2008-09-10

日常的なことを出発点にした教育が必要では

現在の有権者の言動を聞いていますと,自分で考えて応えているのだろうかとか,本質を掴んでいるのだろうかと感じてなりません。

構造的な問題はあまり把握されていないのではないかと思えてなりません。

昨日NHKのインタビューに応えた小沢氏が「変えてみて,だめならまた変えればいい」ようなことを言っておられました。

また石破氏からは「与党のだめなところは官僚が作ったものを実行しているところ」のような発言がありました。

この両人の発言はまさに現在の問題を言い当てていると思うのですが。

いかがでしょうか。

また昨日,今日に報道されている米の偽装などは10年来行われてきたとあります。

このことは当事者の責任もさることながら,その状態を許容してきた構造を問わなくてはならない問題ではないでしょうか。

どこに視点を置いた行政だったのかということです。

事柄をあやふやな形で許容してきた構造的な問題です。

教育を考えてみますと,このような問題がどのような構造の中から発生してくるのかを説明できるような学問が教育の場で行われていないことは,誰でもが実感できるのではないでしょうか。

このような問題は組織ができれば必ず発生する問題であることを考えますと,このような問題を根源から断つのにはどのような方法があるのかを考える契機になる教科が教育の現場に必要ではないでしょうか。

学者になるためのような観念的なことがらから出発した学問ではなくして,日々の生活する場である社会を出発点にした教科です。

このように日常に関係する教科こそが実務家向けの学問であり,このような視点での教育がいままさに必要な時期に来ていると思うのですが。

いかがでしょうか。