2010-12-19

法律がいつ創設されたか調べることが必要では

官僚の行為が問われてる時代だと思います。

国民のための行為ではなく、何か他の人々のために行ってような感じを抱きますが、いかがでしょう。

今まで気付かずにきたことがあります。

法律は明治時代から継続しているものがあります。

明治時代に創設された官僚の多くが江戸幕府の官僚だったことです。

「米欧回覧実記」でもその辺りのことを知ることができます。

江戸幕府からの官僚は、殿様のために何事も行ってきた経験を豊富に持ってきた、反対に言えば民衆のための経験は微々たるものではと仮説を立てるのが妥当ではないでしょうか。

このように考えると個々の官僚の行為を問うよりも、現在まで継続されている法律の中に、そのような傾向があるのではと検討することが必要ではないでしょうか。

この辺りのことを問うている歴史学者がいらっしゃるようでしたら是非情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

法律にのとって行為しているから云々の発言をよく聞きますが、このような認識が曲者ではないでしょうか。

法律自身が国民のためになるように、なっていなければ官僚の行為は国民のための行為になっていないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

明治時代の官僚制度の発足を考えると何か現在の有様が理解できるのではないでしょうか。

2010-12-15

日本家屋は何故日本の建築形式を捨て去ったのでしょう

日本各地の一般住宅をテレビなどの映像で見るとどこも同じような形式の家が建てれていることが分ります。

2階建てで、外壁はモルタルなどの様式です。

一方、日本の庭園などの建築形式は1階建てで、シック壁になっているものが多く存続しています。

どうしてこのような古来からある建築形式が捨て去られてきたのでしょう。

このような形式の建築は裕福な方々が建てられてきたものだからなのでしょうか。

しかし、この形式の建物には現在現在の一般住宅にはないものを感じます。

いかがでしょう。

どうしてこのような日本の建築形式の建て方で一般住宅を建ててこなかったのでしょう。

素朴な疑問がわいて来ます。

明治時代、戦後と2回にわたってわが国に築かれてきた建築形式が捨て去られ、他の国の形式に似た形式が導入されてきたからではないでしょうか。

その原因の一つには、日本の建築形式を学問にしてこなかったことを仮設にすることはできないでしょうか。

外国の建築は学問として学べるようになっているにもかかわらず、わが国の建築形式は学べるように体系化してないからではと思ってしまいます。

ただ学問にしてこなかったことがそうさせて来たのではと感じられてしかたがありません。

是非この辺りに関して建築家の皆さんから発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-12-06

市長と市議会がもめているところがありますが

市長解任の住民投票の結果が報道されていますが。

このケースや、名古屋市のケースでは市長の強引さが指摘されています。

確かに、一般的な民主的という言葉いわれていることから見てみますと、一寸手法にという感想を持たれる方々が多いのではないでしょうか。

この民主的というのが曲者ではないでしょうか。

国会議員の報酬、定数や区割りの件など、議会にかけ審議する所謂民主的という手続きではなかなか国民の意見を反映することが困難であることは見てのとおりです。

このようなことは当然地方自治体の議会周辺にもあり、現在報道されているようなことになっているのだと思います。

まさにこの民主的という手法に疑問が投げかけられているのだと思うのですが。

いかがでしょうか。

当事者の利害にからむことを、まさにその当事者が民主的な手法を使って否定するなどと言うことはできないことを物語っているのだと思うのですが。

当事者が当事者の意思で否定するなんて、昔のどこかの国のスローガンであった『自己否定』でも標榜しなくてはできないことなのでしょう。

このように当事者自身が当事者の処遇を変えるには、どのような手法が有効なのか考える時期に来ているのではないでしょうか。

ここでもその方法を考え、提案できればと思っています。

2010-11-16

今回のことも適切に話がされていたら

今回の映像漏洩事件は「秘密の守秘」や「映像公開の是非」に話が行っていますが、そうなんでしょうか。

与党の最初の話す内容が、「組織のありかた」や「武器を使える公務員の問題」であることに言及していたら、現在のようなことにはならなかったのではと思えてなません。

「国の秘密」にもって行くのではない、銃器を保持している組織の一員が、国が外交上のことから混迷してる最中に映像を勝手に公開したことを問題にすべきだったのではないでしょうか。

