2011-01-28

東アジア経済圏の構築に当って

鳩山氏が提案していた東アジア経済圏の件ですが。

大変重要なコンセプトだと思うのです。

是非推進していただきたいものです。

ところで経済圏を構築する前にすることがあるように思えてなりません。

それは、東アジアの国々への「感謝」と「謝罪」を明確に表明することのように思えてなりません。

「感謝」であれば、中国、韓国などでしょう。

何故といえば、わが国の文化の多くは両国から伝来され継承されてきたからです。

漢字などはその象徴でしょう。

この姿勢を明らかすることが経済圏の構築に必須と感じるのです。

さらに戦争に対する「謝罪」です。

中国、台湾、タイなど東アジアの多くの国に「謝罪」をすることです。

このように述べると、多くの方から「そのような行為は国としてはできないのでは」と言われると思います。

そこで、従来国会議員の方々が使ってこられた「私人として参拝です。」との表現を参考にするのです。

首相が言う時は「これは公人ではなく、私人としての発言です。」と付け加えるのです。

このようにして東アジア経済圏の基盤を造っていくのです。

このようなことを地道に行った上で行うことが必要ではないかと考えます。

いかがでしょうか。

2011-01-17

小沢氏に一言

昨日はフジテレビに出演した小沢氏のことを述べました。

確かに政治家として筋が通っているのではとの印象はありました。

しかし、そうであるならば、自分のお金の問題に対して見解を詳細に展開していただきたいと思うのは私一人でしょうか。

期待したい見解とは、例えば次のようなものです。

「裏金と言われている献金に対しては、有権者の多くの方々はそのように指摘されているところではありますが、現在の法律のxxの第x条、○○の第○条などによってその指摘は当てはまることないことは歴然だと思います。
そのことから身の潔白は証明できると思っております。
現行法律に従えばそうであることはあったとしても、有権者からの指摘が続くのであれば、現行法律の改定や新しい法律の制定が必要と考えます。」

昨日のテレビでの発言の趣旨を踏まえて延長するとすれば、このような発言があってもよろしいのではと思うのです。

さらに踏み込めば、次のようなことを付け加えてもらいとも感じています。

「新たな法律が施行されれば、今回指摘されていることが法律に触れるだけではなく、今まで与党の方々なりが行為してきたことも多くあげられることになると考えます。長い与党政治を見てきた経験から言えば、多く方々が同様なことを頻繁に行ってきており、これも含めて是正する新しい法律がが必要であると考えます。」

つまり、指摘されていることは多くの代議士の周辺(秘書も含めて)であったと思うべきであり、小沢氏だけ問題ではないはずです。

この機会を、新しい法律の制定に結実すべきと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-01-16

本日(16日)フジテレビに出演した小沢氏が本当の姿では

本日16日の朝の番組で小沢氏が話された2大政党制のこと、TPPのこと、日米交渉の経験などと、取り巻きがテレビのインタビューや出演した時の発言とを比較して、あまりにもニュアンスがあるので驚きました。

「小沢さん、お仲間に異なる情報発信をしないように指示してください」と言いたいです。

いかがでしょう。

小沢氏はそのようなことを指示する派閥がいやで、従来の与党から飛び出たのかもしれませんが。

一方、本日付の日経新聞の副幹事長に就任された藤井氏の記事の中に、与党の顧問である稲盛氏の「民主党には優秀な若手はいるが、青い」との発言があったとの話が載っていました。

これらから、なるほどと感じたはじめたことがあります。

本日の小沢氏の発言の趣旨と異なることを発信している取り巻き議員は、組織人としての経験がなく、上司相当が言っていることを支えられていないのだな、と言うことです。

長年与党を経験していた派閥政治の元の政党では、派閥が一組織として働き、当選回数が上下関係を造り、組織統制が図られてきて、その中で育った政治家は組織人と同様、上司が言うことを守り、口車をあわせることを無意識に学んできたのではないかと思い出しました。

