2011-03-18

飛脚をマスコミ、通信業者、MR(医療情報担当者)などに依頼したら

今、被災者の避難場所に物資や医療材料が不足しているとの報道があります。

一方、物資はそれなりのところに配送されているのに、避難場所で何が必要か分からないので配送できないでいるとの報道があります。

そこで提案ですが、現場に入っているマスコミの方々に避難場所の位置情報と必要なものの情報を収集いただくことを県なり、国なりから委託したらいいのではないでしょうか。

場合によったら軽量なものは配送までも委託するのはいかがでしょう。

また、通信業者の方々には携帯電話の通話環境を整えていただくことに加え、設置した避難場所で必要な物資なりの情報を収集していただくことを委託したらいかがでしょう。

こちらも軽量なものであれば配送までやっていただいたらいいのではないでしょうか。

さらに医療情報担当者(MR)の方々には、避難場所や医療機関で必要なものの情報を収集していただいたらいいのではないでしょうか。

もしも警察なり、自衛隊なりの方々以外には難しいのであれば、警察や自衛隊の方々と一緒に活動いただき、情報収集や物資の配送ができるようにすることはできないものでしょうか。

被災地に多くの方々が入っているのに、被災地の場所や情報が伝わらないとの報道には気が気でありません。

是非、県、国の関係者の方々に知恵と工夫を発揮いただきたく思います。

検討をお願いいたします。

何故今回の原発事故に対して多くの技術がみえないのでしょう

今回の原発事故対応をみていて、どうして次のような技術がないのだろうと感じています。

・放射線を防御する服
・放射線を防護しながら走行できる装甲車、消防車
・原発の各所を監視できるカメラの設置
・原発を監視できるロボット
などです。

開発には相当の費用はかかるとは思いますが。

今回の原発の運用期間である40年を考えると開発期間は充分あり、費用もそれなりでできてきたのではと思ってしまいます。

いかがでしょう。

この間、元の与党に多額の政治献金が渡っています。

この金額を当てれば今回の当事者である東電でも開発できたようにも感じます。

東電でなくても原発の安全性を研究されている国立の各種技術研究所、国立大学の研究室でも基礎研究なりはできたはずです。

何か元の与党の配下で、国立の技術開発研究所、国立大学の研究者は芽をつまれて研究できなかったからでしょうか。

前記技術はあまりにもプリミティブな技術であり、今回の原発事故に目にできないのは残念でなりません。

わが国にまだ多くの原発があることを考えると、是非今回必要となった技術なり、装置なり、システムなりを開発していただきたいと思います。

現場で不眠不休で事故対応されている方々に敬意を払いつつ、筆をおきます。

よろしくお願いいたします。

2011-03-17

命をかけている現場の方々を最善の処遇に

原発現場で命をかけて懸命に担務を遂行されている方々を是非最善の処遇を施していただきたい。

戦場で戦っているのと同様な活躍だと思うのです。

どうしてこのような状況の中で言いたくなったのは、あまりにも東電の幹部の背広姿での会見の場面を見せられたからです。

幹部は背広組みの様相を感じました。

つまり、東電は本社業務を担務している方々よりも、現場の要員の仕事を軽くみているカルチャーの会社のように見受けられるのです。

今回の現場には、東電社員に加えて契約社員などもいらっしゃるようですが。

是非、東電、国ともに今回命をかけて働いてくれている方々を最善の方法で処遇して下さい。

さらに言わせてもらえば、今回の事故を契機に、東電の人事担当の方々に、是非現場の方々を厚遇する人事制度にしていただきたいと思います。

東電の取締役も今回の自分の会見をビデオでご覧になって、お気づきいただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2011-03-15

原発の安全性とは

原子力発電は安全だと言ってこられた学者、TVのコメンテーター、コマーシャルに出ていた学長など、今回の事故を踏まえて、皆さんが言っておられた「安全」って何を言っていたのか是非、発信しただきたいと思います。