公務員としては行政の長である首相の意図とは異なる行為を行ったのではないでしょうか。

指揮命令系統の判断に逆らった行為だったと考えられないでしょうか。

秘密を暴露でもなく、組織のありかた、公務員としてのあり方の問題ではないのでしょうか。

マスコミの方はどうしてそのような視点から突っ込まなかったのでしょうか。

国民はマスコミの報道に左右されることは、これまでのいろいろな事柄で実証されていると思います。

早い時点でどこかのマスコミの方が指摘していれば世論はまた異なる方向に行っていたのではと感じざるを得ません。

弁護士ご出身の代議士がたくさんいらっしゃる環境で、そのような発言が報道されなかったことは、どうしてだろうと思えてなりません。

いかがでしょう。

2010-11-15

国力が落ちているのでは

ある方に、最近の事件などをどのように見ておられているのかお聞きしたところ、国力が落ちているのではとのことでした。

回復するのにはどのようなことが必要でしょうとさらにたずねると、難しいとの回答でした。

理由の一つに人口が減っていることを上げられました。

確かに領土問題などそのような感じを受けます。

国力とは何なのでしょう。

辞書には「国の勢力、財力」とあります。

勢力に関して、世界に対する影響力の面は、経済の発展にかげりがあるわが国は減少していると感じます。

財力は中国のような強さは、確かにないと感じます。

そのように考えると、確かに国力が低下しており、そのことを通していろいろな事柄が起きているとの仮説は立てられるように思います。

しかし、どうしようもないとは感じません。

というのは経済的、財政的な面からではなく、わが国独自の方法があると思うからです。

例えば、原爆の被害を受けた、世界で唯一の国であるわが国から、この世界へ平和への言葉なりでの発信ができるはずです。

また環境に関しても、公害を出してきた経験から、どのようにすればそのようなことを経験することなく、経済発展させる方法を提示できるはずです。

なかなか見つかりませんが、まだまだあると思います。

是非、他国との摩擦ではない関係での勢力を回復する方法を模索すべきと考えますが。

いかがでしょう。

わが国の言葉のルーツである「漢字」のルーツや、その伝播の歴史などを通して、「感謝」や「尊敬」の気持ちを率直に発信するのも、その一端になるのではと感じてなりませんが。

2010-11-12

コメンテーターの言ったことをリフレイン

TVで街頭意見の報道を聞くと、返ってくる言葉はどこかで聞いた言葉が多いことにお気付きではないでしょうか。

「政治の責任ですね」とか、「リーダーシップがかけている」とか、「想定外」、「秘密漏洩」とかの単語も含めてです。

コメンテーターの言葉は影響力が大きなことが分かると思います。

少し恐ろしく感じるのは私一人でしょうか。

このようにして皆がある方向に行ってしまうのかなと考えてしまいます。

自分の言葉で考えませんか!

確かに専門家の意見はそれなりの根拠があるのでしょうが、その言葉をいくらリフレインしたところで、事柄に対する解決策を他方面から見出すようなことにつながらないと思うのですが。

いかがでしょう。

他人言葉に触発されて自分の言葉で考えることが今まさに求められているのではないでしょうか。

そのように考えると、教育の現場でこのようなスキルが養成されているのか疑問が生じてなりません。

TVに教育まで求めるのは場違いでしょうが、あまりにも影響の大きいメディアにはそのようことも求めたくなってしまいます。

コメンテーターの方々も自分の専門分野からの視点で、自らの言葉で是非発信いただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2010-11-11

YouTubeへの情報流出の件ですが

国家機密か、との論調があり、そうではないのでは、のような議論が始まりそうですが。

そのようなところの最初から持っていくのはいかがなものかと感じるのですが。

いかがでしょう。

まず問われなくてはならないことは、組織が公表するか判断を躊躇している時に担当者相当の方が勝手に情報流出してことではないでしょうか。

そのようなことは内部告発でもなければ許されないことではと考えてしまいます。

組織的なレベルで言えば、組織の指揮命令機構が働いていないと言うことではないでしょうか。

そしてそのことこそ問われなくてはならないことではないでしょうか。

当然情報流出した本人もその対象でしょう。

今回の場合、指揮命令はどのようにされていたかです。

長官まで遡らないまでも、被疑者の上司である部長や組織長が、大臣などの指示を待つまでもなく、担当者近傍にそれなりの指示、今回であれば映像情報の管理を徹底させる指示を出しているべきでしょう。