しかし、現在の民主党は当選回数とは関係なく、誰でもが対等の資格で発言できる一人一人が独立したフラットな組織になっているのではないのかと感じるのです。

このことが稲盛氏の「青い」との感想を、小沢氏の取り巻きの発言の有様を、さらに小沢氏が仲間の統制を行わないことを生んでいるのではないでしょうか。

これらの現象を見ていますと、これからの代議士は組織人として活躍してきた方々が活躍でいる場にして行くことが必要ではと感じ始めましたが。

いかがでよう。

2011-01-06

おいしい農産物の生産が必要では

最近のお米やサトイモなどを食べていると30年ほど前の味と異なっているとお感じにならないでしょうか。

米は炊いた時のあの香りがしません。

サトイモは煮付けた際のあのサトイモ独自の味がしません。

このような野菜を生産されている方々に是非元の味を取り戻せないものかお聞きしたいです。

米は天日干しではなく、急速乾燥技術によって以前の味を失っているのではないのかと仮説を立てています。

しかし、何故サトイモの味があのように変化したのかの仮設は立てられていません。

農業に従事されている方々は当然知っているのではないでしょうか。

是非もともとの味に回復して下さい。

そしてその味を子供達に体験できるようにして下さい。

その子供達が成長した時には本当の味を求める人達になっているはずです。

このような味の復活は、もしかすると農産物の輸出に貢献するかもとも考えています。

現在のような味から本来の味に復活できれば、日本のものはおいしいとの評判がたつはずです。

いままでの味に慣らされてきた国内の人々には残念ながらその味の変化は分らず、反対に味が悪いと思われるかもしれません。

しかしながら、子供達への例えば給食に提供できるならば将来絶対そのおいしさが受け入れられるはずです。

是非復活させていただけませんか!

よろしくお願いいたします。

2011-01-05

看護師の方々の意識の中にヒントがあるのでは

農業や製造業などへの若者ばなれが話題にされていますが、参考になることの一つに看護師の世界があるのではないでしょうか。

医師の世界と同様に、看護師お子さんが同じ看護師になられている場合が数多く見受けられるのではないでしょうか。

そうは言っても、医師の場合と一寸場合が異なるのではと思うことがあります。

まず処遇です。

そう言っては申し訳ありませんが、それほど優遇されているとは思えません。

さらに職場環境もそれほど良いとは思えません。

つまり職業としては、客観的には、あまりなり手がいないような環境と思うのです。

しかし、意外と言うと語弊がありますが、親の職業の大変さを知っている看護師のお子さんがまた看護師を職業に選択しているケースが多いのではないでしょうか。

ここに何かヒントがあるように感じるのです。

多くの方からお話を聞い経験からは、「「ありがとう」と感謝される言葉がうれしい」とのことから看護師を続けられているとのことでした。

そのように考えると、若者離れがある農業や製造業ではあまり感謝されると言った場面があまり意識されないのではないでしょうか。

昔はご飯を残すと「お百姓さんに申し訳ないから残してはいけません」と言われた記憶があります。

これは感謝の気持ちではないのかも知れませんが、現在ではこのようなこともあまり言われていると思えません。

何が必ずしもよい処遇でない職種の看護師が選択されているのかを明らかにする中で、嫌われている職種への若者復帰のヒントを探すべきではと思うのですが。

いかがでしょう。

2010-12-19

法律がいつ創設されたか調べることが必要では

官僚の行為が問われてる時代だと思います。

国民のための行為ではなく、何か他の人々のために行ってような感じを抱きますが、いかがでしょう。

今まで気付かずにきたことがあります。

法律は明治時代から継続しているものがあります。

明治時代に創設された官僚の多くが江戸幕府の官僚だったことです。

「米欧回覧実記」でもその辺りのことを知ることができます。

江戸幕府からの官僚は、殿様のために何事も行ってきた経験を豊富に持ってきた、反対に言えば民衆のための経験は微々たるものではと仮説を立てるのが妥当ではないでしょうか。

このように考えると個々の官僚の行為を問うよりも、現在まで継続されている法律の中に、そのような傾向があるのではと検討することが必要ではないでしょうか。

この辺りのことを問うている歴史学者がいらっしゃるようでしたら是非情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

法律にのとって行為しているから云々の発言をよく聞きますが、このような認識が曲者ではないでしょうか。

法律自身が国民のためになるように、なっていなければ官僚の行為は国民のための行為になっていないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

