2014-10-01

日本のロボット技術は世界一?

よく日本のロボット技術は世界一とか言っている人がいらっしゃるが本当なのだろうか?

ロボット言えば3.11で事故を起こした原発で、最初に活躍したのは外国のロボットだった。

福島の原発の事故現場で我が国のロボットは行方不明になった。

ここでまた首をかしげることが報道された。

今回の御嶽山の噴火の報道の中で、「火口付近に地震計があるとよかったが、危険で設置できなかった。設置したとしてもメンテが大変なので・・・・・」とのこと。

聞いていて、3.11の時と同じような感じを抱いた。

災害現場で活躍するロボットなどと言っていながら、火口への設置とメンテができるロボットはどこにあるのかと言うことだ。

研究での世界一は、必ずしも製品としての世界一でないことを研究者には認識していただきたいのだ。

掃除ロボットだって外国製品がマーケットシェアでトップであることの実感は一般人は持っていると想像できる。

現場のない工学の研究成果は、正常系のプログラムfだけを作って発表できるが、製品にするには、正常系のプログラムの3倍以上の規模と言われる異常系のプログラムの作成が必要となるのが常識になっている。

異常系の設計にはフィールド、ロボットが使われる場の設定が必要となるのだ。

つまり御岳山の火口で活躍できるロボットならまさに火口での現場試験が必要となるのが常識だ。

災害時に活躍できると言っても現場を設定したプログラムが設計・作成されていなければ真に活躍できると言ってほしくない。

いかがでしょう。

なんか災害用ロボットの紹介があるたびに感じていることなのだが。


2014-09-22

政治学者・中野晃一教授が言っておられますが。

「支持が必ずしも実態を伴ったものではないということの傍証というか、証拠は、例えば、2012年12月の衆議院選挙、そして去年の夏の参議院選挙です。自民党は大きく勝っているわけですが、投票率はいずれも戦後最低レベル。衆議院選挙の場合には、民主党に大負けした2009年のときに比べ、得票数は減っているにも関わらず圧勝したのです。」

http://thepage.jp/detail/20140910-00000025-wordleaf?pattern=1&utm_expid=90592221-19.XoCGP-hPQ2e1OuAHR0YT7g.1&page=1&utm_referrer=http%3A%2F%2Fthepage.jp%2Fdetail%2F20140910-00000025-wordleaf%3Fpattern%3D1%26page%3D8


この「2012年12月の衆議院選挙、・・・・・・衆議院選挙の場合には、民主党に大負けした2009年のときに比べ、得票数は減っているにも関わらず圧勝したのです。」の得票数が減っているのもかかわらず圧勝したことが重要です。

その主な原因は戦後最低レベルということです。

つまり、投票にいかなでぶつぶつと言ってる場合ではないのです。

これこそが、望まぬことが次々と行われている原因と考えていいでしょう。

いかがですか!

もしも現在の政策に何か言いたいのであれば、選挙に行ってから言って下さいと言われるのではないでしょうか。

自分の権利を行使しないままに、ただ文句を言っているような有様は、真の大多数ではない政治状況の中で、世の中を導いていっているのです。

どこかの国の国民投票ではありせんが、それが行われて投票率が90%以上であれば、とてつもない結果を生むはずです。

このような状況を踏まえて、文句を言っている方には、是非次回の選挙に投票に行っていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

2014-08-27

現在の日本の気候への影響原因の大胆な仮説

高層ビルの蓄積熱量が影響しているとは考えられないでしょうか?

今までもあるのに、いまさら何と言われるかもしれません。

確かにそうですが、閾値を越えたからとは言えないでしょうか。

花粉症なども今までかかっていなくても、ある時突然なってしまうと聞きます。

これと同じようなことが日本で起きているのではないでしょうか。

勿論専門家のご意見を伺わないといけないとは思いますが。

つまり仮説はこうです。

数十メートルから数百メートルの高層ビルは今までの住宅やビルに比べて、容積がべらぼーに大きく数万倍以上、いやそれ以上あるとすると、その熱蓄積量もそれに比例していると思います。

熱蓄積容量が大きいだけでなく、高いところに熱がたまるものがあるということになります。

一方、空気は太陽から直接熱を吸収するのではなく、地面などから間接的に熱を吸収するという事実があります。

このことから、今までにないような高さのところに、高層ビルから放射される熱が充満しているとは考えられないでしょうか。

それも最近のマンションやオフィスビルの高層化を考えると、べらぼーな熱が夜に放出されると考えられます。

このことが現在のような不安定な気候を作っているとは考えられないでしょうか。

シミュレーションでもしていただければ直ぐに分かるのでしょうが。

専門家のご意見を伺えればと思うのですが。

いかがでしょう。

2014-07-10

STAP細胞の論文問題で再度一言

STAP細胞問題は検証作業に入って一段落してしていますが、大事なことが置き去りになっていると思うのですが。

それは、この研究は病気の治療などに期待されている分野の研究ですから、その扱いは慎重さが求められるはずです。

つまり、いい加減に管理されてはならないものでしょう。

また、ずさんな管理しかできない方に、扱っていただきたくないと思うのもしかりだと思うのですが。

いかがでしょうか。

論文の内容の真偽もさることながら、今回のようなずさんさを露呈している組織や、研究者には倫理にも関係しているような分野を任せられないと言いたのです。

社会に影響力の大きな分野であればあるほど、任せられる人なりの要件は一派の人よりも厳しくあってしかるべきだと思うのです。

今回のような理研の方々には任せられないように思うのですが。

いかがでしょう。

あのようなあまりにもずさんで、いい加減な方々に人の細胞レベルの操作をして欲しくないと思うのですが。

2014-07-03

兵庫県議の政務活動費問題

全く呆れる会見でした。

政務活動費を何だと思っているのでしょう。

領収書なしで使える構造こそ、是正が必要でしょう。

何せ税金ですから。

報酬を年に1300万円以上、支給された上に月50万円(年で600万円)まで領収書なしで使える政務活動費なんて言語道断です!

何様だと思っているのでしょう。

彼の言わんとしているのは、他の人も同じようにやっているのに、どうして自分だけ、と言うことではと勘ぐってしまいます。

もっとひどいことに使っているのに、支払いを受けている方もいるのかもしれません。

その辺りも言えば良かったのにと聞いていて思ってしまいました。


平成18年度の統計で県会議員は全国で2758名いらっしゃるようです。

とういうことは、今、一人当たりの政務活動費を年500万円として(県によって違うようですので)計算すると、なんと138億円にもなるのです。

これだけの税金が領収書なしで使われている計算になるのです。

正直にされている方もいらっしゃるでしょうから138億円全部がとは言いませんが、結構な額の税金が使われているのです。

別途、急いで法律を改正する動きがあるようですが、こちらの法律から急いで是正することが必要ではと思うのですが。

いかがでしょう。




2014-05-27

外国人賃金の支払いにもフェアトレードを

フェアトレード(公平貿易)は、「発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動である」と書かれています。

これではわが国に来てくれている外国人就労者への賃金は、対象にならないような表現ですが。

これでいよろしいのだろうかと、インドネシアから来てくれ、カツオの一本釣りなどの研修をしている多数の青年たちをテレビ番組で見ていて感じた次第です。

この例だけでなく、多くのところで外国人が研修を目的に滞在して、わが国の若者たちが就労したがらない労働に携わってくれています。

ありがたいことだと感じています。

観ていて、乗船後の彼らの賃金はどうなるのだろうと思ってしまいました。

このような場面でもフェアトレード的に考えることが必要ではないでしょうか。

現実の賃金がどうなっているのか知りたいと思いますが。

まさか、わが国の若者たちが魅力を感じない賃金で就労させられていることはないかと、一寸心配になりました。

観念論ですが、わが国の人があまり就労を希望しないところで活躍してくれるのなら、適切な賃金などで処遇することが必要ではと感じてしまいました。

いかがでしょう。

現実はどうなっているか、知りたいところですが。







2014-05-18

憲法の解釈の方法で?

現在の与党は憲法解釈で集団的自衛権の行使ができるようにしようとしています。

大丈夫でしょうか。

平和憲法のもとであっても自衛隊が存在している現在、さらに解釈で自衛権を集団的自衛権まで拡大解釈しようとしているのです。

それも現在の内閣で踏み出そうとしているのです。

解釈だけでそこまで行けるならば、さらに拡大される可能性があると考えざるを得ません。

いかがでしょう。

現在の学者は目的に到達するための解釈をする人と考えるべきだと思います。

左右どちらもです。

学者の意見に従うのではなく、自らの頭で考えることが必要だと思うのです。

それも更地で考えるのではなく、今まで生きて来て経験されてきたことを踏まえた上で考えることが必要と思うのです。

シニアの方であれば、戦後現在の与党相当の政党が行って来た政策なり、その結果なり、それに付帯した事件なりを思い出しながら判断されることが必要ではと思うのですが。

いかがでしょうか。





2014-04-16

笹井氏は論文の謝辞で書かれる程度の貢献では

本日の笹井氏の会見を聞かせていただき感じたことがあります。

会見の内容から笹井氏は今回の論文の謝辞に掲載される程度の貢献ではないかと感じた次第です。

確かに何か行ったようですが、2か月間の論文の修正アドバイザーであり、直属の上司でないのであれば、研究者の常識としては「謝辞に書いてくれればいいよ」と言って済ませるレベルではないでしょうか。

しかし、論文の内容から世紀の発見だと見定めたのではないでしょうか。

そlこでまさか、謝辞では自分は絡めないと思ったとのではと考えるのは、下種の勘繰りでしょうか。

アイディア、実験は他の人で、単に総括する管理者として論文の書き方をアドバイスする立場でしかなかったとしたら、著者として名前を連ねるのはどうかな、などと考えてしまいます。

査読のある論文では、著者は伏せて査読者に渡されます。

形式上かも知れませんが、査読者には著者は分からない仕組みをとっているのです。

つまり形式的には、世界で有名な笹井氏が著者に入っていることは知られないのです。

勿論、引用論文にそれなりの人の名前があれば査読者には大体推測ができるのも事実です。

しかし今回の会見で、2か月前から絡んでいるとなると、引用文献に笹井氏の名前があるものが数多く掲載されているとは思えません。

ということはネーチャーの査読委員にプレッシャーがかかることはなかったと考えるのが妥当でしょう。

謝辞では済まされないことがあったのではないかと考えるのは、一寸週刊誌的でしょうか。

何はともあれ、早く検証されてSTAP細胞の存在をネーチャーでない査読のある学会の論文誌に投稿することだと思います。

今度の論文はどこが役割分担したところか明確に分かる程度の妥当な人数(例えば5名程度)の著者であって欲しいと思いますが。

いかがでしょうか。

2014-04-03

理研の会見に一言

理研の4月1日の会見は何だったのだろうと感じています。

理由はこうです。

会見での見解は論文の手続きに対しての見解だったからです。

確かに、写真の一部を見やすることとか、違う研究結果の写真を使用していることは何故だったのだろうと思います。

しかしそうは言っても、この見解はSTAP細胞の存在に対して捏造していると言っている訳でないのです。

でもそうでしょうか。

捏造かどうかは手続きがどうかではないと思うのです。

いかがでしょうか。

捏造かどうかは、STAP細胞のあるのかがまず問われることだと思うのです。

捏造という言葉を使うのならそうではないでしょうか。

論文としてのあり方として、あってはならないことがされているのなら捏造と言うのではなく、新発見を発表するには書き方、写真の扱い方に問題がある論文だとすべきなのです。

査読がある学会だったら、査読委員からそのようなコメントが付けられて戻されると思います。

論文の扱いと、STAP細胞が発見されたのかの問題は区別して考えられるべきと思います。

いかがでしょう。

何はともあれ理研としては、論文の体裁に対する見解もさることながら、STAP細胞の存在自体に対する見解を早期に出すべきだと思うのですが。


2014-03-11

シニア世代が重要なグループに

若い世代がどうのこうのといった展開の話題が多くなていますが本当でしょうか。

この現在のあまりにも秩序が薄れれて来ている有様は、誰かが真っ当なことを語ったり、選挙行動にでたりしたら変わるのです。

理由はこうです。

シニアの人口に占める割合が圧倒的に大きくなったからです。

約4.5人に一人が65歳以上のシニアです。今後さらに2030年には約3人に一人の時代が来ます。

このことの意味は、シニアがこの国の意思を作ることになるのです。

孫の世代の社会の仕組みなどの選択がシニアにかかっているのです。

今まで以上にシニアの考え・行動が重要なのです。

意識されておられるでしょうか、シニアの方に。

自分の健康や余暇の過ごし方などばかりにエネルギーをかけないで下さい。

自分たちが子供の時から知って来た社会の構造の在り方や、政治が行って来たことなどを深く考え、必要であれば語っていただきたいと思うのです。

知っているのは若い人たちではなく、シニアです。

シガラミも無くなっているシニアこそ、本当のことを語れるのです。

知っているからこそ解決策に結びつく思考ができるのです。

是非、シニア世代の方々に知って来たことを踏まえた行動をお願いしたいのです。

いかがでしょう。

孫がかわいいなどと言われている方々には、是非自分たちができることを深く考えていただきたいのです。

知識も経験も豊富なシニアにはた易くできることだと思います。

2014-02-21

冬季オリンピックの結果を観ていて感じたこと

女子のフィギュアスケートの結果を見ていて感じたことがあります。

『どうしてしまったのか』と言うことです。

ショートプログラムの結果とフリーの結果が、たった一日の違いであのように異なる結果になったことです。

今回の冬季オリンピックでもよく聞かれた言葉ですが。

「緊張でいつものよう出来なかった」
「平常心で臨めなかった」
などのような表現がありました。

この言葉ではなかなかその状況は理解出ません。

分からないということは対処ができないことに繋がります。

今後、このような体験を生かして行くためには、この辺りのことをもっと言葉で可視化することが必要ではないでしょうか。

その場で当事者が表現することは難しいことだと思いますが、少し経った後でもいいので当事者からどのような心理状態なのがなどを聞き出して、その源のようなものを明らかにすることが必要だと思うのです。

この辺りは当事者ではなく、学者の方のお知恵を借りて明らかにしてその対処方法を見つけて行くことが重要と思うのです。

それが出来ればどう対処すればよいかか分かるのではないでしょうか。

なにせ可視化できなければ対処方法も見つけれないはずです。

そのためにも、一般的な言葉で表現されていることを、もっと源に近づける言葉で見えるようにして欲しいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2014-02-04

このようなことを道徳でなくして欲しい

道徳教育がまた話題になっています。

何か道徳教育と聞くと危うい感じを抱くのは私一人でしょうか。

何を是正しようとして道徳を教育の一環に組み入れようとされているのでしょうか。

道徳教育に力を入れるのでしたら、是非次に示す事柄を是正して欲しいのですが。

先日来行われている吉祥寺にある井の頭公園の池の「かいぼり」で見つかったような自転車や外来魚を放つようなことをしないようにすることや、いじめをなくすようにするとか、万引きをしないようにするとか、・・・身近の事柄が是正されるような教育を考えるべきと思うのですが。

いかがでしょう。

道徳の教育であれば生活に身近な課題を解決できるような教育であってもらいと思うのです。

現在のわが国は他国を道徳がないと国などと言えるような国では無くなっているのではないでしょうか。

教育が行きわたったなどと言われてはいますが、わが国のある面を見れば同レベルの道徳観念のように思えるのです。

いかがでしょう。

道徳と言って国の有様を憂えているのであれば、この辺りのことが(それ以上もものではなく)解決できる教育であって欲しいのですが。


2014-02-02

このような人物が会社のトップだったのでしょうか

このような人物が会社のトップになれる会社の人事はどうなっているのだろうと思ってしまいます。

いかがでしょうか。

最近のことで言えば、今回のNHKの会長のケースもその一つです。

公共放送であるNHKはどのような立場の組織かを考えておられれば、今回のような話しを公開の場で語ららないのではないでしょうか。

トップはいつでもNHKでなくてもそのようにしていると思っておりました。

しかし、今回の有様には首を傾げてしまいます。

あの方は社長や幹部だった際にそのように自分を培ったことがなかったのでしょうか。

あの方は一流と言われる会社の社長経験の方です。

しかし、あの会見の姿勢はその辺りのことを一切感じさせないものでした。

いかがでしょう。

このような方が社長に選任された一部上場の会社があるということの方が驚きです。

いかがですか?