組織であれば当然でしょう。

今回は海の警察相当のところであれば、さらに当然の措置ではないでしょうか。

それが大臣の指示云々、国家機密云々というところに行く前に問題にされることではないでしょうか。

まず情報を持っている組織の長が、情報管理に関する指示を出すことが必須でしょう。

長官、大臣に行く以前のことだと思うのですが。

一方、組織の長でなくても一担当者なりが、組織の決定(公開も含めて)が出ていない状況で、情報を公開するなどという言うことはあってはならないことではないのでしょうか。

国家機密レベルの話ではなく、組織のありかたとしてです。

このようなレベルのことを問えない規律を持っていないとしたら組織として失格ではないでしょうか。

なには牛の病気の時の当事者としての県が「国の指示が遅れた」との言い訳に通じることのように思えてなりません。

しっかりして!
と言いたくなっています。

いかがでしょう。

2010-11-10

専門分野でない事柄に対するコメンテーターの発言に

スポーツの実績ある方や、警察の経験者、政治家の経験者などがコメンテーターになっています。

TVではそれらのコメンテーターの方に、ご経験のないような分野の事柄に対するコメントを求める場面があります。

その時のコメントに、誰かが言っているようなことを発言される場合が多いように感じるのですが。

いがでしょう。

専門ではない分野の事柄に対するコメントであれば、素人としての素朴な疑問なりを、自分の言葉で発言して欲しいな、と思ってしまいます。

専門でない分野事柄に対しては、専門家の言ったことをどこかで読まれて、勉強されて来ていることなのでしょうが、聴いているわれわれはそのような感じられないのです。

言い方が失礼だとは思いますが、聴いていられないというのが本音です。

コメンテーターの方はお感じになっていないと感じます。

専門家にちかくなるべく努力しているとお話になるかもしれません。

しかしながら視聴者はそのようなことを求めていないと思います。

専門家でない視点でコメントしてもらいたいと思っておられる方が多いのではないでしょうか。

皆さま、いかがでしょうか。

2010-11-08

米を食べなくなったとお嘆きの方へ

わが国でお米を食べなくなったとお嘆きの方がいらっしゃいますが、よく考えてみませんか。

どこかのメーカーで既に有名になっているメーカーの後追いでマヨネーズを発売しようとした際、最初にしたことは幼稚園などに無料を配って味の記憶戦略を立てたと聞いたことがありますが。

これと同じことが従来の与党が行ってきたのではないでしょうか。

つまり、学校などで子供に毎日のようにパンによる給食を食べさせることをしたからではないでしょうか。

パンがおいしくて食べるようになってきたのではなく、毎日パンを給食で食べてきた記憶が刷り込まれているからとの仮説は立てられないでしょうか。

これがある程度真とすれば、今からでも遅くありません。

給食を米に切替えるべきです。

最近はご飯を何日か給食として出していると聞いていますが。

もっと積極的に米の給食を実行すべきと考えますが。

いかがでしょう。

また何故そのような指摘があまりされていないのでしょう。

このあたりから従来の与党の行ってきたことを見直すことも必要と思うのですが。

2010-11-07

いままでの与党は何をしていたのでしょう

TPPの話の中で農業政策が話題にあがっています。

農業が駄目になってしまう。

自給率がさらに下がってします。

と言ったコメントが出てきています。

しかし、このような意見は今にはじまったわけでなく、数十年前から言われてきたことではないでしょうか。

同じコメントが毎年何か課題が上がるたびに出てきていないでしょうか。

今までの数十年間、元の与党は何をしてきたのでしょうか。

現在のような状況は予測できてきたはずでしょう。

また輸出型ビジネスモデルを主張してきたわが国の場合、現在そのビジネスモデルが危うい状況であることはあるのですが、これも想定の範囲でしょう。

このように考えると、今までの与党は何もやってこなかったに相当すると考えることはできないでしょうか。

勿論現在の与党も同じ穴のムジナになることは充分考えられますが。

是非、今までにない智恵と施策を創り出していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-11-02

あきれる商品

開発者は商品になった際の不具合を知っているのだろうかと疑う商品が出回っているとお感じになっていないでしょうか。

例えば、錆びる車のナンバープレートをバンパーに留めているネジ、蒸気で曇る風呂に設置する鏡、やたらうるさいワイパーの動作音、クラシックのCDをかけて高速に入ると聞こえなくなったしまう純正で予め装備されたカーステレオ、などなどです。