明治時代の官僚制度の発足を考えると何か現在の有様が理解できるのではないでしょうか。

2010-12-15

日本家屋は何故日本の建築形式を捨て去ったのでしょう

日本各地の一般住宅をテレビなどの映像で見るとどこも同じような形式の家が建てれていることが分ります。

2階建てで、外壁はモルタルなどの様式です。

一方、日本の庭園などの建築形式は1階建てで、シック壁になっているものが多く存続しています。

どうしてこのような古来からある建築形式が捨て去られてきたのでしょう。

このような形式の建築は裕福な方々が建てられてきたものだからなのでしょうか。

しかし、この形式の建物には現在現在の一般住宅にはないものを感じます。

いかがでしょう。

どうしてこのような日本の建築形式の建て方で一般住宅を建ててこなかったのでしょう。

素朴な疑問がわいて来ます。

明治時代、戦後と2回にわたってわが国に築かれてきた建築形式が捨て去られ、他の国の形式に似た形式が導入されてきたからではないでしょうか。

その原因の一つには、日本の建築形式を学問にしてこなかったことを仮設にすることはできないでしょうか。

外国の建築は学問として学べるようになっているにもかかわらず、わが国の建築形式は学べるように体系化してないからではと思ってしまいます。

ただ学問にしてこなかったことがそうさせて来たのではと感じられてしかたがありません。

是非この辺りに関して建築家の皆さんから発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-12-06

市長と市議会がもめているところがありますが

市長解任の住民投票の結果が報道されていますが。

このケースや、名古屋市のケースでは市長の強引さが指摘されています。

確かに、一般的な民主的という言葉いわれていることから見てみますと、一寸手法にという感想を持たれる方々が多いのではないでしょうか。

この民主的というのが曲者ではないでしょうか。

国会議員の報酬、定数や区割りの件など、議会にかけ審議する所謂民主的という手続きではなかなか国民の意見を反映することが困難であることは見てのとおりです。

このようなことは当然地方自治体の議会周辺にもあり、現在報道されているようなことになっているのだと思います。

まさにこの民主的という手法に疑問が投げかけられているのだと思うのですが。

いかがでしょうか。

当事者の利害にからむことを、まさにその当事者が民主的な手法を使って否定するなどと言うことはできないことを物語っているのだと思うのですが。

当事者が当事者の意思で否定するなんて、昔のどこかの国のスローガンであった『自己否定』でも標榜しなくてはできないことなのでしょう。

このように当事者自身が当事者の処遇を変えるには、どのような手法が有効なのか考える時期に来ているのではないでしょうか。

ここでもその方法を考え、提案できればと思っています。

2010-11-16

今回のことも適切に話がされていたら

今回の映像漏洩事件は「秘密の守秘」や「映像公開の是非」に話が行っていますが、そうなんでしょうか。

与党の最初の話す内容が、「組織のありかた」や「武器を使える公務員の問題」であることに言及していたら、現在のようなことにはならなかったのではと思えてなません。

「国の秘密」にもって行くのではない、銃器を保持している組織の一員が、国が外交上のことから混迷してる最中に映像を勝手に公開したことを問題にすべきだったのではないでしょうか。

公務員としては行政の長である首相の意図とは異なる行為を行ったのではないでしょうか。

指揮命令系統の判断に逆らった行為だったと考えられないでしょうか。

秘密を暴露でもなく、組織のありかた、公務員としてのあり方の問題ではないのでしょうか。

マスコミの方はどうしてそのような視点から突っ込まなかったのでしょうか。

国民はマスコミの報道に左右されることは、これまでのいろいろな事柄で実証されていると思います。

早い時点でどこかのマスコミの方が指摘していれば世論はまた異なる方向に行っていたのではと感じざるを得ません。

弁護士ご出身の代議士がたくさんいらっしゃる環境で、そのような発言が報道されなかったことは、どうしてだろうと思えてなりません。

いかがでしょう。

2010-11-15

国力が落ちているのでは

ある方に、最近の事件などをどのように見ておられているのかお聞きしたところ、国力が落ちているのではとのことでした。

回復するのにはどのようなことが必要でしょうとさらにたずねると、難しいとの回答でした。

理由の一つに人口が減っていることを上げられました。

確かに領土問題などそのような感じを受けます。

国力とは何なのでしょう。

辞書には「国の勢力、財力」とあります。

勢力に関して、世界に対する影響力の面は、経済の発展にかげりがあるわが国は減少していると感じます。

財力は中国のような強さは、確かにないと感じます。

そのように考えると、確かに国力が低下しており、そのことを通していろいろな事柄が起きているとの仮説は立てられるように思います。

しかし、どうしようもないとは感じません。

というのは経済的、財政的な面からではなく、わが国独自の方法があると思うからです。

例えば、原爆の被害を受けた、世界で唯一の国であるわが国から、この世界へ平和への言葉なりでの発信ができるはずです。

また環境に関しても、公害を出してきた経験から、どのようにすればそのようなことを経験することなく、経済発展させる方法を提示できるはずです。

なかなか見つかりませんが、まだまだあると思います。

是非、他国との摩擦ではない関係での勢力を回復する方法を模索すべきと考えますが。

いかがでしょう。

わが国の言葉のルーツである「漢字」のルーツや、その伝播の歴史などを通して、「感謝」や「尊敬」の気持ちを率直に発信するのも、その一端になるのではと感じてなりませんが。