仮説ですが、叱られた経験が無い方なのではないでしょうか。

つまりトップになってから無いのは当然としても、トップになる前にも言われたことなかったのではと感じます。

政治の世界のトップ(首相や大臣)にも以前書いたように感じて来ました。

まさに今回の方も同じ資質の方だと思います。

いかがでしょうか。

このような方々がトップになられる人事構造に疑問を感じるのは私一人でしょうか。




2014-01-27

原発に関する国際会議開催の提案が話されました

日曜日(2014年1月26日)のTBSの時事放談で丹羽宇一郎氏が今まで聞いたことがない、示唆に富んだ話をされました。

趣旨はこうです。

「原発と原爆の被害国として、今後の在り方を考える国際会議を知事選の後に開催するようなことが必要では」とのことだったと思います。

この前に日本だけで原発0を訴えても、原発の放射性物質の飛散には国境なんてないことを考えると原発の有様は国際的に考えることが必要と言われた。

確かにそうだと感じました。

原発を稼働させている限り、原発の事故だけでなく放射性物質の飛散の可能性は移動を行う際の事故が考えられるでしょう。

核燃料の移動、核燃料の保管、使い済み核燃料の保管、廃炉の核燃料の処理、原子力船の排水など多くの場面で飛散することが想定されます。

これは一つの国の問題としてなく、国際的な課題として方向を明確化して各国の現状を踏まえて早期に対処方法を検討することが必要でしょう。

今度の知事選では是非この辺りのことを言及していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。




2014-01-23

夜で出かけられる街にすることも必要では

街の活性化が多くのところで取り上げられています。

一寸ドラスティックかもしれませんが、夜で出かけられる街にすることもあるのではないでしょうか。

BSなどで欧州などの街を紹介する番組を観ていますと、夜の街のレストランなどがお客であふれているところなどが出て来ます。

今の地方ではそのようなことは、ほとんどないのではないでしょうか。

街の活性化というと昼の時間帯を思い描いているように思うのです。

昼の時間帯は若い人が働きに出ていて、家にいない現状を踏まえますと、昼ではなく夜の活性化を考えることが必要ではないでしょうか。

そうは言ってもまだ障害が幾つもあるでしょう。

夜出かけるには安全で、出かけるための足の確保が必要でしょう。

さらに夜出かけられる人の確保もあります。

そのためには勤め人の定時退社が必要になるでしょう。

現状は出来ないことばかりですが、街の活性化に昼が駄目なら夜といった発想も必要ではないでしょうか。

欧州型の夜を街を満喫する生活もこれからの街の活性化に必要ではと思うのですが。

いかがでしょう。

2014-01-17

転職した会社の長になった時の感覚が必要だったのでは

現在かろうじて野党の第一党になっている元与党の方々は転職した会社の長になった時の感覚が必要だったのではと考え始めました。

最初の首相になった方が『脱官』を打ち上げて、なにか官僚をつまはじきのようにしたのは全く見識を疑います。

その後もあまりこの辺りのことが適切に是正されませんでした。

その結果、多くの場面で官僚の知恵(悪知恵もふくめて)を引き出すことができなかったように思えます。

自ら溝を作って入って来るなと言わんばかりになってしまったように感じるのです。

偉そうにしたのではないとは思っていますが、拒否の姿勢を感じさせたように思えます。

転職されて長になられた方なら直ぐにお分かりになると思います。

周りは見ているのです。

自分に良い影響のある人か、そうでないかをです。

まさにこの二つから見ると、そうでなかったのだと思います。

いかがでしょう。

この場合は、無視されるか、協力してくれないかです。

メンバーの中、特に党の幹部に転職をされた経験をお持ちの方が少なかったのでお分かりにならなっかたのかも知れません。

是非、この辺りもよく総括していただきたいと思います。

今回の知事選で脱原発で当選した場合も同じように思えます。

もしもそうなったらスタッフに転職で長になられた方を入れることが必要と感じます。

いかがでしょうか。



2013-12-29

聴いて下さい 与党の若手の皆さん!

今回の首相の発言は各国から問われていることに答えていないと思うのです。

問われているのは『A級戦犯』が合祀されているところに行ったことです。

だれも戦死者を祀っているところに行ったことを問題だと問いかけてはいないのです。

ご本人もご存じだとは思いますが。

しかし見た目からはそのようにしか見えないのです。

与党の若手の皆さん! あなた方のリダーがそのように応えてるのです。

また与党の中には同じように参拝しておられる数多くの方々がおられます。

どのように思われているのでしょうか。

もっと真摯にお考えいただくことはできないものでしょうか。

この問題だけでなく、現在の与党の若手の方々の価値観はどうなっているのかと思われる事柄が多いように感じますが。

いかがでしょう。




2013-12-22

首都の知事の職務内容はどのようなものなのでしょう

学生運動を経験した方でも、お金で知事の職務が全うできなくなるのかと唖然としています。

確かに明治維新の革命を達成させた薄給の下級武士も幕臣を追いやり、高給取りになって当たり前のように振る舞っていたようです。

いつの時代でもどなたでも地位が高くなると、思っても見ないような生活にどっとつかってしまうのでしょうか。

今度の知事選には行政をよく知っている方にしてもらわないと言いながら、いつもの方々のお顔がテレビなどに出ています。

今度は一度、知事の職務の内容を明確にして、その内容を全うするにはいかなるスキルを持っている人材が必要なのか、明らかにするのはどうでしょうか。

先ず、首都の知事の執務内容を一つ一つ列挙して、その夫々に対する要求スキルを上げるのです。

その結果を要求条件にして立候補された一人一人の候補者が持たれているスキルを評価するのです。

こう書けば、ビジネスの世界でコンサルされている方々は日々行っている行為と思われるのではないでしょうか。

ところで、このように考えていつも思うことなのですが、知事の職務内容が何なのかが分からないことです。

今までの知事を外から眺めて見ますと、どなたでもこなせるように思ってしまいます。

いかがでしょう。

是非マスコミの世界にいらっやる方々にこの辺りのことを教えていただきたいと思います。

出来れば、知事をご経験なさった方々からもどのようなことを日々行っていて、どのような能力が必要なのかを教えていただきたいと思います。

行政の手腕に熟知などという抽象的なことではなく、予算の数字を見て数字上から何が問題かが分かるスキルとかより具体的にです。

ビジネスの世界でご活躍のコンサルの方があればお分かりになると思うのですが。

コンサルの方で知事なりに必要なスキルをご存じの方がいらしたら是非声を上げて下さい。

期待しております。

よろしくお願いいたします。







2013-12-06

テレビの出演者の中に黒人の女性タレントが見受けられないのは?

テレビの番組やコマーシャルで、顔つきが日本人離れした方がアナウンサーも含めてタレントさんとして数多く活躍されていますが、女性の場合に白人のような顔つきの方が多いと感じないでしょうか。

男性の場合には結構前から黒人のタレントさんはいましたし、現在も多くの方がいらっしゃいます。

しかし、黒人系の女性の方はあまり見当たりません。


以前、BSの旅番組でレポーターとして活躍されていた女性二人のお笑いタレントで黒人系の方がいました。(相方はフラン系の白人の方だったと記憶していますが。)

これは一種の差別ではと感じ始めました。

また日本人と同じ範疇のアジア系などの黄色人種のタレントも数が少ないと思います。

どうしてテレビ界はこのようなことになっているのでしょう。

この有様は日本人が保有している外国人への対応の仕方そのものを、反映しているとは考えられないでしょうか。

このことは大げさかも知れませんが、明治維新以来の欧米重視の風潮そのものではないでしょうか。

そしてアジア軽視の風潮も今でもあるようなことはないでしょうか。

最近の近隣の国々とギクシャクしている有様は、まさにそのようなことが反映している見えてなりません。

いかがでしょう。

話しは戻りますが、最近は男性の黒人系のタレントがコメンテーターとして活用さてれいるのを拝見して何か嬉しさのようなものを感ます。

女性でも黒人系の方が活躍する日が早く来ることを期待するのは私一人でしょうか。

この様子は何かわが国の外交姿勢に通じるものがあると考えるのは、考えすぎでしょうか。


2013-11-19

ユニセフ募金の話題が上っていますが


「ユニセフ募金のうち各協会の活動費にあてられるのは最大25%と定められているが、日本ユニセフは2012年度の活動費を19%に抑え、81%(130億円)をユニセフ本部に拠出した。」
と書かれていますが。
19%と書かれると努力しているのか、と思ってしまいますが、金額で書くと30.5億円です。  130億円が81%であれば全体で160.5億円、その19%は30.5億円となる)
活動費のガイドラインが%で書いてあるることは曲者です。
あたかも小さな%であっても絶対額が大きくなると当然、今回の場合のように30.5億円にもなっているのです。
ガイドラインが絶対額で決められていなければ、組織としてあり得ない金額になるのです。
 %で決めるなら。
例えば、「全体がX億円までは5%までする。ただし、その金額がY円を超えた場合にはZ円を限度額とする。」のような決めた方でなければ、ならないのではないでしょうか。
寄付されたお金の30.5億円はあまりにも多額すぎるのではないでしょうか。
いくら160億円の内とはいえ。
毎年行われている日赤の義援金も神奈川県支部の平成22年度の事業報告でも11.3億円の支出の内、11.6%の1.3億円が業務管理運営費になっているのです。
全国であればユニセフどころではないのではないでしょうか。
募金は多額のお金が運営費用に使われているのです。
今回のことを踏まえて、その要因はどこにあるかを明白にすることが必要なのではないでしょうか。
まさか要員が多く多額の人件費がかかっているとか、                           理事とかの幹部の報酬が1000万円以上に支払われているとか、ではないでしょうか。
ユニセフの活動と言えば、BS放送などのTVでコマーシャルを流していたり、ダイレクトメールを郵送したりして、寄付金の一部とは言えない多額のお金を使っていることも、何か腑に落ちないことではないでしょうか。
寄付金で寄付金の宣伝をしているのですから。
今回提起された問題は、この辺りも含めて考えることが必要なのではないでしょうか。
いかがでしょう。
 
    

2013-11-12

食の偽装に対して

毎日のように食の偽装について報道されています。

全く呆れるばかりです。

偽装内容もさることながら、社長も含めて管理者の有様もです。

偽装内容で申せば、安い材料を高い材料のように偽装してること、素人でも材料の違いが認識できるものであることが呆れる原因です。

管理者の在り方ですが、現場の人材をあたかも素人のように話していることが呆れることです。

よく考えてみて下さい。

呆れるのは管理者です。

彼らは偽装した食の部門の利益率の高さに花丸を付けてきたはずです。

つまり、部門の評価を【優】を付けていながら、あたかも現場の状況を知らないようなそぶりをしているのです。

管理者は優を付ける際には、その理由、つまり利益率の良いことを担当部門に問いかけるはずです。

その時点で「おかしいな」と感じられるはずです。

管理者をご経験の方々! いかがでしょう。

偽装問題は現場が問われるのは当然として、その責任の所在は管理されている方々でしょう。

そのように考えて報道を観ていると、あまりにも社長、取締役の発言はお粗末に感じます。

いかがでしょう。

もしも現場の方々が報道されているように今回報道されている食材の差が分からないなら、管理されている方々はその現場の方々を即座に食の部門から外されるべきだと思うのですが。

いかがでしょう。





2013-10-20

わが国の原爆開発の痕跡

本日20日、BS11の「ウィークリーニュースONZE」で福島第1原発に近い福島県石川町で戦時中、原爆開発されていたと報道されました。

終戦近い1944年に軍部によって原爆開発のためにウランの採掘が指示され、動員された住民によって作業が行われたとのこと。

このようなことは聞いたことがないなと思い、調べてみました。

理研が1941(昭和16)年に、陸軍航空技術研究所から原爆開発の可能性に関する研究の委託を受け、当時、原子核物理の第一人者だった理化学研究所の仁科芳雄主任研究員(1890~1951年)が報告書を作成し、1943年3月に陸軍に研究成果を報告書として提出されたようです。

「原子核分裂によるエネルギー利用の可能性は多分にあり」とあり、さらに「連鎖反応はいったん起これば極めて短時間に進み、莫大(ばくだい)なるエネルギーを放出する」として、原子力が爆弾に転用できる可能性を言及しているようです。

31キログラムの水に濃縮ウラン11キログラムを混ぜた場合、「普通の火薬1万トンのエネルギーに相当する」との計算も書いてあったとありました。

報告を受けた東条英機首相は「この戦争の死命を制することになるかもしれない。航空本部が中心となって促進を図れ」と命令し、1943年9月に原爆開発が極秘の研究となったようです。

このような話は一度も聞いたり、読んだりしたことがありませんでした。

いつも被害者としての発言ばかりでした。

しかし、番組の中で、当時の陸軍であれば開発されていたら使っていたように思うと、ウラン採掘を経験された方が話されました。

この辺りのことをご存知の歴史学者からの情報提供を是非お願いしたいと思うのですが。

いかがでしょう。

靖国に今回訪れた与党の方のお一人から、戦争でお亡くなりになった方々を追悼云々、の発言がありましたが、このことに対してどのような見解をお持ちか聞きたくなりました。

この辺りはいかがでしょう。


2013-10-11

ミシュランの日本での調査員の方の味覚はどうなっているのでしょう

鎌倉にある蕎麦屋で、10月11日の昼に10割そばなるものを食べました。

このようなことを書くのは不本意ではあるのですが、いたたまれなくなり、書くに及びました。

友人からよいそば店があるらしいとの話があり、そこに行ってそばを食べました。

まずそばだけ4本ほどを取って、香りをと思い何もつけずに食べてみました。

何の香り(そばの)もしません。

一緒に行った友人にも確認してみました。

友人も香りがしないとのこと。

そばがきも頼みましたが、それも香りがありません。

自分でもこの10年以上、見様見真似でそば打ちを経験してきました。

大したそば粉も手に入らず、香りがよくないなと思いながら自分で打ったそばを食べてきました。

香りがないと言っても、そばがきの出来たては結構そばの香りがあります。

さらに、そばそのものにもかすかではありますが、香りがします。

大したそば粉でなくても少しの香りがするとの経験から、鎌倉で今回食べたそばと、そばがきに全く香りがしなかったことにショックを受けています。

呆れて、帰宅後にこの店のHPを見ましたら、ミシュランの「一つ星」を2010年から連続して3年間取得しているとのこと。

えーって感じです。

何を判断されているのでしょう。
日本でのミシュランの調査員の方は。

また調査員の方の味覚はどうなっているのでしょう。

この店のそばつゆも美味しくありませんでした。

ミシュランの権威に関わる事柄だと感じています。

是非、ミシュランの調査員の方から発信していただきたのですが。

いかがでしょう。

2013-10-09

殺人事件の裁判に一言

 8日の裁判員裁判の死刑判決を破棄し無期懲役とした東京高裁判決について、何か腑に落ちないものを感じます。
東京高裁は「強固な殺意に基づいた冷酷非情な犯行」としつつ、
「被告が、被害者に金銭を要求した時点において、殺害の意思があったとは認められず、計画的な殺害行為とは言えない」とありました。

