本日の鈴木貴博氏の記事に次のようなことが書かれていました。
「世の中のどんな事象にも、もっともらしい説明を付けることが可能だという事実である。(中略)
損失の責任がどんなに自分にあったとしても、その責任を顔も知らない別の部署の人間に負わせるロジックを作り上げるなど、能力者にとってはお手のものだ。
だから彼らの言う「私に責任はありませんよ」という話には、大体において嘘があると思ったほうがいい。」
社会保険庁問題などを統括している大臣のまわりでも,このようなことが起きてはいないでしょうか。
最近感じていることに,鈴木貴博氏が指摘している「もっともらしい説明を付けることが可能」ということです。
いろいろな事柄に対して,政党に所属している代議士の話を聞いていると,もっともらしい論理が展開されます。
それも全く反対のことか,政策を支援するような説明です。
説明はその根本まで入り込んでの説明はあまり耳にしません。
取ってつけたような説明が多いのではないでしょうか。
そのような説明をしている代議士の履歴をみますと,多くの方が官僚出身です。
そのような環境のなかで自分で考えるよりも,どのような説明も展開できる周りの意見の説明を聞いて喋れば,自分と同じ論理でありますから楽なはずです。
だからとは言いませんが,いつのまにかとってつけたような論理で説明するような状況が造られてはいないでしょうか。
官僚出身の代議士は官僚と同じ論理を展開できる人材であり,場合によっては官僚そのものであることのあるように思えるのですが。
いかがでしょうか。