具体的はナンバープレートのネジが3年くらいで錆が出てしまいました。

雨にあたれば錆びるなんて考えなくても分かることでしょうが、実際錆びているのです。

部品実装設計者はどのような考えで部品を選択してるのだろうと頭をかしげてしまいます。

同じ車で雨の降る日にワイパーを動作させると、その騒音はあまりにも大きいのです。

このことには設計者は実際に雨の日に試乗して確認しているのだろうかと疑ってしまいます。

さらに高速道路走行時のタイヤ(?)の騒音は、純正のカーステレオのCDから流れるクラシック音楽を消し去ってしまうのです。

このことも設計者は試乗確認しているのかと疑いが浮かびます。

車ではありませんが、もっとあきれることは風呂に設置した鏡が曇ることです。

確かに鏡は蒸気がかかれば曇ることは知っています。

お風呂の中の鏡はそのような環境に設置されることは明らかのはずです。

しかし、風呂用品を専門にしている会社の製品にもかかわらず、風呂のなかで鏡を使ってひげをそろうとすると曇って写らなくなるのです。

いたしかたないので、お湯をかけて曇りを消すようなことが必要となるのです。
(お湯をかけてもすぐに曇りますから何度も湯をかけることが必要となります。)

このことも設計者はどうしてそのような環境を理解していただけないのかと、考えてしまいます。

このように、使う場面を考え設計しているのだろうかと思ってしまう製品が多くなっているのは、何故なのだろうと考えてしまうのですが。

いかがでしょうか。

このようなことは政治の世界でも起きているように感じるのですが。

こちらもいかがでしょう。




2010-10-28

何故なのか本当のところをコメントして欲しい

例えば、事業仕分けです。

毎回、廃止とうたって、実際は廃止されてないのはなぜか。

このような事業自身が、前の長く与党であった政党のもとに執行されてきたのはなぜか。

どうでもよさそうな理由しか語られないことにそれなりの予算が認められてきたのは?

など、などです。

このようなことがぬくぬくと行われてきたのは何故なのでしょうk。

官僚の仕業なのでしょうか。

それとも政治、経済界、・・・などからの圧力なのでしょうか。

どうもこの辺りのことが明らかにされていないのではないでしょうか。

真の理由を追求しない限り、治療はできないのではないでしょうか。

是非、本当の理由をマスコミに係っておられるコメンテーターの方に語っていただきたいのです。

同じような表現のコメントは不要です。

聞き飽きてきていることを認識して下さい。

本当のことを知らないのなら、知らないとコメントして下さい。

その場合には、感想を言っていることを明示して下さい。

現在求められていることは本当の理由を明らかにしていただきたいことです。

本当のことを知らない限り、判断ができないからです。

是非、そのことを肝に銘じていただきたいと思うのですが。

2010-10-25

リーダーに望まれるもの

現在のわが国の指導者に望まれるものがあると言われています。

それは『構想力』です。

例えば、今までのことを踏まえて将来のことを考える力です。

今まで原料を輸入し、製品を製造して利益を得てきたビジネスモデルは今や去らなくてはならないものになりつつあるのではないでしょうか。

このような現状を踏まえて、これからのビジネスモデルを考え出すことも構想力でしょう。

今まさにこのことが望まれているのだと思います。

一寸遅すぎの感はしますが、しょうがないでしょう。

確かに構想力なるものが必要と感じます。

しかしわが国でこの考えが大きくクローズアップするでしょうか。

つまり、構想力なるものが国民の間に理解され、重要な能力だと意識されるかです。

教育の現場でも求められたことがなく、たとえ構想力の芽を持った人材がいたとしても、その能力なりが評価されない土壌では、育て上げることはできず、さらに気付かれることもないのではないでしょうか。

今後のわが国の指導者に構想力が必要なことが実感されたとしても、今まで優秀な人材と評価してきた基準を見直し、他のものに置き換えない限り、構想力なるものを持った人材の発掘は困難と思うのですが。

いかがでしょうか。

構想力を望むことと同時に、構想力なるものを学科の点数による評価以上のものとして評価する環境が整わない限り、構想力をもった指導者はわが国から輩出することはないと感じるのですが。