さらに「殺害された被害者は1人で、死刑を選択することがやむを得ないものとは言えない」として、
無期懲役の判決が下されたとありました。

「殺害の意思が云々のところ」と、「殺害された被害者は1人」のところがひっかりました。

どうすれば人の命が奪われるかは普通であれば分かるはずです。

そうして命を奪っているのです。

このことだけでも極刑に値すると思います。

ただし、情状酌量の余地があれば、それなりの減刑はありえるでしょうが。

さらに被害者が一人だから無期懲役という判断のところですが、確かに今回だけでなく出てはいますが、この部分も一般人から考えて、理解に苦しむところです。

人の命を奪えばそれなりの罰を受けるべきではないかと考えますが。

一人か、複数人かではないでしょう。

まず人数とは関係なく、命を奪ったら極刑と言うところから始めるべきではないでしょうか。

それから事実関係から酌量して行くのが良いのではと考えるのですが、いかがでしょう。

どうも現在の刑法ではそのような仕組みになっていないようです。

死刑廃止の議論の前に終身刑導入の議論を、また殺人に関しては極刑から情状酌量によって減刑していく手続きが必要ではないでしょうか。

専門家のコメントを頂きたいと思うのですが。

いかがでしょう。



2013-09-29

他国のことは言えないのでは

昨日 9月28日(土)に読売新聞 から配信 されたと書かれている情報に「給食にハエ付きパン…除いて食べるよう学校指導」と言うものがありました。

 「小学校の給食で出されたパン計約100個にハエが付着していながら、両校とも付着した部分を取り除いて食べるように指導していたことが28日わかった。
  市教委によると、付着していたのはクロバネキノコバエ(体長約1ミリ)。蘇南中では今月2日、ハエが付いたまま焼かれた丸パン4個が、また東明小では同9日、同様のクロワッサン約100個が見つかった。両校とも児童生徒の訴えで明らかになった。そのパンを食べた子供もいた可能性があるという。」
とあります。

この有様をどのようにお感じでしょう。

さらに
 「市教委は、給食の異物混入で、「健康に影響がないと判断した場合は食べる」との方針を手引書で示しており、両校ともその手引書に従ったという。市教委は「配慮が足りなかった」として、手引書の改定を検討している。」
とありました。

まず、こんなことがあってならないと思うのです。

つづいて、「手引書」の改定の問題ではないでしょうと言うことです。

パンの製造過程でハエが入ったと分かった時点で全部廃棄でしょう。

ハエがついたままパンが焼かれていれば、製造者が目での確認で分かったはずでしょう。

ハエも一緒に焼かれたパンが配送されてきたら、その時点で全部とは言わないまでも、最低それらのパンは廃棄でしょう。

「手順書」の問題ではなく、常識の問題でしょう。

ここで書かれている「市教委」は何という組織なのでしょう。
全く体を成していないと言わざるを得ないのではないでしょうか。

「市教委」もさることながら、パンの製造業者もあきれます。

食を製造される資格はないのではないでしょうか。

地元業者と義務教育の学校との関係はそのようなものなのでしょうか。

よくご存じの方から情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

  

2013-09-08

国立国会図書館の電子図書のことで一言

ご存知のように国立国会図書館のサイトで電子図書を手に入れることができます。

http://www.ndl.go.jp/jp/service/online_service.html

この電子図書に配慮して欲しいことがあります。

それは江戸時代や明治維新の時代の本の、漢字の読み方と意味が分かるようにできないかです。

理由はその時代の本が読んでみたいからです。

よく英語で書かれたその時代の日本に関する書物は読めるのに、日本語で書かれた書物が
読むことも意味も分かりずらいと言う経験をしているからです。

このようなことを言うと、ルビが振られていれば良いのではないかと言われる方がいらっしゃると思います。

例えば、『木戸孝允文書』の次の文章にルビを振ることはできないでしょう。

「政事端に関係仕居候段、何とも恐燿之至に奉存候得とも、四方之徴士も未上京不仕、再三御断申上候義も奉憚、暫御命令に相随ひ、乍不東此節まで参仕仕居候処、御召之徴士も逐々上京に相成候に付而は、御人少と申義に而も無之、短才徴力空敷御要局を相塞候段何とも不安奉存候、尚又於国元も従来主人より之用筋等承り居申候処、先頃京都不容易之形勢報知有之、主人父子においても深く煩念仕、諸事半途之まゝ於弊藩御用便承り候為め迄に不取敢上京申付候処、其儘滞京仕候に付而は、総而主人より承り居候用筋之義瓦解に至り候廉も不少、此等之義奉入御聴候は重々奉恐入候得共、臣子之至情是又不得上之次第、乍恐御垂憐被仰付、素願之義程克被為聞召、徴士 之義御免被仰付候様伏而奉歎願候、誠怪々々頓首百拝
二月
広沢兵助
木戸準一郎」

また読める人にはルビはうっとおしいでしょう。

ルビだけでは意味を知ることはできないようにも思えます。

そこで是非お願いしたのが、電子書籍にされるときに、読者の必要に応じて「読み方」と「意味」が簡単に分かる機能を設けてほしいことです。

これらの機能は紙の本ではできないことです。

電子の本だからこそできることです。

このような機能が備わった電子書籍が提供されれば、もっと多くの人に江戸時代や明治時代に書かれた本が読まれるようになると思うのです。

この時代の本を読むには、さらに草書体などで書かれた本が読めることが必要です。

できれば本の体裁にかかわらず、読者の指示にしたがって「読み」と「意味」が即座に分かる機能(情報だと思いますが。)を電子書籍に設けていただきたいと思います。

ルビではなくです。

いかがでしょう。






2013-08-29

シニアの方々に一言

はだしのゲンの図書館での閲覧についての話が何日か報道されていましたが、シニアの方々は
どのようにお感じになっておられるでしょう。

描かれた内容が分からないと言われるシニアも多いと思いますが、2013年8月27日の朝日新聞の夕刊(11面)に4コマの場面が掲載されました。

普段漫画をご覧にならないシニアの方々も目にされたのではないでしょうか。

書かれた内容がヒドイと感じられたとしたら、是非思い出していただきたいのです。

アジアの国々で戦争の中で目にされたことをです。

シニアの方々しか実経験された目撃者はいないです。

1940年代わが国が起こしたアジアの国々での出来事のすさまじさは、このレベルではなかったのではないでしょうか。

戦後生まれのシニア世代には本などからしか戦争で行われたヒドイことを知ることはできませんが、はだしのゲンで描かれているような出来事は多くのアジアの国の方々に対して行われたと書かれています。

是非実際に自分の目で見た方々に記録を取り戻していただきたいのです。

そして孫の世代におなじことが起きないような社会になるよう働きかけていただきたいのです。

シニアこそできる世代だと思うのです。

いかがでしょう。

付け加えれば、戦争でヒドイことをした人がいれば、当然ヒドイことをされた人がいるのです。

ヒドイことをされた人への思いを込めて、是非この「はだしのゲン」の今回の事柄に対してシニアから発信していただきたいです!!



2013-08-13

NHKスペシャル - 知られざる脱出劇〜北朝鮮・引き揚げの真実〜 を観て

『「NHKスペシャル」 - 知られざる脱出劇〜北朝鮮・引き揚げの真実〜 』を観て感じたことがあります。

先ず、北朝鮮からの引き上げに大変なご苦労があったことです。多くの方々が命を落とされたとのこと、ご冥福をお祈りしたいと思います。

ここでは、引き揚げ時の悲惨さだけでなく、第二次世界大戦中の1945年8月9日にソビエト侵攻があり北緯38度線の北側をソビエトが封鎖し、民間人の自由な移動も禁じられたとのこと。

そして、ここでソビエトとアメリカが日本人の引揚費用をどちらの国が負担するかの話し合いが持たれ、アメリカはソビエトが負担するように主張したが決裂したとのこと。

さらに、38度線の米検疫所で日本人の脱出者を多数保護しなくてはならないことや持ち込まれる伝染病のことなどから、アメリカはソビエトに38度線を厳しく封鎖するように求めたこと、
などから引揚時期が延ばされたとのことが取り上げられていました。

ここにもアメリカとソビエトとの当事者意識の欠如したようなやり取りがあったのです。

これを観ていて、戦争の悲惨さは戦争終結後もあり、それも戦勝国の身勝手とも思われることから色々な問題が生じることを知り、改めて戦争への強い回避の意識を持ちました。


あえて言わせていただけば、わが国の被害者からの視点だけでなく、1910年から開始されたわが国の朝鮮半島統治による被害者である朝鮮半島の方々からの視点も含まれていたらと思いました。

いかがでしょう。

この番組の主題からは難しいのでしょうが。




2013-08-11

NHKの番組内容に一言

先日の番組『NHK BS プレミアム「ぐるっとインドシナ半島3000キロ 豊かさと悲しみの大地をゆく」』の中で、ベトナムは中国、フランスに占領されたことがあるとの解説がありました。

事実はさらに1940年代にフランスに代わって占領した時代があり、悲惨な足跡は、例えば、吉沢 南氏の「私たちの中のアジアの戦争 仏領インドシナの「日本人」」に詳細に書かれています。

多くのベトナム人の餓死を誘発したのは、わが国の占領が大きく起因しているのです。

この現状を無視してNHKの番組内では中国とフランスだけを言及して、わが国のことは言及しなかったのです。

たった一言「占領を終了し撤退する日本軍」との解説と敗戦後の日本軍の撤退の映像を5秒程度挿入しておきながら、フランスに代わって占領していた時期があったことを無視したのです。

あまりにもアジアの国々へ行ってきたことに対する歴史的事実を踏みにじってはいないでしょうか。

わが国の現代史を専攻されている方々はどのように観られたでしょうか。

また政治に携わっている方々、特に若手の方々に事実を知っていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

与党の若手の方々に申し上げたいと思います。

もっとアジアの国々に与えてきた行為を真正面から見つめてもらいたいのです。

そして、これからも同じようなことが行われない政が行われるようにしていただきたいのです。

2013-07-23

アジアなどの国々との関係を新たに構築することが必要では

恥ずかしいことに、最近知ったことですが、アジアの国々との関係を新たに構築することが必要ではと思うことがありました。

それは過去に行われたスリランカ大統領とベトナム主席の発言です。

これらを教科書などで読んだ記憶もなく、最近のテレビ番組と書籍で知り、知っておくべきことがらと感じました。

一つは、第二次世界大戦が終わり、スリランカ独立後の蔵相その後大統領となったJ・R・ジャヤワルダナ氏のサンフランシスコ講和条約会議での演説です。

ジャヤワルダナ氏はブッダの教えから
『憎しみは憎しみでは消えず、愛する事によってなくなる
 我々はもう憎しみを忘れようではないか
 そしてアジアの将来にとって独立した自由な日本が必要である
  賠償請求もしない』
と言うものです。

二つ目は、吉沢南氏の「私たちの中のアジアの戦争」(1986年9月20日発行 朝日選書 44ページ)に記載されているホー・チミン主席の声明です。

『「新政府〔九月二日に独立宣言を発したベトナム民主共和国臨時政府〕の対日態度に付ては其後累次の胡〔ホー・チ。ミン〕主席の……声明等に現れたる処を要約するに

(イ)日本軍は極東に於ける『ファシスム』或は帝国主義の具となりて安南を占拠し仏国の裏切り政
権と結託して安南人民に多大の苦難を与へたるものにして越盟〔ベトミン〕としては数年の永きに亘り之と闘ひ来り漸く今日の成果を得たるものなり
(ロ)乍然日本軍は既に武装解除せられ軍民共に本国に帰還の時期を待ち居る者なれは之に対して安南人としては能ふ限り保護し必要の援助を与ふるに努めさる可らず

と云ふにありて新政府樹立後各般の問題ある毎に寧ろ先方より我方に接近し来り極めて友好的態度を示せることは日本側一般に一種拍子抜けの感を抱かしめたる程なり」(原文のまま。〔 〕内引用者)

この文章は、敗戦から翌年の引揚げまでのベトナムの状況を綴った、日本外務省の公的な報告書(「終戦以後本年二月に至る北部仏印政情報告」一九四六年二月三〇日)の一部分である。』

これからアジアなどの国々がわが国を好意的に見てくれていたことが分かります。

これらの好意をただただ受ける取るだけでなく、戦争で行ってきたことを真摯に見つめ直し、アジアの国々との関係を新たに構築して行くことが必要と感じます。

いかがでしょうか。

またこのようなことがわが国であまり知られていないことも何か疑問を感じます。
これらのことを知る機会もあるべきと思いますが。
いかがでしょう。



 

2013-07-19

投票率についてですが

最近住民投票の有効性を50%以上の住民が投票されたかで判断することがありました。
いろいろな意見がありましたが、何かその有効性のようなことを感じました。

選挙における区割りを変えて票の重みが2倍以下にすることが決まりました。

確かにこれでそれなりの平準化が図られたように思います。

しかし、これで国民の意思が平等に反映できるようになったとは言えないでしょう。

もう一つ簡単で分かり易いことを実施したらどうでしょう。

例えば、投票率が50%を越えない選挙区は開票しないのです。

せめて50%を越えなければ民意が反映されないと考えるのは不自然でないと思うからです。

50%が適切かはあります。

越えた場合のみ開票するのです。

いかがでしょうか。

50%を越えない場合どうするかは別途真剣に考えなくてはなりませんが。

2013-06-30

シニアには厚い思考をしていただきたい

政治家をはじめいろいろな分野の人材として若い人を期待することが多いですが、それで社会がうまく行くのでしょうか。

自分の学生時代を考えた場合、あまりも知識と経験が少なかったと実感しています。

つまり、多くの分野で若い人が活躍できることは確かであったとしてもで、全ての分野ではないと考えます。

国の運営への選択能力や、社会の有様を是正できる知恵は、時間的に積もった豊富な経験からの厚くなっていると思うのです。

この厚さが重要なファクターであり、シニアこそ現在の社会的状況を是正するための知恵を吐き出すことがでいる、いや、しなくてはならない人材なのです。

この認識を自分も含めてシニアは共有しているでしょうか。

どうもそのような感じがしないと思うのは私一人でしょうか。

国の運営の選択においても人口比が多いシニアが深く、厚い思考をされているでしょうか。

歴史的(時間的)に経験の少ない若い人と同じようなレベルの判断をしてはいないでしょうか。

例えば、過去から現在まで続けられていることから現在があるのではと推察されることはシニアにしか実感できないはずです。

シニアの方々には歴史的に豊富な経験で裏打ちされた厚く、深い思慮を拡散していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。



2013-06-16

あの立場で何故あのような発言されるのか

今回の復興庁参事官のツイッターでの発言の件ですが。

このような立場で、あのような発言をされる方はどのような人なのだろうと思ってしまいます。

まず社会人として疑問の付く方ではないでしょうか。

どう思われるでしょうか。

また人間としても疑問の付く方ではと思ってしまいます。

どうも人間としての有様は、学校の成績と相関がない方々が目立ってきているのかなとも思い始めています。

いかがでしょう。

またあのような立場で、あのような発言をされれば、今回のような反応があることを予測できない方がしかるべきポジションの方にいることに対して、現在の社会はどうしてしまったのだろうとも思い始めました。

自分の行動が社会的にどのように受けらるか、このような反応があると自分にどのようなフィードバックがあるのだろうということが、想像できない方が数多くいらっしゃることに何か「あきれ」のようなことを感じます。