安全は装置の安全性を言うのではないはずです。

皆さんはどこを指して「安全」と言ってこられたのでしょう。

安全はシステムとしての安全であり、安定運用時の装置の安全性、適正な運用による安全性、維持管理時の安全性、不具合発生時の適正な対応による安全性などが確保されて「安全」と言うのではないでしょうか。

今回の東電による事故は、不具合発生時の迅速で適切な対応ができていないことが問題だと思うのです。

つまり、安全性の一つ相当が欠けていることが明らかになったのです。

システムの不具合が発生した時に当事者として自ら対処できて、はじめてシステムが安全に運用されていると言うのだと思います。

いかがでしょう。

今回の東電の方や関連会社の方々が命をかけて不具合の対処に当たっていただいていることには感謝いたします。

しかしながら東電の経営者である幹部は当事者として前記のように「安全」を認識されているのか、少し疑問を感じるのは私一人でしょうか。

先ず、本社の取締役が切羽詰った姿勢が見受けられないこと、現場にかけつけての陣頭指揮をしているように見えないことがあります。

加えてこのように見受けられることから次のような仮説を立てざるを得ないのではと思い始めました。

まさか電線を敷設して電力を供給する事業とはことなり、原子力発電は火力・水力発電と同じようにオペレーションカンパニーとして行っているとの認識ではないかと言う仮説です。

つまり、火力・水力発電では設備類は、外部の会社に製造していただくか、購入しているものであり、設備の不具合が出た際には納入会社の方を呼びつけて修繕してもらっているのだと推察します。東電の社員の方々が自ら修繕しているとは推定することは困難でしょう。

同じように東電幹部が原発もそのように認識しているのではないのでしょうか。

何か記者会見の時の幹部の表情、切迫性、説明の仕方・内容に当事者としての「顔」が感じれられないのです。

加えて東電はオペレーションをしている会社なので装置の不具合は納入業者が解決する事項と認識しているのではと疑念をいだきます。

前述のように「安全性」は不具合に対して適切に対処できることと考えると、オペレーション会社であってもそこまで自ら対処できなければ安全に運用しているとは言えないのではないでしょうか。

原発は火力・水力発電とは異なり、オペレーション会社であっても、そこまで当事者になっていなければオペレーションを行っている会社として認めるべきではないのではと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-03-14