2010-11-12

コメンテーターの言ったことをリフレイン

TVで街頭意見の報道を聞くと、返ってくる言葉はどこかで聞いた言葉が多いことにお気付きではないでしょうか。

「政治の責任ですね」とか、「リーダーシップがかけている」とか、「想定外」、「秘密漏洩」とかの単語も含めてです。

コメンテーターの言葉は影響力が大きなことが分かると思います。

少し恐ろしく感じるのは私一人でしょうか。

このようにして皆がある方向に行ってしまうのかなと考えてしまいます。

自分の言葉で考えませんか!

確かに専門家の意見はそれなりの根拠があるのでしょうが、その言葉をいくらリフレインしたところで、事柄に対する解決策を他方面から見出すようなことにつながらないと思うのですが。

いかがでしょう。

他人言葉に触発されて自分の言葉で考えることが今まさに求められているのではないでしょうか。

そのように考えると、教育の現場でこのようなスキルが養成されているのか疑問が生じてなりません。

TVに教育まで求めるのは場違いでしょうが、あまりにも影響の大きいメディアにはそのようことも求めたくなってしまいます。

コメンテーターの方々も自分の専門分野からの視点で、自らの言葉で是非発信いただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2010-11-11

YouTubeへの情報流出の件ですが

国家機密か、との論調があり、そうではないのでは、のような議論が始まりそうですが。

そのようなところの最初から持っていくのはいかがなものかと感じるのですが。

いかがでしょう。

まず問われなくてはならないことは、組織が公表するか判断を躊躇している時に担当者相当の方が勝手に情報流出してことではないでしょうか。

そのようなことは内部告発でもなければ許されないことではと考えてしまいます。

組織的なレベルで言えば、組織の指揮命令機構が働いていないと言うことではないでしょうか。

そしてそのことこそ問われなくてはならないことではないでしょうか。

当然情報流出した本人もその対象でしょう。

今回の場合、指揮命令はどのようにされていたかです。

長官まで遡らないまでも、被疑者の上司である部長や組織長が、大臣などの指示を待つまでもなく、担当者近傍にそれなりの指示、今回であれば映像情報の管理を徹底させる指示を出しているべきでしょう。

組織であれば当然でしょう。

今回は海の警察相当のところであれば、さらに当然の措置ではないでしょうか。

それが大臣の指示云々、国家機密云々というところに行く前に問題にされることではないでしょうか。

まず情報を持っている組織の長が、情報管理に関する指示を出すことが必須でしょう。

長官、大臣に行く以前のことだと思うのですが。

一方、組織の長でなくても一担当者なりが、組織の決定(公開も含めて)が出ていない状況で、情報を公開するなどという言うことはあってはならないことではないのでしょうか。

国家機密レベルの話ではなく、組織のありかたとしてです。

このようなレベルのことを問えない規律を持っていないとしたら組織として失格ではないでしょうか。

なには牛の病気の時の当事者としての県が「国の指示が遅れた」との言い訳に通じることのように思えてなりません。

しっかりして!
と言いたくなっています。

いかがでしょう。

2010-11-10

専門分野でない事柄に対するコメンテーターの発言に

スポーツの実績ある方や、警察の経験者、政治家の経験者などがコメンテーターになっています。

TVではそれらのコメンテーターの方に、ご経験のないような分野の事柄に対するコメントを求める場面があります。

その時のコメントに、誰かが言っているようなことを発言される場合が多いように感じるのですが。

いがでしょう。

専門ではない分野の事柄に対するコメントであれば、素人としての素朴な疑問なりを、自分の言葉で発言して欲しいな、と思ってしまいます。

専門でない分野事柄に対しては、専門家の言ったことをどこかで読まれて、勉強されて来ていることなのでしょうが、聴いているわれわれはそのような感じられないのです。

言い方が失礼だとは思いますが、聴いていられないというのが本音です。

コメンテーターの方はお感じになっていないと感じます。

専門家にちかくなるべく努力しているとお話になるかもしれません。

しかしながら視聴者はそのようなことを求めていないと思います。

専門家でない視点でコメントしてもらいたいと思っておられる方が多いのではないでしょうか。

皆さま、いかがでしょうか。

2010-11-08

米を食べなくなったとお嘆きの方へ

わが国でお米を食べなくなったとお嘆きの方がいらっしゃいますが、よく考えてみませんか。

どこかのメーカーで既に有名になっているメーカーの後追いでマヨネーズを発売しようとした際、最初にしたことは幼稚園などに無料を配って味の記憶戦略を立てたと聞いたことがありますが。