あまりにも想像力が無さすぎではないでしょうか。

そうは言ってもいらっしゃるのは現実ですから、どうしてなのかを社会学的に解釈できる方々からの発信を期待したいのですが。

できれば、このような方々を生まない社会環境を作る条件を明示していただきたいと思うのです。

いかがでしょうか。


2013-05-30

原子力関係のずさんな管理に一言

独立行政法人日本原子力研究開発機構の「もんじゅ」の施設の点検漏れ、茨城県東海村の加速器実験施設で事故と、専門家のずさんな管理に危険を感じます。

いかがでしょう。

報道されていることは専門家としてあまりにも稚拙なことがらで、あきれを越して憤りを感じざるをえません。

原発事故以来、専門家の、特に原子力関係の専門家の資質に疑問が投げかけられています。

自覚をお願いしたいと思います。

いかがでしょう。

このような事が起きても責任者は大した責任もとらず、高額の報酬をもらっている現状に合点がいかないと感じるのは私一人でしょうか。

日本原子力研究開発機構の役職員報酬・給与等については次のところに掲載されています。

 http://www.jaea.go.jp/02/pdf/kyuyo_h23.pdf

ちゃんとした責任がとれない公務員であり、65歳を過ぎているであろう理事などの報酬が地位が高いことだけで2000万円以上なのです。

このようなことはこの組織だけではありませんが、なにせ65歳以上のシニアにこのような金額の報酬が払われているのです。

ここで提案ですが。

65歳以上の理事に対しては現行の報酬の50%にするとか、就任時の報酬をそれ以前の報酬の意70%にして、毎年その70%にするようなルールにするという提案です。

若者にボランティアの奨励をする昨今、シニアが率先垂範することが必要なのではないでしょうか。

いかがでしょうか。





2013-05-03

作家出身の知事のオリンピック関連の発言についてですが

作家ってもっと言葉に敏感であって欲しいと感じるのは私一人でしょうか。

最も2代続けて言葉に対して一般人よりもセンスビリティーの低い方が、日本の一番人口の多い地域で知事として選ばれている現実は受け入れなくてはないのでしょうが。

しかしながら呆れる有様と捉えるのは誤りでしょうか。

呆れる先は作家出身の方だけでなく、一票を投じた皆様にもですが。

いかがでしょう。

2回の発言を聞いていますと、社会人として首を傾けてしまう方なのではと思ってしまっています。

社会に出てから、勤めたこともなく、他の人から怒られたこともなく、理不尽なクレームに謝ったこともない方が一般社会人よりもインテリジェンスが高いと思いこむのは誤りではないかとの仮説も立てていますが。

それなりの社会人であると思えば思うほど、今回の発言には引っかかるのだと思うのです。

一方、社会経験の乏しい方の発言だからしょうがないと思うのも誤りでしょう。

『言葉』を操る専門家である作家であれば、言葉を選びながら使う姿勢が必要ではないでしょうか。

それも出来ない資質なのでしょうか。

また最近のいろいろな場面での発言の内容は上から目線になっていないでしょうか。

一寸そのようにも感じるのですが。

いかがでしょう。




2013-04-21

忘れてはいけない記事 「砂川事件当時の最高裁長官が米公使と密談さらに判決の見通しを伝達」

砂川事件当時の最高裁長官の田中耕太郎氏が駐日米公使らと密談し、判決の見通しなどを述べていたことが、米国の公文書で明らかになったと、4月8日、9日の新聞などのマスコミで報道されたが、その後はあまり話題になっていません。

概要はこうです。

砂川事件の最高裁判決を前にして判決の状況を最高裁長官田中耕太郎氏が駐日米公使らと密談して、判決の見通しなどを述べていたようです。


米国の公文書は1959年年8月3日付でマッカーサー米大使が米国務長官に宛てた公電とのこと。
マスコミが入手したものではありません。
元山梨学院大教授(法哲学)のが布川玲子氏が今年(2013年)1月に米国立公文書館に開示を請求し、入手したものとあります。
ことは重大で、この記事が扱っている事柄は、まさに「主権回復の日」などといっている首相の祖父が首相であった時のことなのです。
このようなことが60年近く与党を張っていた政党によって行われてきたのです。

是非、現在与党の若手と言われている代議士の方々はこの辺りのことをどのように考えておられているのか発信していただきたいと思いますが。

いかがでしょう。

あまりにも現在与党の30,40歳代の若手の方々は今までのことを言及しなすぎでと感じるのは私一人でしょうか。

2013-04-19

株があがると景気がよいのでしょうか

何か株が上がると景気がよいような流れはないでしょうか。

あまりにも浅すぎると思うのですが。

確かに円安によって輸出産業の会社は収入金額の絶対額が15%以上増えているでしょうから、景気がよくなったように感じる方もいるでしょう。

しかし、この金額は為替差益であって輸出増になっているわけではないのです。

もしも円安によって輸出増があれば実質的に景気回復につながると考えます。

一方、いままであまり努力もせずに円安によって利益を出してきた産業は現在の円安はこたえるだろうと感じます。

しかし、今までの利益は莫大だったでしょうから利益の吐き出しが可能と思います。

吐き出しもせずに値上げを行う会社も出てきています。

今までの円高の恩恵をたなにあげて。

実質的な景気上昇を狙うのならば、4年前まで60年近く与党であった現在与党方々は今まで行ってきた政策の吟味が必要ではないでしょうか。

若い現在与党の方々は、あまりにもその辺りのことを言及しなすぎではないでしょうか。

是非、若手の方々に言及していただきたいと感じるのはわたくし一人でしょうか。

2013-03-25

シニアこそ深く考えることが必要では

昨今、物事を深く考える人々が少ないように感じるのは私一人でしょうか。

深く考えるとは、多岐にわたる経験や蓄積してこられたことになどに関係付けて考え、推察することではと思っています。

例えば政治の世界のことであれば、過去の政策の中身、その政策を立案しそれを実行した組織、実行結果、歴史的な背景などです。

このように考えると、経験が豊富で、成功や失敗を経験してこられ、しがらみから解放されたシニア層の方々こそ、課題を含む、多くの事柄に深く考えなくてはならない方々だと思うのです。

いかがでしょう。

しかし現実はどうでしょう。

多くの理不尽な事柄を見たり、聞いたり、行動してきたりしてこられたシニアがあまり深く考えない人の代表になっていると仮説を立てるのは一寸言い過ぎでしょうか。

公害問題、原発問題、放射能発散問題、大量農薬使用の問題、・・・に対する発信や、政治的行動が弱いのではと思うのです。

シニアは時間とお金があることから購買層やボランティアを構成するだけでなく、現在わが国が抱えているの問題にもっと積極的に関わることが重要な時期に来ているのではないでしょうか。



2013-03-22

原発事故と食のこと

原発事故が食に大きく影響していることと推察しています。

例えば、スパーなどで野菜や加工食品を購入される多くの方々が、生産地や加工地をご覧になっている姿をよく見受けます。

一方、支援という言葉を後ろ盾にして、それなりの地域の野菜などの購入を促進されている方々も数多くいらっしゃいます。

TVなどでインタービューを受けておられる方々を観ていますと、「おいしい」とか「支援したいから」とか発言されています。

現時点で、どちらがどうの、こうのと言うことは不適切だと思いますが、最近過去の事実から言及しなくてならないのでと感じていることがあります。

それは皆さんも記憶にあると思われる水銀中毒による水俣病のことです。

       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85

この時のことを実際に見聞きした経験はありませんが、ざっくりと言えば、身近な海から魚介類を収穫して生計を立ててこられた方々や周辺の方々が、新鮮でおいしい魚などを食べることを通して水俣病(水銀中毒)になってしまったのです。

大量の水銀を含んいるが、本来の味を保った新鮮な魚などを食べたことによって発症したのです。

水俣病は発症してから10年近くかかって、その原因である水銀中毒が明らかになったのです。

つまり水俣病の場合は、その原因の特定ができなかったのです。

しかし、今回の原発事故による原因は特定されていることであり、放射能のわけです。

この放射性物質は測定すればその存在が分かることになっています。

つまり、「おいしい」からと言うことでは済まされないことになのです。

あまり波風は立てたくはありませんが、将来のリスクを見据えた冷静な行動が必要と考えていますが。

いかがでしょう。



2013-02-24

このような認識で、この報酬?


烏賀陽弘道氏のJPpressの論文『班目氏が認めた事故対応の失敗元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第1回)』の冒頭で次のように書かれています。


「原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。しかし一方、制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないことまで混同して同氏のせいにして、非難するのは筋が違うと思った。」

この中の「制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないこと」に少し問題を感じました。

それは、原子力安全委員会委員長の任務と責任範囲が、烏賀陽氏の認識されている通りであるとすると、どうして原子力安全委員会委員長の報酬が以下のように支払われているのかということです。

原子力安全委員会委員長の月額報酬  100万6万円
原子力安全委員会常勤委員の月額報酬  93万6千円

よく見て下さい。月額ですよ。

この報酬で「任務ではない」なんてことがあってよいのだろうか、という疑問です。

報酬は任務と責任に対して支払われているのではないのでしょうか。

そうでない範囲での原子力安全委員会委員長の仕事の範囲であれば、ボランティアでよろしいのではないのでしょうか。

専門家であったとしても仕事の責任は範囲がそれなりであれば、ボランティアとしての報酬(実費のみ)であってもよいと思うのですが。

いかがでしょう。

このようにシニアクラスの専門家には、ボランティア的報酬(実費)で、ご活躍いただく時代に入って来ていると思うのですが。

以下に再度、国の要人の報酬額が掲載されているサイトをあげておきます。


この報酬を見ると、原子力安全委員会委員や委員長だけでなく多くの専門委員の方々にボランティアでご活躍を期待するのは私一人でしょうか。

特に公務員である国公立大学や研究所の所属、またはリタイヤーされた方々はそのような処遇でお仕事していただくのはいかがでしょう。

是非検討していただきたいと思うのですが。

責任範囲が前述の範囲であれば。












2013-02-14

農薬の使用量が日本はダントツ

農薬の使用量が日本はダントツの統計が出ています。

日本、韓国、オランダとつづき、韓国の2倍、オランダの4倍近い農薬が使われています。


また主要国の農薬使用量の推移でみても日本は最も多くの農薬を使っており、1990年年代からあまり減少していません。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0540.html

いろいろなところにこの統計量に対して比較できるような物でないとの評価があるようです。

しかしながら使用されている農薬は減少しているわけでなく、多くの量が使われていることは事実でしょう。

そう思うと最近は放射能のばかりに目が向いていますが、もう一度農薬のことも考えることが必要ではないでしょうか。

このことに対する警鐘を鳴らす統計量だと思うのです。

どうもこのような事柄は、のど元過ぎればという風潮に流されていると感じます。

適切ではないかも知れませんが、はやりのようなことも感じなくはありません。

話を元にもどして、このように農薬が大量に使われて来ている現状を踏まえ、どうしてこのようなことがずっと行われているのかを考えると、以前に書いた学校給食のパン食に対する取り組みを怠って行ってきた組織の責任もあるのではと感じ始めました。

その組織の収入源の多くを占めていると考えられるからです。

このような枠組みで農薬の減少を期待するとすればナンセンスでしょう。

真に不要なところへの農薬使用を少なくするのには、他の力学が必要なのではないでしょうか。

また農産物への放射能の影響ばかりでなく、農薬の減少も次世代への影響を考える場合、大きな課題と思うのですが。

いかがでしょう。



2013-02-01

ホスピスはなぜ仏教でなかったのか

1月28日の朝日新聞の夕刊に「僧侶が寄り添う終末期」との記事がありました。

20年も前から仏教版ホスピスがあるようです。

台湾も90年代から仏教者が参加しているとのことも記載されています。

そう言われてみると確かに、終末期というと特定の宗教家が寄り添う場面が眼に浮かびます。

僧侶といった方がとの報道にあまり接してこなかった記憶があります。

特にわが国では宗教としてではないにしても、多くの方々が何かにつけ仏教に接していると思います。

それなのに終末期ということになると他の宗教に頼ってきたのは何故だったのだろうと感じ始めました。

病院に僧侶がおられていると「葬式・死」を連想されるからでしょう。

頼ってきた他の宗教は死だけでなく、生まれてから死まで一生涯を対象にされており、葬式や死がストレートに連想されないことが受け入れられてきたように感じられます。

そうはいっても仏教版では始めは避けていた患者の方が受け入れ、併設されている仏道で手を合わせるようになり、こころが休まる方がいらっしゃると書かれています。

なるほど、日本人は仏教は葬式との結びつきが大きいので(葬式を行うようになったのは江戸時代からとどこかで読みましたが)、仏教版ホスピスの導入は抵抗があったのだと思います。

しかし、その導入には効果があることが実証されてきているのですから、これからは仏教版ホスピスが定着して欲しいと感じております。

いかがでしょう。

できればストレートに葬式を連想させないため、禅寺方式の仏堂や写経といった葬式に直結しない方法を考えていただけないかとも思い始めました。

2013-01-13

本当は違うところに原因があるのでは

2013年1月10日、11日の朝日新聞30面、33面に『「夫は外、妻は家庭」なぜ増加 上下』が掲載されました。

この記事の中で社会学者の関沼博氏は『・・・夫の稼ぎだけで妻子を養うのは難しく、公的な保育サービスも充分でない。親の支援がなければ、子育ての中の妻ははたらきつづけられないのが、今の20代の現実だ。その中で「ささやかな幸せ」を描いたら、こういう結果になったと見るべきだろう。・・・』と言われています。