原発の事故対応の東電の対応について

東電の記者発表の姿をご覧になって感じることはないでしょうか。

背広姿の方が多く、現場の方々の危険をさらしての対応とあまりにもかけ離れていないでしょうか。

某省の背広組みと同じような様相ではないでしょうか。

現場とかけ離れて本社でゆったりとした仕事をされている方々のように見受けられてなりません。

いかがでしょう。

話される内容も弁護士出身の官房長官の話される内容と同レベルです。

切羽詰ったような姿勢が見えません。

内容も、国民の危惧に対して応えているものではないのではないでしょうか。

現場の担当でないのでわれわれは知らなくていい。

わが社は装置を購入してオペレーションをしている会社なので、装置の不具合は製造業者の責任であり、われわれではないとの考え方が見えてなりません。

もっと端的に言わせていただければ、背広なんて着て出てこられる状況ではないと思うのですが。

東京電力の方々はどのように感じられているのでしょう。

現場では背広なんて着ているとは思えません。

某省と同じように背広組みは現場の人ではないとの会社のカラーがあるのでしょう。

しかし、このような状況であればオペレーションに関して所掌されている取締役の方がまず現場に赴き、その場を仕切ることが必要ではないでしょうか。

そうでないからとはとは言いませんが、現場で海水を注入するポンプの燃料が不足して注入を中断したなどと言うことは起きないはずです。

もしかすると現場を知らない方がオペレーションを所掌される取締役をされているのではと感じざるを得ないのですが。

いかがでしょう。

14日の21時あたりの取締役の会見での内容を聞いていて感じた次第です。、

計画停電から考えること

電力需要に対する計画停電に対してですが、今回の状況ではしょうがないことを分ります。

しかしこのような状況になることは予測不可能ということではなかったのではないでしょうか。

今までの与党配下の政府は何をしていたのでしょう。

地域完結型相当の発電施設だけで地域への供給を行うような行政指導なりを行ってきた結果がこのような状況にして来ているのではないでしょうか。

日本を区割りして地域完結型相当の電力供給行政を行っていては駄目なことがはっきりしたのではないでしょうか。

リスク分散が図られてこなかった行政指導の結果でしょう。

リスク分散するとすれば
・発電施設を日本全域に配置してリスク分散を図る
・または発電施設を運営する事業と電力供給事業を分ける
など幾つか考えられると思うのです。

今までの行政府(経済産業省?)は何をしてきたのでしょうか。

今までの与党の配下で出世されてきた官僚の方々が、いままで通り高位な地位にいらっしゃる限り、長年続けられて来た不透明で安心できない行政が、ただただ続けられて行くだけではないでしょうか。

どこかで分断しなければならないのではないでしょうか。

政権交代は起きたかもしれませんが、行政を支配している官僚機構の交代が起きていないことになっているのでしょう。

政治の表面は現在の与党になっているのですが、行政府の中身は元の与党になっているのではないでしょうか。

考えていかなくてならないことばかりです。

2011-03-13

原発のありさまをみて感じたこと

建屋が爆発した映像をみて感じたことがあります。

原発はやはり安全性の面から問題です。

国全体からみると原発のような大規模発電施設が必要といわれるでしょう。

確かにそうかましれません。

しかし今回の有様から、原発は考え直さなくてはいけないのではないでしょうか。

いかに技術が優れていても、このようなことが起こるのです。

そこで提案ですが。

小規模発電の導入です。

ソーラーパネルではない、ものをです。

例えば、保守が簡単にでき、小川を利用した100家庭ほどの電気が供給できる程度のものとか。

車の屋根の熱による発電とか、車の風力による発電とかです。

車で発電された電気は駐車場で販売・収集できるようにするのです。

このような小規模発電で発電した電気を多数集めて、ある一定の広さの地域に完結的に供給できるような電力システムを築き上げるのです。

原発のような規模のものでないものを考え出すべきです。

効率の良さを求めるのではなく、多少効率はよくなくても、安全で保守の容易な膨大な数の小規模発電による電力供給システムを研究・開発すべきと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-03-12

福島原発の報道には疑問を感じますが

NHK、TBS、フジ、TV朝日の原発の爆発の報道の映像と、日テレの映像は異なるものを流しています。

日テレは建屋の爆発しているところの映像を流しているのに、他社は全く流しておらず、日テレ以外の報道ではコメンテーターは推測でコメントしているのです。

またNHKは建屋の壁が吹っ飛んだフレームの写真を流し続けています。

さらに爆発の時間も16:00と他社の15:36とは異なる報道をしつづけているのです。

また原子力保安院の会見も、爆発の映像が日テレで流されているのに、明らかに事実を隠しているように思える内容で、あたかも爆発も起きていないような内容です。

あきれます。

報道を観ている視聴者は爆発の事実を観ているのです。

見くびらないで下さい。

原発のこともよく知ってるものも多数いるのです。

爆発した映像以上の情報でないなら説明になっていないことを感じるべきです。

報道記者もどうでもよい質問をしないで下さい。

そのレベルの報道など結構です!

いかがでしょう。

今回の地震に対する横浜市の市営バスの運用は適切だったのか

昨日の宮城県沖地震で横浜市でも大きな揺れと被害があり、JR、地下鉄が止まりました。

その中で、何と神奈川中央バス、江ノ電バスは夜遅くまで運行されていました。運転手さんが親切に乗り降りに柔軟な判断をされおり、好感をいだきました。

ところがです!!

横浜市営バスは地震の揺れが中断して、多くの方々が自宅なりに帰るためにバス停に(JR、地下鉄が止まってしていましたので)長蛇の列ができている時に、何と乗車されていた方々を降ろした後、回送で市民の前を車庫に戻ってしまったのです。

市のバスとはだれからのお金で、だれのためのバスなのでしょう!

市長はどのように思われているのでしょうか!

バスを運行されている方々は市なりの運用規則に則って、バスを回送されたのでしょう。

しかしそれでよかったのでしょうか。

労働組合の幹部はどのように考えているのでしょうか!