2010-10-04

再度天下りについて

道路公団からの天下りに関して、一般の企業でも子会社への天下りがされているではないかとの反論が当事者からあるとの報道がありましたが。

確かにそのような枠組みをとっていると思います。

その場合、条件があるのではないでしょうか。

天下りをする際に、報酬がカットされるはずです。

例えば、親会社での給与よりも30%程度減額されるのはないでしょうか。

このようにして会社の費用を抑制しているのです。

しかし、マスコミで報道されている限り、天下りそのものが問題に挙げられ、報酬がどのようになっているのか明確でありません。

天下りの事実ばかり報道するのではなく、報酬のことも取り上げて問題にすべきと思うのですが。

いかがでしょう。

さらに収入と税金で賄っている道路公団の場合には、子会社といっても一般企業との同列ではないと思います。

天下り先へ税金の入った原資が流れるのも大きな問題です。

天下りがあるからそのようなことが必要となるのは明白でしょう。

このことからは天下りそのものも大きな問題だとは思います。

2010-09-29

下ネゴの行動をすべきではないでしょうか

与党の党首選挙では多くの方々が威勢のより言葉を発していましたが、どうしたのでよう。

確かに自分達のおした候補が落選したらパワーはでないかもしれませんが。

あれだけ本人も、取り巻きも言ったのですから、そのことを証明して欲しいと思うのは私一人でしょうか。

今回の中国との関係改善へのアプローチも、ただ反対勢力として情報発信するだけでなく、裏でネゴに相当する行動をとることが重要と思うのですが。

いかがでしょう。

このような行動をとってるように見受けられません。

そのように感じてもおられないかも知れませんが、いろいろなことを言って、実力者のグループような体をかもし出していたのですから、このような状況にこそ、実力を見せるべきでしょう。

担いだ方々も、自分が実力者と思い込んだ方に、それなりの圧力をかけるべきと考えるのですが。

なにか歯がゆく感じてなりません。

何の展望もなく、あたかも実力者のように担いだのなら、この辺りでその実情を発信すべきでしょう。

いつまでも幻の実力者にしておくのは無責任ということではないでしょうか。

2010-09-26

この酷暑から寒く感じるようになる原因はどこに

あっという間に酷暑から寒いと感じることになってきました。

降雨が大きな一因になっているとは言えないでしょうか。

ここを原因の一つと仮説を立てると解決策があるのでは感じるのですが。

結論を先に言えば、土の占める割合と街の歩くところを広葉樹で覆うことではないでしょうか。

このように考えると、戦後の都市開発はこのことと全く異なるアプローチがされてきたように思えます。

街の中の木々は取り去られ、土の道はアスハルトやコンクリートにされるとか、あきれるばかりの行為が政治と行政によって行われてきたように感じられて、しかたがありません。


都会だけではありません。

地方都市ででもです。

最近、酷暑が報道されている市の多くはそのような状況ではないでしょうか。

これには都市開発、建築、土木の学者も加担しているように思えてなりません。

これからでも遅くありません。

是非、行政に、都市の土の占める割合を増やし、人の歩くところを中心に枝の広がりがあり、葉の茂る種類の広葉樹を植樹することの推進をお願いしたいと思いますが。

いかがでしょうか。

2010-09-21

この夏に感じたこと -軽井沢の町にヒントが-

酷暑の夏が過ぎようとしていますが、
この夏に軽井沢方面に行ってきて感じたことがあります。

暑い、暑いと都会をはじめ、地方都市の多くの方々が悲鳴をあげていましたが、軽井沢の町にヒントを感じました。

今年の夏は軽井沢も暑いと住民の方々は言っておりましたが、商店街は他の町と同じように暑いのですが、そこを避けると涼しさを感じることができたのです。

商店街の道路はアスハルトとコンクリートでできていて、街路樹などはほとんどありません。

一方、商店街の隣からはじまる、涼しさを実感できるエリアは、道路はアスハルト
のようでしたが、その道路の左右に植えられている木々の枝と葉が覆っているのです。

さらにその道路から一寸小道に入ると、開発者が植えたのではないかと想像される、おびただしい数の常緑樹と、土の庭が広がります。

このことが涼しさを実現している理由と思いました。

また、朝、嬬恋村から軽井沢に向かった際、霧が出ていたのですが、町に向かうと晴れてきました。

しかし、町を見ると、道路の近傍は霧はないのですが、常緑樹が植えられているところには、霧があるのです。

つまり、気温が高くなっているところには霧がなく、土と常緑樹があるところには霧があったのです。

まさに涼しさが何によってもたらされているのか目で実感できました。

このようなことを感じた後、群馬のある市内を歩いてみました。

酷暑でした。

メイン道路の左右にケヤキの大木があり日陰を作っているところもほんの一部ありましたが、ほとんどの市内の街には小さな街路樹が点々とあるだけで、ほとんど日陰を作れるような木ではありませんでした。