これが主な原因でしょうか。

現実の若い世代の方々を見ていると、前半の稼ぎのところはそうだとは思いますが、後半の見方は違うのではと思われてなりません。

このような仮説を立てています。

子どもを持つ若い夫婦では、夫の稼ぎだけで妻子を養うのは難しく、収入を確保するためには、どうしても妻が働きに出てもらうことが必要となる。

働きに出た妻はそれなりの収入を得られるが、子どもの面倒は自分以外の人に頼ることになる、

親は必ずしも近くに住んでいないので、他の人または組織の保育サービスに頼らざるを得ない。

一番手がかかるが、一番可愛い次期の子どもの面倒を他の人に見てもらうことになり、少子化で子ども一人を持たれるとすると一生この経験を失うことになる。

一方、保育サービスに頼るためには月にそれなりの金額を支払うことが必要になる。

この金額が、場合によっては妻が得た金額の半分や5分の2程度になり、ばかにならない。

そこへもってきて、前述のように自分なりが必要な時期に自分の子どもの面倒ができない。

このようなことが「妻は家庭」ということにつながっているのではないかということです。

いかがでしょう。

勿論、妻の仕事が充実していて、収入も他のところに支払ったとしても、充分手元に残る方々は立てた仮説のようなことは考えないと思います。

しかし、多くの方々はそのような環境におられないのも現実ではないでしょうか。

ときめいておられる社会学者の方であるなら、このような社会的環境を視座に置かれて記事を書かれた記者に話していただきたかった、と思うのは私一人でしょうか。

2012-12-26

政治家の顔を考えたことはありますか

現在の国会の政治家の顔を考えたことはあるでしょうか。

あまりにも顔がひどいのではないでしょうか。

アジアの人々の顔や、アフリカの人の顔や、農業をされているシニアの方の顔がよいのに比べてです。

表情が悪いというのでもありません。

イケメンでないというのでもありません。

美しい顔でないというのでもありません。

何か同じ特徴を感じる顔の方々が政治家に多いと感じるのです。

いつから政治家の顔がこのようになったのでしょう。

どうして政治家の顔がこのようになるのでしょう。

どう考えても理由が思い当たりません。

反対にどうしていい顔になるのかも理由が考えられません。

しかし今回の大臣や前回の大臣などの顔にその特徴が表れていると感じているのですが。

いかがでしょう。

一般的にそれなりの地位になると、時間と共にその地位の顔になるなどと言われてきたのではないでしょうか。

しかし、気づいてみると政治家にそのような方々がいないように感じはじめました。

別に顔がどうのということが別段どうでもよいことだとは思っています。

しかしながら一般の方々の顔と異なる特徴を持つ方々が政治家に多いのは何故なのかテレビを観ていると感じられてならないのです。

どうしてなのか持論をお持ちの方に是非発信していただきたいですが。

2012-12-22

選挙結果から感じたこと

再度ですが、今回の選挙結果から感じたことがあります。

それは脱原発のことです。

これをスローガンにして選挙活動をした政党が複数ありました。

脱原発をめざした投票者はそれを言っている政党は同じ主張の政党と思われたのではないでしょうか。

その結果が今回の選挙結果の一因ではないかと考え始めました。

このように考えると、次のようなことはどのように捉えられているのか書きたくなりした。

原発ではありませんが、米食とパン食のことです。

最近はあまり言われていませんが、お米の消費が少なくなり米作農家が困っている、などということでした。

この原因はどこにあったのでしょう。
お考えになったことはあるでしょうか。

50歳代以上の方なら、そうだったなということがすぐに理解されると思います。

小学校の時の給食がコッペパンと脱し粉乳だったはずです。

つまり子供の時にパンを食べさせられていたのです。

全国の給食でです。

そして青年、成人に成長してきたのです。

これがお米の消費が減ってきた一因(主因?)です。

このような政策をとってきたのが今度与党になる政党です。

しかも、さらにありえないことがあったのです。

その政党を支持してきた大きな団体の一つは農協なのです。

お米を作る農家の団体相当である農協が、パン食を子供に習慣付けてきた政党に手を貸してきたのです。

与党がいままで行ってきた政策を反省しないなら、このようなことを行ってきた歴史を知り、選挙行動にしていくべきと考えるのですが。

いかがでしょう。

2012-12-21

この度の選挙結果を踏まえて感じたこと

この度の選挙結果を見て、驚いたの一言でした。

感じたことは、多くの方々の判断は昨日のことだけでは、ということでした。

つまり、数年以上を遡った判断ではなく、最近のことだけで判断しているのだと。

原発問題であれば、現在のことだけで、どうして原発が数多く建設されてきたのかとか、だれが導入促進してきたのかとか、その関連などは判断されていないということです。

そこには、物事を深く考えない行為があるのではとの感じです。

この原因としてテレビの影響があるのではと考えています。

何度か書いていますように、テレビはマスコミの代表のように捉えられていますが、その実態は、日々の事件をそのまま映像として流しているに過ぎないと感じ始めています。

アナウンサーから発せられる内容は、事実をただただ表現された文言です。

一度冷静に聞いてみて下さい。

またコメンテーターの話す内容は、報道される事件の表層をなめるような発現でしかないように思うのです。

こちらも一度よーく聞いてみて下さい。

何も言ってないような内容ばかりです。

このような情報を聞かされている国民は、そこで発言されている表現を自分の考えのように感じ、復唱しているように感じます。

全て深みのない報道のテレビの影響とは言いませんが、どこか今回の選挙行動から考えてそのような仮設を立てざるを得なくなりました。

いかがでしょう。

マスコミ論の専門家にこの辺りのことを発信してもらいたいです。



2012-12-17

原発反対のうねりはどこに

昨日の衆議院選挙の結果を見て、原発反対のうねりはどこに反映されたのかとの疑問が浮かびました。

いかがでしょう。

あれだけ叫ばれた原発反対とあまりのいにもかけ離れた今度の与党の圧倒的な数の勝利に、ちょっと落胆に似た感想を抱きました。

あまりの距離に、どうなっているのとの感じです。

デモの力なさは、60年安保の、ベトナム戦争の、・・・、今度の原発の、と立証されたように思えてなりません。

デモが駄目と言うことではなく、選挙行動に結びついていないということを問題にしているのです。

デモの矛先はどこかを考えておられないではないでしょうか。

物事が深く考えられていないことに起因しているのかもしれません。

深く考えるとは、あることに関連することを多岐に手繰り寄せ考えることだと考えています。

つまり、原発反対であれば、先ずその原発を容認してきた政策を実行してきた政治を思い出すことが必要でしょう。

さらにその政策を後押ししてきた団体も認識しなくてはならいでしょう。

またそれをささえてきた専門家と称される学者も思い出すことが必要でしょう。

このように考えてどこを正さなければならないか考えることが必要と思うのです。

いかがでしょう。

今回の選挙は、あまりにもそのような深い考えの結果ではないのでは、と考えるのは私一人でしょうか。





2012-12-10

今回の選挙の候補者について

多くの政党の候補者が林立した選挙選が展開されています。

候補者について考えさせられることがあります。

それは若く、日本の代表的なT大学出身で、場合によっては官僚経験者で、50数年間与党を張っていた政党の候補者です。

シニアクラスの候補者がその政党から出馬するのは何となく違和感はありませんが。

上述のような方々が大手を振って選挙演説するのを聞いていますと大変違和感を感じるのです。

いかがでしょうか。

それは50年間の与党が何をしてきて現在に至っているのか本当に自分の頭で考えていただいているのだろうか、と言う感想です。

この借金の有様、社会保障、領土の話、公共投資の有様などなど、現在の有様に至っている元凶はどこにあったのか、彼らはどのように考えておられるのでしょう。

頭がよいといわれている大学出身の方々がその当事者の政党から立候補として、あたかも前の与党を責めるような演説をしているのを聞いていますと、何かがっかりする思いに駆られるのです。

いかがでしょうか。

新しく出てきた国を変えるような名前の政党の若い候補者も同じ思いがします。

継続されてきた長い年月の過去を分析することなく、勢いよく演説される若い方々を見聞きすると、自分の頭でもう一度考えてもの申してもらいたいと、思うのです。

いかがでしょうか。

2012-11-16

39階の横浜市庁舎の計画がありますが

多分群馬県の県庁の153.8mを超えた建物が建てられるのでしょう。

33階建ての県庁は前橋市にはあまりにも不釣合な唯一つの高層の建物です。

これと同じ規模以上の39階の市庁舎が横浜市で改革されているようです。

確かに都市部では高層の建物が林立しています。

米国を真似すると現代国家になるとの思想(?)が日本だけでなく、広い国家の中国を始め多くの国々が建物の高層を誇っています。

何か変ではないでしょうか。

どうして高層を誇らなくてはならないのでしょう。

そう感じないでしょうか。

それと同じようなことが横浜市でおきそうなのです。

土地が高いから高層の建物を造ると㎡あたりの建築費用が安くなるとの理屈でしょう。

創設時の費用はそのような理屈がたつのかもしれません。

しかし高層の建物は曲者です。

保守費が中層の建物よりも高くなるのです。

2012.11.15の日経新聞の「マンション誰のものか 第3部 超高層の虚実」のなかで高層マンションの保守費用は15階未満の物件のものより15%の高いとあります。

つまり、高層の建物になると保守費用が高くなるのです。

この辺りのことが地方自治体ではあまり考慮されていないのです。

公務員の集団は年単位で予算で考え、建物の保守費用は予算を立てる際にはあまり議論されないからです。

保守費用は建物の建築費用の10から20%が1年毎にかかるのです。

創設費用が600億円であれば60~120億円程度かかることになるのです。

この辺りのことまで考えて、横浜市の市庁舎のあり方を考えるべきと思うのですが。

いかがでしょう。




2012-11-01

地方自治体のお金の使いかたにも眼を向けることが

新聞によりますと地方公務員の報酬が国家公務員の報酬よりも高くなっているとのこと。

現在、迷走している多くの政党の主張に、地方への権限委譲が唱えられています。

このことを考えますと、国の予算も去ることながら地方自治体の予算の仕分けが、まさにこの次期に、必要なのではないでしょうか。

多額の交付金を予算に組み入れている地方自治体こそ、経費の節約が必須でしょう。

道州制など地方に権限を持たせることになる前に、国の指導のもとに予算の仕分けが必要と思うのです。

国の指導と言うと、また国が・・・と言われる方がいるこもしれません。

確かにそのようなご意見があることは覚悟の上です。

しかしながら、この時期から地方の予算のあり方に関心を持ち、適正に使われているかを見極め、無駄を排する考え方を醸成すべきと考えますが。

いかがでしょう。

県議会や市議会などのかけれるレベルの予算内容だけでなく、末端の予算執行レベルの部分までメスを入れることが必要です。

塵も積もれば・・・と言われますように、このレベルのことに多くの無駄が隠れていると思います。

是非、このレベルの地方自治体の予算までも見据えたチェックをしていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

どうも地方自治体の議員ではできないのではと感じてならないのですが。

2012-10-28

言われても変えないのはどうしてなのでしょう

首相や、大臣や、元の首相や、元の大臣などが、マスコミ、専門家をはじめ多くの方々からいろいろなことを言われても平然としていままで通り、言動、判断などを行い続けるのはどうしてなのでしょう。

自分の主張は正しく、ぶれていないからだと言われるかもしれません。

しかし、そのように理解できることばかりでしょうか。

時代の流れで価値観なりが変わってきたり、新しい時代を築いて行くためには、自分の考え方なりを見直し、場合によっては変えることが必要なことがあるはずです。

また意見を投げかけあう場合にも、相手の意見を聞き、理解した際には自分の意見を変えることもあるはずです。

勿論その場で変えることはないとしても、それなりの時間を経過した後、変えることがあるでしょう。

このように考えますと、あまりにも変えないことがあるように思えてなりません。

あれだけ叩かれて変えないのは立派だとの捉え方もあるとは思います。

それは叩かれる点と、その理屈がどう考えても理不尽であったり、論理的にもおかしな場合には、確かに考え方を変える必要はないと思います。

しかしながら、首相なり、大臣なりが考え方なり、行為なりを変えないことが目に付かないでしょうか。

2012-10-27

テレビ報道が深まらない理由

テレビの報道は事件発生後日にちがたっても一向に深まらないことを以前に書きました。

この理由を考え仮説をたててみました。

まず、報道の中立性を守るために、踏み込んだ解説なりをするのではなく、できるだけありのままのことだけを報道する。

そして原因などを探る解説をする際にも2、3の原因を専門家と称する方に語らせ、かたよった報道にならないようにしている。

その専門家の解説も一般人が考えたことを逸脱するようなことは避けられている。

などです。

このような仮説を立てると、あまりにも薄っぺらい内容になることが導き出せます。

このような報道がされていないでしょうか。

つまり、見えるところレベルのことばかりが毎日のように報道されるのです。

同じ映像や解説が繰り返し、繰り返し報道されるのです。

深まることは期待できないことになります。

しかし、現在のような混沌としたわが国現状を考えますと、このような報道は存在意義が無くなってきていると感じます。

皆さんはいかがでしょう。

原因は多くの要因に関係したところにあるのではないでしょうか。

素人が考えても関係する要因は7.8個あると思うのです。

深まる議論をする上にも、是非報道のあり方に専門家のご意見を発信していただきたいと思いますが。

いかがでしょう。

2012-10-22

5年で19兆円の復興予算の予算内容について

復興予算の予算内容について、おかしな使い先が毎日のように報道されています。

確かに報道内容を見てみますと、こんなところに復興予算がついているのと、いう予算があります。

あまりにもひど過ぎる予算項目を仕分けするのは重要なことだと思います。

しかしながら仕分けのような手法で適切な予算にできるでしょうか。

国家予算をたてたことはないにしろ、会社なりの予算獲得をした経験から言えば、国家の大臣レベルで見える予算内容で仕分けはできないのではと思われます。

テレビのコメンテーターはそのような発言はされていませんが、数10億円から1000億円レベルの予算内容を読むなどして判断するのは並大抵でないと思います。

つまり、その規模の予算説明は予算の執行内容まで言及されていないことがあると思うからです。

多分、その予算のなかの大きな項目の執行内容を核にして全体を説明したものが書かれていると思われるからです。

この文面を読まれて判断しても、また変な使い道のものが出てくると思います。

つまりこの手法では不具合は見つからないのです。

他の手法も必要と思います。

それは変な予算を企画した者への罰を与える手法を導入することです。

会社であれば、会社方針に合致しない予算をごまかして計上するような者には左遷などをして、そのようなことがないようにするのです。

このようなことまでしない限り、変な予算はなくならないと思います。

いかがでしょう。

100億円などといった一つの予算を執行する際には、1億円レベルの執行項目も紛れ込んでおり、これが曲者だからです。

予算獲得のご経験のある方ならすぐに理解されることだと思います。

ですから仕分けのような手法ではなくならないのです。

是非この辺りのことをコメンテーターの方々から情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-10-08

最近、まさかという仮説を立てています

それは明治維新に遡ってのことです。

仮説は、江戸時代から明治維新になる際に官僚の報酬が異常に高く設定されていたのではというものです。

さらに、そのような報酬制度が現在の官僚の給与に反映されてるのではということです。

理由は、江戸時代から明治維新のときのことを扱っている新書などや、伝記などの書籍を読んでいて感じたからです。

ある本では、一般的な下級武士の給与が現在の価値で200万円程度であったとき、明治維新の時代の海軍の給与が2000万円、つまり10倍であったと書かれています。

また、ある伝記では大名は廃藩置県後の知事に任命され、それなりの給与が支払われ、明治維新の官僚はそれを上回る給与を受けていたとあります。

庶民から考えれば、知事になった大名の給与をこえる金額であったわけですから多額であることが推察できます。

これにはさらに驚くべきことがあるのです。

明治維新の歴史に出てくるような名前の上位の官僚はほとんどが貧しい下級武士の出身なのです。

貧しいとう形容詞は本に書いてある表現で、あたらに加えたことではありません。

このようなことが実態と考えられます。

明治維新はきれいごとのように書かれた書物が多いと感じておりますが、実態は下級武士がお手盛りで大名の処遇以上の給与を得ていたと思うのです。

これを下敷きに考えますと、明治時代からこのかた、官僚の給与は庶民からは分らない程度の金額であったと推察されます。

今後それを支えてきた給与に関する法律を確認することが必要と感じていますが、いかがでしょう。

どなたかこの辺りのことを調べておられる方がいらっしゃったら是非情報発信いただきたいのですが。

いかがでしょうか。

2012-09-16

同じことが起きるのでは

与党、野党の党首選が多く報道されています。

現在の与党は選挙民を大きく裏切ってきたように感じます。

その原因はどこにあったのでしょう。

政治評論かも記者あがりのコメンテーターも語っていただけないところがあり、そこに原因があるのではと思い始めましたので、そこを仮説にして書いてみたいと思います。

仮説は次のとおりです。

1.現在の与党の1代目の首相は、自分が話せば誰かがそれの実現方法を考え、実現するための行動を起こしてくれると考えていたのでは

2.2代目の首相は、細かなことを話せば自分の考えが及んだことが実行されると考えていたのでは

つまり、話せば、官僚なりが自分の考えどおり行動してくれるとの考え方です。

確かに、いろいろな組織で上司の話すことを部下はその実現に智恵を出し、了解をとって行動していると思います。

しかし、現在の政府の有様からはそのような行為があると推察することができません。

結果的に言えば、伝わっていないのと同じような感じです。

ここでさらに原因の仮説です。

1.まさか、このような現在の与党の首相や大臣の行為は、54年間も続いた前の与党の行動を真似ているのではないのか

2.前の与党の時はざっくりとした話なのに、現在の与党の首相は細かすぎるくらい話をしているのではないか

つまり、54年間与党の行為を見てきた方々に、権力を握った際にはあのようにすることが刷り込まれてきたのではということであり、前の与党の方々はざっくりとした指示のもと、官僚の力を頼りに利権誘導型政治を行ってきたのではとの仮説です。