全くあきれる対応です。

今回の横浜での市民の方々が足の確保のためにバス停に多くの方々がいることを運転手の方々が見ているのにこの有様です!

市長、運用をされている市の部局の方々、労働組合の幹部は、現状を把握できる環境にあったのです。

それでありながら、民間のバスの方々の運用状況を見ながら、職場放棄相当のことをして、市民の足の確保を行わなかったのです。

このことに対する見解を提示するとともに、運用条件を見直すべきです。

いかがでしょう。

ところで今回、実際に経験して感じたことがあります。

このような状況でバスの運行をされる際に、日常の運用ではないことを実行することが必要と思ったのです。

このようなことが起きたのです。
何とバス停をバスが通過してしまうのです。

その原因は、始発相当のバス停で、乗車される方々でいっぱいになってしまうのです。

ですから途中のバス停ではほとんどの方が乗れずに残されてしまうのです。

3時間30分待って、20台相当のバスがきましたが、乗れたバスは5台程度でしかありませんでした。

つまり日常と同じ運用を行っていれば、当然の結果です。

このような時ほど、運用管理を行っている方々の智恵の発揮が必要と感じました。

具体的な案としては次の通りです。

バスの発車場所を運行ルートの途中にいくつも設けるのです。

日常の始発のバス停、次のバス停、その次のバス停、・・・とずらして運行するのです。

是非、日常の運行でない方法を採用されて効率よく、市民の足が確保される方法を採っていただきたいと思いますが。

いかがでしょうか。

2011-03-03

八百長問題の対処方法について

多くの相撲取りの方々が実績がありそうな八百長問題ですが。

証拠のある方々だけが処分を受けるのは、どうでしょう。

現行の裁判であったら証拠がなければ、やっていても、やってないことのように裁かれ、やっていないことが証明されたように報道されます。

しかし、今回の問題は裁判で裁くのではなく、社会常識の一端として裁くのであれば、裁判とは異なった裁きをするのが適切ではないでしょうか。

考えられる対処方法として、証拠が有る無しにかかわらず、自分の経験を全てお話いただき、今後の対処方法を考える糧にするのです。

そして処分の対象にしないのです。

そうでなければ、一部の方々だけが八百長を行っていることを認めたようなことになると思うのです。

一方、全てが話されることなく現在の当事者だけが処分されるのは公平感に欠けると考えます。

全てを親方を含めた全部の相撲取りの方々に語っていただき、いままでの相撲界のしきたりのようなものを明らかにするのです。

そこで今後のことですが。

今後、八百長をした際には厳罰を課すのです。

それに当っては、その旨の規則を明らかにして、とやかく言われることなく、処分できる環境を整えることのように思うのですが。

いかがでしょう。

2011-02-20

サウジアラビアから見えたたこと

サウジアラビアの民主化に対する米国の思惑から、戦後のわが国へ米国の対応が見えてきたのではないでしょうか。

米国に都合のよい統治が求められ、わが国の戦後もそれを実行してきたのではないでしょうか。

よく学校給食に粉ミルクが米国から安い価格で提供されてきたことはよく知られています。

これにも米国の思惑を感じるのです。

例えば、学校給食で子供にパンを食べさせてきたことなども、そこに一因があるのではと感じます。

パン食が恒常的に行われることによって米国から小麦粉の輸入が必要となると共に、子供にパン食を植え付けることで、成人になった後にもわが国に小麦が大量に輸出できる環境が作り上げられてきたのではないでしょうか。

マヨネーズに新に参入した企業のマーケット戦略が幼稚園児である子供達にサンプルの製品を食べてもらうことを行ったことからも歴然だと思うのです。

このようなことが米国と、いままで60年近く統治してきた与党が、米国に都合のよい国を作ってきたのではないでしょうか。

この辺りのことは官僚の方々もご存知なのではないでしょうか。

このサウジアラビアの件を評論する中で是非わが国の戦後を総括していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-02-03