あまりの落差を感じてしまいました。

このことからすぐにとやかくは言えませんが、戦後の街の開発になにか疑問を感じてしまいました。

あまりにも暑さに対する対策もなく、ただただアスハルトの道と、コンクリートの建物を造ってきたことが分ります。

地方分権などと言われていますが、このような街を造ってこられた地方行政に本当に将来の街なりが設計できるのでしょうか。

地方分権の前に、なにか根本的に是正しなくてはならないことがあるのではないのか感じた夏でした。

2010-09-20

他のグループは一方のグループに智恵を

両者がぶつかった選挙戦といわれた与党の党首選で負けた方のグループは本当に智恵があるのだったら、その智恵を一方のグループに提供したら、いかがなものでしょう。

力強いメッセージを言い放っていたグループの支持者は智恵だけでなく、その智恵に向かった行動をすることが必要ではないでしょうか。

例えば、普天間基地に関する米国とのネゴであり、無駄を無くした予算原資の探索と捻出などへの行動です。

言葉を放つだけであれば誰でもでもできます。

実力者を担ぎ、彼ならできると放言してきたのですから、その智恵を自ら行為することが必要でしょう。

放言しておきながら、負けたら、外部の人間のように見ているだけなんて、ありえません。

自覚して欲しいものです。

有言実行ではないですが、行った以上、現在行き詰っている事柄に対して、智恵を発揮させるべきではないでしょうか。

是非、半数に近い国会議員の方々は、自覚して下さい。

言い訳は要りません。

基地をはじめとする事柄に対するネゴをしかるべきところに自ら踏み出してもらいと思いのですが。

いかがでしょう。

2010-09-01

なにはともあれ実行して欲しいものです

両者の政策論の中から早期に実行できることの実績を作って行ってもらいたいものです。

法律の改定が必要なもの、お金のかかるものは後回しにしてもしょうがないと思いますが。

法律の改定が必要なく、しかもお金の出費が伴わないものを早く実行すべきです。

現在の状況はそのような行為が認められません。

まさに実行に向けての仕分けが必要だと思うのです。

時間がかかりできるかどうか分らないことばかり、言うことは避けてもらいたいのです。

できることはあるはずだと思うのですか。

いかがでしょう。

この辺りのことに対する無策さに、あきれていることを自覚して欲しいのです。

政治家として素人に近い方々は、この辺りのことを感じ取るべきと考えるのです。

つまり、素朴な考えをもっと、もっと全面に出して行くべきではないのでしょうか。

素朴な疑問の提案を期待していることも新しい与党に望まれていると思うのです。

是非、早期に実績を残していただきたいと思うのは、私一人でしょうか。

2010-08-29

表面から分ることではないことをコメントしてもらいたい

現在TVに出演されているコメンテーターの発言は、プロでないわれわれが毎日、新聞やTVを視聴して感じていることと同じようなことを逸脱していないように思うのですが。

いかがでしょう。

民主党の政策実行のことでも、無策だとか、政治主導になっていないとか、政策議論ではなく政争ばかりやっている時期でない、とかのコメントばかりです。

このようなことはプロでないわれわれでも毎日、新聞、TVを見ていればその程度のことは分かります。

このようなレベルのコメントではあれば不要です。

プロであれば今まで見てきた経験から、このような状況を向け出すためにはこの法律をこのように改訂することが必要であり、早期解決は困難ですが、このレベルの状況変化のためには、法改訂を必要としないことから、早期実行を期待したい、とか発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

このような発言をしないコメンテーターはわれわれに情報発信していただきことは、お断りしたいと思います。

マスコミにおられる方々に言いたいことは、「早く気付いてほしい」と言うことです。

国民の一割は今までのレベルのコメントにウンザリしていることを感じていただきたいのです。

よろしくお願いいたします。