これと同じことが従来の与党が行ってきたのではないでしょうか。

つまり、学校などで子供に毎日のようにパンによる給食を食べさせることをしたからではないでしょうか。

パンがおいしくて食べるようになってきたのではなく、毎日パンを給食で食べてきた記憶が刷り込まれているからとの仮説は立てられないでしょうか。

これがある程度真とすれば、今からでも遅くありません。

給食を米に切替えるべきです。

最近はご飯を何日か給食として出していると聞いていますが。

もっと積極的に米の給食を実行すべきと考えますが。

いかがでしょう。

また何故そのような指摘があまりされていないのでしょう。

このあたりから従来の与党の行ってきたことを見直すことも必要と思うのですが。

2010-11-07

いままでの与党は何をしていたのでしょう

TPPの話の中で農業政策が話題にあがっています。

農業が駄目になってしまう。

自給率がさらに下がってします。

と言ったコメントが出てきています。

しかし、このような意見は今にはじまったわけでなく、数十年前から言われてきたことではないでしょうか。

同じコメントが毎年何か課題が上がるたびに出てきていないでしょうか。

今までの数十年間、元の与党は何をしてきたのでしょうか。

現在のような状況は予測できてきたはずでしょう。

また輸出型ビジネスモデルを主張してきたわが国の場合、現在そのビジネスモデルが危うい状況であることはあるのですが、これも想定の範囲でしょう。

このように考えると、今までの与党は何もやってこなかったに相当すると考えることはできないでしょうか。

勿論現在の与党も同じ穴のムジナになることは充分考えられますが。

是非、今までにない智恵と施策を創り出していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-11-02

あきれる商品

開発者は商品になった際の不具合を知っているのだろうかと疑う商品が出回っているとお感じになっていないでしょうか。

例えば、錆びる車のナンバープレートをバンパーに留めているネジ、蒸気で曇る風呂に設置する鏡、やたらうるさいワイパーの動作音、クラシックのCDをかけて高速に入ると聞こえなくなったしまう純正で予め装備されたカーステレオ、などなどです。

具体的はナンバープレートのネジが3年くらいで錆が出てしまいました。

雨にあたれば錆びるなんて考えなくても分かることでしょうが、実際錆びているのです。

部品実装設計者はどのような考えで部品を選択してるのだろうと頭をかしげてしまいます。

同じ車で雨の降る日にワイパーを動作させると、その騒音はあまりにも大きいのです。

このことには設計者は実際に雨の日に試乗して確認しているのだろうかと疑ってしまいます。

さらに高速道路走行時のタイヤ(?)の騒音は、純正のカーステレオのCDから流れるクラシック音楽を消し去ってしまうのです。

このことも設計者は試乗確認しているのかと疑いが浮かびます。

車ではありませんが、もっとあきれることは風呂に設置した鏡が曇ることです。

確かに鏡は蒸気がかかれば曇ることは知っています。

お風呂の中の鏡はそのような環境に設置されることは明らかのはずです。

しかし、風呂用品を専門にしている会社の製品にもかかわらず、風呂のなかで鏡を使ってひげをそろうとすると曇って写らなくなるのです。

いたしかたないので、お湯をかけて曇りを消すようなことが必要となるのです。
(お湯をかけてもすぐに曇りますから何度も湯をかけることが必要となります。)

このことも設計者はどうしてそのような環境を理解していただけないのかと、考えてしまいます。

このように、使う場面を考え設計しているのだろうかと思ってしまう製品が多くなっているのは、何故なのだろうと考えてしまうのですが。

いかがでしょうか。

このようなことは政治の世界でも起きているように感じるのですが。

こちらもいかがでしょう。




2010-10-28

何故なのか本当のところをコメントして欲しい

例えば、事業仕分けです。

毎回、廃止とうたって、実際は廃止されてないのはなぜか。

このような事業自身が、前の長く与党であった政党のもとに執行されてきたのはなぜか。

どうでもよさそうな理由しか語られないことにそれなりの予算が認められてきたのは?

