降、税収が非常に少なくなっていたにもかかわらず、ほぼ一貫して政権を担ってきた自民党が将来から借金をしまくっていたのだから、当然といえば当然の結果である。」

何故税収よりも大きな金額が使われ、先日まで言われたように道路や、空港や、ダム、施設などの建築に無駄使いされてきたのでしょう。

そこには、社会には従業員を雇うための組織が必要で、その後に従業員がいるとの暗黙の了解があったのではないでしょうか。

確かに働く場所の確保こそ社会の存続のためには必須と思います。

しかしその考えがおしなべて推進されてきたのではないでしょうか。

明治維新や戦後(第二次世界大戦の)の時期であれば当然かもしれません。

しかし現在はそのような次期ではありません。

政治的な舵取りが行われてきた結果が現状と感じるのは私一人でしょうか。

いろいろな不正を考えた時、あまりにも会社に甘い法律なり、規制であったことが現状を作り上げてきたのもあるような感じがします。

食の不正、建設業者の癒着などなど、処罰があまくあまく行われ、致命的な打撃が与えられないことが行われてきたのではないでしょうか。

勿論致命的が必要とは言いません。

しかし、それなりの不正があれば、例えば資本金の3倍の罰金を科すなどのことが考えられてもよかったのではないでしょういか。

このようなことさえ考えられて来なかったとすれば、やはり与党が長年執行されてきた施策なりに問題があったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

いかがでしょう。

2009-08-23

コメンテーターの経験分野で限界があるのでは

コメンテーターの発言に今の社会への提言がずれていると感じられることはないでしょうか。

例えば政治学者なら日本の世界の立場の、政策の内容のコメントをと言うような期待感から言っているのではありません。

言っていることが現状の社会のことを言い当てていないと感じることがあるからです。

就職時からずっと大学だけにいらっしゃった学者の方、新聞社に就職してしかるべき地位についていらっしゃる方、公務員試験に通って官僚の課長の地位などから地方自治体の長になった方、民間会社に就職して管理職に就いた方などがコメンテータになっていらっしいますが、どのような限界が考えれれるか考察したいと思います。

○学者の方 :
 予算の獲得法と年度予算の使い方などは分ると思いますが、社会の   不正(官僚の不正、会社の不正)に対する見解を言えるような経験は少ないのではないでようか

○新聞記者の方 :
 管理者になった方以外の方では管理者としての経験(予算の獲得、戦略の立て方、不正の実感は少ないのではないでしょうか

○官僚出身の自治体の長 :
 自治体の長としての不正に対して見聞きした経験は豊富だとは思いますが、その範囲以外のことには疎いのではないでしょうか

○民会会社管理者経験者 :
 予算の獲得法、戦略の立て方、経験分野の不正の内容についてはご存知でしょうが、他の分野には疎く、官僚の職務内容のことや残業の実態などは疎いのではないでしょうか

つまり、個々のコメンテーターのには個々に限界があるのです。

ですからコメンテーターの言っていることを聞いていても、真のわが国の是正しなくてはならないことは語られていないと考えるべきではないでしょうか。

経験してきたこともさることながら、語られている内容も言い当ててないような感じがしてなりません。

今こそ限界を確認しつつ、自分の情報を収集して、自分の頭で考えなくてはならない時代がきたのだと思います。

2009-08-20

問い詰めれば理由はなんとでもけられてしまうと思いませんか

予算の立案に関して大臣が官僚に理由を問えば、必要な理由を筋道たてて説明できると思います。

会社で管理職を経験された方であればよくお分かりになるのではないでしょうか。

官僚はそれが仕事ですから、私どものよりそのスキルは上であると思います。

また上位にいらっしゃる方々であれば、そのプロです。

それがどのような場面でも説明できる方々が上位につくわけですから。

現在の野党の主張では大臣以外にも代議士を省に配置すると主張されています。

なまじっかのスキルしかない方々がそこに着任したら言い含められることが予想されます。

自分なりの考え方が無い方々が理由を問うた場合、理路整然とした説明を受ければ納得してしますと思います。

プロの説明家には太刀打ちできないと思ったほうがいいと思います。

問う姿勢ではなく、自分の考えを説得して予算なりに反映する姿勢でなければうまく行かないと思います。

説明者はこちら側で、あちら側の方々ではないと思います。

いかがでしょうか。

2009-08-19

現在のような社会にしてきたのはどなたでしょうか

「責任力」などというわけのわからない語彙を使って何かを言おうとしているのでしょうが。

どなたが現在のような責任を果たさない社会を築いてこられたのでしょうか。

自覚がないなら、自分たちで政策を立案して実行されていき実感がないのではないでしょうか。

今までの多くの大臣の言動などを思い起こしますと、確かに自分で政策を実行されている感じがしません。

ただ俗に言う「偉い」地位について、ただただ印鑑を押していたのでは感じます。

それが戦後続いてきた与党の政治だったのではないでしょうか。

政治的な判断はなく、ただ官僚が描いたとおりの計画が実行されてきた。

そしてその計画には政治的な判断ではなく、自己の利益にからむことを入れることが行われてきたのではないのでしょうか。

何かそのような仮説を立ててみたくなるのです。

そうでないようであれば、学者あがりの代議士の方がこそ、情報発信していただきたいと思うのは私一人でしょうか。

何回も書いて恐縮ですが、今まさにその辺りのことを明らかにして行くことが今後の政治の是正に重要と思うのですが。

いかがでしょうか。

2009-08-17

どのように感じられているのでしょうか

与党の中には大臣を経験された学者出身の方がいらっしゃいます。

今どのように感じていらっしゃるのでしょう。

あたかも誰かがこれまでわが国の舵取りを行ってきたような演説なり、テレビでの発言を多く拝聴いたしますが。

皆さんのおかげではないのでしょうか。

勿論現在の与党の方々が全て現在のように官僚政治や無責任な社会を構築してきたとはいいませんが、長年の与党の政治姿勢がこのようにしてきたと言うことはできるのではないでしょうか。