裁判は証明できるかが重要

裁判はあたかも真実があばかれる場のように思われがちだと感じるのですが、いかがでしょう。

昨日の八百長問題が法律がなく、裁かれないようですが、世論は処分をと感じているのではないでしょうか。

こちらは法律がないのに処分が期待され、あちらの代議士の場合は法律に抵触しないから真実との見解です。

何か変だとはお感じにならないでしょうか。

法律にかからないから潔白という主張は、異なる次元のことを同じ土俵の上で言っているように思うのです。

潔白も証明されなければ潔白にならないというのが常識でしょう。

つまり、法律に抵触していないからというのは、どうなのでしょう。

確かに法が罪を規定しているのが法治国家なのでしょう。

しかし、法が駄目なものであれば触れないことが起こるのです。

ここで是非、現在行われている裁判制度を考えていただきたいのです。

たとえ法に触れることが行われたとしても、そのことが証明できなければ、罪にならない(できない)のです。

明らかに行為があったとしてもです。

これば一寸おかしいのではないでしょうか。

今流行の言葉であれば「正義」から考えてです。

八百長問題、代議士の問題を通して、罪とは、裁判とは、と素朴の疑問に自ら問うていただきたいと思います。

2011-01-28

東アジア経済圏の構築に当って

鳩山氏が提案していた東アジア経済圏の件ですが。

大変重要なコンセプトだと思うのです。

是非推進していただきたいものです。

ところで経済圏を構築する前にすることがあるように思えてなりません。

それは、東アジアの国々への「感謝」と「謝罪」を明確に表明することのように思えてなりません。

「感謝」であれば、中国、韓国などでしょう。

何故といえば、わが国の文化の多くは両国から伝来され継承されてきたからです。

漢字などはその象徴でしょう。

この姿勢を明らかすることが経済圏の構築に必須と感じるのです。

さらに戦争に対する「謝罪」です。

中国、台湾、タイなど東アジアの多くの国に「謝罪」をすることです。

このように述べると、多くの方から「そのような行為は国としてはできないのでは」と言われると思います。

そこで、従来国会議員の方々が使ってこられた「私人として参拝です。」との表現を参考にするのです。

首相が言う時は「これは公人ではなく、私人としての発言です。」と付け加えるのです。

このようにして東アジア経済圏の基盤を造っていくのです。

このようなことを地道に行った上で行うことが必要ではないかと考えます。

いかがでしょうか。

2011-01-17

小沢氏に一言

昨日はフジテレビに出演した小沢氏のことを述べました。

確かに政治家として筋が通っているのではとの印象はありました。

しかし、そうであるならば、自分のお金の問題に対して見解を詳細に展開していただきたいと思うのは私一人でしょうか。

期待したい見解とは、例えば次のようなものです。

「裏金と言われている献金に対しては、有権者の多くの方々はそのように指摘されているところではありますが、現在の法律のxxの第x条、○○の第○条などによってその指摘は当てはまることないことは歴然だと思います。
そのことから身の潔白は証明できると思っております。
現行法律に従えばそうであることはあったとしても、有権者からの指摘が続くのであれば、現行法律の改定や新しい法律の制定が必要と考えます。」

昨日のテレビでの発言の趣旨を踏まえて延長するとすれば、このような発言があってもよろしいのではと思うのです。

さらに踏み込めば、次のようなことを付け加えてもらいとも感じています。

「新たな法律が施行されれば、今回指摘されていることが法律に触れるだけではなく、今まで与党の方々なりが行為してきたことも多くあげられることになると考えます。長い与党政治を見てきた経験から言えば、多く方々が同様なことを頻繁に行ってきており、これも含めて是正する新しい法律がが必要であると考えます。」

つまり、指摘されていることは多くの代議士の周辺(秘書も含めて)であったと思うべきであり、小沢氏だけ問題ではないはずです。

この機会を、新しい法律の制定に結実すべきと思うのですが。

いかがでしょう。

2011-01-16

本日(16日)フジテレビに出演した小沢氏が本当の姿では

本日16日の朝の番組で小沢氏が話された2大政党制のこと、TPPのこと、日米交渉の経験などと、取り巻きがテレビのインタビューや出演した時の発言とを比較して、あまりにもニュアンスがあるので驚きました。