そのような仮説を裏付ける事柄は前の与党時代の多くの大臣の選任にあったと思うのです。

その時は、どうしてあの方があの大臣をできるのとの疑問だけを抱きました。

今考えますと、そのように考えるべきだったのではなく、大臣が考える方ではなく、官僚が考える方だったのはのはないかということです。

このように考えると現在の与党の有様はかなり理解できます。

しかし、このように理解できたとして、どうして現在の与党ではうまく行かないかです。

ここからは会社経験が長い方なら仮説が立てられるのではないでしょうか。

つまり、「与党が選挙によって変わることがない」という暗黙の了解事項です。

これが働いていたのではないでしょうか。

これがあると、ある時大臣なりに示した(話した)ことを、選挙後に問われることがなく、おもいきって行為できてきたのではないでしょうか。

自分の上司相当の方々が変わっても党が変わらないということです。

それは自分の信条を受け入れてもらえる上司が居続けることであり、ある種の安心感があるのだと思うのです。

与党が変わることで受け入れられる信条が異なることがあれば、官僚なりの方々は自己の信条を出すことは禁忌でしょう。

切られることが予測されるからです。

話は進みすぎますが、このように考えると、新に政権が発足しても現在のような有様はつづくのではと考えるのですが。

いかがでしょう。








2012-09-03

121はあやうい数では

衆議院の定数を240名にするとの公約のグループが出てきました。

確かに議員数は多く、経費もばかにならない数字になっています。

昨今のような不景気な時代に、なかなか決まらない議会に業を煮やして経費削減を定員削減に反映したように感じます。

定員を半減すれば、確かに経費も半減するところが多くあると思います。

ですから定性的にはそうだと思います。

しかしながら定量的はどうでしょう。

121名の賛成で国家の多くのことが決まってしまう議会を想定した場合、一寸首をかしげてしまうことはないでしょうか。

国家の決め事を121を多数として決着するのは、あまりにも少ないのではということです。

一人で決める独裁国家は危ないとして、121だから民主的と捉えていいものなのかとの懸念を抱いてしまうのです。

いかがでしょうか。

昨今の選挙制度では半数以上を一党が独占する確立が高いとすると、121だからと言って独裁でないと言えるかです。

どうもこの辺りの議論なくして議員の半数化が、あたかもあるべき姿のような様相を呈してるのはいかがなものでしょう。

多くの方々の発信を期待いたします。






2012-08-24

3.11以降考える 街路時の選定について

街路樹はどの程度考えてられて植えられているのでしょう。

街路樹への要求条件を考えてみたいと思います。

・夏日陰ができ、冬の日差しが入る効用があること
・街の美観を上げられること
・枝を切ったりする世話があまりかからないこと
・水不足が起きないこと
・秋の枯葉の量が多くないこと
などが挙げられるのはのではないでしょうか。

例えば、上のような条件を仮説にして現行の街路樹を考えますと。

冬には葉はなく日差しが入り、夏には葉が茂り日陰ができ、秋の落ち葉は少ないような木が求められることなります。

このような条件で現行の街路樹に選ばれている次のような木々はどうなのでしょう。

ミズキ、プラタナス、イチョウ、サクラ、ケヤキなど

何か当ってないような気がしてなりません。

つまり、街路樹を選ぶ際に、その目的が不明確になってるのではないでしょうか。

保守のし易さや価格などが優先されているのではなどと勘ぐってしまいます。

これだけエコが叫ばれているにですから、夏には電気にたよらず涼しい街にできる街路樹を植樹すべきと考えるのですが。

いかがでしょうか。

2012-08-21

中国で日本の米を増産しているようですが

本日のテレビで、日本と同じ品種の米が増産されているとの報道がありました。

わが国への輸出も考えているようで、報道では安い米が入ってくるとのコメントがありました。

確かに安い米が入ってくるようになると考えられ、現在の日本人の味覚であれば受け入れられると推測されます。

最近の米を食していますと、ご飯としての匂いと味が無いように感じてなりません。

いかがでしょう。

1980年代までは、結構味がする米を食することができた記憶があります。

つまり1980年代以降に生まれた方々は、うまいご飯を食べた経験が少ないとの仮説が成り立ちます。

一方、昭和20時代の以降の給食世代は、子どもの時の昼ごはん(学校給食)はパンでした。
(最近の給食はパンが主体でなく、お米のご飯が出ているそうですが。)

つまり、子ども時のにパンを食べさせられていたのです。

その世代の方々は意識されているでしょうか。

以前にも書きましたが、マヨネーズ分野に新規加入を目論んだメーカーが幼稚園にサンプルを配布したとの報道を聞いたことがあります。

つまり子どもに味を覚えてもらう作戦です。

このようにして開拓しているのです。

これと同じことがパン食にあったのです。

このようなことに今までの元の与党の方々や農協の幹部の方々が学校給食にパンを出してきたことを容認してきたのでは、との仮説が成り立つのではないかと思っております。

表現はよくありませんが、いまさら安い米の輸入を阻止などといったことは、あまりにもふざけているのではないでしょうか。

おいしいお米の味覚を育ててこなかったことを、あらためて意識すべきだと思うのですが。

いかがでしょう。

日本のお米の味を覚えてくれてたら、多くの人たちがその味と安心を求めて価格だけで勝負するようなお米を受け入れないと思うのは私一人でしょうか。










2012-08-12

元の与党の大臣は何をやっていたのでしょう

全て仮説ですが。

現在の「たけしま」の有様を見ていると、その時代の与党の大臣や官僚は何をやっていたのだろうと思うのは私一人でしょうか。

しっかりしたコンクリートの建屋がある姿が報道されていますが、昨日・今日建設されたものでないことは明々白々です。

あたかも現在の与党が対応が甘かったからと発言されている元の与党の方々がいらっしゃいます。

自己否定が無い時代なのからでしょうか。

ここで仮説ですが。

本来責任をとることが必要な『大臣』が何も指示をしてこなかったからではとは、考えられないでしょうか。

元の与党の大臣は指示もしない環境で官僚がやれることだけを行ってきたように思えるのです。

やれることと言っても官僚は、大臣から指示なければ、自分の責任範囲で行動するしかないはずです。

国と国の間の問題の責任は大臣が責任をとることが担保されない限り、相手国からの反撃が予想される対応はできないに決まっていると考えられるのではないでしょうか。

つまり、元の与党の大臣は自分でやって来たように発言されていますが、現実は官僚にまかせっきりだったのではないでしょうか。

まかっせきりとは、官僚がとれる責任範囲のことしかできて来なかったのではないでしょうか。

コンクリートの建屋が造られは次の通りのようです。

1981年 ヘリポート建設
1997年 埠頭建設

この年代の政権は何をしてきたのだろうと考えるのはおかしなことでしょうか。












2012-08-05

参加に加えて国際大会を観ることが必要では

よく調理人を育てるためには、他人の作る良い料理を食べる経験を積ませることも必要のようですが、今回の柔道の結果を見ていると何か外国選手の戦い方なりをよく観ていないのでは感じてしまいます。

一方、国際大会に参加しているから観ているのではと思ってはいますが、意外と観ていないのではないでしょうか。

観察する機会としてです。

今回の大会をTVで観ている限り、その機会は無いように推察されます。

どの位の力で柔道着をつかまれるのかとか、引き付けはどの程度などかは、対戦しなければわからないでしょう。

しかし、戦い方などの戦略は対戦の中だけでなく、観戦でも感じられるはずです。

是非、これからの選手の育成には、問題意識を持たせ、国際大会を観戦させる機会を用意することをしていただきたいと思うのは私一人でしょうか。

また、指導者は「引き締めて」とか「力を出し切って」などといった抽象的で具体的な戦術に展開できない曖昧な言葉ではだめだと感じていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-07-30

深く考えることが必要では

現在の与党から離別して新しい政党を立ち上げた方々は何ヶ月間も「消費税を反対する」ということを言われ続け、反対するとしてどうしようと考えているのか、とか来年度予算の計画をどうされたいのか、財源をどこから持ってこられるのか、などと言った言ってきたことをブレークダウンしているように報道がされていません。

言い始めて(消費税反対を)時間が経過すれば、具体策なり、将来の考え方なりに展開されるだろうと考えるのが常識的だと思うような趣旨で以前に書いてきました。

またこの例と同じように、テレビの報道も時間が経過しても同じ映像と最初の報道と同程度の解説を流すことが行われていると書きました。

この風潮は物事を深く考えない姿勢そのものと感じますが。

いかがでしょう。

この風潮を原発事故や、震災の復興に展開しないで欲しいと思います。

原発事故のことであれば、日本は今後どうしていくべきかだけでなく、どうして安全性が欠けた状態で原発が建設・運用され続けてきたのかとの視点からこの60年の与党の政策を検証・評価すとか。

また震災復興のことであれば、例えば原発設置をしていただいた自治体などに分配されたお金がどのように使われ、安全や防御にどの程度つぎ込まれてきたのか。

など多岐にわたった深い考察を展開することが今後のわが国の進むべき方向に重要なことだと思うのです。

時間が経過しても事柄が深まらないことは是非避けるべきと考えるのですが。

いかがでしょうか。


2012-07-23

『いじめ』と言う表現をやめたらどうでしょう

昔は『どろうぼう』と言っていた行為の一つが『万引き』という表現になって、何か軽い罪のような感じはないでしょうか。

一方、「どろぼう」と言われると一寸びくっとするのではないでしょうか。

このように万引きと言う表現と同じようなことが「いじめ」と言う表現にもあると考えられないでしょうか。

犯罪でないような響きがです。

いろいろな報道に接していますと、「いじめ」の内容は、まさに犯罪と言うほかないような事柄です。

セクハラが犯罪であるように、行為している方がいくら遊びだと主張したところで、受けている方が「いじめられている」と感じれば『いじめ』があると考えるべきで、犯罪だと思うのです。

『いじめ』という表現では犯罪のような響きが少ないと感じるのは私一人でしょうか。

そこで提案ですが。

『暴力』または『暴力行為』という表現で「いじめ」を表現するのはいかがでしょう。

いくらか犯罪であることが表わすことができるのではないでしょうか。






2012-07-22

オスプレイの危険率の予測はできるのでは

流れ星や衛星の地上への落下率などが発表できるように、オスプレイの危険率は求められるのではないでしょうか。

コンピュータは部品個々の障害率からシステムの障害率を求めているはずです。

航空工学の専門家であれば、同じような手法をご存知ではないでしょうか。

素人的に単純に考えれば、双発のプロペラ式飛行機とヘリコプターの各障害率の和に、1以下の数字の合体障害指数なりを掛ければ求められるのではと考えてしまいます。

つまり、双発のプロペラ式の飛行を離陸・着陸時にヘリコプター式に変える方式ですから。

危険な場面を考えると次のようになるのではないでしょうか。

まず、離陸時ですが。

ヘリコプター式からにプロペラ式飛行機変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

着陸時では

・プロペラ式飛行機からヘリコプター式に変えるときにプロペラの周辺に障害が起きた際には、飛行が困難になる

・しかも2つのプロペラからなるヘリコプターですから、一方のプロペラの周辺に障害が起きれば、当然飛行は困難になる

このような危険があるというのは素人が考えても考え付くことではないでしょうか。

さらに2つのプロペラをヘリコプター式から双発式飛行機に変える時(離陸時)および着陸時、双方のプロペラが同期して(同時に)変更されることが必要です。

このように素人が考えても危険場面がすぐに考えられてしまいます。

どうして専門家はそのように単純に指摘しないのでしょう。

さらに防衛の航空部門を専門の官僚の方々や、大学の専門家の方々はどのように考えておられるのでしょうか。

是非、情報発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-07-16

選挙行動に結びつけられるか

原発に対するデモが継続して開催されています。

水を差すわけではないですが、わが国ではデモで変わったことはないように思います。

安保条約、反戦運動、・・・など戦後の大きなデモで何か変わったことがあったでしょうか。

デモだけで変えることは困難では、というのが実感です。

デモをデモとして拡大して行くとともに、どのようにして選挙行動に結び付けられるようにして行くかが必要ではないでしょうか。

デモへの参加を通じて自己変革していくことも必要でしょう。

原発の件では、この事故が引き起こした放射能放出問題によって、今まで原発容認であった方々に中に、そうでなくなった方々が数多く生まれてきましたように、今回のデモを通して、選挙という形での政治行動に結びつけて行くことが必要だと感じられることではないでしょうか。

かつてフランスデモに参加された方々がどのように選挙行動に反映されてきたのか分かりませんが、デモは活発だったとしても、ただそれだけで変えることは難しいと感じられるのです。

お分かりになっているとは思いますが。




2012-07-14

教育委員会の人材はビジネスパーソンでないのでは

大津での教育委員会の対応を見ていますと、あまりの対応で一寸ビジネスパーソンの集団でないのではとの仮説を抱いてしまっています。

ビジネスパーソンであったら、発言する際、その次の次くらいの発言を想定して発言すると思うのです。

その時だけを考えて発言しているように感じます。

また、昨日の報道では、黙祷もせず、黙祷を求められると座ったままでやろうとしたり、全くビジネスパーソンのリテラシーをお持ちでないと感じます。

教育現場を歩いたご経験の多い方々が教育委員会のメンバーになられているとの話を信じますと、確かに一般的なビジネスパーソンとは異なる特殊な世界のご経験だけを持たれていることと推察いたします。

ビジネスの世界でご経験のあるかたは、企画を行ったり、幹部説明を行ったり、不都合があればお客さまに誤ったり、・・・などなど、多岐にわたった経験を積まれている方々が多いと思います。

経験してきたら、だれでもがビジネスパーソンとしてのリテラシーを保有しているとは思っていませんが、昨今の教育委員会の対応をみていますと、そのように感じてなりません。

いかがでしょう。

いじめの問題をはじめ、教育の現場での問題解決には、多くの経験を積まれたビジネスパーソンのスキルなりリテラシーなりが必要になってきているのではと思うのですが。

2012-07-03

民主党から多くの方々が離別されましたが

50人近い議員の方々が離別されましたが、一寸そのことでお話したくなりました。

確かに主張されている筋論の、公約の多くを実行して来なかったにもかかわらず、増税の決議をしてるのは本末転倒で、やるべき事をやってその後に、とは多くの方々が感じていることだと思います。

そうではありますが、少し違う考えも浮かんできました。

この数ヶ月間、時間と共に深堀化などを行うことなく、ただただ反復ばかりのテレビニュースのように同じ文言での主張を続けていることに疑念を持ち始めました。


多くの方々も、具体策が話されていない、どこにお金があるのか、・・・、など指摘しています。


確かにそのようなことも感じます。


しかし、最近感じているのはそのようなことではないのです。

次のような仮説です。

まさか50人のリーダーは具体策は持たずに、官僚に指示を出せば考えてもらえると考えているのでは言うことです。

そのリーダーは今までの長年与党であった党の幹事長も経験してきており、メインの派閥のドンの側近だったので、首相や大臣のやり方を観て来たはずです。

かれらはアイディアがあったはずもなく、ただ官僚に指示やハッパをかけてきた方々だったのではないでしょうか。

つまり、詳細化や具体化を図る方々は政治家ではなく、取り巻きの官僚だったのではとの仮説です。

このように考えると、時間が過ぎても、話されている内容は深くなることなく、同じ文言が話されることになります。

同胞はどなたも紋切り型の答弁ばかりであることも、そのように考えられる理由です。

いままで、ずっと続けられてきた代議士や、首相、大臣の手法のように思えてならないのです。

このような仮説ではないと主張される方がいると思います。

是非、どうして抽象的で、筋論の同じ文言だけが発信されているのか、どなたか解説していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。