学者出身の大臣や元大臣などはどのように感じられておられるのでしょうか。

頭脳明晰な方々がこの辺りのことに何も感じておられないとは思えないのですが。

いかがでしょうか。

今の与党の若手にも同じようなことを感じています。

現在の与党のどこに是正しなくてはならない点があるのかマニフェストの前に明らかにすることが必要ではないでしょうか。

もしも現在に野党がわかってないと言うのであれば、なおさらどこが問題と皆さんは捉えているのか発言していただきたいのです。

天下り、特殊法人、道路建設、ダムの建設などに対してもです。

2009-08-11

自治体の長には実務家が必要では

自治体の長の選挙が続いています。

若い方々や、熟年の方々が立候補、選出されています。

長としてのスキルはかなり重要なものだと思うのですが。

熟年であればスキルがあるとは言えないと思うのです。

実務をいつまで(どの年齢まで)行ってきたかが重要だと思います。

神輿に乗って行ってきた管理者には実務経験が無いに等しいと思います。

なぜなら、予算の執行内容が自分の主張と合っているのかをチェックするには、実務家である官僚からの説明の内容から見透けなくてはならないからです。

説明としての理由付けは、どのようににもできるからです。

騙されることは多々あると思います。

会社の管理者を経験して、幹部説明を経験した方であれば実感があるのではないでしょうか。

自分のやりたいことがあれが、どのような理由をつけても幹部を説得されたのではないでしょうか。

理由を求めればどのような理由も付けることができると考えた方がよいと思います。

ここに騙される要因があるのです。

自分の公約を実行するとすれば、個々の予算事項に、かなり内部まで突っ込んだところまでのチェックが必要だと思うのです。

そのためには、官僚をスタッフにするのではなく、自分の右腕になるスタッフを10人位連れてのチェックが必須と考えるのでが。

いかがでしょうか。

その条件でもやはり、長には実務家としてのスキルが必要だと思います。

是非そのようなことを配慮して候補者を選んで欲しいものです。

2009-08-04

特別会計は約180兆円

2008年度の特別会計は180兆円もあるとのこと。

ここにも当然無駄があると思われます。

特に特別会計は財務省の眼が入らない予算ですので、俗に言う族議員が手を突っ込み易い予算だと思うのですが。

予算がないと言われていますが、無駄はないとは言われておりません。

つまり予算があり、その内訳が予算を使う省庁がお手盛りで予算配分できる予算なのです。

ここに官僚と業界と族議員が集まる要因があるように思うのですが、いかがでしょう。

お金の裏付けが云々と言われておりますが、例えば5%の無題があるとすれば9兆円もの金額になります。

10%になれば何と18兆円にもなるのです。

無駄を視点にすると18兆円ですが、予算とすれば180兆円あり、本当にその枠組みのなかで使うべきかを考えれば、180兆円が一般会計になるのです。

勿論その180兆円がまるまる他の予算として使えるはずはありません。

しかし、一般会計の全体で考えれば180兆円の金額も予算配分の原資になりえるのです。

特別会計のお金も含めて、予算配分を新に考えるべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

お金が足りないから、無駄を省くという主張だけでなく、従来のしがらみを断って、予算の配分を考え直すよい時期に来てると思うのですが。

これからの国あり方を考えた更地での予算を考えるのです。

そのくらいの荒療法が必要と思うのですが。

いかがでしょうか。

2009-08-03

漢字のルーツを知る教育も必要では

明治維新から始まったことか分りませんが、われわれは漢字の恩恵と日本語の中で使っている漢字にあまりにも関心がなか過ぎてはいないでしょうか。

最近台湾に行く機会があり、看板を中心に台北の漢字を見てきました。

同じ漢字の熟語や、似たような漢字の熟語や、漢字の順がことなった熟語など多くの漢字に触れることができました。

商店は同じ、ビジネスは商務、売買は買うが前で売るは後ろでした。

何故このように中国から輸入した中国漢字を、日本漢字にした際に変える必要があったのかとか、輸入の時期によって同じ意味でも異なった中国漢字があったのか、知りたくなったのです。

この辺りのことを教育された記憶がありません。

もっと言えば、発音の仕方などは聞いたこともなく、英語を学んだ際に毛沢東の詠み方を教えてもらったことを記憶している程です。

レ点をつけて漢詩を読まされた記憶はあっても、中国読みはどのようなっているのかを教育された記憶もありません。

台北で漢字の意味を聞きますと、日本の漢字の意味も異なっているようです。

このことを知ると、はたしてレ点で読んだ日本漢字としての意味は本当に教えてもらった通りなのだろうかと疑問が出てきました。

漢字に関して、中国に輸出している国は日本だけとも他のところで聞きました。

輸入してきた中国漢字を駆使して、わが国の文化を構築してきた現在を考えると、漢字のルーツを含めて、あまりにもお世話になった漢字圏の国々のことを知らされていないことを今回台湾を訪問して実感しました。

あたらめて漢字を使っている国々のことを、現在使われている漢字の世界のことから、是非知りたいと感じ始めました。

その時は意味だけでなく、読み方も含めて知って行きたいと思います。