「小沢さん、お仲間に異なる情報発信をしないように指示してください」と言いたいです。

いかがでしょう。

小沢氏はそのようなことを指示する派閥がいやで、従来の与党から飛び出たのかもしれませんが。

一方、本日付の日経新聞の副幹事長に就任された藤井氏の記事の中に、与党の顧問である稲盛氏の「民主党には優秀な若手はいるが、青い」との発言があったとの話が載っていました。

これらから、なるほどと感じたはじめたことがあります。

本日の小沢氏の発言の趣旨と異なることを発信している取り巻き議員は、組織人としての経験がなく、上司相当が言っていることを支えられていないのだな、と言うことです。

長年与党を経験していた派閥政治の元の政党では、派閥が一組織として働き、当選回数が上下関係を造り、組織統制が図られてきて、その中で育った政治家は組織人と同様、上司が言うことを守り、口車をあわせることを無意識に学んできたのではないかと思い出しました。

しかし、現在の民主党は当選回数とは関係なく、誰でもが対等の資格で発言できる一人一人が独立したフラットな組織になっているのではないのかと感じるのです。

このことが稲盛氏の「青い」との感想を、小沢氏の取り巻きの発言の有様を、さらに小沢氏が仲間の統制を行わないことを生んでいるのではないでしょうか。

これらの現象を見ていますと、これからの代議士は組織人として活躍してきた方々が活躍でいる場にして行くことが必要ではと感じ始めましたが。

いかがでよう。

2011-01-06

おいしい農産物の生産が必要では

最近のお米やサトイモなどを食べていると30年ほど前の味と異なっているとお感じにならないでしょうか。

米は炊いた時のあの香りがしません。

サトイモは煮付けた際のあのサトイモ独自の味がしません。

このような野菜を生産されている方々に是非元の味を取り戻せないものかお聞きしたいです。

米は天日干しではなく、急速乾燥技術によって以前の味を失っているのではないのかと仮説を立てています。

しかし、何故サトイモの味があのように変化したのかの仮設は立てられていません。

農業に従事されている方々は当然知っているのではないでしょうか。

是非もともとの味に回復して下さい。

そしてその味を子供達に体験できるようにして下さい。

その子供達が成長した時には本当の味を求める人達になっているはずです。

このような味の復活は、もしかすると農産物の輸出に貢献するかもとも考えています。

現在のような味から本来の味に復活できれば、日本のものはおいしいとの評判がたつはずです。

いままでの味に慣らされてきた国内の人々には残念ながらその味の変化は分らず、反対に味が悪いと思われるかもしれません。

しかしながら、子供達への例えば給食に提供できるならば将来絶対そのおいしさが受け入れられるはずです。

是非復活させていただけませんか!