2012-06-05

原発の再稼動をする前に

原発を再稼動する動きが活発化しています。

確かに中小企業の方々に電力を安定的に供給することが必要のようです。

再稼動の要求ではなく、電力の安定供給問題なのです。

安定的な電力供給に原発の稼動が必要であれば、しかるべき手続を踏んでから行うべきと考えますが。

その手続は安全性に加えて、原発の今後の扱い方を明確化することと考えます。

例えば、原発のないわが国を造るのであれば、10年かけて全ての原発を廃炉にすると共に、使用済み核燃料の撤去と安全な保管を行うのです。

このような展望を示しながら、もしもどうしても原発の再開が必要であれば再開するのです。

そうは言っても活断層の真上にあるようなところの原発は再稼動することは適切ではないでしょう。

ですから、そのようなところから原発の仕事に携わっておられる方々の再就職先の確保進めて行くことも同時に開始することが必要でしょう。

場合によっては、この再就職先の確保が一番困難なことかもしれません。

しかし、廃炉にするということは原発が無くなることもさることながら、雇用がなくなることになるのです。

つまり、電力供給の転換と同時に、雇用先の転換も必要となるのです。

このような多面的な事柄を考えながら最も安全な原発である脱原発を進めることが必須と考えるのですが。

いかがでしょう。

2012-05-28

テレビが売れないわけ

量販店の記事を読んでいる、と最近はテレビが売れなくなり、不振とのことが出てきます。

それは確かに、地デジへの変換の時期に買われ、それ以降は需要がなくなってきたからでしょう。

そればかりでしょうか。

最近のテレビ番組に対して、周りにいるシニアクラスの方々に意見を伺うと、つまらない番組ばかりで観る物がないと、と返ってきます。

わが国の人口比がシニアクラスに傾き始めてきている現状を考えると、シニアクラスの方々が観るようなものがないとのテレビに対する意見が出ること自身、一寸腑に落ちないと考えるのは私一人でしょうか。

シニアが増えることはずっと以前から分ってきたことであり、テレビ番組を企画されている方々も承知のことだと思うのです。

それなのに観る物がないと言わせてしまう昨今の有様は考えられません。

このような現状では2台目、3台目のテレビの需要はないように思うのです。

従来のアナログテレビの時代は、各家庭には各部屋部屋に大きさの異なるテレビが鎮座していたと思うのです。

このようなことは現在のような番組では起きないと思うのです。

つまりテレビが売れないと原因の一つにシニアに的を合わせた番組がないからだと思うのです。

テレビの周辺で多くのマーケットリサーチの研究者なりがいると思われることを考えると、どうしてこんなふうになっているのか理解に苦しみます。

いかがでしょう。

テレビが売れないと嘆く前に、番組の現状をよく考えるべきと考えるのですが。

いかがでしょう。

2012-05-15

最近思うこと - 記者とは見識のある方?

テレビのコメンテーターに多くの新聞や放送の記者をご経験の方がいらっしゃいます。

最近、その方々の発言内容に疑問がわいてきました。

あまりのも素人に毛が生えたような内容の発言ばかりです。

確かに事件や政治を見てきたことに関しては素人でない発言です。

しかしながら、問題を突っ込んで考えたような発言はあまり感じられません。

みなさまはいかでしょう。

てなことで、最近はそれなりの題名の本を読んでいるのですが、全てではないにしても、分析がされ、示唆するものがあります。

コメンテーターの発言には示唆するような内容を感じられないのです。

あくまで仮説ですが。

記者の方々は突っ込んだ分析なりの経験が無いのでないでしょうか。

まただれも言っていない、オリジナルで示唆するようなことを発信することも経験が無いのではないでしょうか。

特に政治問題の分野の方々に感じます。

素人でないのですから、例えば、政治で本音が発信されないのは、あの場合ではかくかくしかじかの理由で発信されなかったとか、その場にいて考えなければ理解できなかったことを発信していただきたいのです。

このような発言は皆無だと感じています。

マスコミが記者の経験者をあたかも、そのようなことが可能な人材だと想定しているように思えてなりません。

これも仮説ですが、記者ご経験の方々は、熟考型の方々ではなく、その場で感じたことを分析もなしに伝える伝道者ではないのでしょうか。

マスコミとしてはありのままに伝道してくれているので目的は達成しているとは思います。

しかし、あまりにもことも問題をあぶりだすような分析がされていないと感じてなりません。

いかがでしょうか。

2012-05-04

長く続いた前の与党の時からでしょうに


一寸長くなりますが、山崎元氏の書かれた記事に
(http://diamond.jp/articles/-/16943?page=2)
『防衛大臣に限らないが、大臣に任命され、官庁に大臣として乗り込んでも、省益と切り離された立場で政策を考える独自のスタッフを持っているわけでもないし、幹部クラスの職員を入れ替えることができる独自の人材候補群を持っているわけでもない。
・・・
 ビジネスパーソン読者は、よくおわかりになると思うが、部下よりも情報に劣り、実質的に行使できる人事権を持っていないトップが大組織をマネジメントできるはずがない。自分に近い有能なブレーンを持たず、幹部職員の交代要員を独自に持たずに、形の上で権限だけ持っていても、たった2、3人の幹部で大組織を十分にコントロールすることなどできはしない。』
とありました。

確かにその通りと感じます。

しかし、このようなことは今度の与党に始まったことではなく、長く与党を張っていた前の与党、いや戦後からずっとこのかた、続いてきたことでしょう。

つまり、問題は現在ではなく、以前からの問題であったはずでしょう。

今になって問題であるように指摘しても駄目ではないでしょうか。

今までの与党がこのような構図を造り上げて来たとの仮説を立てる方が妥当ではなでしょうか。

つまり今に始まったのではなく、戦後(いや明治に遡るのかもしれませんが)ずっとこのようなことが行われてきたのでしょう。

このような仮説があっているとしたら、山崎氏の主張は、現在の政治状況を改めるためには思い切った政治体制事態の変革が必要との指摘になっているのではないでしょうか。

現在の与党の問題は、根本的な構造的な問題であり、与党を変えれば解決できる問題ではないのではないでしょうか。

現在の与党である間にあるべき姿を求めべきと考えるのですが。

いかがでようか。


2012-04-25

明治維新の日本を経験させるような開発途上国の支援では

明治維新は西洋文化の輸入によって近代化が図られたと言われていると思います。

一方、日本に江戸まであった絵画や、音楽や、刑法など、多くの文化が西洋文化に劣っているように考えられ、捨て去られて来たと思います。

この辺りことが鯖田豊之氏の『日本を見なおす その歴史と国民性』に書かれています。

西洋文化で日本で培ってきた文化を駆逐してしまったのです。

例えば絵画で言えば、伊藤若冲や尾形光琳などの構図や躍動的な表現などは現在の日本画(西洋画に対してこのようなうに言われてるのが問題ですが)には継承されていないと感じます。

また音楽は西洋型です。

つまり明治維新によるわが国の近代化は西洋化そのものの様相があるのです。

結果的に自分達の文化を否定して、崇めたてるように西洋文化一色にしてきたのが明治維新であったと言っても過言ではないのではないでしょうか。

いかがでしょう。

このようなことがあったわが国と同じようなことが、開発途上国で活躍されている方々の支援の仕方にあることはないでしょうか。

先日テレビで音楽の楽しさを開発途上国で広めておられる方の紹介がありました。

すばらしいことだと思います。

しかし、その活動の中で、その国が培ってきた音楽はどのように扱われているのだろうと少し心配になりました。

わが国の音楽は99%西洋音楽であり、楽器も西洋音楽用の音階を表現できるのものでしょう。

そして扱われる音楽は、どのような音符で表現された、どこの国の音楽のだろうかと考えてしまいました。

自分の国の文化を自ら捨て去り、ひたすら近代化をしてきた、まさにわが国の現状を踏まえると
是非、その国が培ってきた文化を継承する中で、支援できるような仕方を求めて行っていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。



2012-04-12

何故こうも、もたもたしているのでしょう

現在の与党の方々にいいたいです。

何故いつまでも、もたもたしているのでしょう。

大阪の方に思う存分言われるような姿は期待していません。

言われるまでに、できることからどんどんその方向性と姿勢を見せていただきたいのです。

皆さんはいかがでしょう。

法律を制定しなければできないことは、当然現在のように時間をかけて説得なり、審議なりを続けていっていただきたいと思っています。

しかし、法律制定を行わずにできることはスピード感をもって実施していただきたいのです。

沢山あるはずです。

この辺りのことを是非、テレビに出てこられるコメンテーターの方々に言っていただきたいのですが。

いかがでしょう。

表面ずらのコメントではなく、どうしてこうも、もたもたしているのか、その原因を追究していただきたいのですが。

2012-04-09

再び放射能汚染の可能性のあるガレキの処理についてですが

放射能汚染の可能性のあるガレキの処理について、原発の協力金相当のものを受領されている自治体の方々に言いたいのですが。

そのような協力金相当のものは、ただ単に建設に協力してもらっているから支払われているのではないのではないでしょうか。

このお金は今回の原発事故などのリスクに対する報奨金ではないのでしょうか。

つまり、これらを受けてとっている自治体は被害者という顔だけでなく、原発建設者への協力者の顔も持ってきていることを自覚することが必要ではないでしょうか。

言いたくはありませんが、住民の方々もその恩恵を受けているのです。

ただ単なる被害者ではないのではないでしょうか。

この面がマスコミなどからあまり言及されていませんが、どうでしょう。

このような主張は言い過ぎではないのかとの批判を受けるでしょう。

しかし、あえてこのことに言及しない限り、なぜ他の自治体に絆がないのかとの話ばかりがクローズアップされてしまうと思うのです。

このような主張の元にガレキ処理の問題が取り上げられるとしたら、問題の本質に
接近できないと思うのですが。

いかがでしょう。

是非、いままで受領されている金額や用途などを公開した上で、ガレキ処理の協力の話をしていただきたいと思うのですが。

2012-04-02

原発問題は地球環境問題の一環では

原発問題は何かはっきりしない状況が続いていますが、この問題は地球環境の問題の大きな一つになってきているのではないでしょうか。

チェノルブイリの原発事故時点で言わなかったのはと反省しています。

半減期の長い、つまり一度発生した放射能汚染は半永久的に存在し続けるのです。

半減期があるので無くなるものと思いがちですが、数百年の半減期を想定した場合、江戸時代いっぱい以上の年数、現在に放射線量の半分にならないのです。

これを半減すると言われる学者はおられますが、人間の寿命で考えれば6から8世代の子孫に影響するのです。

現世を考えれば半永久と言っても過言でないと思います。

つまり地球環境に影響する大きな問題なのです。

一方、森林伐採や、CO2などの地球環境問題を取り上げているNPOなどが多く存在しています。

そこで提案ですが。

エコや地球環境の問題に向き合っておられる方々に、是非原発問題も考えていただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-24

地方都市のありかたについて

街に人が歩いていないとか、店舗のシャッターが閉まっているとか、・・・、いろいろなことが地方都市の問題として報道されています。

どこに問題があるのでしょう。

先ず「人が歩いていない」との原因は地方都市に人が居なくなったことがあるでしょう。

ではどうして居なくなってしまったのでしょう。

地方都市に雇用を作ってこなかったからだと思います。

つまり、多くの方々が雇用を求めて地方都市から出て行ったからでしょう。

また昼間、商店街に人が歩いていない原因は、昼間商店街に行ける可能性のある方々が家にいなくなったからでしょう。

その大きな原因の一つに専業主婦がいなくなったからだと思います。

さらに高齢者が多くなったことによって、多くのものを購買される方々が減少していることも原因だと思います。

そこで提案ですが。

雇用を作る施策としては、個人業の復活があるのではないでしょうか。

八百屋さん、魚屋さん、パン屋さん、・・、など個人でできる店を復活させるのです。

これだけを単独で行っても街は活性化しないと思います。

これに加えて、専業主婦(専業主夫でもよいと思いますが)を復活させることです。

家に居て時間に縛られることなく、昼間に買い物に出られる方々を増やすのです。

それには主婦(夫)手当てのようなものが支給されることが必要でしょ。

さらに子育てを終えた専業主婦(専業主夫)が再雇用してもらえる雇用環境を整えるのです。

例えば、会社の従業員の何%かが、専業主婦(専業主夫)から雇用された方々でなければならないとの法律を制定するのです。

例えばこのような施策なりが実行されなければ、地方都市の復活なり、活性化は難しいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-18

年金額を65歳の支給額に統一したらどうなのでしょう

年金支給額が問題になっています。

これからはさらに増えることが人口構成(老齢人口が増えることによって)を考えれば当然でしょう。

そこで提案ですが、現在支給年度によって支給額が異なる年金を一番最近の支給額に合わせるのはいかがでしょう。

つまり、高年齢の方々に我慢いただき、これからわが国を支えてくれる若年層の負担がいくらかでも少なくなる施策を実行するのです。

確かに多くの反対される方々が反対するでしょう。

しかしながら、そんなことは言っていられない状況でしょう。

65歳の支給額に合わせるというと支給額が下がるというご意見でしょう。

65歳の方々はそれで生活することになるのです。

是非、高年齢の方々がどのように考えておられるのか発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-15

無駄の排除は予算執行の段階も必要

無駄が予算立案の段階で審議されていますが、執行の段階での無駄を排除しないと真の無駄排除にならないのではないでしょうか。

立案時点での排除で無駄が省ける訳でないことはどなたでもお分かりになると思うのですが。

例えば、何か建物を企画・計画して造る予算が決まり、予算執行の段階になると例えば外部の委員が参加する審議会などが催され、方向付けなどが行われるとします。

この場面で無駄と思われる出費があります。

外部委員には報酬が支払れます。

経験では、審議会にでてくる学者はただ聞いて意見を言うだけで、予め資料などを作成することはあんりません。また例えば区長などの市民の代表はほとんど発言もせず出席しているだけです。

このような審議会委員にもしかるべき報酬が支払われているのです。

それも数回出ているだけで、10数万円以上の報酬です。

これは無駄だと思うのです。

はやりのボランティアでいいのではないでしょうか。

せめて旅費などの実費でいいのではないでしょうか。

このように無駄を省いた予算の中身は、このような無駄が数多く潜んでいるのです。

ここの無駄を省けば、さらに予算額の適正化が図れるのです。

このようなことはそこらじゅうにあると思います。

是非この辺りの無駄も一考する必要があると思うのですが。

いかがでしょう。

2012-03-11

地方の地域活性化に感じること

地方の商店街の活性化に多くの手が打たれてはいますが、根本的な視点が欠けているのではないのかと感じ始めています。

まずそのような街を見ると人が歩いていません。

人が歩いていない街を活性化するには、人が歩く街にすることが必須と考えます。

人が歩く街を用意するには人が家にいることが必要です。

そして家にいる人に購買意欲があることが必要です、

購買意欲がある人とはどのような人だろうと考えますと、人口に占める割合が多いシニアクラスの人ではないのではないでしょうか。

若い人々が家にいることではないでしょうか。

広間から街に歩け、購買意欲のある人々とは、主婦か、主夫ではないでしょうか。

勤めている方々は街を昼に歩くことは不可能だからです。

そうではないでしょうか。

つまり、街を活性化するには若い人々を家にいてもらうことが必須だと思うのです。

保育園、幼稚園を多く用意することではないと思うのです。

また子供手当てを支給することでもないように感じます。

子供手当てを支給して保育園なりを用意すれば益々家にいることができる人々はいなくなるように思うのです。

そうではなく、主婦(主夫)手当ての支給をすべきではないでしょうか。

それも思い切って月に8万円程度を支給するのです。

そして、例えば子供が義務教育を終えるまで家にいていただくのです。

さらに加えて、子供育てが一段落した主婦(主夫)が再び職に就くことが必ずできる環境も用意するのです。

ただ手当てを支給するするのではなく、この条件も付けた上にです。

このような社会構造の一部を変えて行くことなくして地方の街の活性化は不可能と思うのですが。

いかがでしょう。

2012-02-27

原発事故で放射能汚染のガレキの処理のことですが

放射能汚染のガレキの処理に賛成の意見と反対の意見が発信されています。

今日はどのコメンテーターなどが言われていない、一寸ドラスチックな見解を述べてみたいと思います。

今回の震災に伴ったガレキは大量であり、日本全体の震災であるので、お互い様とか、震災の共有化とか、痛みを分かち合うなどの観点から、ガレキ処理を受け入れるべきではないか、との意見があります。