など、などです。

このようなことがぬくぬくと行われてきたのは何故なのでしょうk。

官僚の仕業なのでしょうか。

それとも政治、経済界、・・・などからの圧力なのでしょうか。

どうもこの辺りのことが明らかにされていないのではないでしょうか。

真の理由を追求しない限り、治療はできないのではないでしょうか。

是非、本当の理由をマスコミに係っておられるコメンテーターの方に語っていただきたいのです。

同じような表現のコメントは不要です。

聞き飽きてきていることを認識して下さい。

本当のことを知らないのなら、知らないとコメントして下さい。

その場合には、感想を言っていることを明示して下さい。

現在求められていることは本当の理由を明らかにしていただきたいことです。

本当のことを知らない限り、判断ができないからです。

是非、そのことを肝に銘じていただきたいと思うのですが。

2010-10-25

リーダーに望まれるもの

現在のわが国の指導者に望まれるものがあると言われています。

それは『構想力』です。

例えば、今までのことを踏まえて将来のことを考える力です。

今まで原料を輸入し、製品を製造して利益を得てきたビジネスモデルは今や去らなくてはならないものになりつつあるのではないでしょうか。

このような現状を踏まえて、これからのビジネスモデルを考え出すことも構想力でしょう。

今まさにこのことが望まれているのだと思います。

一寸遅すぎの感はしますが、しょうがないでしょう。

確かに構想力なるものが必要と感じます。

しかしわが国でこの考えが大きくクローズアップするでしょうか。

つまり、構想力なるものが国民の間に理解され、重要な能力だと意識されるかです。

教育の現場でも求められたことがなく、たとえ構想力の芽を持った人材がいたとしても、その能力なりが評価されない土壌では、育て上げることはできず、さらに気付かれることもないのではないでしょうか。

今後のわが国の指導者に構想力が必要なことが実感されたとしても、今まで優秀な人材と評価してきた基準を見直し、他のものに置き換えない限り、構想力なるものを持った人材の発掘は困難と思うのですが。

いかがでしょうか。

構想力を望むことと同時に、構想力なるものを学科の点数による評価以上のものとして評価する環境が整わない限り、構想力をもった指導者はわが国から輩出することはないと感じるのですが。

2010-10-04

再度天下りについて

道路公団からの天下りに関して、一般の企業でも子会社への天下りがされているではないかとの反論が当事者からあるとの報道がありましたが。

確かにそのような枠組みをとっていると思います。

その場合、条件があるのではないでしょうか。

天下りをする際に、報酬がカットされるはずです。

例えば、親会社での給与よりも30%程度減額されるのはないでしょうか。

このようにして会社の費用を抑制しているのです。

しかし、マスコミで報道されている限り、天下りそのものが問題に挙げられ、報酬がどのようになっているのか明確でありません。

天下りの事実ばかり報道するのではなく、報酬のことも取り上げて問題にすべきと思うのですが。

いかがでしょう。

さらに収入と税金で賄っている道路公団の場合には、子会社といっても一般企業との同列ではないと思います。

天下り先へ税金の入った原資が流れるのも大きな問題です。

天下りがあるからそのようなことが必要となるのは明白でしょう。

このことからは天下りそのものも大きな問題だとは思います。

2010-09-29

下ネゴの行動をすべきではないでしょうか

与党の党首選挙では多くの方々が威勢のより言葉を発していましたが、どうしたのでよう。

確かに自分達のおした候補が落選したらパワーはでないかもしれませんが。

あれだけ本人も、取り巻きも言ったのですから、そのことを証明して欲しいと思うのは私一人でしょうか。

今回の中国との関係改善へのアプローチも、ただ反対勢力として情報発信するだけでなく、裏でネゴに相当する行動をとることが重要と思うのですが。

いかがでしょう。

このような行動をとってるように見受けられません。

そのように感じてもおられないかも知れませんが、いろいろなことを言って、実力者のグループような体をかもし出していたのですから、このような状況にこそ、実力を見せるべきでしょう。

担いだ方々も、自分が実力者と思い込んだ方に、それなりの圧力をかけるべきと考えるのですが。

なにか歯がゆく感じてなりません。

何の展望もなく、あたかも実力者のように担いだのなら、この辺りでその実情を発信すべきでしょう。

いつまでも幻の実力者にしておくのは無責任ということではないでしょうか。