2009-08-23

コメンテーターの経験分野で限界があるのでは

コメンテーターの発言に今の社会への提言がずれていると感じられることはないでしょうか。

例えば政治学者なら日本の世界の立場の、政策の内容のコメントをと言うような期待感から言っているのではありません。

言っていることが現状の社会のことを言い当てていないと感じることがあるからです。

就職時からずっと大学だけにいらっしゃった学者の方、新聞社に就職してしかるべき地位についていらっしゃる方、公務員試験に通って官僚の課長の地位などから地方自治体の長になった方、民間会社に就職して管理職に就いた方などがコメンテータになっていらっしいますが、どのような限界が考えれれるか考察したいと思います。

○学者の方 :
 予算の獲得法と年度予算の使い方などは分ると思いますが、社会の   不正(官僚の不正、会社の不正)に対する見解を言えるような経験は少ないのではないでようか

○新聞記者の方 :
 管理者になった方以外の方では管理者としての経験(予算の獲得、戦略の立て方、不正の実感は少ないのではないでしょうか

○官僚出身の自治体の長 :
 自治体の長としての不正に対して見聞きした経験は豊富だとは思いますが、その範囲以外のことには疎いのではないでしょうか

○民会会社管理者経験者 :
 予算の獲得法、戦略の立て方、経験分野の不正の内容についてはご存知でしょうが、他の分野には疎く、官僚の職務内容のことや残業の実態などは疎いのではないでしょうか

つまり、個々のコメンテーターのには個々に限界があるのです。

ですからコメンテーターの言っていることを聞いていても、真のわが国の是正しなくてはならないことは語られていないと考えるべきではないでしょうか。

経験してきたこともさることながら、語られている内容も言い当ててないような感じがしてなりません。

今こそ限界を確認しつつ、自分の情報を収集して、自分の頭で考えなくてはならない時代がきたのだと思います。