確かにそのような見解には、なるどどと思うところです。

原発事故による放射能汚染のガレキのことは、ただその延長に置くことには一寸頭をひねってしまいます。

理由はこうです。

もともと原発を受け入れた地域には、リスクの代償のように協力金のようなものが配れています。

この全てではないにしろ、最低限その内の10や20%は現在のようなことが起きた時の準備金として用意しておくべきだったのではないでしょうか。

そのような処理をどこまでお考えだったのか明らかにされる前に、痛みを分かち合うとの観点から、放射能汚染ガレキの受入をすべきと発言されているコメンテーターの方々に、どのようにお考えかお聞きしたいと思い始めたのです。

そのガレキが自分の家の隣にくることがない方々が、あたかも思いやりのあるような発言をされているように感じるのです。

いかがでしょう。

今回の原発事故で放射能汚染が広範囲に広がり、問題になっているのに、それを人為的に広げることがあっていいのだろうかと考え始めています。

原発を受け入れ、それなりの金額を受け取られて来た自治体の首長さんから是非発信いただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

このような取り組みができない自治体では原発を受け入れべきでないのでは、と思うのでは私一人でしょうか。

2012-02-13

何故雪かきロボットがないのでしょう

これだけ死者が出て、何故雪かき等ができるロボットが出現しないのでしょう。

80数歳になる親から言われ初めて気づきました。

確かに以前に原発事故に対するロボットについて、何故日本のロボットが使われないかと問いかけました。

しかし、その時、毎年のように多くの死者が出ている雪問題に気づきませんでした。

本当にどうして雪に対するロボットが出現しないのでしょう。

屋根の上の雪を自動的に下ろしてくれるロボットです。

原発用や地震用のロボットを開発するのであれば、もっと以前に雪下ろし用ロボットがあってもよかったのではと思い始めました。

いかがでしょう。

原発の代替策の一つとしての蓄電プラントの提案と同じように、人間が行う時に危険にさらされる雪下ろしの現場で活躍できるロボットがあってしかるべきだと思うのです。

東北や信越地方の大学のロボット研究者の方々はいかがお考えでしょう。

雪下ろしのロボットの実現性が低いので研究が行われないのでしょうか。

国の研究所の研究者の方々にも問いかけたい質問です。

原発事故に日本のロボットが導入されない理由に、わが国では国の機関で使ってくれないので云々とかの理由がどこかで書かれているのを見た覚えがあります。

これだけ国家予算を使っての雪下ろしや雪かきが行われている現状を考えれば、自治体からの需要や市場の存在が仮定できます。

しかも、毎年、多くの地域で需要が見込めます。

場合によっては世界に進出できる可能性も考えられます。

是非ロボット研究者の方々に、何故雪下ろし用や、雪かき用のロボットの研究がされてこなかったのか発信していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

原発事故対応にわが国のロボットが使用されないことを嘆く前に、今まで何故か話題にしてこなかった、目の前にずっとあって続けて来た雪問題解決のためのロボットを早期に開発していただきたいと思うのは私一人でしょうか。

本当に気がつきませんでした。

2012-02-05

消費税反対を言われるなら特別会計をどうするのか発言すべきでは

年の予算が90兆円で、歳入が42兆円であることから考えると、誰が考えても歳入を増やさなくてはと思われるでしょう。

歳入と歳出をバランスさせるためには、荒く言って二つあるのでしょう。

歳出を減額するか、歳入を増額するかです。

歳出を減額すると言っても90兆円を半分近く減額しなくてはならなくなり、現実的ではないでしょう。

20%減額したとしても36兆円足りません。

歳入を増やす方法もあるでしょう。

景気を回復できれば、90兆円と42兆円の差額の38兆円、または歳出が72兆円の場合の差額の30兆円が税増収額になるとは考えられません。

このように考えるとどうも増税反対を何の理由も言わずに訴えているのは理解できません。

いかがでしょうか。

もしもそれでも増税反対をいい続けるのであれば、220兆円程度ある特別会計の扱いを言及すべきではないでしょうか。

例えば、特別会計の15%相当の30兆円を一般予算に組込められれば、何とか
24年度は収支がバランスする可能性があるのです。

どうして増税反対論者はそこまで踏み込まないのでしょう。

この辺りも理解できないのですが。

いかがでしょうか。

2012-01-31

79,76,72歳が!

79歳、76歳、72歳の3人が集まって何かやられるようですが。

マスコミもそれなりに扱っています。

それって何なのでしょう。

お三人には責任があると思うのですが。

いかがでしょう。

あたかも今の与党が駄目なようなことを言っていますが。

どなたが現在のような国にしてきたのでしょう。

そのようにお感じにならないでしょうか。

今の国家公務員の現在のような有り様も、赤字国家にしてきたことも、人材派遣業の会社が人件費のピンはねもどきの行為が許される法律を作ってきたこも、・・・。

先に上げた方々は、前の与党の時に中核にいた方々です。

その皆さんは何か言う前に、「私どものが与党だったときには・・・・のようなことを許してきたことによって現在に至ったことが数多くあり、それはわれわれが与党であった時に・・・・のようなことを行ったからだと考えている。これを是正するためには・・・の法律を・・・のように変えることが必要である」のような発言があってしかるべきと考えるのですが、いかがでしょう。

どうもこのような発言もなく、あたかも現在の与党が駄目とのニュアンスの発言は、避けていただきたいと感じるのは私一人でしょうか。

どうもこの辺りのことがコメンテーターの方々からも発言されていないことに一寸呆れています。

どうかそのように感じられておられる方は是非発信いただきたいのですが。

上のお三人には与党だったときの判断に瑕疵があったと思うのですが。

いかがでしょうか。

2012-01-16

汚染されたコンクリートの話がありますが・・・

テレビを観ていましたら、当事者が「国の指導がなく、・・・・」とお話された映像がありました。

確かに国の指導なり、規制がなかったのだと思います。

『指導がなければやって言いということではないでしょうね』、などと考えてしまいました。

このことだけでなく、自分で考えることを置き去りにして、法律がないからとか、法律にはこのように書かれているので云々といった言葉を聞く機会が多いように感じます。

一方、法律を学ぶと「条文に無いから、大丈夫と判断するのではなく、法律の趣旨をまで踏まえて判断しなくてはならない」と言われます。

つまり書いて文言通りだけでなく、その法律の趣旨までも含めた条文を意識して判断することが必要ということのようです。

このことを踏まえて、昨今のいろいろなことを考えると、あまいにも表面的な国の指導や法解釈が行われていて、自分の頭で考えることを失っているように思えてなりません。

もしかするとそのように教育されてきたのかも知れません。

今回の原発事故が環境に大きく影響されているにもかかわらず、あいも変わらず原発の必要性を主張する方々が多くいるのは驚かされます。

本当に自分の頭で考えた結果なのでしょうか。

戦後を含めた教育が自分の頭で考えることを教えていないのではと、考えるとどうもシックリ行きません。

いかがでしょう。

2012-01-12

社宅が用意されていることは・・・

公務員の社宅問題があります。

社宅が必要か、必要でないかとの話しがありますが、それ以前に社宅が用意されているとは何が提供されているのかを明らかにしたいと思います。

社宅に住むに当っては、安いかどうかは別として、家賃は支払っているとの話があります。

当然そうでしょう。

しかし、そのような解釈は適切ではないのではないでしょうか。

支払っている額が高い、低いの問題ではないのです。

異なる話題として、公務員の報酬が高いのではとの話があります。

この話と家賃のはなしはつながっているのです。

話はこうです。

社宅費が一般の家賃より安い場合には、その差額分のお金が支払われていることになります。

つまり、報酬に上乗せされているのです。

報酬が高いといわれている上に、社宅の提供という形で相当額の報酬が支払われていることになるのです。

公務員の給与を低くする必要があるとの主張には、この部分、つまり社宅のことが含められて議論されなくてはならない問題だと思うのです。

いかがでしょう。

公務員の報酬減額と社宅の廃止は同時に解決すべき課題だと思うのですが。

2012-01-09

電力のことも増税論議と同じ論理が必要では

原発の今回の事故を踏まえて、リサイクルエネルギーが注目され、推進されていますが。

本当にこのように変わればよいのでしょうか。

増税議論では、増税の前にやるべきことがあるとマスコミを始め、多くの方が主張されています。

全くその通りだと感じています。

感じれば感じるほど、電力のことでは何故そのようなことが、エコを標榜されている方々から発信されないのだろうと思っています。

電力でも同じ論理を展開するとすれば、次のようになるのではないでしょうか。

原発以外の発電方法で電力需要を賄おう、とするのと同時に「発電された電力をめいっぱい利用しよう」と叫ぶ必要があるのではないでしょうか。

そしてそれを実現する設備なりを建設することです。

このような装置は今後も継続して利用できる有効な設備です。

何故かと言えば、発電方法が変わろうが、原発事故の時のように夜の発電電力は40%近く利用されずに消滅してしまっているからです。

この夜捨てられている電力を蓄電して、昼に使えるようにすれば大きなエコが実現されるからです。

いかがでしょう。

どうしてこのようなことが発信されないのでしょう。

まさか売らんかなの論理でエコが叫ばれてはいないのでしょうに。

是非エコを標榜されているグループの方々に、夜間の電力蓄電施設の建設を考えてみていただきたいと思うのですが。

いかがでしょうか。

2011-12-28

与党から離党者が出てますが

与党の政策が立候補した時の公約と異なるからとの理由から離党しているようですが。

確かに沖縄基地移転問題や八ッ場ダムの再開など公約と大きく異なるものがあり、あきれるばかりです。

しかし、そうい言い切ってよいものでしょうか。

まず、沖縄基地の移転の件ですが、どうすれば問題なくできるのか、その交渉相手、交渉内容、プロセスなどを明確にすべきです。

前の前の首相が言っていたことを実現しようとすれば、この辺りを明確にして、今どの辺りに居て、こらからどのようにしたら良いのか戦術を立てるべきです。

このような行動をしているのでしょうか。

また、八ッ場ダムの再開ですが、どうしてそうなったかではなく、どうすれば再開できないようにできるのかを明らかにすべきです。

これにも戦術が要ると思います。

どこを攻めれば再開を止めることができるかです。

いま、予算案ができたとしても予算執行できるまでには時間があります。

反対と言うのなら、この辺りのことを是非、自分の言葉で説明していただきたいのです。

さらに増税のことですが、反対を言われるのならどこかの予算を抜本的に削減することを言うべきです。

それはどの予算を狙っているのか、その規模はどの程度なのか、そこに向かうのにはどのような働きかけを、どこに向かって行うのか、その行為はどの程度の期間で行うのか、見通しは、といったことを説明していただきたいのです。

どこかの誰かが言っていることを言わないようにして下さい。

どこかの誰かとは異なった行動を伴った意見を自分の言葉で言っていただきたいのです。

1年生議員であれば失うものなど無いのではないでしょうか。

現在の説明だけでは誰かの代弁者のように感じてしまいます。

今まで公約にされてきたことに対する具体的な行動内容、これからの行動内容なども是非加えて説明していただきたいと思っているのは私一人でしょうか。

2011-12-25

市長・県知事が決定できることと大臣が決定できること

大阪市の市長や大阪府の知事の権限と大臣の権限はどのようになっているいるのでしょう。

大阪市長は公務員の給与などを自分の権限で変えられると思われる発言をし、国家公務員の処遇に関して大臣は微妙に発言しています。

ところでこれらの事柄の変更はどのような手続きでできるのものなのでしょう。

つまり、法律や条令を変更して行うことなのでしょうか。

そうであれば、国会や地方自治体の議会にかけて多数での可決が必須となります。

多数与党が賛成しなければ可決できません。

しかし、国での変更の手続きの方法と、地方自治体での手続きの方法が異なるとしたら国と地方自治体の長の発言の仕方に違いが出てくると思います。

この辺りはどうなっているのでしょう。

どなたか情報発信していたでけないでしょうか。

この辺りを明確に報道されているマスコミはあるのでしょうか。

ここが理解されていないために怒りにつながっていると思うのです。

どのようなことでも、どのような手続きでできるかを明らかにすることなく、個人の判断で決定できるように報道するのは問題です。

是非、この辺りを明確にした報道をお願いしたいと思いますが。

いかがでしょう。

2011-12-22

八ッ場ダム再開!?!

八ッ場ダム再開との報道がありますが、どういうことでしょう。

地元業者の方々はさぞかしお喜びと思います。

なにせダムができればそのメンテにづっと予算が付くわけですから。

そして国や地方公共団体からの発注は値引きはなく、かかるコストは当然確保できるのですから、おいしい仕事だと思います。

どこのだれを見て与党の方々は判断されているのでしょう。

首をかしげてしまいます。

判断を大臣なり、首相なりが行っているように見えますが、最近のこのように行ったりきたりしている有様を見ていますと、彼らではないのではと思い始めています。

考えてみるに、会社の社長なりが判断してるといいますが、しかるべき担当者が案を作って、全取締役に説明し、理論武装して社長の判断をもらうプロセスが行われていることを考えると、どうも大臣が判断しているのかと疑ってしまいます。

かなり上位の官僚が圧力に屈して案を策定しているのではと勘ぐってしまうような判断ではないでしょうか。

現在の与党の方々は何をもって判断されてきたのか、そして現在何をもって判断されようとしているのか、是非説明していただきたいと思うのですが。

いかがでしょう。

これだけではありませんが。

2011-12-06

沖縄基地問題でまた発言された方へ

沖縄基地問題でまた発言されたようですね。

今の移転先案でないところに移転できればと思う一人です。

ですから言われている内容は尤もだと思います。

しかしながら、現在もそのように思われているのであれば、発言することの前に行動することだと思いますが。

いかがでしょう。

言えばできるような感覚で発言されているとすれば社会人としてあきれる方です。

最高府の大学を卒業されて、米国の一流大学に留学された方であればお分かりになるでしょうに。

また米国の大学での友人で、政府の需要ポストにいらっしゃる方もいるでしょうに。

その辺にいらっしゃる方とは違うはずですし、違っていただきたいのです。

是非自分の人脈の手づるで代替地になるとことを探っていただきたいし、米国に日本として望む方向で根回しをしていただきたいのです。

それから発言されても遅くないと思います。

昨日のような発言をされてるのを聞かされますと、首を傾げたくなります。

いかがしょう。

過去の人にならないためにも米国の要人とネゴシエーションをし続けていただきたいと思います。

その結果、方向付けができた時点で、再度発言して下さい。

期待もしているのです。

分かって下さい。