よろしくお願いいたします。

2011-01-05

看護師の方々の意識の中にヒントがあるのでは

農業や製造業などへの若者ばなれが話題にされていますが、参考になることの一つに看護師の世界があるのではないでしょうか。

医師の世界と同様に、看護師お子さんが同じ看護師になられている場合が数多く見受けられるのではないでしょうか。

そうは言っても、医師の場合と一寸場合が異なるのではと思うことがあります。

まず処遇です。

そう言っては申し訳ありませんが、それほど優遇されているとは思えません。

さらに職場環境もそれほど良いとは思えません。

つまり職業としては、客観的には、あまりなり手がいないような環境と思うのです。

しかし、意外と言うと語弊がありますが、親の職業の大変さを知っている看護師のお子さんがまた看護師を職業に選択しているケースが多いのではないでしょうか。

ここに何かヒントがあるように感じるのです。

多くの方からお話を聞い経験からは、「「ありがとう」と感謝される言葉がうれしい」とのことから看護師を続けられているとのことでした。

そのように考えると、若者離れがある農業や製造業ではあまり感謝されると言った場面があまり意識されないのではないでしょうか。

昔はご飯を残すと「お百姓さんに申し訳ないから残してはいけません」と言われた記憶があります。

これは感謝の気持ちではないのかも知れませんが、現在ではこのようなこともあまり言われていると思えません。

何が必ずしもよい処遇でない職種の看護師が選択されているのかを明らかにする中で、嫌われている職種への若者復帰のヒントを探すべきではと思うのですが。

いかがでしょう。

2010-12-19

法律がいつ創設されたか調べることが必要では

官僚の行為が問われてる時代だと思います。

国民のための行為ではなく、何か他の人々のために行ってような感じを抱きますが、いかがでしょう。

今まで気付かずにきたことがあります。

法律は明治時代から継続しているものがあります。

明治時代に創設された官僚の多くが江戸幕府の官僚だったことです。

「米欧回覧実記」でもその辺りのことを知ることができます。

江戸幕府からの官僚は、殿様のために何事も行ってきた経験を豊富に持ってきた、反対に言えば民衆のための経験は微々たるものではと仮説を立てるのが妥当ではないでしょうか。

このように考えると個々の官僚の行為を問うよりも、現在まで継続されている法律の中に、そのような傾向があるのではと検討することが必要ではないでしょうか。

この辺りのことを問うている歴史学者がいらっしゃるようでしたら是非情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

法律にのとって行為しているから云々の発言をよく聞きますが、このような認識が曲者ではないでしょうか。

法律自身が国民のためになるように、なっていなければ官僚の行為は国民のための行為になっていないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

明治時代の官僚制度の発足を考えると何か現在の有様が理解できるのではないでしょうか。

2010-12-15

日本家屋は何故日本の建築形式を捨て去ったのでしょう

日本各地の一般住宅をテレビなどの映像で見るとどこも同じような形式の家が建てれていることが分ります。

2階建てで、外壁はモルタルなどの様式です。

一方、日本の庭園などの建築形式は1階建てで、シック壁になっているものが多く存続しています。

どうしてこのような古来からある建築形式が捨て去られてきたのでしょう。

このような形式の建築は裕福な方々が建てられてきたものだからなのでしょうか。

しかし、この形式の建物には現在現在の一般住宅にはないものを感じます。

いかがでしょう。

どうしてこのような日本の建築形式の建て方で一般住宅を建ててこなかったのでしょう。

素朴な疑問がわいて来ます。

明治時代、戦後と2回にわたってわが国に築かれてきた建築形式が捨て去られ、他の国の形式に似た形式が導入されてきたからではないでしょうか。

その原因の一つには、日本の建築形式を学問にしてこなかったことを仮設にすることはできないでしょうか。

外国の建築は学問として学べるようになっているにもかかわらず、わが国の建築形式は学べるように体系化してないからではと思ってしまいます。

ただ学問にしてこなかったことがそうさせて来たのではと感じられてしかたがありません。

是非この辺りに関して建築家の皆さんから発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2010-12-06

市長と市議会がもめているところがありますが

市長解任の住民投票の結果が報道されていますが。

このケースや、名古屋市のケースでは市長の強引さが指摘されています。

確かに、一般的な民主的という言葉いわれていることから見てみますと、一寸手法にという感想を持たれる方々が多いのではないでしょうか。

この民主的というのが曲者ではないでしょうか。

国会議員の報酬、定数や区割りの件など、議会にかけ審議する所謂民主的という手続きではなかなか国民の意見を反映することが困難であることは見てのとおりです。

このようなことは当然地方自治体の議会周辺にもあり、現在報道されているようなことになっているのだと思います。

まさにこの民主的という手法に疑問が投げかけられているのだと思うのですが。

いかがでしょうか。

当事者の利害にからむことを、まさにその当事者が民主的な手法を使って否定するなどと言うことはできないことを物語っているのだと思うのですが。

当事者が当事者の意思で否定するなんて、昔のどこかの国のスローガンであった『自己否定』でも標榜しなくてはできないことなのでしょう。

このように当事者自身が当事者の処遇を変えるには、どのような手法が有効なのか考える時期に来ているのではないでしょうか。

ここでもその方法を考え、提案できればと思っています。